エピローグ:ディスプレイ越しの夜明け
「……ん」
ふと気がつくと、ヘッドマウントディスプレイのレンズの向こう側が、かすかに白み始めていた。
ワールドの夜空ではなく、現実の世界の夜が明けようとしていた。
「ハルト、朝が来ちゃうね」
コハクの声が、名残惜しそうに、でもどこか晴れやかに響いた。
「うん、そうだね」
「今日の仕事、頑張れそう?」
「ああ。バグなんて、いくらでも直してみせるよ。僕の心は、もうバグってないから」
コハクがクスッと笑った。「素敵なセリフ。じゃあ、また夜にね」
「うん。また夜に」
光の粒子が散り、コハクの姿が消える。
僕はメニューを閉じ、ログアウトした。
ヘッドマウントディスプレイを外すと、部屋には青白い朝の光が差し込んでいた。
室内の空気は相変わらず冷たい。けれど、僕の胸の奥にある「あの温もり」は、ログアウトした後も、消えることなく確かにそこに残り続けていた。
僕は冷めきった缶コーヒーを一口飲み、今度はそれを「冷たい」とは思わなかった。
ただ、生きている実感が、僕の身体を巡っていた。
デスクに向かい、ノートを開く。
僕は、僕たちの間に起きたあの奇跡を、忘れないように言葉として書き留め始めた。
カタチのない世界で
僕らは確かに 同じ温度を分け合っている
唇を重ねる代わりに向き合うのは
偽りのない 剥き出しの心
これこそが 本当のKISSだ
魂のいちばん深いところが
静かに、深く、重なり合う――
ペンを走らせる僕の指先は、もう二度と、凍えることはなかった。
画面の向こうにいる愛おしい人の存在が、僕の現実を、本当の意味で温め始めていたから。




