大会に向けて
創立記念日から三日経った。間違いなく、人生で一番充実した休日だったと思う。
(私には縁遠い休日を堪能した反動が、あるかもしれないな)
馬術の練習も本格化してきた。体力が戻ったとは言い難いが、ジャンピングなら問題ないだろう。私に一番足りていないのは、馬と呼吸を合わせる事だ。体力作りは家でもやるように言われているし、今後は技術面の練習だけになるだろう。
「咲も乗れるんだっけ」
「はい。私は趣味程度ですから、競技はまた別だと思いますけれど」
(私は、か。誰と比較したのだろう。愛衣かな)
送迎の為に、今日も咲が来ている。まだ全員集まっていないから、見られないような端の方に寄って少し雑談中だ。
咲は在学中、文芸部に所属していたらしい。所属していただけで、活動らしい活動は小説を一つ書き上げたくらいと言っていた。その小説は学院の図書館で読めるようだから、私からすれば、後世に残るような小説を書き上げている時点で凄いと思っている。
(題名は教えてくれなかったが、小鞠さんに聞けば見つけられそうだな)
しっかりと活動したという訳ではないから、所属していただけと言い張っているのだろう。ならば真面目な咲が部活ではなく何をしていたか、だが――それについてはさらりと流されてしまった。
(他愛のない事なのか、今は教えられないのか)
咲の性格上、自分の活動を蔑ろにしてまで趣味を優先させるとは思えない。誰かの付き添いで乗馬をしていたのだろう。
(言えない事情があるんだろうなぁ。無理に聞く必要はないか)
「コツみたいなのはあるかな」
「コツ、ですか」
趣味とはいえ、咲も乗馬をした事があるのだ。趣味と言っても学院基準で考えた場合の趣味だろう。つまり、得られる物は多い。
「出来れば実際に見てみたいんだけど」
「愛衣様から習った方が良いと思われますが……」
「愛衣とジェファーは特別だからね。趣味くらいの方が、今の私には合ってるかも」
「そういうこと、でしたら……分かりました。次の休日にやりましょう」
「うん」
愛衣も私に合わせた練習をしてくれているが、世間の常識からは外れている気がする。ジェファーが特別なのもそうだが、愛衣は間違いなく天才だ。他の部員と交流出来ていれば、その違いも分かったのかもしれないが――まだ遠巻きに見られているので難しい。一度、普通の乗馬を見てみたいものだ。
「お嬢様、そろそろお時間なのでは?」
「いや。今日は会議だから、少し遅れるらしい」
愛衣は今、夜会に関する会議に参加している。委員会議ではなく教員会議の方にだが。
「この時期に忙しくなるのは、今も変わりませんね」
「そうだね。愛衣が特別忙しいだけとも言えるけど」
片桐家の宿命というやつなのだろう。大変だろうし、重圧もある。この学院の生徒会長というのは、得られる報酬以上に重いものなのだ。しかし愛衣に限って言えば、その心配は必要ない。
(とは思っていても、大変なことに変わりはないし――やれる事でも探してみようかな)
片桐母とか秋敷さんに何か言われたら、初めて夜会に出るから雰囲気を掴んでおきたいとでも言えば良いだろう。実際、愛衣に聞いた分でしか夜会を知らないのだ。会場の規模とか、物の配置、人込みを避けられる場所探し等々。事前に知っておきたいことは多い。
「今回の夜会はお嬢様が参加なさるという事で、使用人一同張り切っています」
「はは……大袈裟だよ」
私が他のご令嬢のように着飾る人なら、使用人たちもやりがいを感じていたことだろう。メイクだけでなく、人の手を借りないと着られないようなドレスを、何度も着る機会があるからだ。
しかし私は、ご令嬢としての人生を歩めるとは思っていない。今回を逃せば着飾る機会なんて先ずないだろう。何しろ小さい頃に一度だけ着飾ったのが最後だ。大袈裟とは言ったけれど、使用人達のやる気を拒否する気にはなれなかった。
「まぁ、当日は皆に任せるよ」
「はい。楽しみにしております」
偶には令嬢らしい振る舞いをするのも悪くはない。
「それじゃ、私はそろそろ行くよ」
「いってらっしゃいませ。お嬢様」
会議が終わる前にウォーミングアップくらいは済ませておこう。時間は有限だ。咲に教えてほしいと言ったものの、基礎すら微妙なままでは恥ずかしい。こんな気だるげな私だけど、羞恥心を捨てたわけではないのだ。
「あっ――私が最後でしたか……?」
「お気になさらず。香月様から遅れる旨を承っておりましたから」
(もう三分、でしたね……)
送迎の集合に遅れてしまったから、急いで来たけれど……桜さんは、すでに部活に行った後だったらしい。咲さんの眉が少し下がって、残念がってるみたいだから……もう少し早く来ていたら、桜さんに会えたのだろう。もっと早く到着していれば、という後悔はある。だけど夜会が迫っている今しか出来ない用事だった。
入学してから一年以上、授業に出ていない。成績さえ良ければ文句を言われない学院だけど……授業に出ていないことで、周囲から苦言を呈されたこともある。授業に出ていないのに、夜会には出るんだ。とか、思われてるかもしれない。直接言わないだけで、心の中で思っている人も多いだろう。
皆に私の事情を理解して貰うのは難しい。押し付けることも出来ない。だからせめて、課題をすることにした。ただの自己満足だけど、免罪符にはなると思う。桜さんとの夜会を心から楽しむために、少しだけ心を軽くしたかったのだ。
その課題を受け取るために、さっきまで担任と話をしていた。すでに確定している成績には反映されないけれど、内申点には少しだけ影響するとのことだ。
(将来的にも、必要な事だったから、仕方ない……)
「では、参りましょう」
「は、はい」
気持ちを切り替えて……部活に、励もう。はぁ……。
ジェファーが監視する中、ルージュに乗って馬場を歩く。私が少しでも間違おうものなら、擦れ違い様に嘶かれる。細かい指導はして貰えないが、これはこれで勉強になっている――のかもしれない。ジェファー視点では、私の乗馬は及第点にもいっていないようだ。
「こう?」
「ブルルル」
「こう?」
「ブルル」
ジェファーに確認を取りながら姿勢を変えていく。今年乗馬部に入った部員には遊んでいるように見えるようで、残念な人を見るような視線を向けられている。この学院に入った時からその視線を浴びてきた私は気にならないが――ジェファーはちゃんと、私と会話出来ているよ。長年乗馬部に入っている者達には、別の意味で驚かれているようだけど。
「九条様って一体……?」
「え?」
「片桐様以外で、ジェファーとコミュニケーションをとれる人なんていないから」
「ほんと。なんでずっと、来なかったんだろ……」
悪目立ちしてしまっているな。他の部員の集中力を削ってしまっているようだ。
入部からずっと参加していなかった私が突然やって来て、ルージュという暴れん坊に乗ってジェファーとコミュニケーションを取っている。しかも大会に出る事になっていて、その上愛衣を独占しているものだから自然と憎まれてしまうらしい。
(愛衣目的で入部した人も多いみたいだしなぁ)
そんな訳で、少しばかり重苦しい空気が流れているわけだ。大会前に少しくらいは交流すべきと思ってはいるのだが、私は自分から交友関係を拡げるような人間ではないし、部員達も腫れ物に触りたくはないだろう。私から話しかける必要は、ないな。
(愛衣に言ったら、怒られそうだな)
無理強いはされないだろうけど、呆れられそうだ。
(その前に――)
「ヒヒン!」
一向に上達しない私の背中をジェファーが小突くという光景に、呆れられそうだが。
大変お待たせいたしました。
今年一年もありがとうございました! 来年もよろしくお願いします!




