神様の逆鱗⑤
メルフレイヤの許を目指して城内を突き進んでいく。
途中、私の姿を見た騎士たちが駆け寄ってきたが、フィリーアが威圧すると道をあけた。その一部にはメルフレイヤがどこにいるのかを尋ね、道案内までさせる始末だ。
さすがはフィリーア教の聖女様。影響力の薄い帝国であっても、その威光は凄まじい。彼女の行動を誰も阻むことはできなかった。私たちは悠々と我が物顔で城の中を闊歩し、メルフレイヤがいる玉座の間までやってきた。
扉の前にいた見張りの兵が声をかけてくるより先に、フィリーアは両開きの扉を開け放って中に踏み入った。私と人喰いがそのあとに続く。
夜ということもあってか、玉座の間には数人の人間しかいなかった。玉座に腰掛ける皇帝その人とその側近たち。彼らはそろって、いきなりやってきた私たちに驚きの目を向けた。
その中でまず最初に声をあげたのは、二十代後半の男性だった。
「せ、聖女様!? これは何事ですか!?」
「ごきげんよう、メリウス皇子。こちらにメルフレイヤ・クルーリオがいると聞いて訪ねさせていただいたのですが」
「わたしならばこちらですよ、フィリーア様」
玉座の陰になっていた部分から進み出てくるメルフレイヤ。
彼女はまずフィリーアを見て、それから私に視線を合わせて微笑みかけてきた。
「あら、見つからないと思ったら道理で。あなたが保護してくださっていたのですね、フィリーア様。わたしのところへ連れてきてくださったのですか?」
「戯れ言を。助けを求められた相手を差し出すなんてこと、聖女たるこのわたくしがするわけがないでしょう?」
フィリーアは進み出ると、真っ向からメルフレイヤと対峙した。
「事情は彼女から聞きました。よからぬ企みを講じているようですね、メルフレイヤ・クルーリオ」
「どうかそのような他人行儀に呼ばないで下さいまし。我らは数少ない同胞。メルフレイヤと親愛を込めてお呼び下さい、フィリーア様」
「ではメルフレイヤ。わたくしの質問に答えなさい。リカリアーナ・リスティマイヤを人質に取り、ライ・オルガスと一戦交えようと企んでいるのは事実なのですか?」
「はい、事実です」
「お、お待ちください、フィリーア様!」
笑顔で認めるメルフレイヤに焦ったのは、メリウス皇子と呼ばれていた男だった。
「たしかにそちらのエルフの女性を、我が国のメルフレイヤ・クルーリオが連れ去ってきたのは事実です。ですが傷つけたりするつもりはありませんでした。あくまでもライ・オルガスと穏便な話し合いを行うためにですね!」
「いえ、話し合いではなく殺し合いがしたいがために連れ去りました」
「うぉいこらクソババァ! 人がせっかく――」
「メリウス皇子、少し黙っていていただけますか?」
フォローしようとしたメリウス皇子だったが、当のメルフレイヤがあっけらかんと犯行と認め、さらにフィリーアから直接名指しで沈黙を要求され、がっくりと肩を落として引き下がった。
「メルフレイヤ。自分の要求を通したいがために人質を取るという非道な行為、それ自体にも思うところはありますが、それよりもライ・オルガスをいたずらに刺激したこと。それに対し、わたくしは物申させていただきます」
メリウス皇子以外も黙り込んで邪魔が入らなくなったところで、改めてフィリーアは切り出していった。
「ライ・オルガスはただの一冒険者ではありません。取り扱いに細心の注意が必要な危険人物なのです」
「まあ、聖女様をしてそこまで言わしめるとは、さすがは我が愛しき御方。わたし、ますます興味が湧いてまいりました」
「……はっきりと事実を教えてさしあげましょう」
フィリーアは他の帝国の人間たちには聞こえないよう、メルフレイヤの耳元でライさんとドラゴンの関係性を囁いた。
するとメルフレイヤの目が大きく見開かれた。わなわなとその唇が震える。
「まさかそんな……そんなことって……」
「どうやら理解できたようですね。自分のしたことが、我ら超越者の使命に相反する行為であることに」
メルフレイヤの反応を見て、フィリーアは初めて笑みを見せた。
「さあ、理解できたなら成すべき事をするのです。ライ・オルガスが帝都にやってくることは止められないでしょうし、下手に出向くとすれ違いになる恐れもある。ならば、まずはあれがやってきたときに誠心誠意謝ることが重要です。ご安心を。わたくしが間に入りま――」
「ふ、ふふっ、ふふふふ、あはははははっ!」
そのときフィリーアの言葉を遮って、メルフレイヤが哄笑を響かせた。
「まさかあの御方の正体がそれだなんて! ええ、なにかあるとはもちろん思っていましたが、まさかよりにもよってそれだなんて! ああ、胸が苦しい。このメルフレイヤ、生まれ持った宿命を今日ほど強く感じたことはありません!」
「メ、メルフレイヤ?」
「はい、フィリーア様。あなたにもお礼をしなければなりません。このように重要なことをわざわざ教えていただけるなんて、どう感謝すればいいか……そうだ。我々の戦いを特等席でご覧になれる場所へ案内しましょう。フィリーア様にとっても、きっと我らの戦いは感じ入るものとなるでしょうし」
「なにお馬鹿なことを言っているのですか? わたくしはライ・オルガスと戦わないように言っているのですよ? あなたはライ・オルガスがそうだと知ってなお、戦うというのですか?」
フィリーアは理解できないといった顔で問う。
それに対し、メルフレイヤは当然のごとく即答した。
「もちろん。ライ・オルガスとは殺し合いますよ」
「あなたであっても死は免れない相手ですよ?」
「はい、それが我が望みです。ライ様がそうだというのなら、きっと彼より与えられる死はなにより甘美なものになるでしょう」
「た、戦いは激しいものになるはずです。この帝都すら消えてなくなるかも知れません。自分の国の民が巻き込まれて大勢死ぬことになるのですよ?」
なおも続けられる説得の言葉。良識ある人間なら、当然考え込むのが当然の聞き方をされて。
「はい、きっとたくさん死んでしまうでしょうね。悲しいことです」
帝国の英雄は、微笑みさえ浮かべて肯定した。
これにはフィリーアも怒りの色を顔に浮かべ、声を荒げずにはいられなかった。
「馬鹿な! 愛する人たちが死ぬことに対して、なぜそのような言葉が出てくるのですか!? 悲しいというのなら止めればいいでしょう?!」
「止める? なぜ愛し合うことを止めなければならないのですか?」
「多くの人が死ぬからです! たくさんの人間が不幸になるからです!」
「はあ、それは死ぬでしょうしなるでしょう。それとなぜ、わたしが行動を止めることがつながるのですか?」
「なぜって、それは、だって……」
フィリーアは言葉を詰まらせる。淀みなく返される予想外の返答の数々に、まるで自分が間違ったことを言っているように感じているのだろう。横で聞いていて、私も同じような錯覚に陥っていた。
なぜなら、メルフレイヤの言葉には欠片もその感情が込められていない。
同じことを思ったフィリーアが、恐れるように尋ねた。
「……メルフレイヤ。あなたに罪悪感というものはないのですか?」
「? 罪悪感がどういうものかは知っていますが、今回の件のどこにそれを感じる必要性が?」
フィリーアが絶句した。私はダメだと理解した。
通じない。言葉も常識もこの人の姿をした怪物には通じない。
罪の意識というものを知らないわけではないのだろう。ただ本当に、心の底から、この女は今回の件に関して欠片も罪悪感を抱いていないのだ。
私をさらったことに対しても。
ライさんを怒らせたことに対しても。
国に迷惑をかけていること対しても。
多くの無辜の民を巻き込むことに対しても。
罪の意識なんてないのだ。これはそういう生き物なのだ。
「……な、なぜ、そんな、なぜそこまでして、ライ・オルガスとの勝負にこだわるのですか?」
フィリーアはその表情に恐怖を滲ませながらも、理解できない怪物を理解しようと尋ねた。
「その危険性は認めます。将来を危ぶむ気持ちも。ですが今、彼は安定しています。なにもしなければ暴走なんてしない。今戦う必要性なんてどこにもないのです。むしろ、手を出すことの方が危険で」
「そうなのですね」
「嘘ではありませんよ? わたくしが保証します。たしかに彼は向こう見ずで、一度こうと決めたこと以外には視野が狭くなったりと、多少危ういところもあるかも知れません。ですが、基本的には善意の怪物です。自分を馬鹿にする相手でも、危機に陥れば素直に助けにいける。彼は、ライは、そういう善意の精神性を持つ存在なのです」
「そうなのですか。ずいぶんと詳しいのですね」
「はい。ずっとシスティナと一緒に彼のことは見守ってきましたから、わたくしはよく知っているのです。ですから――」
「けれど関係ありません。そんなことは関係ないのです、フィリーア様」
フィリーアの必死な、予想を超えて必死な説得にもメルフレイヤは耳を貸そうとしなかった。
「彼が善意の人である、ということはわたしも理解できています。けれど、そんなことは関係ないのです。重要なのは彼が強いというその一点のみ。このわたしを殺せるほどに強いから、わたしはあの御方を心から愛おしいと思うのです」
その言葉を聞いて。
「――は?」
唐突に、私はかつてない怒りをメルフレイヤに覚えた。
殺意が爆発する。放たれた殺気に、全員が私の方を向いたが知ったことではなかった。殺人衝動に身体が勝手に動いて、それを隣の人喰いに止められる。
「離しなさい!」
「ダメだよ、リカリアーナ。それではダメだ」
「ですが、ですが……!」
「言葉にできないのなら、まずはどうして今の『大導師』の発言が許せないと思ったのか、それをよく考えてみることだよ」
「ぐっ!」
人喰いの力は強くて、拘束を解くことはできなかった。
人喰いが私を取り押さえたことで、他の人間もそれ以上私をどうこうしようとしなかった。メルフレイヤも私に一度微笑みかけたあと、フィリーアにもう一度向き直った。
フィリーアも私を横目で見たあと、もう一度確認するようにメルフレイヤに言った。
「あなたは好きな人と殺し合うのですか?」
「はい。それがわたしの愛の形です。全力で殺そうとして、その上で殺されたいのです」
「それは間違っています。そんなものが愛であるはずがない。愛とは神の御前で誓いあうもので、それが真実の愛ならばステータスが変わる。そういうもののはずです。わたくしの記憶がたしかであれば、あなたもその経験があるはずでは?」
「え?」
と、思わず私は言葉をもらしてしまった。
メルフレイヤが結婚していた。フィリーアが今言ったことは初めて聞いた事実だった。驚きすぎて、殺意すら薄れてしまう。
「よくご存じですね。たしかにわたしはあなたの言う愛を経験しております。ずいぶんと昔のことで、夫も結婚して間もなく戦争で亡くしましたが……ええ、たしかにわたしはあの人を愛していました。愛していた、つもりでした。他でもない、ステータスの名前が変わったのはわたしの方ですからね」
「ならば!」
「ですが、それは誤りでした。あの人を愛してはいましたが、それは真実の愛ではなかった」
「なぜそう思うのですか? ステータスの名前は変わったのでしょう?」
「だって、わたしはあの人を殺したいとはついぞ最後まで思いませんでしたから」
「それは当たり前です。本当に愛していたから――」
「いいえ。それはありません。なぜなら、あの人が亡くなったあと、すぐにわたしはあの人よりも気になる人ができました。強くこの胸を焦がす人を見つけて、夫を亡くしたことを悲しいとは一度も思いませんでしたから」
それは今も変わらないのだろう。心変わりを語るメルフレイヤの顔に悲哀は見られなかった。
「そのとき好きになった人も、本当に探し求めていた人ではなかった。殺し合って、殺してしまって、それで終わり。またわたしはすぐ次の強い人を好きになりました。それからも強い人を、もっと強い人を、わたしは好きになり続けました。そして今、ライ様に対してどうしようもないほどに胸を焦がしている」
つまりメルフレイヤのいう真実の愛とは、やはりその答えに行き着く。
「殺し合うこと。殺そうとして、そして殺されること。それがやはりわたしにとっての愛なのです」
普通のそれとは乖離している。理解を得られるものでもない。それはメルフレイヤも自覚しているのだろう。けれど自分の愛こそが絶対なのだと信じて疑ってはいないようだった。
「だから愛した人とは必ず殺し合います。殺すか、殺されるか。……わたしたちには、それ以外の結末はありえませんので」
フィリーアもそれ以上言葉を続けることはできなかった。
ようやく彼女も思い知ったのだ。『大導師』メルフレイヤ・クルーリオはなにを言っても止まらないと。相手のみならず、すべてを、自分さえも灼き尽くさないかぎり決してとまらない炎こそが彼女なのだと、この場にいた全員が思い知ったのだった。
◇◆◇
「フィリーア様。あなた様の顔を立てて、リカリアーナさんにはこれ以上手は出しません。ですからどうか、あなた様もわたしとライ様が殺し合うのを、どうか邪魔しないでくださいましね?」
「……そんなことは認められません」
「ふふっ、それは残念です」
ちっともそんな風には思っていない顔でメルフレイヤは笑う。
フィリーアはなにかを言おうと口を開くが、結局言葉にならずにメルフレイヤに背を向けた。
「……今は戻りますよ。ライ・オルガスが攻めてきたときのため、色々と対策を練り直さなければ」
私たちに告げたフィリーアの言葉は、前もってメルフレイヤをどうにかすることはできないという、実質的な敗北宣言だった。
しかし私も人喰いも文句などなかった。フィリーアに続いて部屋を後にする。
「リカリアーナさん」
そのとき、メルフレイヤが私を呼び止めた。
「わたしとライ様の戦いを止める。あなたの答えはそれでいいのですね?」
「……ええ」
「そうですか。少し残念です。わたしとどこか似たあなたであれば、きっと他のなによりも自分の愛を優先すると思ったのですが」
「私はあなたとは違います。自分の感情を優先して、大切な人を傷つけるつもりなんてありません」
「そう。わたしにはただ、自分の気持ちから逃げているようにしか見えませんが」
「っ!」
感情を逆なでられる。けれど、今度は飛びかかろうとは思わなかった。むしろ図星を指されたように身体の動きが鈍る。
「ふふっ、ごめんなさい。あまりにも可愛らしいものだから、ついちょっかいをかけてしまいました。許してくださいましね? お詫びと言ってはなんですが、時間制限を教えてさしあげますので」
「時間制限?」
「ええ。ライ様には毒を盛って眠らせましたが、時間からして目を覚ますのは明後日のお昼頃でしょう。そこから事態に気付いてこの帝都まで来るのに、わたしの予想では小一時間とかからない」
私たちが足止めされた天幕からこの帝都までは、馬で二日ほどの距離だ。けれど、メルフレイヤはライさんが目を覚ますまで時間はかかっても、目を覚ましてからはすぐだという。
「予感がします。この胸の高鳴りが、それが真実だと訴えている。だからまだ答えを悩んでいるのでしたら、そこが時間制限ですよ?」
「時間が経とうと私の答えは変わりません。あなたとライさんの戦いは止めてみせる。見過ごすなんてしません」
「では精々がんばってくださいましね。ふふっ、恋敵と競い合うなんて初めてですから、少しだけ楽しいです」
宣戦布告に楽しげな笑い声を返され、私はそれ以上はなにも返さず背中を向けた。
しかしそこで、もうひとつメルフレイヤに聞いておかなければならないことを思い出した。
「……フレミアはどうしました? あなたは彼女を自分の後継者にすると言っていましたが、私と同じようにさらったのですか?」
ライさんが毒をもらえて無力化されたというのなら、一人になったフレミアをさらうことなど余裕だろう。もうそうなら、先に彼女を救出しなければならない。
「フレミア・マルドゥナですか。彼女は捨て置きましたよ。わたしの後継者としてふさわしいのは間違いありませんが、ライ様が運命の人と気付いた今となっては、後継者を作る必要性もありませんしね」
私の問いかけにメルフレイヤが何気なく答える。
「ああ、助力を期待しているのなら、それは無駄というものですよ。あなたをさらうとき少し歯向かってきたので、軽く恐怖を刻んでおきました。次に会えば容赦しないとも。今頃は死を恐れて慌てて国にでも逃げ帰っている頃でしょうね」
嘘を言っている様子はなかった。あのフレミアが一度叩きのめされた程度で逃げ帰るとは思えなかったが、メルフレイヤの中ではそうらしい。もはやまったく興味のないものを語る顔をしていた。
どちらにせよ、フレミアは無事なようだった。これで問題にだけ集中できる。
「まあ、彼女のことは忘れることです。マルドゥナは他者よりも自分の生存を優先する、そういう自分本位な一族ですから」
声にかすかな侮蔑さえこめて言うメルフレイヤに、私は今度こそ背中を向けて歩き出した。
仲間を馬鹿にされたことに少しだけ腹を立てながらも、お前が言うな、とは言えなかった。その大切な仲間に対して殺意を抱くような人間に、そんな言葉が許されるはずもなかった。