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神様の逆鱗②



 愚かにも殺人鬼スキルの熟練度を一〇〇にしてしまった私は、殺人衝動に悩まされるようになった。


 殺人衝動は私が想像していたものよりも肉体的に軽く、精神的に恐ろしいものだった。


 殺人を犯さないと目眩や吐き気に襲われたり、耐えられないような激痛が走るといったことはない。


 ただ、思考の流れが『死』へと傾いていくのだ。途中までは普通に物事を考えていたはずなのに、最終的には誰かを殺すことで物事を完結させようとする思考に移り変わっている。


 今はまだ悪感情を抱いた相手のことを考えているときにだけそうなるが、このままではそう遠くないうちに、私は親しい誰かと話している最中にも目の前の人をどうやって殺すか考えるようになるだろう。


 そして、いずれそれを実行に移す。


 肉体の苦痛なら歯を食いしばって耐えればいい。けれど、感情の解放に私の自制心が追いつけなくなる日が必ずやって来る。


 ここで突然大声をあげてみたら驚くだろうか――そんな気軽な好奇心で凶行に及ぶ。その確信があった。


 だからディザスターとの戦いのあと、ひとしきり現状に涙した私は、ライさんの前から消えなければという結論に達した。


 まだ私がライさんの信じる私でいられるうちに、さよならをしよう。

 最後に私にしか出来ないことでライさんの役に立って、それですべてを終わらせよう。


 そう思った。それしかないと受け入れた。


 受け入れた……はずなのに。


『――この状況は、やはりあなたにとっても』


 頭の中でメルフレイヤの囁きが繰り返し響いている。


『――今のあなたのすべてを受け入れ、包み込んで、守ってくれる騎士様に』

 

 ライさんとずっと共にいられる方法が――私にとって幸福な、けれどライさんにとって不幸な未来を招き寄せる方法が、脳裏にこびりついて離れないのだ。


 その事実に泣きたくなる。


 結局、私はなにも変われていない。どうしようもなくあの頃のままだった。


 今もそう。このまま部屋に閉じこもっていてはいけないとわかっているのに、動き出すことができない。扉の向こうに見張りはいるのか、窓の向こうは飛び降りられる高さなのか、脱出に向けて色々と調べないといけないことがあるのに、それを放棄している。


 貴重な時間だけが刻一刻と過ぎていく。つまり私は否定しながらも、本当は最低な選択肢の方を望んでいるのだ。


 だから動けない。だから動かない。

 本当に、リカリアーナ・リスティマイヤは救いようがないクズだ。


 ……そうやって、自分自身に絶望して、果たしてどれだけの時間が経ったのか。


 首筋に冷たい風を感じ、膝の間に埋めていた顔を上げる。

 窓の外の陽は落ちて、明かりの灯されていない部屋の中は闇に閉ざされていた。


 吹き込む風の冷たさに肌を震わせ、白い吐息を吐き出す。それでも窓を閉めるために動く気になれなくて、もう一度膝へと顔を埋める。


 ……そういえば、あのときもこんな感じだった。


 私のステータスが里のみんなにばれて、沙汰が言い渡されるまで、私は自宅の自分の部屋に閉じこめられていた。


 閉じこめられていた、というのは少し違うか。部屋の扉に鍵をかけられ、家の前に見張りも立っていたけど、部屋の窓は開いていた。もちろん、窓から逃げようとすればすぐに捕まっただろうが、少なくとも逃げるという行動には出られる状況だった。


 里のみんなも、もしかしたらそれを望んでいたのかも知れない。勝手に邪魔者がいなくなってくれるのなら、それに越したことはない、と。あるいは、逃げたから仕方なく処断したというきっかけが欲しかったのか。


 私の処遇を相談するみんなの声は、冷たい風に乗ってかすかに私の耳にまで届いていた。酷い言葉が聞こえた。良心の呵責に苛まれている声が聞こえた。泣き声、怒声、生々しいみんなの感情が私の胸を切り裂き、心と身体を震わせた。


 だから私は逃げようとは思わなかった。

 そんな気力はもうどこにも残っていなかった。


 誰も守ってくれなかった。誰も庇ってくれなかった。関係ない。気にするな。大丈夫だから。そう誰も笑い飛ばしてはくれなかった。


 狼の塔に永劫幽閉される――やがて決定された処遇に対しても、なんの感情も沸かなかった。誰からも愛されず、求められていないのなら仕方ないと、そう受け入れて、ただ運命の時が訪れるのを膝を抱えて待っていた。


 待っていた……はずなのだが……。


 私は今ここにいる。家を飛び出して、里から逃げて、帝国をさまよって王国へと流れ着き、ライさんと出会って今またここで膝を抱えている。


 私は逃げたのだ。運命を受け入れていたはずなのに、結局は逃げた。


 それはなぜ……だっただろうか?


 そのとき、カチャリという小さな物音が聞こえて、私はもう一度顔を上げた。


 見れば、鍵がかかっていたはずの部屋の扉がかすかに開き、細い明かりが部屋に差し込んでいた。


「……ああ、そうだ」


 その淡い光を見て思い出した。


 あのときもそうだった。幼い私が絶望で動けないでいたときも、急に鍵の開いた音がして、部屋の扉がかすかに開かれたのだ。


 差し込む明かりに吸い寄せられるように私は立ち上がり、自分の部屋を出た。


 部屋の前に誰もいなかった。代わりに火が灯されたランプと、パンケーキが入った包みが置かれていた。


 誰が鍵を開いて置いていったのかはわからない。けれど気が付けば私は、ランプと包みを拾い上げて駆けだしていた。家を飛び出し、騒がしくなった里を後にして逃げ出していた。そうしろ、と誰かに言われたような気がしたから。


「あのとき私が抜け出せたのは、鍵を開けた誰かがいたからだ。……その事実を、今の今まで忘れていた」


 けど当然と言えば当然か。


 それは私が本当に望んでいたことではなかった。ほんの少しでも私に助かって欲しいと思ってくれていたなら、逃げる手伝いなんてせず、ただ一言だけでもいいから優しい声をかけてくれればよかったのに、その誰かはそうしてはくれなかった。


 私と顔を合わせることすら拒んだその誰かに、放浪の最中、最後には憎しみさえ抱いていた。そうして、他の里の思い出よりも厳重に蓋をしてしまい込んでいたのだ。


 だけど思い出した。そして今、あのときと同じように部屋の扉が開かれた。


 気が付けば私は立ち上がって、ふらふらとした足取りで扉に近付いていた。


 扉を開く。そこに私を待ってくれている人はやはりいなかった。見張りらしき帝国騎士が二人、床に倒れているだけだ。


「……行かないと」


 ただ、今からまた部屋の中に戻る気にはなれなかった。私は騎士たちの剣をを拾い上げると、誰かに背中を押されたようにして走り出すのだった。






       ◇◆◇






 誰にも見つからずに城を出ること。

 まだ上手くまとまらない思考でも、今私がするべきことくらいは理解できていた。


 そのために動き出して数十分後、人気のない廊下の柱の影に潜み、私は周囲の様子をうかがっていた。


「こっちはいなかった。そっちは?」


「ダメだ。こっちにもいない」


 多くの帝国騎士たちが、誰かを探して廊下を行き交っているのが見えた。


 間違いなく私を捜しているのだろう。すでに私が部屋から抜け出したことはばれたようだ。となると、城の正門は完全に固められているだろう。他の出入り口も同様だ。帝国騎士が集う場所を、武力で突破するのは不可能だろう。。


 かといって、このまま潜んでいても見つけるのは時間の問題だ。


 ここは敵の本拠地で、味方は誰もいないのだから。


「……強行突破をはかるしかありませんか」


 誰かを人質に取って強引に突破するしかない。そう考えた矢先、私の潜む場所へと近付いてくる足音が聞こえた。


 鎧がこすれる音や具足の硬い音は聞こえない。騎士ではなく、別の職種のようだ。私は騎士から奪った剣を構えた。


 まずこの運が悪い誰かを捕まえる。相手が重要人物なら良し。違うなら皇族の居場所を吐かせる。


 私はタイミングを合わせ、勢いよく柱から飛び出した。


 しかし気配のした場所には誰もいなかった。


「静かに」


 馬鹿なと思わずもらしそうになった口を、後ろからのびた手が塞いで止めた。


 心臓が跳ねる。暗殺者スキルを持つ自分が、こうも簡単に後ろを取られるなんて。


「静かに、ですよ。いいですね?」


 言い聞かせるようにそう言われたあと、口から手を離される。私はすぐに距離を取って、後ろを取られた人物に向き直った。


 相手はフードを目深にかぶった若い男だった。

 銀色の髪、長い耳がフードに隠れきれずにのぞいている。そしてその顔は……。


「まさか人喰いですか?」

 

「やあ、リカリアーナ。こんなところで奇遇ですね」


 そう言って、人喰いは手を挙げて暢気にあいさつをしてきた。


「人喰い、なぜあなたがここに?」


「それはこちらの台詞なのですが、と」


「おい、そこに誰かいるのか?」


 まずい。騎士が一人、異変に気付いて近付いてきた。どうする?


「ふむ。なるほど。城内が騒がしいのはあなたの仕業でしたか」


 人喰いは私と近付いてくる騎士を交互に見やって、それからすべてを理解したように頷いた。


 その上で、彼は自分がかぶっていたフードを頭から私に被せ、背中に庇うように自ら進み出て騎士の前に立った。


「こんばんは。なにやら物々しい様子ですが、なにかありましたか?」


「銀髪のエルフ!? ……いや、男か。貴様は?」


「これは申し訳ない。自分は『聖女』フィリーア様にお仕えする者です。その証拠というわけではありませんが、城内に入る許可はいただいておりますよ。ほら」


 人喰いは懐から、なにやら紋章が刻まれた小さなメダルのようなものを取り出した。


 騎士がそれを見て、剣呑な雰囲気を和らげる。


「たしかに、許可を得ている方のようですね。失礼しました」


「お気になさらず。なにやら立て込んでいるご様子ですし。ああ、話せる範囲で構いませんので、よろしければなにがあったか教えていただけませんか? フィリーア様より城内が騒がしい理由を調べて来いと言われていまして」


「いえ、聖女様の気を患わせるようなことではありませんので」


「左様ですか」


「すみません。では私はこれで失礼させていただきます。……ところでそちらは?」


 騎士が私に視線を向ける。


「ああ、彼女もフィリーア様にお仕えする者ですよ。ご覧のとおり自分は男なのでね。フィリーア様のためにあらゆることをすると誓っていても、お世話できないこともありますので」


「なるほど。わかりました」


 騎士は少しだけ私を怪しんでいたが、人喰いの言葉を受けて視線を切った。


「聖女様にはなにもなかったとお伝え下さい。では」


「はい。ご苦労様です」


 立ち去る騎士を人喰いは笑顔で見送ったあと、私の方を振り返った。


「なんとか誤魔化せましたね。怪しいと思っていても手が出せなかっただけかも知れませんが」


「……どうして私を庇うような真似を?」


「それはもちろん、リカリアーナ。あなたがこの世界でただ一人の友人だからですよ。困っているのでしたら、助けるのは当然でしょう?」


 私の問いかけに、間髪入れずに人喰いはそう答えた。


 さらに続けて人喰いは言った。

 彼にとってはやはり当然の、私にとっては意外な言葉を。


「我が親愛なる友よ。自分の手助けは必要ですか?」



 


活動報告に書影あげました。

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