神様の逆鱗①
この旅がずっと続けばいいと思っていた。
好きな人と一緒にいられるこの旅が、いつまでも終わらなければいいと。特に思いがけず旅を続けることになり、故郷であるタトリン村へ向かっているときは、心からそう思っていた。
だって、この旅はとても楽しい。隣を見れば、いつだって好きな人がそこにいる。馬車に揺られながら取り留めのない話をして、我ながら口下手で話を盛り上げるということはできなかったけど、それでもライさんは楽しそうに笑ってくれた。
ずっと。ずっと。いつまでも。この楽しい時間が終わらないように。
昔、神様に自分のステータスが変わって欲しいと願ったときのように、私は誰にも気付かれないように願っていた。
だからフローレンス皇女によって足止めすることになったときは、本当は少しだけ嬉しかった。
それまではフレミアのことを、ライさんとの二人旅を邪魔されたので、こっそりと排除したいなと思ったりもしたけど、そのときは心の中で思わずよくやったと褒めてしまったくらいである。これでライさんと一緒にいられる最後の時間を少しだけ延ばすことができた。けど、その折角の時間を二人きりで過ごすのを邪魔されてると考えれば意味はないか?
いや、違う。なにを考えているのか。フレミアのことを排除したいだなんて私は思っていない。二人旅でなくなったのは少しだけ残念とは思ったけど、フレミアは大事な仲間だ。そんな短絡的な行為に出ようとまでは考えていない。
だってそんなことすればライさんに嫌われてしまう。それは嫌だ。ああ、ならライさんにばれないように■せばいいのだが、それはとても難しい。フレミアの危険感知能力はかなりのもので、私がそういうことを考えたときは決まってライさんに子犬のように寄り添っていた。そこを代われと言いたかった。思い出すと、また少し■意が沸いた。
けどそれ以上に腹立たしいのはフローレンス皇女だ。あの女、ライさんを利用しただけでも許せないのに、何度も何度も誘惑しすぎだろう。目の前で吐息がかかるほどに顔を近付けられたときは、思わず手が出そうになった。他のことが頭に入らないくらい、■す■すと心の中でつぶやいてしまった。耐えなければならない理由が、一瞬わからなくなった。
ん? あれ? なんで耐える必要があるのろう? 私はライさんとの旅を続けたいのであって、ならその障害になるものを排除するのに躊躇する必要なんて……。
……ああ、ダメだ。私は本格的におかしくなっている。気がつくと思考がそちらへ傾いていく。
幼い頃に読んだ手記の主の言うとおりだ。殺人鬼スキルは咎人系スキルの中でも最悪のスキルであり、例外なくこのスキルを持つ者は殺人鬼となる。それは避けられない運命だったのだ。
この旅は永遠に続いて欲しい。けれど目的地には急がないといけない。
私には時間がない。もう時間がないのだ。
◇◆◇
目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。
「ここは……?」
殺風景な部屋だった。部屋自体は大きなものだが、家具の類はほとんど置かれていない。私が寝かされていた大きなベッド以外には、小さなテーブルと椅子、そしてゆらゆらと揺れているロッキングチェアがあるだけだ。
そしてそのロッキングチェアに、ビスクドールのような少女が眠っていた。
緩やかなウェーブを描く紫色の髪。肌は白く、身につけた白いネグリジェも合わさって儚い印象を見る者に与えた。まるでそこだけ時間の流れが止まっているかのようだ。かすかに胸が上下に動き、小さな寝息が聞こえなければ死んでいるとすら思っただろう。
帝国第三皇女フローレンス・ハルジオン。何度見ても、まさに花のような美少女だった。
彼女がここにいるということは、ここは彼女の用意してくれた部屋なのだろうか? どうやら天幕ではないようだが。
私はライさんが槍の超越者を倒したところまでは記憶にあった。あのあと、どうやら意識を失ってしまったらしい。自分の胸元に触れてみるが痛みは感じない。治療が施されており、傷は癒えていた。
そうなると心配なのはむしろライさんの方だった。かなりの怪我を負っていた。大丈夫だろうか?
ライさんを探すためにも、まずはここがどこか把握しなければならない。フローレンス皇女に声をかける前に、私は部屋にあった窓に近付き外を眺めた。
私がいるのはかなり巨大な建物の上の方の階らしい。窓からは街を一望することができた。
青空の下、たくさんの家が建ち並び、細い道を馬車が行き交っている。確認できる家屋と人の数から、かなり大きな都市であることはわかった。
そこからさらに街の中心地に視線を走らせると、そこだけ屋根がなくぽっかりと空白が空いていた。そしてその空白の中心には、私の位置からは黒い点にしか見えない縦穴があった。そこへと武装した冒険者たちが列を成して向かっている。
ドーナツ型の大都市。街の中心地にあるダンジョン。このふたつの特徴から、自分がいる場所の特定は容易かった。
「バレス帝国、帝都デイジール」
「正解です」
後ろを振り返ると、いつの間にか起きていたフローレンス皇女がこちらに微笑みを向けていた。
「ごきげんよう。お身体の調子はいかがですか? もしも痛むところがあれば教えて下さい。すぐに治癒魔法を使える者を呼びますので」
「いえ、結構です。傷は完治しています。それよりも説明をお願いしたいのですが。なぜ私は帝都にいるのですか? それにライさんとフレミアは?」
「そのご質問の前に、改めて自己紹介をさせて下さい。これまでフローレンス皇女だと名乗っていましたが、それは帝国の反抗勢力を誘き出すための偽名です」
「偽名?」
そう言われて、ほとんど反射的にわたしは鑑定スキルを行使していた。
相手が帝国の皇女ということで、失礼にあたるとこれまで鑑定スキルによる看破を行っていなかったのだが、嘘を吐かれていたとなると話は別だ。
だが鑑定は上手くいかなかった。看破が弾かれてしまう。
「残念ですが、あなたの鑑定スキルの熟練度ではわたしのステータスは読み取れませんよ。レベル差が二十はありますので」
鑑定を使ったことを見抜かれたこと以上に、その言葉にどきりとした。
レベル差が二十。それはつまり彼女のレベルが七十以上であるということを指し示していた。
通常、どれだけ才能のあふれた人間でも、生涯をかけて到達できるのは七十レベルが限界値とされていた。
七十レベルに達すると、それ以上レベルを上げようとモンスターを倒しても、経験値の入手が難しくなるためだ。五十レベルに到達したときも、経験値の入手に大きなマイナス補正がかかるが、七十レベルはその比ではない。
弱いモンスターでは経験値は一も入手できず、五十レベル前後の上級モンスターでも十に満たないほどしか入らない。六十を超える最上級モンスターを倒して、ようやくまともに経験値が入るという話だった。
とはいえ、それ以上に上げることも決して不可能ではない。現に『大剣聖』などはそれ以上のレベルにあると言われている。ならば当然、彼に比する帝国最強の超越者もそうだろう。七十レベル以上であると口にした時点で、彼女の正体は割れたも同然だった。
そしてより私の心臓の鼓動を跳ね上げさせたのは、そんな相手に私のステータスを見られたということだった。彼女の口ぶりは、明らかに私のスキル構成を把握している口ぶりだった。
私の焦りも当然見抜いた彼女は、しかし笑みを崩すことなく、あくまでも優雅に名乗った。
「改めまして、わたしの本当の名はメルフレイヤ・クルーリオと申します。どうぞメルフレイヤとお呼び下さい、可愛らしい殺人鬼の子猫さん」
「私は誰も殺していません」
「ええ、そうでしょうね。でなければ、熟練度があそこで止まっているなんてことはないでしょう」
彼女――『大導師』メルフレイヤに私のステータスを見られたことはもはや間違いなかった。
そしてここはバレス帝国。咎持ちは即処刑というお国柄だ。まして今の私など……。
「私をどうするつもりですか?」
「そうですね」
メルフレイヤはあごに手を当てて少し考え込んだあと、部屋の隅にあった小さな戸棚からティーポットとカップを取り出した。
困惑する私を余所に、彼女は部屋にあったテーブルに茶器を一式並べると、こちらを振り向いた。
「お茶会でも致しましょう。あなたがここにいる理由やライ様のこと、色々と話さなければなりませんからね」
「はぁ」
悪意のない笑みを向けられ、気が抜けてしまう。
なにを企んでいるかは知らないが、ひとまず落ち着いて話を聞くしかないようだっった。私は促されるままに彼女の茶会に参加することになった。
数分後、メルフレイヤの用意したカップは私の手の中で粉々になった。
「ふざけないでください!」
私が今ここにいる理由を知って、声を荒げずにはいられなかった。
「ああ、珍しく破損することなく取り寄せられた茶器が。すごく高かったのに」
しかしメルフレイヤは私の怒気など気にした様子もなく、私が握りつぶしたカップの心配をしていた。それがまた火に油を注ぐ。
彼女は言った。私がここにいるのは、ライさんへの人質にするためだと。そのためにさらってきたのだと。
「『大導師』メルフレイヤ・クルーリオ! 一体なにを企んでいるのですか? 私を人質にしてライさんをどうしようというのですか!?」
返答如何では、すぐにでも首をかっきってやるつもりだった。メルフレイヤの命を獲ることは難しくとも、自分の首を手の中に握り込んだカップの破片で斬ることくらいはできる。
ディザスターのときと同じだ。私の所為でライさんが死ぬような目に遭うというのなら、その前に死を選んだ方がマシだった。元々、ライさんに救ってもらった命である。惜しくなどない。
だがそこではたと気付く。ライさんへの人質は私だけだろうか? あの陣にはフレミアもいた。もしかしたらあの子も捕まっていて人質になっているかも知れない。それなら私だけが消えても、ライさんの足枷はなくならない。ライさんのために、この命の前にフレミアを……。
「あら怖い。目つきが人殺しのそれになっていますよ?」
「っ!?」
握り込んでいた破片を手放し、目元を抑える。私は、また……。
「リカリアーナさん。先の質問に答えましょう」
メルフレイヤは哀れむように私を見ながら言った。
「なにも。そう、わたしはあなたになにもするつもりはありません。なぜなら、すでにわたしが望むことはすべて終わっています。ここにさらわれたあなたがいて、あなたのステータスを見たわたしがいて、そしてあなたのステータスを見なかったライ様がいない」
その言葉に胸を撫で下ろす自分がいた。メルフレイヤには見られた。けれど、ライさんには私の今のステータスは見られていない。
「それなら、まだ、間に合う」
「間に合うどころではありませんよ、リカリアーナさん。この状況はわたしが望んだもの。けれど、あなたにとっても望ましい状況なのです」
「どういうことですか?」
「考えてもみて下さい。あなたが必死に隠そうと足掻いているそれは、けれどいずれ必ずライ様に露見します。そのときライ様はまずこう思うはずです。どうしてそうなってしまったのか、と」
「それは……」
決まっている。ディザスターとの戦いで自分や他の人々がライさんへの人質になったとき、嬲られるライさんを見たとき、私は自分にとって最大の禁忌を行おうとした。五年間、永遠に変わることはないと信じたものは、あのときあっけなく崩れ去ったのだ。
私のステータスを知る誰かにどれだけ蔑まれた目で見られても、悪し様に罵られても、いくらでも耐えられたのに、ライさんの命と天秤にかけられただけで欠片も耐えられなかった。
いや、そんな言い方をしたらまるでライさんの所為みたいではないか。ライさんは関係ない。これは私の精神性の話だ。事実、あのときグィンゲッツさんは踏みとどまったのに、私は踏みとどまれなかった。ライさんもあのとき投げかけた質問の答えに迷っていたけれど、私は迷わなかった。
『たとえば、目の前で大切な人が危機に陥っていたとして、その人を助けるためには非道な手段を取らないといけないとしたら?』
その問いに、リカリアーナ・リスティマイヤは即決した。
『なんでもする。誰でも殺す。ライさんのためなら、私は他の大切な人を皆殺しにしても構わない』
殺人鬼スキルの咎持ちは、実に生まれもった素質にふさわしい答えを導き出したのだ。
「知られたくはないのですよね?」
メルフレイヤがすべてを察した様子で言う。
「でなければ、自分の口からライ様へ言っているはずです。けれど、あなたは黙っていた。わたしもあなたのことは色々と調べましたが、ずっとそのスキルの熟練度は九十九で止まっているものと思っていました」
私はなにも言い返せなかった。すべて事実だったからだ。
「ならばこの状況は、やはりあなたにとっても好都合のはずですよ」
脂汗を流す私に対し、メルフレイヤはにっこりと笑いかけた。
「最後のきっかけがなんだったのかはわたしも存じ上げませんが、そんな事実など隠せばいいではありませんか。代わりにすべてをわたしの所為にして下さいまし。わたしに攫われ、酷いことをたくさんされ、それでそうなったとライ様に訴えればいいのです。そうすれば、ライ様はあなたを悪くなんて思わない。すべての怒りはわたしへ向けられ、あなたには優しい言葉をかけてくれる。いいえ、それどころか」
メルフレイヤの微笑みは、悪意の欠片もない、慈愛すら感じさせる笑みだった。けれどわたしはその微笑みを、まるで邪悪な怪物が悪事をそそのかしてくるようにしか感じられなかった。
「すべての怒りをわたしにぶつけたあと、きっとライ様はあなたに強い罪悪感を抱くでしょう。自分の力が足りなかったから、ときっと自分のすべてを捧げてあなたに尽くす。夢もなにもかもを放り捨てて、彼はあなただけの騎士になってくれるのです」
「ライさんが、私だけの騎士に……?」
「ええ。今のあなたのすべてを受け入れ、包み込んで、守ってくれる騎士様に」
それはあまりにも魅力的な誘いだった。そして事実だろうと思えた。ライさんの性格を考慮すれば、きっとそうなるだろう。私がどれだけ醜い殺人鬼になっても、自分の大事な夢を捨ててでも、私の傍にいてくれる。
旅を続けなくても永遠に。
この旅を最後に別れる必要なんてなくなるのだ。
「さあ、だからリカリアーナさん。あなたはここでライ様が来るまで大人しく――」
「そんなことはできません!」
私は叫び、耳を塞いで頭を振った。
「ライさんが私のために夢を捨てるなんてこと、そんなのはダメです! あってはならないことです! そんな、そんなこと……!」
許されるはずがない。愛する人の夢を奪うなんてこと、そんなことが許されるはずがないのだ。
「不思議な方。あなたはわたしと同じくらいライ様のことを愛しているのに、自分のその想いを遂げようとは考えていないように思えます」
私の言葉に、メルフレイヤは心底不思議そうに首を傾げた。
「まあ、いいでしょう。どちらにせよ、もうすべては始まってしまったこと。ライ様は怒り狂ってわたしに襲いかかって下さる。わたしたちは心から愛し合うのです。それはもう止められない」
メルフレイヤは残っていた自分の紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「わたしの望みはライ様に愛されること。わたしがいなくなったあと、あなたがどうするかはお任せ致します。ではごきげんよう」
優雅に一礼すると、メルフレイヤは部屋の出入り口に向かう。
まだ色々言わなければならないことはあるはずなのに、私は彼女を呼び止めることができなかった。
「ああ、そうです。一応言っておきますが、逃げようなどとは考えないで下さいね? 今、あなたが逃げたところでライ様の怒りが収まるとも思いませんが、万が一ということもございます」
部屋を出ようとしたところで、メルフレイヤは一度足を止めてこちらを振り返った。
「ここはわたしの部屋ですが、あなたにしばらくお貸し致します。中で一通り生活できるようにはなっておりますので、どうぞご自由にお使い下さい。必要なものがあれば、見張りも方に言ってもらえれば手配しますので。ああ、ライ様に頼まれていた、あなたの故郷から持ち出した資料も運び込ませていただきますね」
ではごきげんよう、と最後にもう一度頭を下げてメルフレイヤは出て行った。
ぱたりと扉が閉まる。同時に、ぴしり、とメルフレイヤが使っていたカップに罅が入って割れてしまった。
それはまるで 守り続けようと思った幸せな日々が終わったことを表すようで。
「……オープン」
私はいつかのような絶望的な気持ちで、その言葉を唱えた。
リカリアーナ・リスティマイヤ
レベル:52
経験値:2099450 次のレベルまで残り23002
【能力値】
体力:2133
魔力:0
筋力:331
耐久:299
敏捷:459
器用:443
知力:187
【スキル】
鑑定:B 熟練度615
本質を見抜く才能。
熟練度100ボーナス……相手の名前を看破する。
200ボーナス……相手のレベルと能力値を看破する。
300ボーナス……相手のスキルと魔法を看破する。
400ボーナス……物質の情報を読み取れる。
500ボーナス……ステータス看破の精度向上。
600ボーナス……物質の詳細情報を読み取れる。
暗殺者:A 熟練度559
隠れて対象を消し去る才能。
熟練度100ボーナス……隠密精度向上。スキルによる探知への抵抗。
200ボーナス……敵を追跡する特技。鍵キーワードは『標的確定』。
300ボーナス……ステータス画面のスキル覧の隠蔽が可能。
400ボーナス……対象の背後へ移動する特技。鍵は『影刺し(シャドウキリング)』。
500ボーナス……隠蔽能力の向上。
殺人鬼:A 熟練度100
人殺しの才能。
熟練度100ボーナス……対人戦闘時全ステータスアップ大。殺人衝動・大。
「……なぜ……どうしてこんなにも私は……」
殺人鬼スキル。熟練度一〇〇。
今度はもう助けてという言葉すら私には許されなかった。




