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逆鱗



「『大導師』メルフレイヤ・クルーリオでございます」


「なっ!?」


 改めて行われた自己紹介。フローレンス皇女だと思っていた人物の正体を知って、俺は驚きを隠せなかった。


 けれど、どこかで納得もしていた。


「あんたが『大導師』だって?」


「はい。その証拠といってはなんですが」


 メルフレイヤがゆったりとした動作で手を振る。すると突如として槍の超越者の亡骸が燃え始めた。


 詠唱どころかステータスの展開もせずに魔法を行使したのだ。これが超越者の力なのか。


「身体をまっぷたつにしても、稀に生きている超越者もいますから念のために。あとは――」


 さらにメルフレイヤが手を上に向かって振ると、今度は空が燃え始めた。雷雲が立ちこめるように紅蓮の炎が空に広がって、そこから火の雨が山をひとつ隔てた反対側に降り注ぎ始める。爆発の音と共に、かすかな悲鳴のようなものが聞こえてくる。


「なにをしたんだ?」


「山向こうに反乱勢力が集まっていたようですから、それを撃退しているのです。フローレンス皇女の名前を騙っていたのは、帝国の反乱勢力を誘き出すためのものでしたので」


「……そういうことか」


 俺がここに留まらずとも、帝国は超越者を討つ作戦を用意していたのだ。


「俺の護衛は最初から要らなかったってことだな」


「とんでもございません。このメルフレイヤ、あなた様に守られていて幸せでした。それにすべてがすべて嘘だと言うわけではございません。我が帝国はあなた様を欲し、わたしもまたあなた様を求めています」


 メルフレイヤが距離を詰めてくる。甘い匂いが鼻をくすぐる。


「どうか今一度お願い致します。わたしの騎士になっては下さいませんか?」


「断る。冗談じゃない」


 腕の中で意識を失っているリカさんをもう一度見て、はっきりと、今度は嫌悪も込めて拒絶する。


「リカさんが傷を負ったのは俺の責任だ。俺が調子に乗ってたからこうなった。けどあんたが最初から正体をばらして一緒に戦っていれば、こうはならなかったはずだ。国のためだろうと、人の力を見極めるためだろうと、目の前で誰かが傷つく姿を、なにもせずに平気で見ていられる奴とは仲良くできない」


「振られてしまいましたか。悲しいですが、おっしゃっていることはごもっともです。今回の超越者が予想を超えて真の超越者となったとき、もう少しわたしは動くべきでした」


 メルフレイヤは恥じ入るように顔を伏せると、


「ですがライ様、あなた様も悪いのですよ。あなた様があまりにも格好良いものだから、わたしは戦うことも忘れてついつい見惚れてしまっていたのですから」


 よくわからない理由で俺を責め立て、ちらちらと横目で盗み見てくる。


 恋する乙女の表情、なのだろう。可愛らしいその仕草を見て、背筋がまた冷たくなった。俺は怒っているつもりだ。仲間が傷ついてしまったことに、自分にも、メルフレイヤにも腹を立てている。なのになぜ、平然と格好良かっただとか見惚れるだとか言えるのか。


 空気が読めない、という話ではない。そもそもこいつは読む気がないのだ。


 フローレンス皇女の振りをしていたときから感じていたことだが、この女、相手の感情を無視して自分の都合を優先させている。そして、それが当然のことだと思っている。皇女様ではないが、紛れもなく彼女は自分を中心とした世界に君臨する女王様であった。


「これ以上付き合ってられない。リカさんの傷が癒えたら、なにを言われようとここを発たせてもらう」


「左様でございますか。残念です」


 メルフレイヤの嘆きを無視し、俺はリカさんを抱きかかえたまま歩き出そうとした。


 けれど彼女は俺たちを逃がそうとはしなかった。


 戦いにはまったく参加しなかった帝国の騎士たちが現れ、俺を中心に包囲してくる。


「ええ、本当に残念です。わたしも本来であれば、こういう手段を取りたくはないのです。本当ですよ? ライ様にわたしを選んでいただいて、わたしを求めていただいて、わたしを心から愛していただきたいと純粋に思っているのです」


「そうか。それは無理な話だな」


 リカさんを強く抱きしめ、俺は剣を構えた。


 結局はこうなったか。俺ははっきりと、ここにメルフレイヤを敵だと見定めた。


 そして慢心ももうしない。この怪我で帝国最強の超越者と戦って勝てるとは思わない。ましてやリカさんがこんな状態で、フレミアも探して連れ出さないといけない。他の人たちは、恐らくすでに俺と槍の超越者たちの戦いでこの場所から逃げ出しているだろう。


 ここは逃走が最善だ。もうこの女の戯言には付き合っていられない。


「ねえ、ライ様。ひとつ、あなた様にご忠告させて下さいまし。いと強きあなた様には、しかし弱点がございます」


 メルフレイヤの言葉に耳を傾けつつも、意識は周囲へ向ける。フレミアが今どこにいるのかはなんとなくわかった。まずはそちらへ全力で向かい、抱きかかえてこの陣を立ち去る。


「超越者すら葬り去る剣の腕。純粋な攻撃力は、わたしや『大剣聖』にすら迫るものがあるでしょう。傷を負っても戦える胆力、そして回復力も人間離れしている。足の速さだって、わたしでは到底敵わない。あなた様に全力で逃げに徹せられては追い切れないでしょう」


 そのあとはリカさんを治療できる場所まで走り続けよう。俺の傷は後回しだ。メルフレイヤの言うとおり、俺の傷の治りは人よりも早い。この程度の傷なら放置していても、数日あれば自然と治る。人間離れしていると言えばその通りだろう。


「ですがあなた様の耐久力は人に毛が生えた程度でしかない。斬られれば血が出て、心臓や頭を潰されれば死に至るでしょう。そして――」


 駆け出そうとした瞬間、不意に足から力が抜けた。立っていられずにその場に崩れ落ちる。


 なんだこれ? 足の怪我の所為じゃない。もっと別のなにかの所為で身体が痺れて動かない。


「そしてあなた様は、普通の人と同じように毒が効く」


「ぐっ」


 メルフレイヤの声が耳元すぐ近くで聞こえた。甘い香水の香りが強くなり、それに従って思考にもやがかかり、身体の感覚がどんどんと消えていく。


 違う。この匂いは香水ではない。もっと別の、他者の心身を蝕む毒の香りだ。


 ああ、そうか。ようやく自覚する。俺はもう慢心はしていなかった。ただ、なんとか挽回したと信じていた、これまでの慢心のツケをまだ払いきっていなかったということ。


 この毒婦を前にして、これまでただ一度でも油断した瞬間があったこと――それは取り返しのつかない失敗だったのだ。


「普通の人よりは強いようですが、それでも毒への絶対的な耐性があるわけではない。ましてや我が炎の毒は特別なもの。触れあえば心をとろけさせ、言葉を交わすだけでも脳を痺れさせる甘き毒です。ふふっ、わたしが近付くだけでフレミア・マルドゥナが恐怖し、会うことすら拒んだときに気が付くべきでしたね」


「メル、フレイヤ……」


「ええ、そうです。それがわたしの名前です」


 くすくすと笑うメルフレイヤ。俺はせめて腕の中のリカさんだけは守ろうと必死に手に力を込めるが、腕はかすかに震えるばかりで力が入らなかった。


 やがて腕の中から温かな感覚がなくなる。

 それが俺の意識が保てなくなったからか、それとも……。


「そう、あなた様の弱点は未だ肉体が人間のそれであるということ。あなた様は本当の超越には至っていない。身体も、心も、本物の怪物にならなければわたしには勝てませんし、大事なものも守れない」


 メルフレイヤ!


 声にできず、心の中で叫ぶ。


 それをメルフレイヤは聞き取ったかのように、口からもらす笑い声を大きくする。


「そうです。ライ様。もっとたくさん、もっと情熱的にわたしの名前を呼んでくださいまし! ふふ、ふふふふふ! あはははははっ!」


 狂った英雄のその笑い声を最後に――俺の意識は闇に沈んでいった。






       ◇◆◇






 次に目を覚ましたとき、俺の身体はベッドの上にあり、目の前には見知った男の姿があった。


「よう、目を覚ましたんだな。後輩」


「あん、たは……」


 ベッドの横で俺の看病をしていたのは、メルフレイヤの陣で会った、あの商人の護衛をしていた冒険者の男性だった。


 彼は上半身を起こそうとした俺を手助けしてくれる。そうしてもらわなければ、身体を起こすこともできなかった。未だにメルフレイヤの毒の影響は残っている。


 だが身体の傷の方は治っていた。あれから一体何日が経過したのだろうか?


「俺が意識を失ってから何日経った? それにここは?」


「三日だよ。ここはあんときの陣の近くにあった村だ。お前さんの言うとおり敵の襲撃があったことは覚えてるか?」


「ああ。襲撃者は戦って倒した」


「そうだ。そのことに対してお礼を言わせてくれ。あんたが敵と戦ってたところを俺は見てた。あんたは俺たち全員の命の恩人だ。ありがとう」


「頭を上げてくれ。元はと言えば俺がみんなを面倒に巻き込んだ形なんだ。礼なんて受け取れない」


「事情は大体わかってる。あんたの仲間のフレミアって嬢ちゃんが教えてくれたからな」


「フレミアが? よかった。あいつは無事だったんだな」


 部屋の中に姿が見えないため不安だったのだが、フレミアは無事らしい。フレミアは、だが。


「……教えてくれ。俺のもう一人の仲間、エルフの女の人もここにいるのか?」


「残念だがここにはいない。フレミアの嬢ちゃんは言うには、帝国の奴らに連れて行かれたそうだ」


「そうか」


 わかっていた。気絶する直前、手の中からリカさんの感触が消えたことを覚えている。


 リカさんはメルフレイヤにさらわれてしまった。俺の所為で……。


「取り戻す。絶対に」


 手を強く握る。腹の奥から込み上げてくる怒りが力になっているのか、毒の影響がどこかへ消え去ってしまったかのように、爪が肌に食い込んで血が出るほど強く握り込むことが出来た。


「悪いな。俺は行かせてもらう。助けてもらった礼はいずれ必ずするから」


 俺はベッドから起きあがると、近くの壁に立てかけられていた剣を手に取った。


「お、おい、ちょっと待ってくれって! 俺はフレミアの嬢ちゃんからあんた宛の手紙と伝言を預かってるんだ!」


 リカさんから預かった最後の剣を腰に下げ、部屋を飛び出そうとする俺を、男がそう言って引き留めた。


「フレミアから? フレミアはここにいないのか?」


「ああ。一日はここであんたの看病をしてたんだが、この村の医師が言うにはあんたがいつ目を覚ますかわからなかったんでな。フレミア嬢ちゃんは、連れて行かれた仲間を助けに行くつって、馬に乗ってこの村を出発しちまったよ。あんたには『先に行く。今度はあたしがみんなを助ける番だから』って伝えて欲しいって頼まれてる」


「そうか。あいつ一人で」


 俺が気絶したあと、フレミアになにがあったのかはわからない。けれど告げられた短い伝言からは、フレミアの悔しさと決意が伝わってきた。


「それで手紙っていうのは?」


「ああ。これだ」


 男は懐から手紙を渡してくれた。手紙は一度ぐしゃぐしゃになるまで握り潰され、それを開いたかのようにしわだらけだった。


 俺はその手紙に目を通す。


「…………」


「一応言っておくが、手紙がそんなになってるのは俺がやったんじゃない。フレミア嬢ちゃんがそれを読んだときに握りしめたからだ」


 そんなことは言われるまでもなかった。手紙に目を通し終わった俺もまた、手紙を無意識のうちに握りつぶし、恐らくはあっただろう男の制止の声も耳に入らず宿を飛び出していた。


 そのまま帝都を目指して全速力で走り出す。


 馬は要らない。きっと今馬なんか使ったら、その足の遅さに八つ当たりをしてしまうだろう。今すでに自分の足がどうしてこんなにも遅いのかと、自分で自分を殺したくなるほど腹を立てているのに。


 そうだ。俺は怒っている。


 リカさんがさらわれたと気付いたときも、一周回って冷静になってしまうくらいの怒りが沸き上がってきたが、まさかそれ以上があるとは思っていなかった。自分がここまで怒りという感情に支配されるとは想像もしていなかった。


 こうして考えているのも、ほんのわずかに残った理性によるものだ。


 この憎悪と殺意が混じった怒りに身を任せてはいけないという理性。この激情にすべてを任せたとき、自分がまき散らすであろう破壊を思えば、最後の一線だけは踏み越えてはいけない。


 そもそも、そうなることこそがあいつの狙いだ。明らかにあいつは自分に憎悪を向けさせようとしている。ならばあいつの願いを叶えてやってはいけない。理性を保ち、冷静に事を運び、速やかにリカさんを助け出すことこそが最良であり、結果的に奴の鼻を明かしてやることだと――ああ、そんなことはわかっているのだ。


 けれど無理だ。あいつは絶対に手を出してはいけないところに手を出した。


 心は暗い怒りに塗りつぶされた。

 頭にあるのは、メルフレイヤが俺へ綴った恋文に書かれた内容のみ。



『 拝啓 愛しのライ・オルガス様へ


 この胸のうちの想いを文字に書き留めることは難しいので、ただ事実のみを書き留めさせていただきます。


 このメルフレイヤ、あなた様を思うあまりはしたないことをしてしまいました。あなた様の心を自分に向けたいがため、あなた様の大切な人をさらってしまったのです。


 ですが勘違いはされないで下さい。わたしにあの可愛らしい子猫のようなエルフさんを害する意思はありません。『大剣聖』様との約束もありますので、決して命を奪わないことをここに約束させていただきます。


 無論、殺さないからといって傷を負わせたり拷問を行ったりといったことも致しません。むしろわたしとあなた様を再び巡り合わせる愛の仲人なのですから、誠心誠意もてなす次第で御座います。


 ええ、そうです。お察しのとおり、このメルフレイヤ、あの子猫さんのステータスを拝見したとき、彼女へ贈る最高のもてなしを考えついたのです。


 子猫さんはどうやら自分の生まれ持ったスキルにお悩みのご様子でした。


 殺人鬼スキル。熟練度九十九。なんということでしょう。


 これ以上足を踏み出した先には、絶望しかないのだと思いこんでいる。あれでは心休まる日などないでしょう。常に強い風が吹く断崖の先に立たされているようなものです。


 あまりに哀れ。無駄な足掻きを続ける様は、誠に不憫でなりません。


 つきましては、このメルフレイヤが誠心誠意、破滅へ至る楽しさと美しさを教授したいと思う次第です。お任せ下さい。彼女はきっと初めて夢を抱き、そしてその夢を叶えることができるでしょう。


 最後になりますが、わたしは帝都におりますので、子猫さんを取り戻したいのであれば、あるいはもう一度わたしに会いたいとお思いになられましたら、どうぞお気軽に訪ねて下さいまし。心から歓迎申し上げます。


                あなたのメルフレイヤ・クルーリオより 』



 俺は知っている。リカさんが自分のステータスに対してどういう思いを抱いているか。殺人鬼スキルの熟練度が一〇〇にならないよう、最後に残ったひとつの数字が決して上がらないよう、どういう思いでこの五年間を過ごしていたのか。


 かつて、リカさんは俺に言った。


『――ありがとうございます。私、絶対に幸せになりますね』


 人なら誰もが当たり前に抱くその願いを、決して叶わない夢を語るように、けれど絶対に叶えると誓うように口にしていた。あのときリカさんは、幸せな未来をたしかに夢見ていた。


 そしてリカさんはその夢を叶えてみせた。


『――ライさん。私は今、幸せですよ』


 あの日、あのとき、リカさんは本当に幸せそうに笑っていたのだ。


 ……そのやっとの思いでつかんだ幸せを守ろうとする懸命な努力を、あいつはなんと言った?


 哀れだと? 無駄だと? 不憫だと?


 そんな風に人の努力を嗤える奴は生きていていい人間じゃない。なにがあっても、どんなことをしても、倒さなければならない怪物だ。


 たとえ自分が怪物になったとしても――あれは――


 最後の理性を喜んで手離す。メルフレイヤの狙いどおり身も心も差し出し、破壊への衝動に変える。


 さあ、奴に後悔を教えに行こう。足が遅いのなら足で走らなければいい。もっと速く、もっと速くと願うのなら、そうなるためにこの身体を変えればいいのだ。


 背中から神経が延び、人間の身体には存在しないものが出来あがる。足が地面から離れ、流れていく景色が急激にその勢いを増していく。


「……メルフレイヤ」


 俺は黒い翼をはためかせて空を飛びながら、声に出して憎い敵の名前を呼ぶ。


「メルフレイヤぁああああああああアアアッ!!」


 それが半ば獣の咆吼に成りはてていたことに、怒りに支配された俺は、もう気付くことができなかった。




次回、他者視点

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