第1話
「ごめんなさい、セレナ! 殿下と惹かれ合う気持ちを、どうしても止められなかったの……っ! 私たち、親友なのに……本当にごめんなさいっ!」
王城の華やかな夜会。
大広間の中心で、美しい金髪を揺らしながらポロポロと真珠のような涙をこぼしているのは、私の幼なじみである伯爵令嬢のアリシアだ。
フリルがたっぷりとあしらわれたピンクのドレスに、小動物のように潤んだ瞳。誰が見ても庇護欲をそそられる「完璧な愛され女子」である彼女の肩を、王太子殿下が力強く抱き寄せている。
「泣くことはない、アリシア。君は何も悪くない。……セレナ! 幼なじみであるアリシアの優しさに付け込み、いつも彼女の引き立て役のように振る舞って陰で彼女をいじめていたそうだな! 地味で陰気な君との婚約は破棄し、私は真実の愛に生きる!」
周囲の貴族たちが、「まあ、あの地味なセレナ様が」「アリシア様が可哀想に」とヒソヒソと囁き合う。
その視線の中心にいる私――公爵令嬢セレナは、分厚いレンズの眼鏡を中指でクイッと押し上げながら、前髪で隠れた視界の奥で、ただひたすらに安堵の息を吐き出していた。
(あ〜〜〜っ、やっと終わった! 長かった! このフレネミーの相手をする日々、マジで長かった!!)
アリシアと私は幼なじみだが、彼女は昔から「私が持っているもの」をすべて欲しがる性分だった。
私がお気に入りのリボンをつければ「それ、私の方が似合うから頂戴?」と奪い、私が本を読んでいれば「セレナは頭が良いからそういう地味なのが似合うのよ!」と、わざと野暮ったい茶色や深緑のドレスばかりを私に押し付けてきた。
分厚い眼鏡も、目を覆い隠すような重たい前髪も、すべては「アリシアより目立たないように」と彼女から強要されたスタイルだ。
抵抗するのも面倒くさかった私は、「まあ、本さえ読めればいっか。殿下の執務の代行(無給)も忙しいし」と、彼女の着せ替え人形になることを受け入れていた。
その結果が、これである。
見栄っ張りで中身がスッカスカの王太子は、見事なまでにアリシアの「あざとかわいい」計算に引っかかり、実務をすべて裏で回していた私をあっさりと捨てたのだ。
「公爵家にはすでに話をつけてある。君のような地味で陰湿な女は、北の国境を治める『氷の貴公子』クラウス辺境伯のもとへ嫁ぐがいい!武器を振り回す事にしか興味が無い冷酷無比な男の城で、一生凍えて暮らすのだな!」
王太子の残酷な宣告に、アリシアが「そんな、セレナが可哀想ですぅ……!」と顔を覆う。だが、指の隙間から見えた彼女の唇は、勝ち誇ったように歪んでいた。
(……はいはい、ごちそうさま。でもアリシア、あなたは致命的な勘違いをしているわ)
王太子が優秀に見えていたのは、私が徹夜で書類を処理し、根回しを完璧に行っていたからだ。私がいなくなった明日から、あの見栄っ張りな王太子の手元には、未処理の書類と莫大な借金の督促状だけが残る。
「姉妹のように育った親友のすべてを奪った」と優越感に浸っているアリシアが、数ヶ月後にどんな地獄を見るか。今から楽しみでならない。
「……殿下、そしてアリシア。どうか末長くお幸せに」
私はわざと陰気な声でボソリと呟き、深々と頭を下げて夜会を後にした。
数日後。
私は最低限の荷物だけを持って、極寒の辺境領・フロストブルク城へと到着していた。
出迎えてくれたのは、身を切るような冷たい風と、氷のように冷たく張り詰めた空気。
そして、城の玄関ホールに直立不動で立っている、恐ろしいほどの美丈夫だった。
(……この方が、『氷の貴公子』クラウス様……)
思わず息を呑んだ。
透き通るような銀色の髪に、切れ長で鋭い氷青色の瞳。雪の妖精がそのまま成人男性になったような、人間離れした超絶美形である。
しかし、その表情は文字通り「絶対零度」だった。
眉間に深い皺が刻まれ、一切の感情を読み取らせない冷酷な眼差しが、私を真っ直ぐに射抜いている。
「初めまして。セレナと申します。この度は、不躾な形での輿入れとなりましたこと、深くお詫び申し上げます」
私がカーテシーをしても、彼はピクリとも動かない。
声すら発さず、ただ私を睨みつけている。
周囲の騎士や使用人たちも、彼の放つ威圧感にガチガチに震え上がっていた。
(ひえっ……! 噂通りの冷酷無比な方ね。私のこの野暮ったい姿を見て、怒っていらっしゃるのかしら)
クラウス様は、無言のまま私の横を通り抜け、足早に城の奥へと歩き出してしまった。
「お、お嬢様、こちらへ……」と、青ざめた老執事に案内され、私は彼が待つという執務室へ向かった。
重厚な扉が開かれる。
執務室の暖炉の前で、クラウス様は腕を組み、相変わらずの彫刻のような無表情で私を待ち構えていた。
執事が一礼して退室し、広い部屋に彼と私、二人きりになる。
張り詰めた沈黙。
殺されるかもしれない、と私がゴクリと唾を飲み込んだ、その時だった。
クラウス様が、懐からサッと『何か』を取り出した。
それは、真っ白な小さなスケッチブックと、黒いペンだった。
彼はものすごいスピードでペンを走らせると、スケッチブックをバッ!と私の目の前に突き出した。
そこには、達筆でこう書かれていた。
『初めまして。長旅でお疲れではないですか?』
「……え?」
私が間の抜けた声を出すと、彼はササササッ!と猛烈な勢いで次のページに文字を書き、再びバッ!と見せてきた。
『睨みつけてしまって本当にごめんなさい。俺、女性はおろか、初対面の人と話すのが極度に苦手で……今も緊張で頭が真っ白で、声の出し方を忘れています。お茶、飲みますか? 熱いのと温いの、どっちがいいですか?』
「…………えええ?」
氷の貴公子。
冷酷無比。
絶対零度の眼差し。
そのすべての原因が、まさかの『限界レベルの極度の人見知り(コミュ障)』だというのか。
よく見れば、私を睨みつけているように見えたその鋭い氷青の瞳は、ウロウロと泳ぐように視線を彷徨わせており、組まれた腕の先にある指先は、小刻みにプルプルと震えている。
さらに、銀糸の髪に隠れた耳の先まで、茹でダコのように真っ赤に染まっていたのだ。
『あの、寒くないですか? こんな何もない辺境に、貴女のように可憐な方を呼んでしまって申し訳ないです。俺のことは、その辺の喋らない石像か観葉植物だと思ってくれて構いませんので……』
スケッチブックの隅に、申し訳なさそうに小さく「(T . T)」という顔文字まで添えられている。
(……か、かわいいっ……!)
なんだこの生き物は。
王都の社交界で、見栄と虚飾にまみれたペラペラな男たち(主に元婚約者)の言葉ばかりを聞かされてきた私の胸に、その不器用すぎるスケッチブックの文字がドストライクで突き刺さった。
「ふ、ふふっ、あはははっ!」
私が耐えきれずに吹き出すと、クラウス様はビクゥッ!と肩を揺らし、『な、何か失礼なことを書きましたか!?』とスケッチブックを必死に裏返した。
「いいえ。クラウス様が、とても優しい方だとわかって安心したのです」
私は分厚い眼鏡を外し、ボサボサに下ろしていた前髪を指で軽くかき上げた。
視界が開け、隠されていた私の素顔が露わになる。
鏡をあまり見ない私には自覚がなかったが、それはかつてアリシアが「私が隣に並ぶと霞んでしまう」と嫉妬し、全力で隠し通そうとした『絶世の美貌』だった。
前髪の奥から現れた私の顔をまともに見た瞬間。
クラウス様は「ヒュッ」と息を呑み、スケッチブックをバサッと床に落として、両手で真っ赤になった顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
『(うわああああああ!! 近距離で見たらめちゃくちゃ美人だ!?!? 心臓止まるかと思った!!)』
声には出ていないが、彼の背中がそう叫んでいるのが痛いほど伝わってくる。
(なるほど。この氷の貴公子様……いえ、大型犬のような旦那様との辺境生活、思っていたよりずっと楽しくなりそうだわ)
私は床に落ちたスケッチブックを拾い上げ、彼と同じようにペンで言葉を書き込んだ。
『これからよろしくお願いします、クラウス様。まずは、一緒にお茶を飲みませんか?』
しゃがみ込んだまま私のスケッチブックを見た彼は、耳まで真っ赤にしながら、コクコクと激しく首を縦に振ったのだった。




