第40章(完)
ホットコーヒーを飲みながら、黒岩は目の前に座る人物の事をチラリと見た。五十嵐はホットミルクティーに口を付けながら、笑みを浮かべていた。
「良かったですね、無事終わって。」
「皮肉のつもりか?」
「まさか。本心ですよ。ここ数日、都心が大変だったでしょう?おそらく、黒岩さん達が祓った者の仕業ですよ。」
「冥縛の仕業だと?」
「勿論。」
五十嵐の笑みが、黒岩をより腹立たせた。
「改めて分かったでしょう?我々人間には到底マネ出来ない力を、彼らは持っている。抗うことなど出来ないんですよ。」
「何を言ってる。私の部下は祓ったぞ。」
「一時の話ですよ。冥縛がそんな簡単に世祓いされるとでも?」
「櫻井始をそそのかして、いい気分か?五十嵐。」
「そそのかした?何の話です?」
「冥縛の降ろし方を教えたんだろう。」
「だとしたら何です?我々、影降衆は何の関与もしていません。無関係ですよ。お忘れなきように。」
五十嵐はグビグビと注がれたホットミルクティーを飲み干した。
「お前の事務所には、一体何があるんだ?」
「はっはっはっ。何を言ってるんですか。」
「分かってる。必ず⋯必ず暴くからな。今回の事案で分かった。我々は徹底的にお前達を潰す。」
「穏やかじゃないですね。」
「お前に言われたくないよ。」
五十嵐は席を立った。
「櫻井始のように、個人で降ろす人間はこれから増えていきますよ。断言しておきます。それ程までに、今の世の中は腐っていますから。」
五十嵐は机に立てられた伝票を手に取った。
「ここは私が。それでは、また。」
「ああ。また会うよ。必ずな。」
「あ、お待ちしてました!どうぞ。」
「⋯失礼します。」
事務所に藤代がやって来た。鈴村は後藤も一緒だと思っていたが、彼の姿は見当たらなかった。
「あの⋯後藤さんは?」
「私のせいで仕事が溜まっているので⋯。私だけです。」
「そうなんですね。」
「こんにちは。」
神谷が藤代に挨拶をした。藤代はゆっくりと頭を下げた。
応接室のソファに座った藤代に、鈴村がお茶を差し出した。
「このお茶美味しいんですよ。後藤さんも、美味しいって言ってました。」
「そうなんですか。ありがとうございます。」
「お体はどうですか?」
神谷が尋ねた。
「おかげさまで。何の不調もありません。ケガもしておりません。」
「そうですか。それは良かったです。」
「いやあ本当に良かったですよ!私、藤代さんに確実に2回は蹴り入れてるんで⋯。」
そう言った鈴村の肩に、神谷は久し振りに肩パンを入れた。
「あの⋯。」
藤代がいきなり立ち上がり、深く頭を下げた。
「この度は⋯本当にありがとうございました。多大なご迷惑をお掛けしてしまい⋯大変申し訳ございません。」
「藤代さん、頭を上げて下さい。藤代さんは何も悪くありませんよ。」
「しかし、私のせいで多くの方を傷付けてしまった。何となく分かるんです。」
「傷付けたのは、あなたを支配した冥縛という悪霊です。」
「しかし⋯。」
「藤代さんは被害者なんです。さあどうぞ、座って下さい。」
藤代はまた気不味そうにしながらも、ゆっくりとソファに腰掛けた。
「何となく分かるとおっしゃりましたが、どんな感じでしたか?その期間は。」
「実は⋯よく覚えていません。ただ彼女に会えた。それは間違いありません。」
「そうですね。」
「あの、聞いてもいいですか?」
鈴村が小さく手を上げた。
「はい。どうぞ。」
「藤代さんは、櫻井千鶴さんと交際されていたって事は⋯。」
「はい。私は当時レズビアンでした。」
「今は違うんですか?その⋯あの⋯だってほら、後藤さんが⋯ねえ?」
「すいません。この小娘が失礼な質問をしまして⋯。あとでコテンパンにシバいておきますので。」
「いえ、そんな!いいんですよ。」
藤代は事務所に来てから、初めて笑顔になった。
「私は彼の事が⋯好きです。」
「おお⋯。」
「おおとか言うんじゃないよ。」
「バイセクシャルになったつもりはないんです。ただ、今は⋯彼の事が好きなんです。落ち着いたら、一緒になるつもりですし。」
「らしいですね。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「私からも、質問していいですか?」
神谷が珍しく質問をした。
「なんでしょう?」
「櫻井千鶴さんを失った藤代さんは、当時何を考えたんですか?」
その質問に、藤代は少し間を置いて答えた。
「自分は普通じゃない。だからこんな事になったんだと自分を責めました。もう傷付きたくない。それに、父に迷惑を掛けたくない。その一心で生きようと決めました。あの後、学校にも通いましたし、友達付き合いも人並みにしました。それに⋯男性との恋愛も経験しました。私は普通に生きるんだと。当時はそれだけを考えていました。」
「普通⋯ですか。」
「後悔はしていません。悟さんと出会えましたから。彼がいなければ、私は今、ここにいないかもしれません。」
「それはそうかもしれませんね。」
「でも⋯それでも⋯さ、櫻井さんは⋯。」
藤代の言葉が詰まる。
「ちーちゃんは⋯私の⋯私の大好きな人なんです。だから今回の事も⋯彼女の事を恨んではいません。だって⋯彼女に⋯ちーちゃんに会えましたから。すいません⋯ご迷惑を掛けたのに⋯でも⋯これが本心なんです⋯。」
そう言うと藤代は涙を流した。神谷と鈴村は、そんな彼女の事を静かに見守った。
「それでは、これで失礼致します。」
「後藤さんに、よろしくお伝え下さい。」
「ありがとうございます。」
そう言うと藤代は事務所を後にした。そして、真っ直ぐに彼の所へと向かった。
「お父さん。」
「優実。」
親子は静かに抱き合った。そこに言葉は必要なかった。
神谷は今回の事案の報告書を書き上げ、【東京支部 お祓い記録 2025】の中に報告書をアップロードした。その後、事務所内で3人だけの会議が行われた。
「冥縛は強力な悪霊だ。今回は祓えたが、まだ世祓いには至っていないだろう。1度この世に降りた冥縛は、祓われた後もこの世を彷徨い、また誰かに憑依する可能性が極めて高い。」
黒岩がそう話すと、鈴村の顔が明らかに曇った。
「そうでしょうね。今回は助っ人のお陰で上手くいきました。でも、次からはそういう訳にはいかない。」
「そうだ。それに多分冥縛は、神谷と鈴村を付け狙ってくるぞ。またお前達と闘うために。」
「望む所ですよ。」
鈴村が声を上げた。
「困ってる人を助けるために、祓禍衆になったんです。何度だって祓ってやりますよ。」
鈴村がそう言うと、神谷と黒岩は少しだけ微笑み、お互い目を合わせた。
「まっ、たまになら焼肉くらい奢ってやるよ。」
「本当ですか神谷さんっ!男に二言は無しですよ!?」
「俺はあるよ、二言。」
「えっ。」
藤代と後藤は、2人で墓参りに訪れていた。墓標には『櫻井家』の名が刻まれている。2人は手を合わせ、線香を上げた。
「また来るね、ちーちゃん。」
「俺も来ていいのかな。」
「大丈夫だよ。きっと分かってくれる。私が選んだ人だから。」
藤代はそう言うと、静かに目を瞑った。
「で、ちーちゃん。」
「何?」
「どうして私の事が好きになったのかは、前教えてもらった。」
「う、うん。」
2人切りの帰り道、藤代は唐突に櫻井に質問を投げ掛けた。
「いつから私の事が好きだったの?」
「えーっ!何でそんな事急に聞くの!?」
「教えてよ。」
「えっと⋯。」
「教えてよ。」
「だから⋯。」
「教えてよ。」
「しつこいなっ!」
藤代は嬉しそうに、櫻井の周りをぴょんぴょんとスキップし始めた。
「さ、教えてご覧なさい。」
「あ、あれは1年生の頃⋯。」
「えっ!そんな昔から!?ちーちゃん、私とクラス違ったじゃん!」
櫻井は、分かりやすくモジモジし始めた。
「学校の帰り道、偶然ゆみちゃんを見たの。駅のホームで。」
「ほう。」
「で、ゆみちゃん、お婆ちゃんに駅を尋ねられてて、優しく案内してたの。」
「ほほう。そんな事もあったような。」
「なんか⋯その姿に⋯心⋯惹かれました⋯それが最初です⋯。」
藤代は満面の笑顔になって、後ろから櫻井に抱き着いた。
「なになに!ゆみちゃん、ちょっと!」
「可愛いやつめー!あはははは!」
2人が夕焼けの中を、仲睦まじく歩いて行く。年明けまでは、あともう少しだった。
完




