020 失敗と彼の生まれと
「この数日で大きな街にも慣れてきたつもりでしたが、大間違いだったようです……」
エクトケに入ってすぐ、シェーナが圧倒されたように呟きを漏らした。その髪は普段の神秘的な蒼銀から没個性な茶色へと変じている。言うまでもなく、『幻影』の魔法だ。
「確かにこれは凄いわね」
『隠形』状態のまま、リューネも感心したように言う。
事実、王都にもっとも近いこの町は、政治の中心地としての意味合いが強い王都よりも経済的には栄えている。
おかげで大量の人が行き交うため、関所はほとんどザルだ。後ろ暗いこともある僕らには都合がいい。
「でもここでやるべきことって実はほぼないんだけどね。シェーナと僕の服を用意するくらいかな」
「服って?」
「僕のはちょっと派手めで高そうなやつ。シェーナにはメイド服だね」
服装というのは人間に与える印象としてけっこう大きいものだ。
本人の申告するキャラクター設定を補強どころか、むしろ服がメインになる勢いで。
「店は決まってるの?」
「うーん、僕の知ってるエクトケって十年も前だからなぁ……。まあ、行き当たりばったりで。こればっかりは仕方ない。リューネは僕らについてきてもいいし、別行動でもいいよ」
「そういうことなら少しその辺をぶらついてるわ」
「了解。まさか【神】はいないとは思うけど、【英雄】くらいなら普通に遭遇しうる街だから気を付けて。合流は……」
「シェーナの【神】の気配は覚えてるから場所はわかるわ。そうね、夜には戻ろうかしら。呼び出すときは何か魔法でも使ってくれれば気付けると思うから」
「はい。どんな魔法が分かりやすいでしょうか?」
「『探知』あたり? ま、任せるわ」
リューネとシェーナの会話が終わったのを見計らって、言葉を挟み込む。
「それじゃあ行こうか」
「行ってらっしゃい。衣装、楽しみにしてるわね」
楽しげなリューネの声に見送られ、僕とシェーナは歩き出した。
◆◇◆◇◆
「お、とりあえずここに入ってみようか」
シェーナと二人で歩くこと少し、良さそうな服屋を見つける。早速店内に足を踏み入れてみれば、いかにも僕の目当てとする、高級素材を腕のいい職人が仕立て上げたものばかり。
がしかし、
「お客様、失礼ですが、紹介状はお持ちでしょうか?」
「今日はお忍びでさ。代金はもってるんだ、ちょっとくらいいいだろ?」
「……申し訳ありませんが、当店は一見様のお客様のご来店はご遠慮頂いております。たとえ、貴族様であられましても」
貴族の証である金の髪もここではほとんど意味を成さなかった。店員は驚きすらしない。貴族の客など珍しくもないのだろう。
僕の人たらしのテクニックも通じない。
この店は上手くいかなそうだ。
「仕方ない、他に行こう」
再びシェーナとともに服飾店を探す。
が、
「紹介状をお持ちでないお客様は……」
「貴族様でしたら、ご家名をお教えいただければ……お忍び? そう仰られましても……」
「いえ、ご予算の問題ではなく。どちら様から私どもの店を? それも言えない? ……真に申し訳ありませんが、お引き取りください」
……三時間後。
「あー、まさか全滅とは思わなかったなぁ……」
小休止、として近場のカフェに腰を落ち着けた僕はがっくりと肩を落としていた。
王宮にいた幼い頃、エクトケで服を調達したことは何度もあるが、その時は普通に王子としての身分を明かして買っていたから高級服屋がこんなにガードが硬いなんて今日まで知らなかった。
「ま、まぁ、そう気を落とされないでください。まだ全部のお店を回ったわけではありませんし……」
「そりゃ、ただの服屋ならまだいくらでもあるけどさぁ……」
僕の演じたい役柄が『貴族』である以上、服も安っぽい適当なもので済ませるわけにはいかない。
それなりに、まさしく貴族が使うほどのいいとこの服屋じゃなくちゃならない。
「……でも、うだうだしてても解決はしないね。ダメだったものはダメだったで仕方ない。最悪、王都の服屋でどうにかしよう」
本当は、王都では貴族の装いを纏うようでは遅きに失するのだが。
見る人が見れば貴族に化けようとしてるのが丸わかりだからだ。
「用事がもう終わりでしたら、リューネを呼びますか?」
「どうしようかな。リューネはリューネで観光とか楽しんでるかもしれないし。僕らはちょっとデートでもしよっか」
「デート、ですか?」
頬を少し上気させ、シェーナが繰り返す。
ぽろりと言ってしまった言葉だったが、嫌がってはいない、と思う。
……思う、がついつい言い訳のように否定ぎみに言葉を繋げてしまう。
「デートって言っても、宿を探すついでに観光って感じだけど。ああ、後は服屋も見落としがあるかもしれないからね」
「…………かしこまりました。ご一緒させて頂きます」
……さっきから気付いてはいたけど、なんだかシェーナの言葉遣いが硬い。
敬語自体は確かに普段からだが、いつものはもう少し柔らかいというか、なんとなく距離が近い。
いや、慇懃な敬語だって本当は別に悪くもない。
昨晩、メイドの例にばあやを引いていたことから察するに、ばあやの真似というか再現なのだろう。
しかし、今の一言にはどうにもそれでは説明のつかないトゲが含まれていた。
これでも十年も一緒にいる相手だ。機嫌の良し悪しくらいは言葉尻からでもわかる。
問題は、僕の何がシェーナの機嫌を損ねたかわからないことなんだけど。
「あー、その、シェーナ……」
「そういうことでしたら、すぐにここを出たらいかがですか? デートならお茶でも飲みながらおしゃべりするのも楽しそうですが、私たちは違いますからね。ええ、デートで無い以上、ここで私たちがゆっくりする理由はありませんものね」
「ええと、なんというか、ごめんね?」
「『ごめん』? どうして若様がお謝りになるんですか? 若様が私に何をなさったのですか? ねぇ、何を?」
……まずい。なんか火に油を注いだ気がする。
呼び方がいつもの『レウ様』から『若様』に変わっているのはまあ昨日した話の通りだとしても、このまくし立て方をするのは怒っている証拠だ。
そういえば昔リューネが、怒っている理由も分からないくせにとりあえず謝っておこう的な事なかれ主義は逆効果だって言っていたかもしれない。
(ああ、助けて、リューネ!)
と、心の中でいくら叫ぼうとも彼女が現れることもなく。
なんと答えることもできずもごもごと口ごもっていると、シェーナも落ち着いてきたようで、
「……すみません、熱くなりました」
いかにも言い足りないと言った風ではあったが、引き下がってくれた。
僕としては微妙に落ち着かないが、ここで変に謝罪を重ねて火に油を注ぐこともない。
「あー……うん、じゃあ行こうか」
「はい」
僕は何も言わず、喫茶店を後にした。
◆◇◆◇◆
「終わったのね。どうだった?」
それから少し、高級店の集まる区画を回ったものやはり芳しい成果を挙げることができず、切り上げてリューネを呼び出した。
そんなわけだから必然返答の声も苦々しくなる。
「残念ながら。高級店じゃまるで相手してもらえなかったよ」
「そ。どうするの?」
「王都で工面するしかないよねぇ……」
「それで大丈夫なのかしら?」
「正直あんまり大丈夫じゃないけど。無理なものは無理だからね」
「仕方ないわね。宿は?」
「もうとったよ。君に希望を聞いたりはしなかったけど何かあったかな?」
「いいえ、特には。ひとりぼっちの森で何年も暮らしてれば、大抵の場所で寝られるもの」
森に住んでいたことはもちろん知っていたが、それでも確認は必要だ。
これは僕の勘だが、リューネはかなり育ちがいい。
所作の端々から気品というか、丁寧な教育を受けたあとみたいなのが見える。
とはいえ、それは彼女が人間だった頃のことだろう。【魔】としての一番古いリューネの記録はおよそ八十年ほど前。おそらく、実際に彼女が【魔】になったのはさらに昔だ。
それだけの時間があればどんなお姫さまでも辛抱強くもなるものかもしれない。
「そっか。ところで、リューネは何してたの?」
「本当に観光してただけよ。【英雄】は何人か見かけたけど、それぐらいね」
「やっぱりか。見つからなかった?」
「そんなヘマはしないわよ。私を誰だと思ってるの?」
自信満々に言うリューネ。
ここは彼女を信じよう。
「そうだね。なら行こうか」
◆◇◆◇◆
「そういえば、今までなんとなく聞く機会がなかったけど、二人は継承位争いのことってどのくらい知ってる?」
「私はこの国のはまったくね」
「いちおう、母さまからさわりくらいは……」
「まあそんなもんか。じゃ、あらためて僕からちょっと解説しようか」
戦いにおいて、知識はあって困ることはない。
特に彼女たちには僕の陣営の枢要を担ってもらわなければいけないのだし。
「まず、大前提として、継承位の争奪戦って言っても、直接的な戦闘ばかりじゃない。むしろそういう戦いの頻度は低い」
「ほとんどは政争ってことね」
「そうだね。それに、もし直接戦闘でも王子自身が切った張ったするわけじゃないっていうのはわかるよね?」
「配下の【英雄】や【神】が戦うんですよね」
「うん。ま、僕の場合は僕自身が【魔】だからまた別だけど。で、その王子の戦力のうち【神】は純粋に王子の配下だけど、大抵の【英雄】や普通の人間の私兵は違う。さて、どういうことだろう?」
「貴族でしょう。本来は王子を後援する貴族の配下」
リューネが鋭く答える。
その通りだ。
というのも、兵を持つのに一番重要なのは財力だからだ。これは万国不変のルールと言ってもいい。人も装備も場所もなにもかも。軍というものは冗談みたいに金を食う。
しかし、王子といっても所詮は個人。彼らに割かれる国費もたかがしれている。純粋な資産で言ったら、領地持ちの貴族の方がよっぽど金持ちだ。
「正解。つまり、王位争奪戦の趨勢は彼ら、貴族が握っている、といっても大袈裟じゃない。……それで、ここからは特にこの国に特有の事情なんだけど。ウェルサーム王国の王は極端な一夫多妻制で、後宮で王妃たちを囲っているんだ。そして、後宮は外界とほとんど隔離される。中に入れるのは王と王妃自身の他には、特別に定められた王妃つきの侍女と王族の女子、それに八歳未満の王族の男子だけって決まってる」
「ずいぶん徹底してるんですね」
「そうかしら? そこで生まれた子供が次の王になるかもしれないんだもの。余計なトラブルを招かないためにも必要なことでしょう」
「その通り、まさしく良し悪しでね。僕にとっては、まあ都合が良かったかな」
ここから先は、彼女たちやルミスさんにも今までほとんど話したことのない話だ。
ばあやも僕に無断で話したりはしないだろうし、二人とも初めての話だろう。興味深げに耳を傾けている。
「僕が王宮から逃げてきたのは、僕が貴族の後援を受けられない弱い王子だったからだ。なぜだと思う?」
「ええと……?」
「じゃあ逆に聞こう。僕以外の王子はどうして貴族からの後援を受けられたのかな?」
「……普通は、王子を後援したがる貴族なんて掃いて捨てるほどいるはずよね。たとえ継承位の低い王子でも、もし王になれたらその王が国を納めている間はまさしくこの世の春のごとき栄華が待っているんだもの」
「『普通』なら確かにリューネの言う通りなんだけどね。じゃあヒント。後宮は外界とほとんど隔絶されているんだよ。情報も直接的な手紙のやりとりがせいぜいだ」
二人ともどうもピンときていないみたいだ。
「ヒント二つ目。本当は王子の後援の貴族って最初の一家って決まってるんだよ。どんな王子でもね」
「あ……」
シェーナが気づいたみたいだ。
しかし、答えるのをためらっている。
「いいよ、わかったら言って」
「……最初の後援というのは、王妃の生家なんじゃないでしょうか」
「大正解。いくら後宮が閉じられた世界だとはいえ、王妃と生家の手紙のやりとりくらいはさせてもらえる。自分の娘が子を産んだことくらいはわかるんだ。で、母親っていうのは子供にとっては大きな存在だ。王子の外戚が実質的に実権を握ることもあるほどにね」
「ですが、レウ様の場合は、その……」
「僕の母親は僕を生んだときに死んでるからさ。母親という軛がない僕は、彼らからしたら使いにくかったんだろうね。母の生家は僕を後援してくれなかった。他の王子はみんな王妃を輩出するほどの大貴族が後援にいるのに、僕にはいない。それじゃいくらなんでも継承位争いに勝てやしない。そんなやつに家の命運を賭ける他の貴族なんていると思う? ま、僕ならゴメンだね」
言いにくそうに口ごもるシェーナの言葉を引き継いで喋る。
自嘲するような言い方だが、客観的な事実でもある。
「……つまり、王子としてレウが弱小なのは貴族の後援が無いからで、貴族の後援が無いのはひとえに勝ち目の薄さが理由ってわけ」
「逆に言えば、継承位争いに勝てる公算さえあれば、レウ様につく貴族もいるってことですね」
「その通り。そのために明日、ちょっと寄り道をするんだ。僕の支援者作りの第一歩ってわけだね」
「味方についてくれる可能性はあるの?」
「どうかな。一応、それなりに縁もゆかりもある相手だけどね。いかんせん十年も時間の隔てりがあるからさ」
「ふぅん……。それなりの縁とゆかりねぇ……」
自信のなさを突っ込まれるかと思ったが、リューネはなにごとか小さく呟いただけで特にキツイ反応はしてこなかった。
「ま、細かいことは明日のお楽しみってことで。僕も彼女たちに会うのは久々で、どの程度有用な情報が出せるかもわからないからね」
「……そう。別にそれでもいいけれど」
……心なしか、リューネの声のトーンが低いのは、僕の気のせいだろう。うん。




