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015 買い物と暗殺者と

「レウ。レーウ。起きなさい。もう朝よ」

「うーん……もう少し寝かせてよ、シェーナ」


 半ば夢心地で呻いた僕の額でべちんと衝撃が弾けた。驚いて飛び起きると、憮然とした表情のリューネが僕を見下ろしていた。さっきの衝撃の正体は彼女が放ったデコピンだったらしい。


「シェーナじゃなくて悪かったわね?」

「あー……おはよう、リューネ?」

「おはよう。……別に怒ってないからそんな顔しなくていいわよ」

「シェーナは?」

「ご飯作ってくれてるわ。貴方を起こしてこいって言われたのよ」


 普段ならシェーナが自分で起こしにきてくれるのだが……昨晩邪険にしたからご機嫌ナナメなのかもしれない。

 と、キッチンの方からそのシェーナの声が聞こえた。


「リューネ、レウ様は起きました?」

「ええ。すぐに連れていくわ。さ、行きましょ。もう目は覚めてるでしょ?」


 確かに、さっきのリューネのデコピンのおかげで(せいで?)僕は珍しく寝起きから冴えていた。

 軽い身支度の時間だけをもらい、すぐに食卓へ向かう。


「おはよう、シェーナ」


 朝の挨拶をしたがしかし、ぷいと顔を背けられてしまう。そんな冷淡な態度をとりながらも小声で挨拶を返すあたりは真面目だなぁ、と思うけれど。

 このリアクションからすると、怒っているというよりは拗ねているとかへそを曲げているとか、そんな感じみたいだ。

 とりあえず、そんなに大変じゃなさそうだし、ご機嫌とりは後にしてテーブルにつく。


「それで、今日の予定は?」

「前々から言ってあったけど、今日はここで馬車を買うよ。今日からはだいぶ旅も楽になるはずさ」

「そう。任せていいの?」

「別にいいけど、希望とかがあったら先に聞かせてほしいかな」

「私は別になんでも大丈夫だけれど。シェーナは?」

「私も、希望とかは特に」

「……ねぇ、シェーナに何かしたの?」


 と、僕とシェーナ……というよりは僕に対するシェーナの態度がそっけないのを訝しんだのか、リューネが耳打ちしてきた。

 むしろシェーナに何かしたのはリューネ自身で、正直半分くらいは彼女のせいだと思うのだが、一応言い止まる。僕は、なんでもないよ、と答えたが、朝食の後空気を読んで席を外してくれたようで、いつの間にやら姿が見えなくなっていた。


「ねぇ、シェーナ。いいかげん機嫌直してよ」

「……別に、不機嫌とかじゃありませんけど」

「うそばっかり。昨日のは僕が悪かったからさ。ね?」

「……いいえ、レウ様が助けを求めた私をなんの躊躇もなく見捨てたとしても、何も悪いことなんてありませんから」


 昨夜の僕は薄情にもさっさと寝てしまったため、結局シェーナがどうしたのかはわからなかったが、この根に持ち方からしてかなり対応に苦慮したのだろう。それでいて翌朝に僕の方が遅くまでぐうたら寝こけていたら確かに腹に据えかねるのもわかる。

 仕方ない、ちょっと汚い手になるが、強硬手段といかせてもらおう。

 つんと澄ました態度でとりつく島もないシェーナの肩を抱き寄せ、抱き締めると耳元で囁いた。


「僕がこんなにお願いしても許してくれないのかい?」

「あぅ……い、いいえ! もうそんなので誤魔化されたりは……」

「もうあんな真似はしないって約束するよ。僕にとって、君はとっても大事な人なんだから。シェーナは僕をそう思ってはくれないの?」

「え、あ、わ、私、出発の仕度をしなくちゃいけないので!」


 シェーナは顔を真っ赤にすると、僕の腕を振り払って隣室に逃げていってしまった。

 落ち着いた頃には僕に腹を立てていたことなんて忘れてしまっているだろう。

 と、シェーナを見送る僕の傍らで、何かが滲むように空間が歪んだ。見覚えのある光景。『隠形』の魔法が解かれた時の光景だ。


「ほんっと、悪い男。大きくなったと思ってたけど、そういうところは二年前からまったく変わってないわね」

「『隠形』までして覗いてたの? 趣味悪いよ、リューネ。それに人聞きも悪い。僕が言ってたのは全部嘘偽りない本心なのにさ」

「なら、私は大事じゃないのかしら?」

「まさか。もちろんリューネも僕のとっても大事な人だよ」

「まったく……。そんなんじゃ、他の王子に殺されるより先に女に刺されて死ぬわよ?」

「この二年、数多の女性との修羅場を潜ってきたこの僕が、いまさらそんなヘマしないさ!」

「前言撤回。二年前より悪化してるわ、貴方。どうやったらこんな子が育つのかしら……」

「あはは、一つアドバイスするなら、君が子育てをするときは後宮は避けるべきってことかな」


 なんと言っても、僕のこの類いの知識や技術は後宮の王妃たちにもたらされたものだ。

 どうして彼女らはいたいけな子供に女性を口説き落とす手練手管など仕込みたがるのか。いや、あるいはその『教育』の結果が今の僕だとすれば、彼女らの目利きの正しさをこそ誉めるべきなのかもしれないが。


「……ええ。覚えておくわ。とりあえず、買い物に行ってきてしまいなさいな。シェーナは私が見ていてあげるから」

「そう? ならお願いしようかな」


 こういった大きな買い物はやはり僕が一番手慣れているだろう。痩せても枯れても王子は王子だ。王宮から逃げるのに全て使ってしまったが、それなりの大金を持っていたこともある。

 僕はリューネに留守を頼んで街に繰り出す。

 宿から出て、一分ほど歩き、辺りを注意深く見回し、一言。


「さて、ナンパでもしに行くかな!」


  ◆◇◆◇◆


「あの子、本当に成長しないわね……。怒るのも通り越して心配になってくるわ……」

「どうかしました?」


 レウ様にいいようにたぶらかされたことに気づいた私が平静を取り戻してダイニングに戻ると、リューネが『探知』の魔法を編みながら呆れたような顔で何事か呟いていた。


「シェーナ。どうかもなにも、レウが…………いえ、なんでもないわ。少し出てくるから、待っててもらえる?」

「子供じゃないんですから。留守番くらい一人でできます」

「それもそうね。すぐ戻るわ」


 リューネはくすりと笑うと、『隠形』したのだろう。瞬く間に煙のように姿を消した。

 一人宿に残された私だったが、荷造りもすでに終わっていてやることもない。手持ち無沙汰に母さまからいただいた白い牙のペンダント──『シルウェルのあぎと』というらしい──を手で弄ぶ。

 母さまからはこれの細かいことはリューネに聞けと言われていたが、初めての旅のドタバタですっかり忘れていた。

 『シルウェル』というのは父さまが【英雄】になるときに殺した【魔】の名前だから、おそらく父さまに関連するものなのだろう、という程度の予想しかつかない。つまりこれは父さまの形見になるわけで、それはこれを『特別』と称した母さまの言い様からも間違ってはいないはずだ。

 しかしそこからリューネが絡む理由がわからなかった。どうやらレウ様も何か知っているようだが、二人とも父さまとはほとんどまったく関係ないはずだ。


(母さまが護身用って言っていたのもよくわかりませんし。先っぽは尖ってますけど、それで身を守れっていうのはいくらなんでも……)


 と、余計なことを考えていたいたせいか、ペンダントを取り落としてしまった。

 何はともあれ父さまの大切な形見だ。私は散漫すぎた注意を反省しながら、身を屈めて床に落ちたペンダントを手に取った。

 まさにその瞬間。

 ヒュ、と頭上で鋭く風を切る音と、一瞬遅れてトン、と目の前で軽い衝突音がした。

 音に引かれるように前を見ると、壁に刀身まで真っ黒なナイフが刺さっていた。

 ゾッとする。

 今、偶然身を屈めていなかったら。

 あのナイフはちょうど私の首筋あたりに刺さっていたはずだ。

 慌ててナイフが飛んできた背後を振り返ると、一体いつどこから侵入したのか、全身黒ずくめの男が立っていた。彼もまさか自分の必殺の一撃がこんな偶然に阻まれるとは思っていなかったようで、唖然としていた。

 しかし私の幸運も何度もは続かず、私が慌てて後ずさるより早く平静を取り戻したこの暗殺者らしき男は瞬く間に距離を詰めると、懐から引き抜いた二本目のナイフを私の首筋に添えるように突きつけてきた。


「女だと……? 王子じゃない……。お前、レウルート・スィン・ウェルサーム王子を知っているか?」


 男の問いに、冷たい金属の感触に怯えながら小さな頷きで返す。ここで知らないと言ったら、用済みの私はすぐさま殺されるのが目に見えていたからだ。

 それにしても、まずい。レウ様もリューネもいない今、私一人の抵抗力など皆無に等しい。護身用の魔法もリューネから教わってはいたが、まだまだまともに使えたものではない。つまり、どうにか二人のどちらかが戻ってくるまで時間を稼ぐのが私のできる唯一のことだ。

 しかし、


「そうか。なら王子はどこだ? 五秒以内に答えろ。さもなければ殺す」

「ッ!」


 答えれば、間違いなく殺される。答えの正否を担保するためだけにわざわざ生かしてはくれないだろう。それよりも目撃者の始末を優先するはずだ。

 かといって、答えなければ五秒後に殺されるだけ。


「五」


 嘘の居場所を言ってレウ様を守って死ぬのが最善だろうか?


「四」


 けれど、私がここで死んだらあの時私を守るために死んでしまった村の人たちはどうなる? 彼らの死を無駄だったと言わせるわけにはいかない。


「三」


 それに、私が死んだらレウ様もリューネも自分を責める。特にレウ様はきっとおかしくなってしまう。壊れて、狂ってしまう。


「二」


 それだけじゃない。私はレウ様の【神】だ。彼を王にするためにいる。なのに、役に立たないどころか、足を引っ張るだけ引っ張って死ぬなど論外だ。


「一」


 やはり、死ねない。死にたくないし、死ぬわけにもいかない。

 だから、私は…………。


  ◆◇◆◇◆


 レウを前回一人で出かけせた結果がアレだったため、念のためと思って魔法で彼を追跡してみたところ、あっちへふらふら、こっちへふらふらと動き回っていたため、お灸を据えてやろうと私も出たのだが、どうやらただ遊んでいた訳でもないらしく。

『隠形』したまま、女性に声をかけるレウを観察する。相手の年のころは二十代半ば。それなりに美人だ。


「すいません、そこのお姉さん」

「私?」

「ええ。少し、道を訪ねたくて。あ、この街の方ですか?」

「そうよ。どちらまで?」

「旅の物が欲しくて。この街で一番大きな旅用品のお店はどこですか?」

「あら奇遇。私、そのお店ならよく知っているわ」

「え?」

「それ、私の家だもの」

「お、それは本当に奇遇ですね! 美人のお姉さんだったから道を尋ねただけだったんですけど」


 偶然訪れた幸運を喜ぶかのように声色を明るくするレウだったが、それは嘘だった。

 奇遇でもなんでもない、作為そのもの。

 実は、彼は目当ての店じたいは二時間も前に見つけていて、そこの裏口から出てきた彼女をしばらく尾行して今、偶然を装って声をかけただけだからだ。

 そんなことは露とも知らない看板娘は、わかりやすいおだてにもそれなりに気を良くしたようで、


「お上手。ちょっとサービスしてあげちゃおうかな? 何をご所望ですか?」

「馬車が欲しいんです」

「馬車……?」


 彼女の目が訝しげに細められる。

 それはそうだろう。馬車など、庶民が旅で使うものではない。そうでなくとも、相手も声や雰囲気からレウがまだ二十歳にもなっていない少年だと気づいているだろうし、疑問に思わない訳がない。

 看板娘が何かを言い足そうとしたとき、彼女の背後からふわりと風が吹いた。

 大して強くもない風だったが、その風はレウの被ったフードをふわりと巻き上げた。

 そのせいで、彼女は気付く。

 気付いて、しまう。


「ッ! き、貴族様!? も、申し訳ありません! ど、どうか今までのご無礼をお許しください!」

「そんな、止めてください。僕は……」

「お願いです、私はどうなっても構いません! お望みの商品も差し上げます! ですが、家族は、家族だけはどうかお許しください……!」


 貴族という絶対権力に怯え、平伏する女性。レウの制止も耳に入らないようで、ただただ赦しを嘆願している。

 目立ちたくないレウとしてはあまりいい状況ではないが、大した困難でもないだろう。彼の能力なら彼女を黙らせるくらいわけない。

 しかし意外にも、レウが魔力を使おうとする様子はない。

 彼は落ち込んだようにしょげ返りながら、別に気にしてないのに、とともすれば拗ねたようにも聞こえる呟きを漏らした。

 すると、直前までひたすら頭を深く下げていた女性が、虚を突かれて思わず、といった風体で顔を上げてレウを見た。

 これには私も感心する他ない。

 少年と青年の狭間とでもいうべき年齢のせいか、はたまた中性的ながら整った面立ちのせいか、レウルートという少年は、力強く胸を張っていれば威風堂々たる若き王の風格を見せるというのに、このやって少し幼げな面を見せればたちまち庇護欲をそそる幼気な子供のように見えるという、不思議な特徴を持っていた。

 それを彼はよく理解していて、またその使い方もよく心得ている。

 実際、レウの目論み通り、女性は落ち着きを取り戻したどころか、いっそうレウに心を許したようで、正体を知る前よりも親しげに話し、それにどうやら約束の値引きの額をさらに増やそうとしているらしい。

 なんとも上手くやるものだ。彼の女癖にはほとほと辟易している私であっても、ここまでくれば文句のつけようもない。

 初めはまた女遊びかと青筋を立てて出てきた私だったが、彼も目的のため邁進しているというなら余計な口を挟むつもりも無かった。

 …………とはいえ、彼が女性の腰に手を回して何事か囁きながら、歓楽街の方へ歩いていくのはいかがなものだろうか?


「おイタはそこまでよ、レウ」


 『隠形』は解かぬまま、レウの背後に這い寄って耳元で囁く。

 レウはビクリと肩を跳ねさせ、辺りを見渡す。彼の瞳に私は映らないが、すぐに気付いたらしい。


「貴族様? どうかなさった?」

「あ、や、その、ちょっと、急用を思い出した! 君の店にはまた後で行くから、馬車一台は残しておいて! それじゃ、また!」

「はぁ……?」


 女性は足早にその場を去るレウを不思議そうに見送った。

 私はレウの首根っこを引っ掴んで引きずるように元来た通りを戻る。


「リュ、リューネ……。ど、どうして、ここに?」

「言わなきゃわからない?」

「ち、違、これには訳が……」

「わかってるわよ。初めから見てたもの」

「あ、そうなんだ。なら……」

「でも、最後のは本当に必要だったのかしらね?」

「すいません、欲望に流されました」

「正直でよろしい。それに免じて、シェーナには言わないでおいて……」


 ぞわり、と。

 突然に背筋を悪寒が這った。

 魔力だ。

 大量の魔力が使われたのを感じ取ったがゆえの、悪寒。

 そして、それはまさしくシェーナが居る宿屋の方向から。

 しかし、これはシェーナの魔力じゃない。他の何者かの魔力だ。

 嫌な予感が、した。

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