016 『遺物』と意思と
僕を引きずるようにして歩いていたリューネが急に足を止めた。
彼女を見やると、青い顔をして何やら宿の方を見つめている。
どうしたのか、と問う。
「魔力。感じなかった?」
半ば、縋るようにリューネは問い返す。
それだけで状況を把握する。宿に、いや、シェーナになにかあったのだ。
魔力自体は感じなかったが、昼の僕の感知能力はポンコツだ。当てにはできない。
周囲の人の目も気にせず走り出した。
リューネも後を着いてくる気配がある。
「ごめんなさい。私の、せい。私が……」
「リューネ、自分を責めるのは後だ。先にやることがあるだろ」
意図せず、やや冷たげな突き放すような口調になってしまった。
けれど、それを訂正する手間も惜しい。
宿屋までは驚くほどすぐだった。人間だった頃の感覚がいまいち抜けていないが、これでも【魔】だということか。
扉を破るような勢いで開け放ち、部屋に入る。
すぐにこちらに背を向けたシェーナの姿が目に入り、安堵したのは一瞬。
濃厚な血の匂いがした。不安が首をもたげる。
予感は、瞬く間に戦慄に変わる。
なぜなら。
僕の方を振り返った彼女の体が、首の辺りを中心に夥しい量の血にまみれていたから。
「シェーナっ!?」
「レウ、さ、ま……」
僕の姿を認めると、よろめくように倒れ込むシェーナ。慌てて駆け寄って抱き止める。
まずい。
この出血量から見て、おそらく首の大きな血管が切れている。通常の治療で間に合う段階ではない。
試したことないが、僕の能力で何とかするしかない。
シェーナの肉体を支配し、魔力で治癒力を高めさせ、肉体の修復と欠けた血の補填をさせる。僕の能力はなにも相手の意に反したことをさせるだけではない。対象の力を補強することもできる。理論の上ではいけるはずだ。
と、魔力を奮い起こしたところで、気付く。
シェーナに傷がない。
いや、正確に言えば首のところに小さな切り傷はあるのだが、あまりに小さく浅い。これではとてもこの量の出血をするわけがない。
と、なると、
「これ、シェーナの血じゃない……?」
僕が呟くのとほぼ同時に、腕の中のシェーナが小さく身じろぎをした。
「ん……すみません、レウ様を見たら気が抜けてしまって……」
「シェーナ! 喋っても平気なの!?」
「はい……? っっっ!? な、なんです、これ!?」
「それは僕らのセリフだと思うんだけど……。一体、何があったのか、教えてくれる?」
「え、えと……リューネが出ていってすぐ、暗殺者らしき人が来たんです。……この血はたぶんその人のではないかと……」
暗殺者? と辺りを探してみると、確かに黒ずくめの男が少し離れたところに倒れ伏していた。シェーナに気をとられていて今までまったく気づかなかった。
男は何か巨大な獣に喉笛を噛み切られたかのように、血だまりをつくりながら事切れていた。
「って、シェーナのそれがあいつの血だっていうなら、返り血ってことだよね? シェーナが殺……倒したの?」
「私がというか、父さまがというか……」
「父さま……って、アルウェルト『シルウェル』? 待って待って、全然話が見えないわ」
「ですから、レウ様もリューネもまずは私の話を全部聞いてください」
シェーナによると、その暗殺者はシェーナを脅し、僕の居場所を言うように迫ったらしい。
男はナイフを首に突きつけ(首筋の小さな切り傷はおそらくこの時にできたものだろう)、答えなければ殺す、と脅したらしい。
そして、
◆◇◆◇◆
私は、死ねない。
こんなところで殺されるわけにはいかない。
そうなれば…………戦うしか、ない。
「零。答えないか。目の無い王子に殉ずるなど、馬鹿らしいにも程があると思うがな」
ナイフを握る男の手に力が込められる。
絶体絶命の私の意識はしかし、目の前で今まさに私の命を奪わんとするナイフよりも、手の中に握り込んだ白い牙のペンダントに向けられていた。
何かが、このペンダントから呼び掛けている。
「まあ、最早なんでもいいか。貴様の選択だ。さっさと死……」
私は男の言葉すら無視して、その何かに導かれるままに、叫ぶ。
「『シルウェルの顎』っ!」
それは一言で例えるなら鼓動だった。
ドクン、と手に握ったペンダント──『シルウェルの顎』──が鼓動したように感じた。それはまるで掌にもうひとつ心臓ができたかのよう。
それが、勢いよく魔力が抜け出たことがもたらした錯覚だと気付いたのは一拍遅れてだった。今までのリューネとの訓練ではまるで使わなかったようなレベルの大量の魔力が、掌から『シルウェルの顎』へ流れ込んで行く。
私の魔力に反応するように、『シルウェルの顎』はその姿を変える。
牙がずぷずぷと肥大していく。その根元から顎が造られ、頭が造られ、そこから胴体が伸びていく。
最終的に私の握り込んだ拳をこじ開けながら現れたのは、巨大な蛇。
真っ白な、巨大な蛇だった。その胴回りは私を三人合わせたよりも太く、長さに至っては体を伸ばせばどれ程になるのか、想像もつかない。
体感ではひどく長く感じられた大蛇が顕現するまでの時間も、現実では一瞬だったらしい。
その大蛇は、ナイフが私の首筋を切り裂くより早く、襲撃者に飛びかかり巨体相応に巨大な牙で彼の喉笛を噛みちぎった。
噴水のように血を吹き上げながら吹き飛ぶ襲撃者。その断末魔は気管を切り裂かれたために漏れ出る空気のような音にしかならない。
と、ドタドタと外の階段を上ってくる音がする。足音はこの部屋の扉の前で止まると、押し破るような勢いで扉が開いた。
次の瞬間聞こえたのは、耳慣れた叫び声。
「シェーナっ!?」
「レウ、さ、ま……」
彼の姿を認めた瞬間、張りつめていた緊張の糸がぷつんと切れた。
体を支えていた両足からも力が抜け、倒れこんでしまった。
◆◇◆◇◆
「……と、いうわけでして」
「なるほど、ね。その白い大蛇が『シルウェルの顎』の正体だったわけだ」
「でも、アルウェルト『シルウェル』は話に出てこなかったわ。どういうこと?」
「それは見てもらった方が早いかもしれません」
暗殺者の死体のすぐそばに元の牙のペンダントの形で落ちていた『シルウェルの顎』を拾ったシェーナが言う。
彼女は何やら力を込めるように、強く『シルウェルの顎』を握った。きっと魔力を与えているのだ。
リューネがぴくんと肩を跳ねさせた。その魔力を感じたのだろう。
「さっきの魔力はシェーナのじゃなくて『シルウェルの顎』のだったのね……!」
「『シルウェルの顎』!」
シェーナが話していた通り、彼女の呼び掛けに呼応して、牙から残りの部分が生えるように『シルウェルの顎』は白い大蛇へと姿を変じた。
「こういうわけです」
「ええと……?」
説明は終わったとばかりの様子のシェーナにリューネは困惑を見せる。僕もシェーナの言いたいことを掴みかねている。
すると、シェーナは独り言を呟き始めた。
「え? ……あ、そうなんですか? それは困りました。……え? ……はい。はい。わかりました。……あの、リューネ」
「なぁに?」
「実はさっきから父さま……『シルウェルの顎』が喋ってたんですけど、聞こえませんでした?」
「…………ああ、なるほど。そういうこと。ちょっと分かったわ」
「どういうこと?」
正直、シェーナの説明に全く要領を得ていなかった僕は納得したようなリューネの様子に、思わず横合いから問いを挟んでいた。
「まず、その『シルウェルの顎』は驚くべきことに言葉を話す、つまり意思を持っているらしいわ。知っての通り【英雄】の、『英雄の遺物』なんて言ったって、所詮は命なき器物にすぎないのに、よ」
「ふむふむ」
「ならそれはなんで、って話なんだけど、そもそも『遺物』っていうのはどうやってできるものだったかしら?」
「『加護』の魔法だろう? 【英雄】が、自身の一部を切り分けて相手に与える魔法を使って、自分の能力を器物に付与するんだ」
「そうね。じゃあ【毒蛇の英雄】アルウェルト『シルウェル』の『遺物』がここにあったとして、もしそれに何者かの意思が宿っているとしたら、それは誰の意思かしら?」
「……! アルウェルト『シルウェル』が、自身の意思を切り分けて『シルウェルの顎』に付与したってこと!?」
「正解。で、いいのよね?」
「流石、リューネです」
リューネは僕への説明を終え、シェーナに確認をとる。
シェーナが頷くのと一緒に『シルウェルの顎』──アルウェルト『シルウェル』と呼ぶべきだろうか? ──も、その巨大な鎌首をゆっくり縦に振っている。
「でも、そんな話初めて聞いたよ? そんなことができるなら、【英雄】はみんなそうすればいいんじゃないの?」
「それはきっと死に方のせいね」
「死に方?」
「『英雄の遺物』は名前からも分かる通り、その【英雄】が死ぬときに創られることがほとんどよ」
「まあ自分の力の核心部分を切り離すんだから、そうおいそれとは出来ないよね。目前に死が迫ってるとかじゃないと。それで?」
「【英雄】っていうのは鉄火場に生きる人間よ。死ぬときも布団の上で落ち着いて、とはいけないわ。必然、【英雄】が『遺物』を創る状況っていうのは切羽詰まっていて、『遺物』にゆっくり自分の力の全てを注ぎ込む程の余裕はないのよ」
「それは知ってる。だから『遺物』で【英雄】の力が振るえるとは言っても元の【英雄】のそれには遠く及ばないんだよね」
「そ。けれどアルウェルト『シルウェル』は違った。彼はルミスヘレナと結ばれ、シェーナをもうけて、戦線から退いた。だからきっと、彼の死因は病気とか、死期が事前にわかるものだったのよ。前もって見えていた死に向けてゆっくりと力を注いでいたのね」
その結果が力どころか意思すら宿した『遺物』。【英雄】の新たな可能性を見た気がする。
しかし、疑問はもうひとつ残っている。
「じゃあ、シェーナだけが会話できるのはどうして?」
「なんでかしらね。意思を持つことと会話が出来ることはまったく別だし……父娘の絆とか?」
そんな適当な、と思うが、大蛇はふんふんとしきりに頷いている。シェーナも満更ではなさそうなので、僕から余計な口を挟むのは止しておこう。
それより、今は目の前の現実に対応しなければ。
こんな大事になってしまえばもう身分を隠すどころの話じゃない。
「すぐにこの街を離れるよ。馬車の手はずはつけてある。支度はできてるね?」
二人が頷く。
僕はすぐさま宿を引き払った。部屋は血まみれな上に男の死体が放置されている、という宿の主が聞いたら卒倒しそうな状況だったが、まさかそんなことが受付の彼に想像できるはずもなく、何一つ疑うことなく快く僕らを送り出してくれた。良心の呵責を感じないではないが、今は赤の他人に拘らっている場合ではない。
取り急ぎ、先程会った女性の実家でもある旅道具の店へ向かう。
「あら、貴族様。いらっしゃいませ」
「本当ならもう少しこの街に居たかったんだけど。すぐに次の目的地に向かわなくちゃならなくなった。頼んでおいたものの準備は出来てるかい?」
「馬車なら、あちらに。馬はこちらで見繕いましたが?」
「ありがとう。あと、夜営に必要な道具が一式ほしい。物は任せるから、すぐに用意してくれ」
「五分、待っていただけます?」
そう言って、奥に引っ込んでいった彼女は、きっかり五分で戻ってきた。背負っていた大きなリュックサックを受けとる。
「いくらかな?」
「全部合わせて金三百五十、と言いたいところだけど、約束ですものね。金三百でいかが?」
「白金貨三枚でもいいかい?」
金貨百枚相当の白金貨を三枚出す。
価格が大きすぎて使い勝手が悪く流通量も少ないため、普通の人は一生見ることもないかもしれない。
彼女も初めて見たのだろう、驚いたような顔を見せたが受け取ってくれた。
「また、ご縁があればいらしてちょうだい」
「ああ。必ず。シェーナ、馬車に乗って」
二人が馬車に乗るのを確認し、僕も御者台に乗り込む。
馬に触れ、毒を流し込んで支配する。
手綱と鞭で操るように見せかけながら、実際は魔力を通じて僕の意思通りに進むように命じる。
「おい、そこの馬車! 止まれ!」
街の関門で止められる。
積み荷検査ということだが、悪いがこちらは時間がない。
「『支配する五感』!」
視覚と聴覚から門番の男性を魔力で侵す。僕らの邪魔をしないように命じた。
やや強引ながら門も素通りできたため、スムーズに街の外に出られた。
とりあえず、一息つく。
「ずいぶん急ぐのね」
「そりゃ、あの暗殺者の死体の始末をしなかったからね。すぐに明るみになる」
僕の言葉に、二人ともはっとする。
シェーナを誘拐しようとしたやつらの時は死体の始末なんてしようともしなかったし、【風の英雄】の時はツトロウスに処理させたため、すっかり頭から抜け落ちていたらしい。
当然ながら殺人は罪で、見付かれば街の衛兵に追われることは避けられない。
今さらながらに息を呑むシェーナ。
「でも、君が気にすることはないよ。もう僕らを捕まえることは出来ないだろうし、倫理的に言ったって、君は殺されそうだったんだから、罪に問われるべきでもない」
「捕まり、ませんか?」
「多分ね。身分を隠してたのが効を奏したかな。……ただ、シェーナには悪いんだけど、人死ににも、人殺しにも、もう少し慣れてもらわなくちゃならないんだ」
これから、僕らはきっと今までと比べ物にならないくらい殺すことになると思うから。
覚悟を問うように、僕は二人にそう告げた。




