100 策動と大望と
「マサキたちが前線……ッ、そういうことか……! くそ、全部セリファルスに見透かされてる……!」
逸るアイシャを落ち着かせながら、まずは、とシェーナとミリルを呼び戻して、改めてアイシャから王子たちの会議の話を聞いた僕は、思わず唸るようにそう叫んでいた。
アスティティアを瀕死に追い込んだリューネの話が出てきたのは予想通り。問題だったのはその次。
セリファルスが提案したという、平民閥の前線送り。それは、リューネと僕の繋がりはおろか、マサキたちと僕との繋がりまでもセリファルスには見透かされている、と僕が考えるには十分な動きだった。
「それは……流石に早計ではありませんか? アイシャ様から聞いた、セリファルス王子の説明はごく合理的な話に思えましたが……」
「もちろんそうさ。他の王子を説得しなくちゃいけない以上、そういう言い方をする。でも、駄目だ。あいつを侮っちゃいけない。ことあいつに関しては、甘い見込みは一切排除しないと」
その僕の言葉へのリアクションはきれいに二つに別れる。すなわち、セリファルスを見たことのあるアイシャ、ミリル、リューネは肯定を、奴と面識のないシェーナは流石に考えすぎではないか、と言いたげである。
「でもそうなると、疑問なのはどうして彼らを見逃したのか、ね。今さら殺害を躊躇うような手合いでもないでしょう?」
「それは……確かにそうだ。僕を誘きだそうとしてる、のかな?」
それでも、やはり殺す方が効率的だろう。誘き出すにしても、僕がこうやってセリファルスの意図に気づいてしまえば逃げるかもしれないのだし。そうなれば奴の策も無意味だ。
反面、殺すだけ殺しておけば少なくとも僕の戦力は削げるし、もしも仲間が殺されればたとえ罠だと知っていても復讐心に駆られた僕はセリファルスの元に飛び込んでしまうだろう。言いたくはないが『殺し得』に思えてならない。
それに一つの答えを提示したのはアイシャだった。
「たぶん、セリファルスお兄様がレッくんを誤解しているからじゃないかしら~?」
「誤解? あいつが?」
「ええ。考えてもみて~? セリファルスお兄様が知っているレッくんは、十年前のレッくんでしょぉ? きっと、今のレッくんがそんなにお友だちを大事にするなんて知らないの~」
「……確かに、あの頃の僕じゃ仲間が死んでもなんとも思わなかっただろうね。もう一度潜伏して次の別のアプローチを始めるだけだ。そうか、だから、殺そうか殺すまいが僕へのダメージが少ないなら試しにエサにするだけしてみよう、って発想か。あいつのやりそうなことだ」
「では、誘いには乗らずにこの離宮か隠れ家で待機ですか?」
「……そういうわけにもいかないと思いますわ。おそらく、セリファルスお兄様はあにさまが誘いに乗らないと分かれば、あにさまのお仲間を殺します。お兄様は、あにさまには大したダメージはないと考えているでしょうが、それでもダメージはダメージですから。軍内部での貴族閥と平民閥のパワーバランスが崩れる懸念はお兄様も考えるでしょうが、それよりもあにさまの勢力を削ぐことを優先するはずですわ」
「……だろうね。だから、出ない選択肢はない」
「むざむざ相手の策に乗っかるわけ? いいの?」
「仕方ないさ。あいつに存在を確信された時点でもう潜み隠れるのは限界だ」
十年前の僕であれば、あるいはわからない。あの頃の僕は省みるものなどほぼ無いに等しかったし、単純に今の僕よりも能力があった。十にも満たない子供であったにも関わらず、だ。
だが、今の僕は無理だ。少なくとも仲間を見捨てることは絶対にできない。
「いずれ見つかるなら、逃げるのはやめだ。あいつが僕の居場所を特定して始末しに来るより早く、簡単には手出しできない程度に権勢を握る」
「目算は?」
「ある。……だいぶ運否天賦に任せる感じではあるけど」
「それしかないなら仕方ないわぁ。私とミーちゃんの仕事はあるかしら~?」
「特段のものはないけど……そうだな、僕が王子として公に正体を明かした時。その時に僕を支持するって表明してくれれば、それで」
「かしこまりましたわ! お任せくださいませ!」
「では……出発はいつに?」
「アイシャ、仲間たちに命令が出るのはいつ頃だ?」
「そうねぇ……。お父様から軍に命令が下るのは二、三日中だと思うわぁ。そこからはクントラ中佐がどの程度迅速に動くかだけれど、ヤリアの時の彼の動きを見るに、命令から一週間くらいじゃないかしら~。編制される軍勢の規模にもよるでしょうけどね~?」
「締めて十日か。……そうだな、なら僕らが出るのは二週間から三週間弱後に。少し間を明けよう。セリファルスの見張るべき範囲を広げる方が目を逃れやすいはずだ。それまではここでゆっくりしてよう」
「よろしいのですか?」
「いいさ。焦ってもできることは少ない。今は冬眠する獣のように静かに息をひそめているべきさ。元々ここには体を休めに来てたみたいなところもあるしね」
「では……このような危急の時に申し訳ないのですが、メイドの訓練を続けさせていただいても構いませんか?」
「もう、休むためって言ったのに。……ま、でも、そうしていた方が君が落ち着くっていうならダメとは言わないよ」
「ありがとうございます、レウ様」
シェーナが丁寧に頭を垂れる。
僕は僕でやることができた。まずは、軍の動向、特にクントラ中佐を筆頭とする平民閥の動きを探ることか。
◆◇◆◇◆
「ん、来たか。わざわざすまんな、キュリオ、エヴィル」
「突然の呼び出したぁ、どんな用件だい、中佐」
ヤリアの激戦から数ヵ月。骨休めもままならないままあちこちと後処理に追われていた我々がこうして一堂に会するのも王都に戻った直後以来になる。
あれから、私も色々あった。ヤリアの敗戦は歴然と動かぬ事実であるが、しかしそれを理由に軍の中枢から遠ざけられるわけにはいかなかった。平民の権利拡張という私の目的のため、私は私の地位を守らなくてはならない。
それゆえ、政治にも少しばかり嘴を突っ込みつつ、どうにかこうにか危ない橋を渡り終えたのが、ついこの間の減給処分が通達された日。
万一のことも考え、それまでわざと親しい部下との接触を控えてもいたのだが、ここでこうして私はキュリオとエヴィルを呼び出すに至った。
その意味をさまざま考えているのか、私に問うキュリオの言葉にはいささか緊張が見える。
「そんなに心配をするな。謹慎も降格もなし。処分は減給でなんとか済ませた。これから次第でどうとでもなる」
「それは知ってるさ。アンテナ張ってたからな。知ってるが……んじゃ、用件はなんだ?」
「ふ、それは、あれだ。お前たちと久々に会いたくてな」
「ジョーダン。今の中佐がそんなことで俺とエヴィルを呼び出すかよ」
「いやいや、断言できることでもないだろう? 上司のラブコールは嫌いか?」
そうおどけて見せる私に、キュリオを苦笑して、エヴィルに至ってはまったく真面目な顔のまま首を左右に振り、滔滔と言葉を連ねる。
「いいえ、中佐がなさる以上、そのような無駄なことであるはずはないと私もキュリオ少佐も理解しております」
「はは、エヴィルは私を評価しすぎなきらいがあるな? が、まあ、そうだ。冗談はこのくらいにしておこう。もちろん用はあるとも。……つい今しがた、ゴルゾーン殿下から密命が下った」
「密命?」
「ああ。そうは言っても、近日中に発せられる命令を先だって伝えられた、というものだ。実際に命が下るまでは密に、という話だな」
「ほぉ。で、肝心の内容の方は?」
「出陣だ。平民閥を率いて、今度は最前線に」
私の話を聞いたエヴィルが息をのみ、キュリオは顔をしかめる。
いくら軍人とは言っても、積極的に死地に赴きたい者などそうはいない。しかも我々はついこの間の戦場で多くの仲間を喪ったばかりなのだ。
「なるほど、まったく嫌なタイミングだ。こっちはまだ新人の育成もままならんというのに」
「このタイミングの前線送りとなると、膠着している前線への援軍という話ですか?」
「いいや、むしろ我々は交代要員なのだそうだ。詳しい事情は伝えられなかったが、どうやら前線の軍を退かせなければならないらしい」
「代わりの数合わせ、というわけですか。命令である以上逆らうことはしませんが」
「苦労をかけるな、エヴィル。代わりと言ってはなんだが、いい知らせもある。マサキ少尉を覚えているな? ヤリアの時にはまだ士官候補生だったが」
「アークの部下だったやつだろい。黒髪黒目の」
「ガルド医師と親しいようでしたね。衛生科に混じって彼らの手伝いをしていたのを何度か見た記憶があります」
「そう、その彼だ。彼が……【英雄】になった」
「なんだとっ!?」
キュリオが驚くのも無理はない。ウェルサームが【英雄】の多い国であるというのは事実だが、それでもやはり超常の力を操るということの衝撃は大きい。
しかも、ついこの間までなんの変哲もない少年だった顔見知りがそうなったというのだから、驚きもひとしおだ。
「私も報告を聞いたときは驚いたとも。彼はバークラフト中尉たちとハウリー伯爵領に任官されていたが、そこに【魔】が現れたらしくてな」
「それを彼らが打ち倒したというわけですか。被害の方は?」
「国軍の兵卒と下士官が併せて二百人ほど死んだらしい。士官の犠牲はゼロ」
「! それはまた、奇跡のような話ですね」
「まあそれを言ったら人間が【魔】を討つことがそもそも奇跡に等しい所業だ。運命が彼らに味方した、ということだろう」
……本当は、わずかキナ臭いような気配を感じないではない。
【魔】の討伐に出て死んだ兵士はみな貴族派の兵であった、などという情報も届いてきてはいる。それはあまりにも、私たちにとって都合の言い話に聞こえた。
が、かといって、そこにいかな陰謀があるかとか、いや、そもそも陰謀なんてものがあるのかどうかすら、まだ断言できるような状況ではない。
とりあえず今は運が向いたのだと、そう思っておくべきなのだろう。
「んなら、中佐。マサキたちは昇進させられるな。指揮官が多ければそれだけ動員できる兵の数は増えるし、使わない手はない。前向きに考えていこうや。前線行きは厄介だが、逆に考えりゃあ手柄を立てる機会でもある。政治のことを考えたら、ヤリアの失態を取り戻し、平民閥の影響力を強める必要があるだろい?」
「……そうだな。嫌な話だが、好機と言えなくもないかもしれない」
キュリオの言う通りだ。
確かにヤリアでの敗北は痛かった。敗北の経歴が政争における傷となったのも、多くの部下を守ってやれなかったのも、ずっと共に戦ってきたラグルス翁を喪ったのも。
その全てがあらゆる痛みとなって私たちを苛む。
けれど、私たちは俯いてばかりはいられない。
たとえ仲間を喪ったとしても、いや、仲間を喪ったからこそ、私たちは彼らの犠牲に報いなければならない。貴族の横暴から平民を救うには、私の姉のような犠牲をもう出さないようにするためには、そうする他ない。
「……そうだ。わかっているとも。私にはもう、前に進む以外の選択肢はない」
二人にも聞こえないほどの小声で私は呟く。もとより自らに言い聞かせるつもりで放った言葉であったが、それは思った以上に私の心の深きにまで染み渡った。
そう。もう退路はない。退く道など許されない。幼子のように泣きわめいても、恥も外聞も無く逃げ出しても、死んだ者は帰っては来ないのだから。勝つしかないのだ。
すぅ、と私は大きく深呼吸をして、感傷を胸の奥深くへ沈める。
「キュリオ。エヴィル。まずはアルフとコーラルを呼べ。彼らだけには先んじて話を通しておく方が賢明だろう」
「へぇ……やる気かい、中佐」
「ああ。士官から兵卒まで、私の勢力下にある戦力の全てをこの戦いに動員する。ここが分水嶺になる。ついてきてくれるか」
「はっ、たりめーよ。何年あんたの部下をやってると思ってんだ」
「もちろんです、中佐。私たちの心はあなたの大義とともにあります」
寸毫の迷いもなく、この二人の部下は頷いてくれる。
そうだ。キュリオも、エヴィルも、アルフもコーラルも、ヤリアで尽力してくれた新米士官たちや、顔も知らない一兵卒に至るまで。
私は私の大切な仲間たちを、その彼らが大切に想う誰かを護るために戦う。
貴族閥の打倒も、平民の地位向上も、その枝葉末節でしかない。
私の掲げる大義の本質は、そんな矮小で身近でささやかな、けれど当たり前に守られるべき願いなのだ。