099 会談と劣等感と
「よぉ、兄貴。ずいぶんな目にあったみたいじゃねぇか」
俺、ゴルゾーン=ドス=ウェルサームが、突然セリファルス兄貴に呼び出されたのは、俺も一軍を任され指揮を執った、あのガルアー平原での戦いでクリルファシートの主力軍に大勝してから数ヵ月が経った頃。やつらの国土の内側まで戦線を押し進めたはいいが、あちらに地の利があるせいで戦況が膠着した、そんなある日のことだった。
前線近くに居た俺ではあったが、王子としての責務をそう長らくほっぽるわけにもいかず、そろそろ戻ろうと思っていた矢先の呼び戻し。数百キロも離れた場所に居るはずの兄貴に内心を見透かされたようで、まったく気持ち悪い。
もちろん、普段であれば王都にこそ戻っても、兄貴の元へノコノコと出向くような不用心な真似はしないが、今回は陛下との連名だ。流石に出向かない訳にはいかないし、また国王の名を勝手に謀略に利用するなどという、王権に泥を塗るがごとき真似を兄貴はしないという確信もあった。
呼び出し自体は兄弟全員を対象とするものだったが、国境近くからおっとり刀で俺が到着した時点で、八人いる兄弟のうち、居たのは俺を含めてたったの四人だけだった。
「ゴルゾーン兄上! なんですか、その物言いは! セリファルス兄上に不敬だとは思わないのですか!」
会議室に入って早々、兄貴に嫌みを投げかけた俺に噛みついてきたのは、集まった四人のうちの一人、第四王子、ケリリ=クァト=ウェルサーム。いつも通り、兄貴を慕い追従する、兄貴のシンパだ。もう二年も前に成人したにも関わらず、未だまるで主体性と言うものがない。
「知るかよ。【神】を失いかけるってなぁ、そりゃずいぶんな目だろ? 俺が何かおかしなことを言ったか?」
「っ、兄上! その態度が……」
「黙れ、ケリリ。お前たちを呼んだのは私で、今話すのも私だ」
「セリファルス、兄上。……申し訳、ありません」
唇を噛みきらんほどに悔しさを隠そうともしないケリリだったが、俺に言わせれば、兄貴にこんな風に言われる時点でお笑い草だ。
こいつは兄貴を畏れ、敬い、崇めるほどに慕っているにも関わらず、そのくせ兄貴のことを何もわかっていない。兄貴が求めるのは太鼓持ちでも信奉者でもなく、ただ有用な部下のみ。
兄貴を慕うあまり、ともすれば神格化にも近い感情を向けるケリリはそれには気付かず、また視野狭窄ゆえにそれすらも気付けない弟ごとき、兄貴は求めはしない。
兄貴の一番のシンパたるケリリが兄貴をまるで理解せず空回りを続けるこの様は、いつ見ても哀れなほど滑稽で笑える。
「でしたら、セリファルスお兄様、早くご用件を。私たちは貴方の【神】……【裁断の女神】アスティティアが殺されかけた、という話のみを聞かされ集められましたが、そんなに暇な身でもありませんので」
次に口を開いたのは、ケリリと同い年の俺の妹、集まった四人のうちのもう一人、第一王女、アイシャ=ウェルサーム。冷ややかになんの感情も込めず催促する、固い態度のこの女だが、普段俺たち兄弟以外と会話するときにはもっと穏当で柔らかな態度をとっている。さしずめ、理想の姫君とでも言ったところか。というか、アイシャの本来の性格はそっちの穏やかな方だ。かれこれ……十年前か。アイツが王宮を逃げ出して以来、アイツと仲が良かったアイシャはそもそもの元凶たる俺たちへの態度が他の者へのそれと一線を画して冷たい。
ともかく、このケリリとアイシャに、俺ことゴルゾーンとセリファルス兄貴を加えた四人がこの場にいる全員な訳だが、本題の前にまずはそれを問うておく必要がある。
「っと、待て待て。その前に、あの呼び出しは兄弟全員に出されたものだろ? 半分しか来てねぇってなぁ、どういうことだ? 王を目指すにはちょっと人望が無さすぎるんじゃないか、兄貴?」
「ゴルゾーン兄上ッ!」
「ケリリ。二度は言わせるな」
「ッ! …………」
またも俺の軽口に噛みつこうとしたケリリだったが、さきほど同様兄貴に冷たく命じられ、押し黙る。とは言っても、俺を今にも射殺さんばかりに睨み付けてきているが。
しかし、兄貴はそんなケリリの煩悶など一顧だにしない。
「ゴルゾーン。お前の疑問はもっともだ。が、アイシャ」
「……。ミリルには、私が彼女の分も代わりに出席するよう頼まれました。何か議決が必要な事柄ならば私が彼女から委任状を預かっていますので、ご心配なく」
「そういうわけだ。クラシスに関しては、どうやら戦時の間はすぐ近くのミーミク侯爵領内……どころか、侯爵から与えられた例の砦から出るつもりがないらしい。王都などクリルファーシトの第一戦略目標、だそうだ」
「ミーミクの砦っつったら、王都から南に一時間くらいじゃねぇか。ハッ、アホらしい。王都すぐそばの領地に王子が篭ってりゃ、先に狙われるのは防備の薄いそっちだろうがよ。ここが陥ちる頃にはとうにあいつは墓の下か、良くて囚われの身だろうよ。しかも、今は勝ってんだ。逃げるも隠れるも今じゃない。戦況を知らんのか、あいつは」
「あれが保身のあまり物の道理を理解しないのは今に始まったことでもない。アンラに関しては……ふむ、これは真実貴様の言う通り、私の人望不足かもしれんな。あれはずいぶんと私を恐れているようだ。さて、面子の説明は済んだな? では本題に入るが」
アイシャがぴくりと眉を上げ、けれど何も言わず兄貴を睨み付ける。
理由はわかる。兄貴が当たり前のようにアイツを……第五王子たる、レウルート=スィン=ウェルサームを省いたからだろう。
そうは言っても、俺もアイシャも誰も、まさか十年前に王宮から去ったレウルートがこんな場所に現れるとは思っていない。長らく消息の知れなかったアイツが、最近、【光輝の女神】ルミスヘレナ=アルウェルトと共に暮らしていることがわかったらしいが、どうでもいい話だ。兄貴も流石にアイツには招集通知も……いや、変に生真面目な兄貴なら送るだけ送っている可能性もあるが、いずれにせよ本気で来るとは思っていない。語るまでもなく、というわけだが。
それでも、レウルートと仲が良かったアイシャは、未だにこういう態度を見せる。この家族思いは親父に似たのか、少なくとも兄弟の中では明らかに異質であった。
「前に伝えた通り、アスティティアが交戦し、瀕死に追い込まれた。それも一方的に。ファルアテネと二人がかりですら、逃げる敵を追えなかった」
「な……それほどの敵が!?」
「その敵は、【魔】だ。名前くらいは貴様たちも聞いたことがあるだろう。【夜の魔】リューネ『ヨミ』。間近で見たが、なるほど噂以上のものであったよ」
「【夜の魔】……! 記録が途絶えていたのは死んだわけじゃなかったのか……!」
「陛下にはすでにお話を通したが、あの【魔】を警戒すれば、クリルファシートとの戦を不用意に拡大させることはできなくなった」
「軍も一部呼び戻す必要があるか。どのみち戦線の拡張は難航していたが……。だが、一部とはいえ軍を退かせるとなれば反攻に備える必要がある」
「ああ、それはこちらから代わりの戦力を出そう」
「代わり? それは、セリファルスお兄様の私兵を?」
「いいや。国軍のいま前線に出ていない者らを使う。クリルファシートの反攻を防ぐ分には数さえ揃っていればいい。向こうにこちらの軍の内情はわからないからな。であれば、練達した兵を呼び戻し、新兵を派遣するべきだ。……ああ、そうだ、ならば平民閥を使うか。この間のヤリアの後、大量に士官を補充できただろう」
「ッ! またあいつらに負担を強いるのか!」
「それが国のために最も合理的な判断であれば、私は誰にでも何度でも痛みを負ってもらうとも。慈悲も同情も、国を思えば抱くべきではないな」
「それはっ……! だが、あまりにも無体で……」
「ゴルゾーン兄上、感情ではなく、合理で反論なさっては? 誰かを説得したいなら、なおさらに」
「ケリリッ……!」
先の意趣返しのように、嫌味ったらしくケリリに言われ、思わずぎりりと歯を食い縛る。
だが、こいつの言うことは正しくもある。こと兄貴を説得しようと思えば、利を説く他ない。兄貴にとっての利じゃない。セリファルス=ウノ=ウェルサームはそんなものには小揺るぎもしない。掲げるべきは、国にとっての利。
だが、それは無理だ。兄貴の提案には間違いなく利があり、それゆえ理がある。
どう返すこともできず押し黙る。
「他に意見のある者は?」
「……私は以前も申し上げた通り、平民閥は貴族閥への抑止勢力として保護するべきだと思いますが」
「ふむ、政治に意識を回すのは結構だが、戦時の権力争いに固執するあまり、国軍の国軍たる役割を果たさせないのは本末転倒だ。忘れるな、アイシャ。あくまで国軍の主力たるのは、陛下と国の剣であり盾であるのは貴族だ」
「……お兄様がご考慮の上の提案でしたら、私からはそれ以上はなにも」
「では決は採れた。陛下への進言は私が行おう。用件は以上だ。解散して構わない」
そう聞いたアイシャは、一秒でも俺たちと居たくない、とばかりにすぐさま席を立つ。ケリリも兄貴に一礼してこの場を後にする。
「どうした? ゴルゾーン。お前は行かないのか?」
「……兄貴。あんた、何を隠してる?」
「ふむ?」
「とぼけるなよ。いくら俺が愚鈍でも、兄貴の今の提案が言葉通りの……いや、正確には、言葉で言っただけのものじゃないことくらいわかる」
「くく……ははは、そうか、ゴルゾーン。わかるか」
俺に詰め寄られた兄貴は、動揺するでも後ろめたさを見せるでもなく、小さく笑みを溢し、さらには堪えきれなかったかのように大笑した。
あまりにこちらを馬鹿にしているとしか思えないその様子に、反射的に兄貴の襟首を締め上げていた。
「何がおかしいッ!」
「ゴルゾーン殿下、そこまでに。それ以上は私も見過ごせませぬゆえ」
……もちろん、そんなことをして、兄貴の【神】が黙っているわけもない。俺の手首を緩く掴んだのは、虚空から現れた鎧甲冑の女。【盾の女神】ファルアテネだ。今はまだ緩い握りだが、その気になれば俺の手首など一息で破砕できる。
それを見た俺の【神】が怒りと共に姿を現そうとする気配を背後から感じる。
「いい。下がれ、アメテル」
こんなところで兄貴と本気で争うつもりはない。【神】を下がらせ、俺も兄貴から手を離す。
何がそんなにおかしいのか、この一触即発のやりとりの間すらも、兄貴は変わらず愉快そうにしている。兄貴がそんな様子を見せるのは中々に珍しいことだった。
「くく……。ゴルゾーン。今の私は機嫌がいい。ヒントでもやろうか。どうしても気になるのであれば、アイシャあたりに聞きに行くといい」
「は……? アイシャ? どうしてここであいつが……おい、待てよ、兄貴!」
要領を得ないヒントとやらを言うだけ言って、兄貴はとっとと去っていってしまう。呼び止めても振り向こうとさえしない。
「……クソッ!」
一人になった会議室の中で、苛立ちを抑えきれず悪態を吐いて椅子を蹴り飛ばした。
ガァン! と倒れた椅子がけたたましく音を鳴らす。
兄貴と俺は、王位を狙う王子たちの中で一二を争う勢力を誇っている。王宮の貴族達の間でも、次代の王は俺か兄貴だろうと噂されていることも知っている。
けれど、実際の俺と兄貴の力の差は歴然としている。少なくとも、このときの俺にはそう思われて仕方がなかった。




