第82話 立ち合い
どうしてこうなった。
闘技場が土俵であろうと、参加しようなどとは思っていなかった。
神前にお酒を奉納出来るだけでよかったのだが、御神酒をいただこうと思ったのがまずかった。
相撲が終わった後、奉納された品々で宴会を行う。その場で御神酒をいただけるというのだが。
「まさか御神酒をいただくには相撲を取らなきゃならんとは」
もともとそんなつもりはなかったのだが、戸惑ううちにあれよあれよ更衣室に連れ込まれ、服を脱がされ、回しを着けられた。
「シロキさん。似合ってますよ」
笑いをこらえながらアドが近づいて来る。
「似合ってるねえ。本当か?」
「お世辞です」
「だろうな」
俺は周囲にいる力士たちと比べて体の線が細いので似合っているわけがなかった。
とはいえ、ここまでされて今さらやりませんとはいえない。
「仕方ない。腹くくるか」
両頬をたたいて気合を入れる。するとアドから視線を感じた。
「どうしたアド?」
「口では嫌そうですけど、なんだか普段より気合が入っていませんか?」
「そうだな。神事に携わることができるのは素直にうれしいのかもな。ただ……」
「ただ?」
「どうせなら、初穂の稔る時期だとよかったな」
「時期が違うと何かあるんですか?」
「神社に入る前に説明したように『今年も無事にお米を作ることが出来ました』っていう稔りに感謝するということが根底にあるんだ。だから、その時期に初めてできた初穂に加えてお酒や魚などをお供えするにはとても意味があるものとされている。今なお新嘗祭として天皇が神様と共に食事をする特別な神事なんだ」
「へえ。有名な行事なんですね」
「いんや。有名じゃあないな。たぶんほとんどの人が知らない」
「ええぇ……」
「その代り宗教的な意味から切り離されて、11月 23日の勤労感謝の日として知られている。いや神嘗祭とするなら夏も終わりのこの時期でもぎりぎり有りか」
一時ではあるものの9月17日に神嘗祭を行っていた時期があるはずだ。
「シロキさんは変なことばかり知ってますね」
「これも酒がかかわることだからな。新嘗祭には黒御酒だとか白御酒という特別なお酒を奉納するんだ」
「またお酒ですか」
と、アドは飽きれた様子だ。
「まあ、今集中すべきは相撲か」
神様に奉納する以上、みっともない姿をさらすわけにはいかない。
「それに儀式をしっかりこなさないと宴会に参加できないらしいしな。っと呼ばれたか」
どうやら順番が来たようだ。
回しを着けられたときに受けた説明を思い出しながら手順をなぞる。
土俵に上がり、四股を踏む。見様見真似でふらついた。
続いて土俵端に移動し、片膝を立てた姿勢で杯を受け取る。中に入っている水を一口だけ、口に含み杯を返す。かわりに受け取った半紙を使い顔を拭う。そして口に含んだ水を土俵際にある桶に吐き出す。
最後に土俵に塩を撒いて取組前の儀式は終わりだ。
「若いのにいい動きだ」
土俵の向かい側に立つ力士にそんな言葉をかけられる。
俺よりも背が低い男性だが、弱そうなどとは欠片も思えない。筋肉の塊のような男性だ。
俺の回しを着けてくれて、儀式の説明をしてくれた男性だった。
「そんなことなんでしょう。みっともないことにならない様に必至なだけですよ」
「ああ、お世辞にも綺麗なんて言えねえなぁ。だがな。所作の一つ一つに気持ちが籠っている。ならそれはいいもんだ。だがぁ。俺は儀式の意味なんざ教えてねえんだが知ってたのか?」
「向こうの世界で伝えられていることくらいですけどね」
四股は大地を踏みしめ土地の邪気を払い、力水と力紙で身を清め。最後に塩を撒いて土俵を清める。一つ一つの所作に意味があるのだ。
「こりゃあ、生半可な取組はできねえなぁ!」
その言葉に、いや、言葉に込められた闘志に身震いする。
やばい相手だ。顔が引きつるが、もはや後に引食こともできない。
観念して土俵の中央へ。
お互いに向かい合って手を大地に着き呼吸を合わせる。
立ち合った。
その瞬間瞬間。世界が揺れて、俺は気を失ったのだった。
アドにあとで聞いた話によると頭突きを食らって吹っ飛んだそうだ。




