第76話
ずいぶんとお待たせいたしました。……待っている人一人くらいはいるよね?
翌朝一宿一飯の恩義に報いるため長助さんの早朝の仕事を手伝わせてもらった。長助さんの指示にしたがい、せわしなく働く。身をもって異世界の酒造りという貴重な体験させてもらった。
「シロキ君はいい仕事をするね。どうだい? うちの蔵で働かないかい?」
一息ついての朝食をいただいているときにそんな風に勧誘を受けた。ありがたい話だが断らせてもらった。
アドと共に蔵を後にする。
「良かったんですか? まだ話したりないとか言って、二、三日は滞在することも覚悟したんですけど」
「ああ、いろいろ興味深い話が聞けたし楽しかったけど、さすがに迷惑だからな」
「どうでしょう? ものすごく役に立っているように見えましたよ?」
蔵での手伝いを見ていたようだ。しかし世の中そんなに甘くはない。
「なまじあっちでの酒造りについて知っているだけだからな。長くいると余計な口出しになりかねない」
「余計な口出しですか?」
「ああ、経験や勘っていうのは知識よりも大事なもんだからな。中途半端な知識でこうしたほうがいいなんていう助言なんか邪魔でしかないんだよ。というかそもそも相手もプロなんだから、酒造りの基本的な知識は当然持ってる」
「なんとなく言わんとしていることは分かりますけど。じゃあ、昨日話していたことは何なんですか? まさか嘘を教えていたなんていことは……」
「そんなことするか。あくまでも向こうでの酒造りの技術技法について知識だから役に立たないってことだ」
「どういうことです?」
「歴史の話になるんだけど、そもそも向こうの酒造りは順風満帆とはいかないものだった。酒の製造や売買が禁じられる政策が出されたり、米不足で酒の価格を制限されたりな。知ってるか? 妖怪は食事をとらなくても死なないって」
「ああ、そういえばそんな話を聞いたこともありますね。でも食べていますよね?」
「それは生きるためじゃなくて、嗜好品としてだな。スメントに住む住人のほとんどが妖怪だからこそ、生産される米のほとんどを嗜好品の酒につぎ込めたわけだ。まぁ、酒に偏りすぎて味噌や醤油のために麹を使わなかったようだけどな」
「ナゴヤに調味料が少ない理由はそれですか」
「みたいだな。それで、そんなさまざまな制限の中生まれた技法だから味は二の次だったりするわけだ」
昨日最初に説明した高温糖化法なんかがまさにそういった技法であり、日本酒を安く速く作ることができる。
それでも商品になるだけの品質は当然あるし、侮れるものではない。むしろ時代を乗り越えるため独自に研究を重ねたことに敬意を持っている。
「それじゃあ、使えそうな知識って何かあったんですか?」
「味を追求するこっちで役に立ちそうな技術としては、日本酒の絞り方がこっちには伝わっていなかったみたいだから役に立つかもな」
「絞り方ですか?」
「こちらの世界では古くから伝わる槽しぼりという方法で絞ってるんだが、紹介したのは袋吊りとう技法だ」
他にも袋しぼりだとか雫しぼり、首吊り何て言う物騒な呼び方もある。
「袋にもろみを入れて宙づりにすることで、圧力をかけずに搾り取る。それによって雑味のない日本酒が絞れるわけだ」
「そうなんですか、それじゃあ長助さんはこれからその方法を使うんですね」
「いんや。流石に袋吊りだととれる量が少なすぎる。いくらおいしいお酒でも原材料や人件費の元すら取れなきゃどうにもならん。あくまでとっておきのお酒という範疇を出ないだろう」
こちらの世界ではいい酒を求め続けているとは、袋吊りのみにするのは無理がある。
「お酒一つにもいろいろあるんですね。興味深いですね」
興味深い、そんな言葉がアドから出てくるとは思わなかった。それにいつもなら酒の話に次第に興味を失っていく。
「酒に興味がないんじゃなかったったのか?」
「いえいえ、私のためにお酒を造ってくれたと聞いたので、少し興味が湧きました」
…………どこまできいているんだろうか?
「いやいや、俺の日本酒の清酒取り焼酎の味が気になったわけでそれだけが理由じゃないぞ」
「シロキさんですからね。それは当然ですよね」
うむ、これなら名付けまではきいてはいないだろう。そう高を括るが、
「なかなかしゃれた名前をつけたみたいですね」
にやにやした表情は「全部知ってますよ」と物語っていた。
隠しておくことは無理だと諦めて方針を変えることにしよう。
「まあ、そこまで知っているならこの酒はやるよ」
しまっておいた焼酎瓶をアドに手渡す。
「え? 果実酒を作ってくれるんじゃないんですか?」
「そのつもりだったんだけどな。どうせならアドが自分で作ったほうが愛着がわくだろうと思ってな」
もともと少しでもアドが酒を楽しめるようにと果実酒を作ろうと思ったのだから、好きになる要素が増えるのならそっちのほうがいい。
「私が作っていいんですか? 失敗するかもしれませんよ?」
「別に難しいものでもないし、助言もするから大丈夫だ。万が一失敗しても次に生かせば問題ない。いくらでも出せるわけだしな」
「ああ、そういえばそうですね。蒸留施設さえあればいくらでも作れるお酒なんですよねこれ」
そういわれるとかなり価値が低いように聞こえるが、このお酒の原材料は名の知られた日本酒である。向こうで買おうと思ったらそれなりに値が付くのは間違いない。
アドも軽くそんな風に言うが、決して軽んじているわけでもない。きっと大切に果実酒を作ってくれるだろう。
「どんな酒になるんだろうな」
「私よりシロキさんのほうが楽しみにしてそうですね。出来たら一緒に飲みましょう」
「ああ、そうだな」
俺たちの間に小さな約束が一つ出来たのだった。




