第72話
後ろから暗闇に引きずり込まれ、みっともなくお尻から地面に落下する。
衝撃からして、高所から落とされた訳ではなさそうだった。レベルが上がっているのを差っ引いてもそんなに痛みはなかっただろう。
暗闇故に今どんな場所にいるかわからない。聴覚と触覚だけが頼りだ。
「これは!?」
手に触れたそれが何かはすぐに分かった。
「ぉおおお」
「ちょ、シロキさん変な声出さないでくださいよ!? 何かあったんですか!?」
手に伝わるぬくもり、懐かしさを感じる香りこれは。
「畳だこれ」
畳の上に手足を放り投げて寝転がる。
「ちょ? シロキさん何かしたんですか? 取り合えず明かりをつけますよ」
言うが早いか、暗闇の中に暖かい光がともる。
「地面に寝転んで何してるんですか?」
「畳を堪能しているんだよ」
あきれたように言うアドはすでに立っており、俺を見下ろしていた。もしかしたら着地に成功していたのかもしれない。
「狭い部屋、窓どころか入り口もない……」
「完全な密室だな」
天井を見上げても人がでいるできるような穴はない。
アドが壁に近づいて入り口がないか調べ始める。ちょうど俺たちが入って来ただろうあたりだ。
「ヒビが入っているくらいで何もないですね」
「あんまり無警戒に近づくと何が起こるかわかないぞ」
「いやぁ、無警戒に転がっているシロキさんに言われたくないです。というか、閉じ込められてるわりに余裕ですね。なんで靴を脱いでくつろぎ始めてるんですか」
「焦ってないわけではないけどな。閉じ込められるのは二度目だし、慣れた」
「そんなことに慣れないでくださいよ」
「さすがに慣れたっていうのは冗談だ」
一度目は気絶している内に牢屋に入れられて、すぐに出してもらえたので牢屋生活はかなり短い。
「まあ、とにかく閉じ込めて死ぬまで出さないなんていうことはないだろう」
「その根拠は?」
「もしそうなら畳なんてしかないだろ。畳だってただじゃあない手間暇かけてわざわざ作ってるんだぞ」
「でも、そんなことを気にしないかもしれないじゃないですか」
「たぶん大丈夫だろ。知られたからにはこのまま帰すわけにはいかないって言っていたしな。生きて帰すわけにはいかないと言われていないだけ希望は持てる」
楽観的な俺にあきれたのかアドは一つ溜息を付く。
「ここでお酒を造っていないっていうことがそこまで重要な秘密とは思えないんで、そのうち出してもらえるでしょう」
立っていてもしょうがないと思ったのかアドも俺の隣に座り、手元の魔法の炎を空間収納から取り出したろうそくに移した。
「空間収納は本当に便利だな。俺も早く使いたいもんだな」
「シロキさんはもうできたも同然なんですけどね」
「あれでか?」
一度成功した空間収納はゆがみがひどく、物を入れることなどできそうになかった。
「シロキさんにとって畳はどんなものです?」
「なんだいきなり? そりゃあ、実家も完全に畳だったからな。板張りよりも好きだぞ。落ち着くしゴロゴロできる」
「行儀が悪いですね」
異世界人のアドに日本の行儀を語られるのはなかなか複雑な心境になる。日本人よりも日本の文化に精通している外国人に出会った時にこんな心境になるのだろう。
「でも、畳がそういう存在なら練習にちょうどいいです」
「ちょうどいい?」
「空間収納の内部は作り手にとって心安らぐ場所が形成されます。そのせいか空間収納の練習は落ち着ける場所でやるのがいいんです。自分の実家とかですね」
「俺の場合はそうはいかないな」
「ええ、なのでシロキさんにとっては所縁のある畳の上での練習は馬車でやるよりも効果的なはずです」
「ん? じゃあこれまで馬車で練習していたのは?」
「あれは入り口を開く練習でしたから場所に神経を使う必要はなかったんですよ」
「なるほど」
いかに落ち着けるかが成功の秘訣か。だとすると成功率を上げるいい方法がある。
「シロキさん? 何でお酒を出してるんですか?」
空間魔法を試す前に手のひらの上に少量の酒を出した俺にアドは怪訝そうな顔をする。
「俺イコール酒。畳より酒のほうが効果がありそうだ」
「ええぇ……。シロキさんがそういうならそれでいいですけど、さすがに酔っぱらっていたら失敗すると思いますよ」
「大丈夫大丈夫一口だけだから」
手のひらの上の日本酒の匂いを楽しんでから口に含む。
じっくりと味わい喉を通す。
俺のほうの準備が出来たとみてアドがアドバイスを始める。
「目をつぶって力を抜いて難しいことを考えずにこれまでと同じように魔法を使ってみてください」
アドに言われるがままに、先ほど成功したときと同じように空間収納の魔法を使う。
「ええ、目を開けていいですよ。さっきと比べるまでもないくらい安定してますね」
ぽっかりと開いた小さな空間に見覚えのある光景があった。
「アドにもこの中が見えるのか?」
「いえ、人の空間収納の中身はほとんど見えませんよ。せいぜい入れてあるものが見えるくらいです。シロキさんの中身はどんな場所でしたか?」
「実家の俺の部屋だ」
無意識に大学のために引っ越したマンションの部屋でなく実家を選んでいるあたり、この年になって親離れが出来ていないのかもしれない。
「アドもナゴヤの実家なのか?」
「あー、私のほうは別の場所になりましたね」
「どこだったんだ?」
「母方の実家です。スメントからさらに東に行ったところにある山の中腹にあるんです」
「このまま進んでいくと近くを通ることになるのか?」
「ええ。そうなります」
俺たちの旅は明確な目的がない。
アドはナゴヤの町を離れたかった。
俺は日本語の通じる場所に行きたかった。
アドの目的はすでに叶っているのでほとんど俺の都合に付きあわせていたようなものだ。
そして、スメントでは言葉が通じる。一応北へ行きたいなどとは言っていたが、北のほうなら米があるだろうとかいう根拠の薄い憶測で目指したの目的地でしかない。コメに関しては、酒にすべてを費やしているとはいえこの町にもあるのだ。
それを言葉にすれば俺たちの旅は終わったようなものだ。
「近くにあるならこのまま行ってみるのもいいな」
「寄っていいんですか?」
「いいも何も折角近くまで来たんだ。帰れる時に帰るのが一番だ。それにアドの実家っていうのも気になるしな」
「あそこ面白いものは何もないですけどね。石が転がっているくらいで殺風景です。むしろ遠くから実家のある山を眺めるほうが絶景ですね」
「へえ、じゃあ。そっちを楽しみにさせてもらうとするか」
旅の終わりが先に延び、どこかほっとする。
「で、この開いた空間はどうしたらいいんだ? もう物を入れてみたりしていいのか?」
開いたまま放置していた空間収納の魔法をどうするべきか
「そのままだと両手がふさがっていますし、穴も小さいので何も入れれないので空間を広げる練習ですね。まあ、その空間を広げるイメージで両手を離してみてください」
前に突き出した両手をゆっくりと横に開く。
「おお伸びた伸びた」
手ごたえ無くすんなりと空間が広がる。懐かしの我が部屋が目の前に広がる。
「ここをくぐったら元の世界に戻れるとかは……」
「ないですね」
「だよな」
わずかな希望をもって聞いた問いはあっさりと否定される。
「この魔法は空間をつなげるものではなくて、空間を作る魔法ですから」
「なるほど。手を入れてみて大丈夫か?」
「はい。もし、空間が途中で閉じても入り口が消えるだけで手がちぎれたりすることはないです。」
「それを聞いて安心した」
手を伸ばして実家の俺の部屋に手を入れる。近くに物がないため触れるものは畳くらいしかない。
「シロキさんの空間に何があるのかわからないですけど、元からあるものは取り出せませんよ」
取り出せたらそれはもう物を作る魔法だもんな。
「さて、ようやくこいつをしまえるな」
壺に入れた米麹を空間にしまうことにする。
「いいんですか? まだ中の保存に適しているかわからないですよ? 劣化もしますし」
「この空間の特徴がどんなものかわからないから入れるんだよ。まずは試してみないと分からないからな」
「その通りですけど……」
「大体、この麹は質がいいものができたわけじゃないからな。テストに使うにはちょうどいい」
水につけている時間が長かったからか、それとも中途半端に火を通したのが悪かったのかは分からないが、質のいい麹とは言い難い。
「とりあえず。閉じるか」
空間を開いているのがきつくなってきたので閉じることにする。
「空間収納を扱ううえで注意することは何かあるのか?」
「そうですね。まずは、空間を開くときはシロキさんの部屋を意識することですね。人によっては別の場所を開いてしまって取り出せない場合がありますね。あとは空間収納内が広くても、手が届く範囲は限られているので、つなげる場所を調整する練習をするといいと思います」
「今回は俺の部屋の入口すぐのところだったからふすまの近くとか箪笥の近くにつなげると良い訳だな」
「私には中身が見えないので、シロキさんが使いやすいように何か所かつなげる場所を決めておくといいと思います」
「アドの場合はどういう分け方をしてるんだ?」
参考までに聞いてみる。
「そうですね。とっさに必要になりそうな武器関係を一まとめにしているのと野営用品をまとめているくらいは、そこまで細かくは分けていないですね」
「なるほど。劣化するとは言え、本当に便利だな」
「人によりけりですけどね。物がすごく腐りやすい場合もありますし、容量が少ない場合もあります。下手したら剣一本入らない場合もありますしね」
「それだとあまり便利とは言えないか。入らない場合ってどうなるんだ?」
「限界以上に入れようとすると、これ以上入れるのが無理だとわかりますね」
「無理に入れるとどうなるんだ?」
「中身が周囲にぶちまけられます。それを利用して、取り出せなくなったものを無理やり取り出す方法もありますけどあまりお勧めはできませんね」
「何にしても要検証だな」
劣化具合や入る容量によっては俺の空間収納は全く使えないかもしれない。
とりあえず、集中力が戻ったらもう一度空間収納を試してみるべきだろうか。
そんなことを考え始めた時、いきなり壁から光が差した。
まぶしさに一瞬目をすぼめるが、光は一瞬で収まる。
そして目の前には対照的な二つの影が残った。
一つは先ほどの案内人の女性。こちらは険しい表情をしている。
対してもう一人は男性であり、柔和な面持ちだ。
俺たちへの処遇がどうなるのか、真逆の二人の様子からは全く予想がつかなかった。




