02 第二弦
弓がない。
もう本番前の音合わせが始まっているのに、私の弓が忽然と消えた。ゲネプロのときには確かにここにあった。
こういう嫌がらせは学校でもコンクールでもいくらもあった。だから私もここへ来てすぐはトイレに行くにも仕事道具は常に持ち歩いてた。けれどこの、のんびりとした小都市の斜陽の楽団はあまりに平和だったからすっかり気が緩んでいた。逆に言えば、この緩みが会員減を招いているのだろうか。都市部の客は仲良しこよしの楽団運営よりも、団員入れ替えのドラマを望んでいる。
それにしても一体誰が? 真っ先に助っ人のヴィオラ奏者を疑って、証拠もなしにと疑念を打ち消す。
なかなか調律を始めない私にユリウスが気がついた。
「弓ないの?」
私は曖昧に苦笑いする。
「僕、今日3本持ってるから」
ユリウスが差し出したのは名品だった。さすが音楽一家は持ち物が違う。高価過ぎて借りるのは恐ろしかった。保険にも入っていない。「制作年度の評価が低いからそこまで高くない」というけれど、丁重にお断りした。
「あと、取り急ぎのものなら売店で売ってるはず。裏メニューで」
「裏メニュー」
「昔はこういう嫌がらせが稀にあったんだって。あとは気持ちが高まって折ってしまう人もいたりとか」
私たちがコソコソと話しているのが聞こえたのか古参の楽団員が話に入ってくる。
「売店ではもう売ってないよ」
「そうなんですか。じゃあやっぱり僕の弓を」
「前のコンマスが置いていったのがあるからそれ使いなよ」
「勝手に使っても大丈夫なんですか」
「何回も連絡したけど取りに来ないから。今持ってきてあげよう」
親切な他パートのカールが腰を上げる。
「ありがとう、大帝」
「なんの、カエサル先輩」
ありがとう、カールおじさん。と心の中で思った私はやはりまだこの国に馴染めていない。カールはすぐに弓を持ってきてくれた。ポジションが被っていなければ基本的に皆優しいのだ。それを踏まえると、席が隣り合わせのライバルにも関わらず懐いてくるユリウスは異質であった。
「本人にも取りに来ないならこっちで所有する、とは何度も忠告してるから」
「前のコンマスって正コンマスですか」
「ああ、ごめん。前も第二だった、正確には。ぼくらはふつうにコンマスって呼んでたけど」
カール大帝によくよくお礼を言って、弓ケースを受け取る。開けると4本の弓が入っており、1本は歪んでいた。残り3本から状態の良いものを選び取る。
「借り物でコル・レーニョするわけにはいかないわね」
「この曲がってるやつでもだめ?」
「私が壊したと思われると厄介」
「それは確かにそう」
ユリウスはあっけらかんと言う。
「もうそこは弾かなくていいんじゃない?」
「そんな口パクみたいに」
どうしようかなと思っていると、演台の脇から楽団マネージャーに手招きで呼ばれた。
「地下に捨てられているのが見つかったんだ」
私の弓ケースだった。中を開けると、2本のうち1本が抜かれていた。
「今日、弾けそう?」
「はい、ひとまずは」
私は不思議に思った。ふつう嫌がらせで1本抜くなら値段が高いほうだ。天然弓はそのままで、コル・レーニョ用に持ってきたカーボン弓が失くなっていた。




