「ずっと覚えいた」第一話 【 おかえり 】
玲
希美
第一話『おかえり』
「ただいまー……」
18:47。
希美は重たい玄関扉を閉めると、小さく息を吐いた。
月末の残業続きで身体はくたくただった。
肩からバッグを下ろし、靴を脱ぐ。
その瞬間だった。
玲「おかえり」
聞き慣れた声がする。
希美は顔も上げずに答えた。
希美「ただいま」
玲「今日は遅かったね」
希美「残業」
玲「ご飯は?」
希美「まだ」
玲「作ってあるよ」
希美「えらい」
玲「もっと褒めて」
希美は思わず笑った。
顔を上げる。
キッチンの前に立っているのは玲だった。
黒髪。
整った顔立ち。
年齢は十八歳くらい。
少し眠そうな目をしている。
初めて見た時は驚いたものだが、今ではもう慣れてしまった。
玲「味噌汁冷めるよ」
希美「温めればいいじゃん」
玲「そういう問題じゃない」
希美「はいはい」
希美は手を洗いながら肩をすくめる。
玲は少し不満そうな顔をした。
だが怒っているわけではない。
いつものことだ。
食卓には一人分の夕食が並んでいた。
希美「玲は?」
玲「見てる」
希美「それ毎回言うよね」
玲「だって食べられないし」
希美「そうだった」
箸を持ったまま苦笑する。
玲は自分では何も口にしない。
食べる必要がないからだ。
それでも食卓には毎回付き合う。
希美が食べ終わるまで。
まるでそれが当たり前であるかのように。
玲「今日さ」
玲が窓の外を見ながら言った。
玲「駅前で猫見た」
希美「また?」
玲「うん」
希美「懐かれてるんじゃない?」
玲「そうかな」
希美「そうだよ」
何気ない会話。
何気ない時間。
いつからだろう。
こういう時間が当たり前になったのは。
食事を終えた希美はマグカップにコーヒーを淹れた。
ソファへ座る。
玲も隣へ来る。
もちろん少し距離を空けて。
テレビが静かに流れていた。
ニュースキャスターが何かを話している。
けれど内容は頭に入ってこない。
仕事終わりの疲れとコーヒーの香りが心地良かった。
玲「眠そう」
希美「眠いもん」
玲「風邪引くからベッド行きなよ」
希美「お母さんみたい」
玲「希美より年下だけど」
希美「そうだった」
再び笑う。
玲はいつもこんな調子だ。
少し生意気で。
少し優しくて。
少しだけ不思議だ。
窓の外では雨が降り始めていた。
ガラスを小さな雨粒が叩く。
その音を聞きながら、希美はふと呟いた。
希美「そういえば玲」
玲「ん?」
希美「最初に会った時も、勝手に家にいたよね」
玲が一瞬だけ黙る。
ほんの一瞬。
本当に短い沈黙だった。
玲「そうだったっけ」
希美「そうだったよ」
希美は笑った。
だが玲は笑わなかった。
窓の外を見つめたまま。
雨音に耳を傾けているようだった。
玲「……まあ」
玲は静かに言う。
玲「そうかもね」
その横顔を見ながら、希美は首を傾げた。
どこか寂しそうな表情に見えたからだ。
けれど理由までは分からない。
聞こうと思ったがやめた。
玲は話したくないことを無理に話す人ではない。
そして希美もまた、それを無理に聞く人ではなかった。
窓の外では雨が降り続いている。
静かな夜だった。
この奇妙な同居生活が始まったのは――
半年前のことだった。
第二話へ続く▶︎▶︎▶︎




