十二 旅立
物の怪騒動から一夜明けた日の昼時――
神社の境内でタマと碧太郎が遊んでいる。
沙智は、碧太郎がはしゃぐ様子を眺めながら、昨晩のことを思い出していた。
神社で夕食をご馳走になった後、騒動の発端である辰二郎の処遇についての話し合いが行われたのだ。
沙智は正直なところ、これといった意見を持たなかったが、桃の怒りはやはり収まっておらず「鞭打ちにしろ」だの「島流しにしろ」だのと騒いでいた。
最終的に千世が「次に悪事を働けば、降三世明王がお前を踏み潰し、再び生き返らせ、その後また踏み潰す――これを三千回行うであろう」などと脅し、山から叩き出すことで決着したのだった。
「沙智坊」
腰掛けに座ってぼうっとしていると、千世に声をかけられた。
「今後の話だが、辻平の町へ行ってみんか」
辻平の町とは、確か昨日の話にも出てきた町のことだろう。
桃や辰二郎が本拠にしていると聞いたが――
「猫が『絶対にムジナの野郎を探し出す』などと息巻いておってな。そのために町へ戻るそうなのじゃ」
桃が鬱憤を晴らすまでは、しばらく時がかかりそうだ。
「猫のことはどうでもよいが、今回の件は儂にとっても少々、気になるところがある。諸々の調べも必要だし、そのためには町へ行くのがよさそうじゃ」
ということは――
「じゃあ、桃ちゃんと一緒に町へ行くの?」
「ま、やむを得ずな」
千世は咳払いをして続ける。
「それからのう、儂らには異形や物の怪を退治したという功がある。札なぞちまちま売るよりも、化け物退治のほうが稼げるかもしれん」
「ええっ……」
沙智が難色を示す。
「商売ちゅうのは、ことのほか難儀なもの。儂ですら、簡単にはいかんかった。そもそも品の在庫が不足しておるちゅう問題もあってな……」
その辺りは、千世に頼らざるを得ないのは確かなのだが――
「それも含め! まずは町に行き、今後の方針を決めるのが手堅いじゃろう。こんな田舎にゃ客はおらんし、お前さんは畑仕事などできんじゃろ」
どうも千世は、異形や物の怪に執着している――沙智はそう感じている。
単に金策という理由だけではない、なにかがありそうだ。
そういえば、昨日も、騒動の元凶と思われる「黒衣の坊主」のことをやたらと気にしているように見えた。
なにかしらの心当たりがあるに違いない。
そもそも、千世という人は、なにを目的に行動しているのだろう。
虚無僧の形恰好で、旅をしながら札や道具を売り歩く――
商売をするなら他の方法でもいいはずだ。
今更ながら、沙智はそんな疑問を千世にぶつけた。
「それは話せば長くなるが――」
千世は無表情で言う。
「これといって深い理由はない。特に、この身なりに関してはな。箔付けのようなものじゃ」
本当だろうか。
そんな恰好で得をすることがあるのか。
「ま、いうなれば、人探しのついでじゃな」
「人探し?」
「うむ」
「誰を探してるの?」
「――坊主じゃ」
「坊主?」
まさか――
千世が探している坊主というのは、例の黒衣の僧侶のことなのか。
妙に気にしているように見えたのも、その所為か――
沙智がそう言うと、千世は微かに笑みを浮かべた。
「違う違う。儂が探しておるのはな、いわば育ての親のような者じゃ」
「育ての親?」
「うむ。儂が常世に化生して後、ある坊主に拾われてな。しばらくは寺育ちよ。経を上げ、作務をして暮らしておったわい」
「サム?」
確かに、お坊さんぽいとは思っていたが、本当に寺で暮らしていたとは。
「この常世にも、様々な場所がある。国というかなんというか――例えば、この周辺はここ、真神白玉神社が要処ちゅうか、中心となる界隈なんじゃな」
「はあ」
「で、隣には件の辻平がある。ただ、隣とはいえ地続きではない」
「それは、どういう――?」
「常世では、他の界隈に行くには各地にある『塔』に入り『蜜道』を通る必要がある。蜜道は別々の地を結ぶ、得体の知れない通路じゃ。あれを通れば、常世が浮世とは違う世界なのだと身にしみて解るじゃろうな」
今ひとつ、ピンとこない話だ。
きっと常世に来た者のほとんどは、そう感じるだろう。
「儂が育ったのは、それこそうんざりするほど寺だらけの界隈でな。もう見渡す限り、寺、寺、寺じゃ。そこら中、抹香臭うてかなわん。この辺からはだいぶ遠い所じゃがな。いくつもの密道を通って、ようやく行ける場所じゃ」
話を聞く限り、常世は随分と広い世界なのだろう。
未だ、誰にも発見されていない場所もあるかもしれない。
沙智がなんの気なしにそう言うと、千世はニヤリと笑った。
「それは十分、考えられる。当てもなく旅をするのも、なかなかに面白いぞ」
「へえ……」
「儂の育ての坊主も、そんなことを考えて遊山しとるのかもしれんのう――」
そういえば――千世には霊術の師匠がいるという話があった。
沙智が尋ねると、その人物こそが、千世が探す育ての親らしい。
だが、親代わりの僧侶は、ある日突然、寺から消えてしまったそうだ。
その後しばらくして、千世も独りで旅に出たという。
「聞いちまったよぉ――」
後ろから突然、桃の声がした。
沙智が振り返ると、茂みの陰からガサガサと音を立てて桃が現れた。
「あんた、親が消えッちまったから、寂しくなって追っかけてるワケかい」
桃はにやにやしながら、からかうように千世に絡む。
「偉そうにしてても、やッぱり中身は子供だねぇ」
「馬鹿を申すでない。そもそも儂は、お前などとは比べものにならぬほどの長き時を生きておる。生意気な口をきくと仏罰が下るぞッ」
千世はまるで熊のように両手を上げて、桃を威嚇する。
「図星かい? 知らないかもしれないけど、大人ってのは、自分で年上だぞぉ、なんて言わないもんだよ。あんたもまだまだガキってこった」
桃は口に手を添え、目を細めて「ほほほ」などと笑っている。
「まことにもって下らん。もとより、魯鈍なる妖怪ごときに取り合う義理などないが、一時は共闘した間柄でもあることじゃ。慈悲の心をもって、仏の厳つ霊にて教化せしめん。ノウマクサンマンダボダナンカンカクソワカ――」
「きゃああッ」
桃と千世のじゃれ合いが始まった。
なんだかんだ、年の近い者同士かもしれない。
白玉の物の怪騒動は、ひとまず幕を下ろした。
神社の面々に挨拶をして、千世、沙智、桃、権兵衛の四人は山を下りた。
下山の途中、初めて異形と遭遇した場所へ立ち寄り、倒れたまま放置されていた異形を、昨日と同じ方法で千世が成仏させた。
消えた異形や物の怪は、一体どこへ行くのだろう。
消えることは、この常世での「死」なのか。
千世は以前、読経などに意味はないと言っていたが、始末の後に経を唱えた。
そして一同は、再び山道を下りはじめた。
◆
「ボロっちい家だねぇ」
山から下りて権兵衛と別れたあと、三人は千世のあばら屋へ寄った。
その外観をひと目見るなり、桃は顔をしかめた。
「相変わらず無礼な猫じゃのう。お前は入れてやらん。外で待っておれ」
「事実を言ったまでサ」
桃は構わず、土間へ入ってくる。
「物が少ないねェ。囲炉裏もないじゃないか」
「ううむ、アレはどこへやったか――」
千世は桃を無視して、なにかを探している。
「物置かもしらん。ちょっと探してくる」
そう言うと、千世は家から出ていった。
「そういやサ――」
桃が思い出したように言う。
「あんたのこと、まだなにも聞いてなかったねぇ」
確かに、沙智は桃に自己紹介もしていなかった。
「アイツとはどういう関係なんだい?」
「えっと、常世に初めて来た時に――」
沙智は千世と出会った時のことを説明した。
「ふん。それで、とりあえず一緒にいるってワケかい」
「そうだね……」
沙智としても、流れで千世と行動を共にしている部分はある。
しかし、悪漢から助けてもらったり、色々と恩もあるのだ。
いつか、それに報いることができればいいなと沙智は思っている。
「まあ、どうしようとあんたの自由だけどサ、あんまりアイツにべったりするのは良くないかもしれないよ」
桃は上がり框に腰掛けながら言う。
「そう、かな――」
「そうサ。あんな得体のしれない妖術なんかを使う奴だよ? ただの人間じゃあない。アレは、面倒ごとを呼びそうな臭いがぷんぷんするね。この桃様の勘は当たるんだ。悪いことはいわない、付き合うのも程々にしときな」
「すでに結構、巻き込まれてはいるけど……」
「だろう? 老婆心ながら言うけどサ、常世での暮らしは、地獄ってほどじゃあない。むしろ食べて寝るだけなら、浮世なんかよりよっぽど楽さね。無理して誰かについていく必要なんてないんだよ」
そういうものなのか。
やはり、先の物の怪の騒ぎなどは、めったにない出来事だったということか。
怪我をしても病気になっても、そこまで深刻なことにはならないらしいし、慎ましく暮らすだけなら、難しくはないのかもしれない。
ただ、手に職のない沙智に、その理屈が通るかは分からないのだが。
「桃ちゃんは、どうして情報屋に?」
「おっ、知りたいかい?」
他の者は、どういう考えで仕事を決めているのか――
すぐさま千世と離れるつもりはないが、視野を広げるという意味でも、参考までに聞いておきたいと沙智は思った。
「まあ……これといって深い理由もないんだけどね。そういうのがなんとなく、イイ、って思ったからだよ」
「なんとなく?」
「情報屋とか、密偵とか――ちょっと恰好いいだろ?」
「ううん……まあ、そうかも」
思った以上に、深い理由はなかったようだ。
「なんだい。文句あるのかい?」
「も、文句はないよ」
「聞くところによるとサ、常世のどっかに、忍者の集まる里があるらしいんだ。そこで忍の修行をするなんてのも、ちょいと楽しそうだよねぇ」
これまた、時代劇や物語のような話だ。
「人の世の陰に潜みて、隠れた悪を成敗す――然してその正体は、見目麗しき猫忍者、誰が呼んだか桃花吹雪、ここに見参ッ!」
そんな派手そうな者に忍の仕事はできないのでは、と沙智は思ったが、桃が楽しそうなので黙っていた。今日の桃はなぜか、やけに機嫌がよさそうだ。
「なにを阿呆なことを抜かしておる。恥ずかしい奴め」
千世が戻ってきて言った。
「う、うるさいよッ」
桃は少し顔を赤らめる。
「本当に憎たらしいね、このガキはッ」
「沙智よ、旅路にその形では、いささか心許ないじゃろ。これを着けるがよい」
千世は裏の物置から、色々な装備を引っ張りだしてきたらしい。
坊主合羽に手甲、三度笠、それに脇差。
「そ、その刀みたいなのは、ちょっと――」
沙智は脇差を押し付けられて、尻込みする。
「なんじゃ、要らんのか? 護身にと思うたが、ってこれ、錆びとるわ!」
千世は「ぬおお」などと唸りながら、鞘から刀を抜き取ろうと苦戦している。
「駄目じゃ、抜けん。やめておくか。代わりに杖を貸してやろう」
「その合羽、あたいにもおくれよ」
桃が横から物をねだる。
「阿呆か。やらんわ。自分で買えッ」
「はッ、ケチなガキだねぇ」
沙智は合羽や手甲の着け方を教えてもらって、旅支度を整えた。
姿見がないので見栄えは確認できなかったが、作務衣を着たきりでいるよりは、随分と心強い。
千世は着物の上に絡子をかけ、さらに「风」の一文字が描かれた雑な作りの偈箱を首から下げた。さらに尺八を携え、天蓋を被った虚無僧の姿になると、
「支度はよいな――いざ、辻平へ参ろうぞ!」
と、声を張って歩きだした。
桃は笠を被って後に続く。
沙智もそれを追う。
眼前に、どこまでも伸びる道には、落ち葉と土埃が舞っている。
薄曇りの空を眺めると、鳥が一羽、視界を横切る。
日が暮れる前には、町へ着けるだろうか。
沙智は、慣れない旅の装いを気にしながら、前を行く二人に遅れまいと、ただひたすらに歩を進めた。
第一章「常世」 終




