A world healing, day by day
村の空気が、裂けた。
笛の音。
それが合図だと気づいた瞬間、山賊たちの目が一斉に動いた。
「……っ、外だ!」
誰かが叫ぶ。
次の瞬間。
縛られていた村人のそばにいた男が、刃を引き上げた。
刃先が、子どもの首元へ滑る。
(やめて!)
声にしたら喉が割れそうだった。
ヴィオラの背中が、私の視界を遮った。
「聖女様」
低い声。
「今は、呼吸」
私は息を吸った。
甘い匂いが肺を汚す。
でも、吐く。
吐かないと、私が倒れる。
---
村の入口の外。
「っ……!?」
山賊のひとりが、突然、足をもつれさせた。
見えない糸に絡め取られたみたいに、前へつんのめる。
そのまま地面へ顔から突っ込んだ。
「何だ!?」
もう一人が振り向いた瞬間。
背後の影が動いた。
黒い服。
短い刃。
男の膝裏に、一撃。
「ぎゃっ!」
叫び声と同時に、刃を握った手が落ちる。
(……誰?)
私は息を止めた。
「アニキ!」
山賊の仲間が叫ぶ。
(あの人たち、誰かに襲われてる……!)
次。
屋根の上で、弓弦の音が鳴った。
「ズンッ」
矢が刺さる。
肩。
太腿。
急所じゃない。
でも走れなくなる。
「弓だ! どこだ!」
屋根の端に、もう一つ影。
無言。
無駄がない。
思い当たってしまう。
ヴィオラが“見回り”と言って外へ出る時、同じ匂いがした。
冷たい土と、遠い煙。
---
「おい! 聖女!」
山賊の頭らしい男が怒鳴った。
「今すぐ浄化しろ!
こいつらが死んでもいいのか!」
縛られた子どもが泣く。
老人が呻く。
私の胸が、ぐしゃっと潰れた。
(救わなきゃ)
でも。
(救いを、奪われたくない)
矛盾で息が詰まる。
ヴィオラが静かに言った。
「……順番が違う」
その言葉に、頭の男が笑った。
「順番? ふざけるな!
侍女が口を挟むな!」
男が刃を抜く。
「黙れ。余計なこと言うと――」
刃先がまた、子どもの首へ。
(やめて!!)
私は祈ろうとして、指が震えた。
ヴィオラが、私の袖の端をほんの少しだけ引く。
“ここにいろ”
その合図。
---
「……分かりました」
私は声を出した。
男たちが、にやりと笑う。
でも私はその笑いを見ない。
見ないで、縛られた村人たちを見る。
救うべきは、あっちだ。
私は祈った。
まずは子ども。
恐怖で呼吸が浅い。
涙で視界が曇っている。
触れない距離。
でも奇跡は、距離を選ばない。
温かさが広がる。
子どもの肩が、ふっと落ちた。
泣き声が、小さくなる。
「……だいじょうぶ」
私は言った。
“私”の声。
次は老人。
咳。
胸の痛み。
血の気の薄さ。
治癒。
浄化。
一人ずつ。
急がない。
急げば、奇跡が乱暴になる。
(救いを押し付ける側になりたくない)
---
「おい! 俺は!? 俺もだ!」
山賊のひとりが自分の手を突き出す。
震えている。
甘い匂い。
(……違う)
私が首を振りそうになった瞬間。
「あなたは後です」
ヴィオラが代わりに言った。
上品に刺す。
逃げ道を塞ぐ。
山賊の男が苛立って刃を振り上げる。
その刃が、ヴィオラへ向いた。
(……っ!)
でも。
ヴィオラは、逃げなかった。
一歩。
半歩。
足運びが、静かすぎて怖い。
刃が振り下ろされる。
その瞬間。
ヴィオラの手袋が、白く光った。
――違う。
光ったのは、刃の角度。
ヴィオラは“受けて”いない。
刃が落ちるより先に、相手の手首へ指を入れて、軌道をずらした。
「……っ!?」
山賊の刃が地面へ突き刺さる。
次。
ヴィオラの膝が、男の腹へ。
「ぐぇっ」
男の息が抜けた。
次。
手袋のまま、顎。
「ガッ」
男が倒れる。
(……すごい)
私は息をするのを忘れた。
綺麗なのに。
怖い。
でも――助かる。
ヴィオラは、倒れた男の刃を拾わない。
踏むだけ。
足先で、遠くへ蹴る。
それで終わり。
殺さない。
でも、確実に“止める”。
私の胸が、きゅっとなる。
(私も、こうなりたい)
---
「……っ、姐さん! こっちだ!」
声。
外から。
男の声。
私は反射でそっちを見た。
村の端。
塀の上。
痩せた男が、山賊の背中へ飛びついて、首を絞めていた。
「寝ろ寝ろ寝ろ寝ろ」
小声で、雑に。
でも力は正確で、山賊の身体がずるっと落ちる。
サムが息を吐いた。
「……あー、やべ。聖女様、見ちゃった」
(見ちゃった)
私は顔が熱くなる。
ヴィオラは一瞬だけ、サムを睨んだ。
サムが両手を上げる。
「ごめん! ほんとごめん! でも今、緊急!」
緊急。
そうだ。
緊急だ。
---
次。
トムが屋根から飛び降りた。
音がしない。
地面に降りた瞬間、山賊の足元へ小さな袋を投げる。
「パンッ」
煙。
白い。
目が痛い。
「ぐぁっ!」
山賊が目を押さえる。
トムは無言で、縄を切って村人を解く。
その手が、速い。
速いのに乱暴じゃない。
(……怖いのに、安心する)
私の中の感情が、また混ざる。
---
そして。
女の人が現れた。
現れた、というより――そこに“いた”。
村の井戸の影。
さっきまで、誰も気づかなかった場所。
髪。
笑顔。
でも目が笑っていない。
「遅いわよ」
ミレイユが、優雅に言った。
山賊が振り向く。
「誰だ!」
ミレイユは肩をすくめた。
「通りすがりの、何でも屋」
次の瞬間。
ミレイユが投げたのは、瓶。
床へ転がり。
「カン」
割れた。
鼻を刺す匂い。
「うっ……!」
山賊がむせる。
(何、あれ?)
ミレイユが私へ目線を向けた。
「聖女様、息を止めない。浅く。浅くでいい」
私は言われるまま、浅く呼吸した。
ヴィオラが私の前へ立つ。
「……守れ」
小さく言った。
それが、命令みたいに聞こえた。
---
「おい! 人質を連れて移動するぞ!
家に押し込め! 火をつけろ!」
頭の男が叫ぶ。
火。
その言葉で胃が凍る。
(燃やされたら、救えない)
私は息を吸って吐いて、言った。
「やめて」
男が振り向く。
「……は?」
私は震えたまま続けた。
「火は……だめ。
ここは、みんなの家だから」
正しい。
でも弱い。
男は笑った。
「家? 知らねぇよ。
俺たちは、戻れねぇんだ」
戻れない。
その言葉が胸に刺さる。
麻薬。
依存。
戻れないのは、彼らだけじゃない。
私だって。
聖女になった日から、戻れない。
その瞬間、私の中で何かが噛み合った。
(だから私は、救いを奪われるのが怖いんだ)
---
ヴィオラが一歩前へ出た。
「……動くな」
声が変わった。
柔らかい侍女の声じゃない。
冷たい。
重い。
山賊たちが硬直する。
私は、目の前で起きていることが怖かった。
でも――憧れも同時に膨らむ。
(私も、あんなふうに)
救いたい。
守りたい。
---
私は祈った。
浄化。
甘い匂いを、少しだけ薄める。
一度で全部は無理。
無理だからこそ、“底なし”が怖い。
でも、いまは。
この場から逃げるための、薄い道を作る。
山賊のひとりが目を瞬いた。
「……あ?」
一瞬、手の震えが止まる。
「……な、何だこれ」
その隙を、サムが蹴った。
「今だって言ってんだろ!」
乱暴。
でも、正しい。
---
「こっち!」
司祭の声。
トムが、村人たちを誘導する。
ミレイユが、泣いてる子どもへ布をかける。
「ほら。視界、閉じて。聖女様がいるから」
……言い方が、ずるい。
私は胸が熱くなる。
ヴィオラが、私の肩へ手を置いた。
初めて。
ほんの一瞬だけ。
「大丈夫」
小さな声。
私は頷いた。
---
最後に。
私は老人へ手を伸ばした。
温かさ。
息が戻る。
老人が私を見た。
「……聖女様」
私は笑った。
「大丈夫」
背後で金属音。
山賊の刃が落ちる。
倒れる音。
今回は、見た。
ヴィオラが、足を払って男を転がし、刃を踏み、首元へ膝を置いて動けなくしていた。
殺さない。
でも。
救いを奪う手は、止める。
その姿が。
綺麗で。
私は息を飲んだ。
---
全部が終わったのは、夕方だった。
村の広場には、泣き声と、ため息と、震える笑いが残っている。
私は座り込みそうになって、膝を抱えた。
指先が熱い。
胸が痛い。
浄化したはずなのに、甘い匂いがまだ残る気がする。
(戻るんだ)
浄化しても、戻る。
底なし。
私は唇を噛んだ。
その時、ヴィオラが水を差し出した。
「聖女様」
いつもの声。
いつもの距離。
私は受け取って一口飲んだ。
冷たい。
現実。
「……ありがとう」
ヴィオラは頷くだけ。
私は喉の奥の言葉を探した。
怖かった。
救いが汚された。
でも。
「……ヴィオラがいてくれたから」
声が震える。
「私は、ちゃんと……救えた」
言った瞬間、胸の奥がほどけた。
ヴィオラは目を細めた。
「それが、あなたの仕事です」
仕事。
でも、その言い方は優しい。
私は首を振った。
「違う。
……次も、一緒に救って」
軽い言葉みたいに聞こえる。
でも私にとっては、重い。
ヴィオラは一度だけ黙って、頷いた。
「……当然です」
その瞬間、私は思ってしまった。
――この人がいるから、私は正しく救える。
その信じ方が、少し怖い。
でも今は、その怖さを抱いたままでもいい。
救いは、成立した。
ただし。
村の端で、布で顔を隠した女が、誰にも見られないように指先を動かしていた。
小さな紙片。
二本線。
それが土の上へ落ちる。
そして風に消える。
私は気づかない。
気づかないまま、夜の空を見上げた。
巡礼は終わる。
でも、終わりじゃない。




