イモセのミチ2 ~ 夫婦と心の在り方
第一章 真経津鏡が映し出した真実
薄紫の朝霧がイセの宮の古い檜の柱にまとわりつき、静寂の中に鳥のさえずりだけが響いていた。昨日からの参加者たちが再び集まる中、9代アマカミのオシホミミは深く瞑想するような表情で座し、ヒタカミのウオキミは期待に満ちた眼差しでアマノコヤネを見つめていた。
ツカルキミのヲキナ、ツクハ、シホカマもそれぞれに思いを巡らせながら、御簾の奥のタクハタチチヒメの気配を感じ取っていた。
アマノコヤネは一同を見回し、深く息を吸い込んでから口を開いた。
「皆様、本日は『カマトカミ』と呼ばれるようになったオキツヒコの話をいたしましょう」
その声が静寂な空間に響くと、参加者たちの背筋が自然と伸びた。オシホミミは手を膝にきちんと置き直し、ウオキミは身を乗り出すようにして耳を傾けた。
「このオキツヒコという男は...」
アマノコヤネは少し声を落とした。
「自分を支えてくれている妻に対して、何かにつけて悪いことを言っておりました」
「それは...どのような?」ウオキミが眉をひそめながら問いかけた。
「些細なことです。料理の味付けが気に入らぬ、掃除が行き届いていない、客への対応がなっていない...日々の生活のあらゆる場面で、妻の努力を認めることなく、批判ばかりを口にしていたのです」
シホカマが小さくため息をついた。
「それでは妻君もお辛かったでしょうね...」
「その通りです」アマノコヤネは頷いた。
「妻は『この様な事をされてはミサホが立たない』と嘆き悲しみました」
「ミサホとは?」ツクハが確認するように尋ねた。
「妻が夫に尽くす慎み深さのことです。夫からの理不尽な扱いに耐えかね、ついに妻は実家へ戻ってしまったのです」
参加者たちの表情に同情の色が浮かんだ。タクハタチチヒメは御簾の奥で、自分自身の結婚生活を重ね合わせていた。
「そんな状況を見て深く嘆いたのが、オキツヒコの父ウホトシでした」
アマノコヤネは続けた。
「息子の愚かさに心を痛めた父は、アマテルカミ様に相談することにしたのです」
朝の光が次第に強くなり、宮の庭の緑が鮮やかに映え始めた。その美しい光景とは対照的に、語られる物語には人間の心の暗さが漂っていた。
「アマテルカミ様は相談をお受けになり、『関係者一同を集めて下さい』とおっしゃいました」
オシホミミが前のめりになった。
「それで、どうなったのでしょうか?」
「イセに集まった一同の前で、アマテルカミ様は一枚の鏡を持ち出させました。それが真経津鏡でございます」
「真経津鏡...」ウオキミが息を呑んだ。「あの伝説の?」
「見えなかったものが映し出される神秘の鏡です。オロチの騒乱の時にも大いに活用された鏡でございます」
参加者たちの間に緊張が走った。
その神秘的な力について、誰もが畏敬の念を抱いていた。
「さて、その鏡に映されたオキツヒコの姿は...」アマノコヤネは一瞬言葉を止め、深刻な表情を浮かべた。「真っ黒に煤で汚れて、捨てるしかないような汚い鍋でした」
「まさか...」ツカルキミのヲキナが驚愕の表情を見せた。
「それほどまでに心が汚れていたということですね」
シホカマが悲しそうにつぶやいた。
「では、妻君の方はいかがでしたか?」オシホミミが心配そうに問いかけた。
アマノコヤネの表情が少し和らいだ。
「妻の方は霞がかかってはおりましたが、霞の先には美しく光り輝くものがありました。それは妻の『夫に寄り添い、心を和らげて共にあろうとする心』だったのです」
タクハタチチヒメは御簾の奥で、思わず胸に手を当てた。妻としての心境が痛いほど理解できたからだ。
「しかし霞がかかっていたとは...」
ウオキミが首をかしげた。
「夫のためを思う心は立派でしたが、夫の『味方を悪しざまに思う心』からくる行動を見て、妻は夫を心配する心を引っ込めて隠してしまっていた。そのために霞がかかっていたのです」
第二章 悪循環の真相と父の愛
午前の陽光が宮の奥まで差し込み、畳に美しい光の筋を描いていた。しかし、語られる夫婦の心のすれ違いの話は、その明るさとは対照的な重苦しさを帯びていた。
「つまり...お互いの心が通じ合わなくなっていたということですね」
シホカマが理解を示すように言った。
「その通りです」
アマノコヤネは深くうなずいた。
「夫は『味方を悪しざまに思う心』から妻に悪態をつき、一方の妻は『夫の態度が酷いが、それを指摘するのは避けよう。言いたい事を言わせておけば機嫌は直るだろう』と考えていました」
「妻の優しさが裏目に出てしまったのですね」ツクハが同情を込めて言った。
「良かれと思っての心遣いが、かえって悪循環を生んでいたのです」アマノコヤネの声には深い嘆息が込められていた。
オシホミミが眉間にしわを寄せた。
「夫には誰も止める者がいなかったのですか?」
「夫は誰も止める者もなく心の悪循環に陥っていれば、妻の自分に寄り添おうとしている心も見えるはずもありません」
参加者たちは身に覚えがあるかのように、複雑な表情を浮かべた。
「結局のところ...」
アマノコヤネは重々しく言った。
「夫のオキツヒコの間違いが主なる原因でした」
庭の木々を渡る風が、まるで当時の緊張感を運んでくるかのように感じられた。
「アマテルカミ様からこの至らなさを宣告されたオキツヒコは、よほどショックだったのでしょう」
「どれほどの衝撃だったか...想像に難くありません」
ウオキミがつぶやいた。
「それで、どうしたのですか?」
ツカルキミのヲキナが不安そうに尋ねた。
「自殺しようとしたのです」
参加者たちの顔が一斉に青ざめた。
タクハタチチヒメは御簾の奥で、思わず息を詰めた。
「それは...あまりにも」シホカマが震え声で言った。
「それを見た父のクラムスビが、慌てて息子を止めました」
アマノコヤネは声のトーンを変え、父の愛情深い言葉を伝え始めた。
「父君は何と?」オシホミミが身を乗り出した。
アマノコヤネは父の気持ちを込めて語った。
「『息子よ、自殺しようなんて、それは自分勝手な判断でしかない。もっと周囲を思いやって見てくれ』と言いました」
「『お前を産み育んで、これまで愛しんできた私たちの愛情があった事を思い出してくれ。私たちやお前の妻がお前に向けていた愛情の大きさに比べたら、お前の今回の間違いなど大したことではない』」
オシホミミは深く感動したように目を閉じた。
父としての経験を重ねる彼には、クラムスビの気持ちが痛いほど理解できた。
「『そのちょっとした思い間違いを謝り、心を改めて直し、私たちに向き合えばそれで済むことだ』」
「なんと深い愛情でしょう」
ツクハが感嘆の声を上げた。
「オキツヒコは父クラムスヒの教えに深く感動したのでした」
参加者たちの表情に安堵の色が浮かんだ。
「それで、オキツヒコはどうしたのですか?」
シホカマが希望を込めて尋ねた。
「妻を迎えに行って改めて謝り、仲良く暮らし始めました」
「よかった...」ウオキミがほっと息をついた。
第三章 カマトカミの誕生と「ススカ」の教え
陽が高くなり、イセの宮に温かな日差しが満ちてきた。先ほどまでの重苦しい雰囲気が、希望の光に変わろうとしていた。
「しかし、オキツヒコの成長はそこで終わりませんでした」アマノコヤネは続けた。
「と、申しますと?」オシホミミが興味深そうに問いかけた。
「彼は深く考えたのです。この間違いが起こったこと、その修正方法、そしてその後の対処法を、全国の夫婦関係で悩む人たちに知ってもらえば、解決の役に立つのではないかと」
「素晴らしい考えですね」ウオキミが賞賛した。
「一時は本気で落ち込んで自殺しそうになったオキツヒコでしたから、同じ悩みを持つ人を助けようとする心は真剣そのものでした」
シホカマが深く頷いた。
「苦しみを経験したからこそ、他人の苦しみが理解できるのでしょうね」
「そこで全国各地を巡って、夫婦円満の秘訣を広めて行ったのです」
「なんと立派な行いでしょう」ツクハが感動を込めて言った。
「この皆の心が良くなるようにと願うオキツヒコの気持ちと行動に対して、アマテルカミ様はお褒めをお与えになることにしました」
参加者たちは期待を込めてアマノコヤネを見つめた。
「オキツヒコが賜った褒め名は何でしょうか?」オシホミミが尋ねた。
「『カマトカミ』と詔されたのです」
「カマトカミ...」参加者たちが静かに反復した。
「その意味は?」ウオキミが身を乗り出した。
「もう捨てるしかないと思われる煤で真っ黒な鍋でも、綺麗に磨くと美しくなるのです。見た目だけでは何事も即断できません。その本来の心の在り方に輝くものがあれば、これこそが宝物です」
タクハタチチヒメは御簾の奥で、深い感銘を受けていた。
「輝きを覆っている煤を取り去りさえすれば、自ずと美しい本来の輝きが戻ってくるのです」
「深い教えですね」シホカマがつぶやいた。
「クニを治める国司に必要な心がけ、また一般国民が持っていると良い心がけ。それらは心から相手の幸せを祈る思いやりの気持ちです」
第四章 刹那的欲望の危険と「ススクラ」
正午の陽光が宮の庭を照らし、緑の木々が生命力に満ちて輝いていた。しかし、アマノコヤネの話は人間の心の奥深い問題へと向かっていく。
「夫婦のミチである『イセのミチ』に、この『心から相手の幸せを思う思いやりの気持ち』を照らして考えてみましょう」
参加者たちの表情が真剣になった。
「夫婦は、子孫までの長い未来にまで視点を伸ばして、幸せを実現したいと思うものです」
「それは当然のことですね」オシホミミが頷いた。
「しかし、それを実現させるために必要な事は、目先の刹那的な欲求や欲望に歯止めをかける事が大事となります」
ウオキミが眉をひそめた。「と、申しますと?」
「例えば、お金儲けに秀でた人を考えてみてください。もっとお金儲けをしたいとそこに目的を移してしまいやすいものです」
「確かに...」ツクハが思い当たる節があるかのように言った。
「そうしますと本来の『幸せを子孫まで実現したい』という想いに対して、本末転倒の事態に陥ってしまいます」
「どのような事態でしょうか?」シホカマが心配そうに尋ねた。
アマノコヤネは深刻な表情を浮かべた。「強引な手段に訴えてでもお金儲けに走りますから、周囲の人たちから恨みを買ってしまうのです」
参加者たちの顔に不安の色が浮かんだ。
「やがて子孫の時代になって、その恨みの付けが払わされることになります。子孫不幸のもとを作ったことを、『ススクラ』と言います」
「ススクラ...」ツカルキミのヲキナが重々しく反復した。
「煤に汚れて真っ黒です。煤を取り去って綺麗になるには、心の持ち方をまず変えることが大事です」
「どのように変えれば?」ウオキミが真剣に問いかけた。
「『心から相手の幸せを思う思いやりの気持ち』を心の中心に持つことです。それには『前後や理非を考えない欲求・欲望』から離れることが必要です」
オシホミミが深く頷いた。「それができると?」
「本来のこころの美しさが光ります。この状態を『ススカ(煤が無くて、美しく光り輝いている)』と言うのです」
第五章 タクハタチチヒメの気づき
「ススカ」という言葉が空間に響いた瞬間、御簾の奥にいたタクハタチチヒメが「ハッ」と息を呑んだ。彼女の心に電光のような気づきが走ったのだ。自分自身のイミナ(実名)が「ススカヒメ」だということを思い出したのである。
動揺を隠しきれず、タクハタチチヒメは思わず立ち上がった。御簾がかすかに揺れ、参加者たちが驚いて振り返った。
「チチヒメ...?」オシホミミが心配そうに声をかけた。
彼女は御簾から出て、直接アマノコヤネの前に歩み出た。その美しい顔には深い感動と理解の光が宿っていた。
「今、アマノコヤネから聞いた『ススカ』とは...」彼女の声は少し震えていた。「わたくしのイミナです」
参加者たちは驚きの表情を浮かべ、互いに視線を交わした。
「アマテルカミ様からのご命名であったと伝え聞いていたのでしたが...」
タクハタチチヒメは目に涙を浮かべながら続けた。
「その本当の意味は、今聞いたばかりです。もっと詳しく教えて下さい」
アマノコヤネは深い敬意を込めて頭を下げた。
「その通りでございます。アマテルカミ様のお気持ちが、強く込められてのご命名でございました」
「さて、『すす』には、煤の意味もありますが、更に深い意味合いも込められていましたことも、ご説明せねばならないと存じ上げます」
タクハタチチヒメは熱心に耳を傾けた。参加者たちも息を詰めて聞き入っている。
「最も古い時代に遡りますと『スス』は暦の長い年月を計数するための樹木の『ススキ』の意味でした」
「ススキ...」彼女が静かに反復した。
「『ススキ』はマサカキの樹とも言いまして、年毎に少しずつ枝先が伸びます。その寿命はとても長いものです」
ウオキミが感嘆の声を上げた。
「なるほど、長寿を願ってのご命名だったのですね」
「長寿の代名詞の『スス』にあやかっての『ススカ』ヒメ様のイミナのご命名のお気持ちもあられたのでしょう。また、金銀財宝を求めて子孫の衰退を招くことが無いように『ススカ』ヒメと、アマテルカミ様はご命名になられたのですね」
タクハタチチヒメの目には、深い感謝の涙が光っていた。アマテルカミの深い愛情を理解し、自分の使命を改めて感じ取っていた。
第六章 ツカルキミの疑問と哲学的対話
午後の光が西に傾き始める中、脇で静かに聴いていたツカルキミ(オホナムチ)がゆっくりと進み出た。彼の顔には真摯な疑問と、同時に深い思索の色が浮かんでいた。
「アマノコヤネ様」彼は丁寧に一礼してから口を開いた。
「お話は理解できますが、一つ疑問があります」
「どのような疑問でしょうか?」アマノコヤネが穏やかに促した。
「突然の危機に備えての貯えをしない人はいないと思います。やはり貯えの豊かさこそが幸せの代名詞だと思うのですが、どうでしょうか?」
参加者たちは興味深そうに二人の対話を見守った。
現実的な問題に対する鋭い指摘だった。
アマノコヤネは優しい笑みを浮かべて答えた。
「確かに、豊かさがあってこそ幸せに繋がり易いことは当然のことです」
「では、財を蓄えることに何の問題が?」ツカルキミが身を乗り出した。
「今説いています『ススカ』のミチで言う意図は、その先の話です。つまり、他人の思いがどのように自分に帰ってきて悪影響を及ぼすかの過程についての推測です」
ツカルキミの表情が真剣になった。「と、申しますと?」
「他人の幸せを見ますと、自分が幸せと感じていない人は絶望感を覚えるものです」
アマノコヤネの声に重みが加わった。
「それが羨みになり、妬みになり、嫉みになり、やがては恨みにも増大してゆくことでしょう」
オシホミミが深く頷いた。「人の心の暗い側面ですね」
「他人から受ける妬みや嫉みや恨みの思いは、死んでもなお身に受けてしまうほどに厳しいものです」
参加者たちの間に緊張が走った。死後にまで及ぶ影響について語られているからだ。
ツカルキミは核心に気づいてきたようだった。確認するような質問を重ねる。
「人々の生活においては、楽しい気持ちでいることや楽しく過ごすことを、そもそも理想としていたはずですよね?」
アマノコヤネは逆に質問した。
哲学についての理解を確認する必要を感じたからだった。
「それは、その通りです。ちなみにツカルキミ様は『人の生誕』についてはどのように理解なさっておられますか?」
ツカルキミは少し考えてから答えた。
「人の生誕は『アメ(大宇宙の中心)』から生じて『アメ』に還ります」
「その通りですね」アマノコヤネが満足そうに頷いた。
「ヒトはその源が『アメ』から生じています。そしてそこへ還らなくては、この世に戻って来ることもできません」
「では、何が妨げとなるのでしょうか?」シホカマが不安そうに尋ねた。
「それを出来なくしてしまうものが、他人からの妬みや嫉みや恨みの思いなのです」
第七章 クシヒコの教えの記憶
「アマキミやクニキミでさえも刹那的な欲求に苛まれることはあるものです。まして一般の国民でしたら刹那的な欲求は更に強いものでしょう」
アマノコヤネは続けた。
「それらからの悪影響をどのようにして防ぎ和らげる方法を『ススカ』のフミは説いています。時にツカルキミ様、『ススカ』のフミを教え説かれたことはありませんでしたか?」
その瞬間、ツカルキミの表情が劇的に変わった。
彼の目に、まるで雷に打たれたような驚愕の色が浮かんだ。
遠い記憶が蘇ってきたのだ。
「あぁ......」彼は手を額に当てた。「そういう事でしたか...」
「ツカルキミ様?」ウオキミが心配そうに声をかけた。
「やっと今になって分かりました」
ツカルキミの声には深い悔悟と同時に感動が込められていた。
「クシヒコが『ススカ』のフミの引用をして説いていたのは、『アメ』に還るためにどうしても必要な心の準備のことだったのですね」
彼の目には、息子への新たな理解と尊敬の念が浮かんでいた。
「これこそ幸せの原点であると...
今になってようやく気がつくとは、我ながら情けない」
オシホミミが励ますように言った。
「気づくのに遅すぎるということはありません」
「今気がついたからこそ、ぜひ教えてもらいたいです」
ツカルキミは真摯な表情でアマノコヤネを見つめた。
「一番の苦しみとは何でしょうか?」
第八章 トヨケカミの教えと生死往還の真理
夕方が近づき、宮の中に荘厳な静寂が訪れていた。アマノコヤネは深く息を吸い込み、最も重要な教えを語り始めようとしていた。
「生死の往還のことは、わたくしの尊敬申し上げるトヨケカミ様(アマテルカミの祖父)のお言葉に詳しくありました」
参加者たちは身を乗り出した。トヨケカミの教えを聞く機会は滅多にないからだ。
「トヨケカミ様は、このようにおっしゃっておられました」
アマノコヤネの声が厳粛になった。庭では夕風が木々を揺らし、葉のざわめきが聞こえている。
「『私はご先祖様の三代の移り変わりを知っています。その初代は言わずと知れたクニトコタチ様です』」
「クニトコタチ様...」参加者たちが敬意を込めてつぶやいた。
「『クニトコタチ様の偉業は「アメ」を深く考察しその構成を理解して「モトアケ(大宇宙の哲学的な掌握)」の枠組みを作り上げられたことでした』」
「『クニトコタチ様はフタヨムスヒと言われまして、生まれ変わりをされながら長い時間を生き続けたと伝えられています。それほどのご長命であったなら「生死往還のミチ」のことも理解して当然なのでしょう』」
参加者たちは、その途方もない年月に驚嘆していた。
「『今、私も高齢になりました。それで最早、目先の欲求に惑わされるようなこともなくなり、「生死の往還」のミチもようやく理解できるようになりました』」
タクハタチチヒメは深い感動に包まれていた。
「『「アメ」から降されたタマ(こころの源)は、女と男が結びついて来てヒトの心になって来ます』」
「そして?」オシホミミが促した。
「『その循環において、この世を逝去する時にも素直であればより良い境遇に生まれ変わって来ますが、この世を逝去する時に邪悪な心であったら再びこの世へ生まれ代わって来ることは不可能になるのです』」
参加者たちの表情が緊張に満ちた。
第九章 生まれ変わりの法則と動物への転生
夕陽が宮の庭を金色に染める中、アマノコヤネの話は更に深い領域へと入っていく。参加者たちの表情は真剣そのもので、誰もが息を詰めて聞き入っていた。
ツカルキミが更に問うた。
「物事は原初に戻ります。例えば火はその根源の男である陽に戻ります。また水は根源の女である陰に戻ります。それなら人はヒトミ(魂の源)に戻るのですか?」
アマノコヤネは少し考えてから、分かりやすい例えを使って答え始めた。
「小さな雑草は、やっぱり雑草ですね。稲や粟には成り得ません」
彼は庭の草を指差した。
「それは種が残っての生まれ継ぎの場合です。『アメ』にタマが還る生まれ変わりの場合は事情が異なります」
「どのように異なるのでしょうか?」シホカマが不安そうに尋ねた。
アマノコヤネの表情が深刻になった。
「ヒトも命が絶えますと、次に生まれ変わって来るミチを忘れてしまいます」
「忘れてしまう...」オシホミミが眉をひそめた。
「心の欲求の部分が多くあると、心の欲求の部分を空にしようとしている最中に、求める心が強いため、他の生命種のタネを安易に求めてしまうことになります」
「他の生命種とは?」ウオキミが恐る恐る問いかけた。
「例えば魚であったり鳥であったり動物であったりです」
アマノコヤネの言葉に、参加者たちの顔が青ざめた。
「それで、次にヒトに生まれ変わって来ることが出来ない不幸に見舞われるのです」
タクハタチチヒメは御簾の奥で手を胸に当てた。
その恐ろしい可能性に震えを感じていた。
「これこそ、大きな不幸です」
アマノコヤネは力を込めて言った。
「そのことを考えてみましたら、いくら多くの金銀財宝を集めても、それが何の役に立つと言えましょう?」
ツカルキミは深く頷いた。
「確かに...死後に動物に生まれ変わってしまえば、財産など無意味ですね」
第十章 タマノヲの乱れと死後の苦しみ
黄昏が迫る中、アマノコヤネの話は人間の心の奥深い真実に迫っていく。
「他人から褒められるために着飾って、また美味にふけったりしてばかりでは、こころの欲求の力が多くある状態になります」
「それがなぜ危険なのでしょうか?」ツクハが心配そうに尋ねた。
「これでは、生まれ変わりの際に、他の生命種のタネを安易に求めてしまうことになります。そして、たまたま偶然にヒトに生まれ変わることが出来たとしても、貧しい境遇であるのでしょう」
アマノコヤネは続けた。
「みすぼらしい下働きの身にやつして、他人の顔色を窺っての生活しか送れない。それで、なおさら、心の欲求が募って来てしまいます」
「悪循環ですね...」シホカマがため息をついた。
「羨みの心が他人を噛むのです。それに噛まれた人、噛んだ人もですが、タマノヲ(タマとシヰを繋ぐ働き)が乱れてしまいます」
オシホミミが困惑した表情を見せた。「タマノヲとは?」
「タマ(魂の源泉)とシヰ(心の本質)を繋ぐ働きです。これが乱れると...」
アマノコヤネは深刻な表情を浮かべた。
「どうなるのですか?」ウオキミが身を乗り出した。
「生まれ変わりの際に、人は始めに分解されて行きます。液体と固体とエネルギーの分解の際にシヰが解けずに苦しんでしまいます」
参加者たちは恐怖に震えた。
「それで動物のタネでも良いかとすがり求めてしまうのです」
「なんと恐ろしいことでしょう」ツカルキミが震え声で言った。
アマノコヤネは重要なことを付け加えた。
「アメミヲヤはヒトを憎んだりはしません。アメミヲヤに憎まれてケモノに落とされてしまうわけではありません。自分自身の苦しさからケモノに成って行ってしまうのです」
「自分自身の苦しさから...」タクハタチチヒメが悲しそうにつぶやいた。
「例えて言うならば、うなされるような夢の事を思って見て下さい」
アマノコヤネは分かりやすく説明した。
「寝汗をじっとりとかくような、夜中に自分の叫び声で寝ざめるような、そんな毎日ではやり切れませんよね」
参加者たちは身に覚えがあるかのように頷いた。
「それでついつい安易な物を求めてしまうのです。死刑になるような重罪も、結局は罪悪感から自分自身を恨み、そこから楽になりたくて夢見に自分に襲われることになるのです」
「心の重荷が、死後まで続くということですね」
オシホミミが理解を示した。
「他人に妬みや嫉みや恨みを生じさせるような、並外れた欲望は自分自身の心にはやはり響いているものなのです。それはタマノヲに響いて『良からぬことだ』と夢見に長いうなされの責めを受けます」
第十一章 祭祀の重要性と家族制度
夜の帳が降り始める中、宮の中には静かに燈火が灯された。その温かな光の中で、アマノコヤネは希望を与える教えを語り始めた。
「しかし、救いの道もあります」彼の声に希望の響きが戻った。
「どのような?」参加者たちが一斉に身を乗り出した。
「死後の事が心配であったり、また、祖先の人達の事が心配であったりしたら、『アメのマツリ』を立てておいたら良いです」
「アメのマツリとは?」シホカマが興味深そうに尋ねた。
「具体的には、一族の霊を祀る社に祖先の霊を招き入れて祝詞を奏上するのです。そうするとその祖先の霊の導きにてタマノヲを解くことが出来てアモト(大宇宙の中心)に戻り得ます」
「それで人に生まれ代わることが可能になるのですね」
ウオキミが安堵の表情を見せた。
「その通りです。しかし、一族の霊を祀る社と祭祀がないと、こうした補助的な元に戻る道筋に乗ることも出来なくなってしまうようです」
ツカルキミが深く頷いた。
「この意味からも、子孫を持つことに重要性があると言えますね」
「もしも妻に子供が出来なかったら?」
オシホミミが心配そうに問いかけた。
「妻も不幸です。死後に、お祭りをして、よもやの時にタマノヲを解いてくれる期待が持てないのです」
タクハタチチヒメは深く考え込んだ。女性としての立場から、この問題は切実だった。
「そんな時には他に妾をおいても子供を作るべきでしょう」
参加者たちの表情が複雑になった。現実的だが、感情的には受け入れがたい提案だった。
第十二章 妾制度の秩序と心構え
燈火の光が揺れる中、アマノコヤネは慎重に言葉を選びながら続けた。
「妾となりました女性は、本妻を敬いなさい。そうしませんと、一家(現代で言うと会社のような組織)の中が混乱を起こします」
「どのような混乱でしょうか?」ツクハが不安そうに尋ねた。
アマノコヤネは美しい比喩を使って説明した。
「夜空を思い浮かべてして下さい。月と星とが輝いています。星の方が明るくなったら、おかしいですよね」
「確かに...」シホカマが納得したように頷いた。
「あくまでも、本妻は月に相当するのですから。そこで、本宅にはメカケを入れてはいけないのです。月が二つも並んでは、何事にも混乱を生じてしまいます」
オシホミミが理解を示した。「秩序を保つためですね」
「月は夜の輝きです。本妻も妾を疎むようにしてはいけません。本妻は一家の中心にいてまとめるのが役目です」
タクハタチチヒメは複雑な心境で聞いていた。理屈では理解できるが、感情的には辛い教えだった。
「このため、一家運営の事ごとについては、妾の言う事を取り上げてはいけません。妾は世継ぎ子を育てるのが役目ですから」
「うまく世継ぎ子が授かればよいのですが...」ウオキミが心配そうに言った。
「そうでなく、うまく授かり子の得られない場合は別の妾を置くようなことにもなります」アマノコヤネは深刻な表情を見せた。
「その場合の注意点は?」ツカルキミが問いかけた。
「このような場合はよく注意して下さい。捨てられた妾は恨みを持って集まることで良くない集団が出来上がり、社会的な規範が乱れてしまいます」
参加者たちは深刻な表情を浮かべた。
「社会的な規範を整えるためにも、妾については何らかの整え方を模索して下さい」
第十三章 心の選び方と若い時の指導
夜が更けるにつれ、アマノコヤネの話は現実的な指導へと移っていく。
「周囲に特別扱いされることは慢心を生じます」彼は警告するように言った。
「慢心が生じるとどうなりますか?」シホカマが尋ねた。
「その慢心により人は心に荒れたところを持つことがあります」
オシホミミが深く頷いた。
「権力や地位による慢心は確かに危険ですね」
「ですから、心が優しく、他人の幸せを喜ぶ気持ちを持つ人を選んでください」
アマノコヤネは強調した。
「選ぶ際の注意点は?」ウオキミが身を乗り出した。
「外見にだけ捉われて間違わないようにして下さい。大切なのは心の方ですから」
タクハタチチヒメは深く感動していた。美しさよりも心の美しさを重視する教えに、女性として救われる思いがしていた。
「しかし、若い時には中々分かりにくいことも多いものです」
アマノコヤネは理解を示した。
「確かにそうですね」ツクハが同感を示した。
「そこで『イセのミチ』にて粗漏のないようにと細かなアドバイスを提示するようにしたのです」
「その理想は?」オシホミミが問いかけた。
「順調な生まれ変わりを実現してゆくためにあります。アマテルカミ様はこのお考えが人々に行き渡るようにと願って『イセのミチ』をお作りになりました」
終章 深い教えの完結
深夜が近づく中、長い一日の学びが終わろうとしていた。燈火の光が参加者たちの顔を温かく照らし、誰もが深い感動に包まれていた。
オシホミミは王としての重責を改めて感じ、民を正しく導く道筋が見えたような気がしていた。ウオキミは地方を治める者として、民の心の教育がいかに重要かを理解した。
ツカルキミは息子クシヒコの教えの真意を理解できた喜びに満たされ、父として恥ずかしい思いと同時に、息子への誇りを感じていた。
ツクハとシホカマは、人生の深い意味について新たな理解を得て、これからの生き方を見つめ直そうと心に決めていた。
そして何より、タクハタチチヒメは自分の名前「ススカヒメ」に込められたアマテルカミの深い愛情と期待を知ることができた。煤を払い、心の美しさを保ち続けることが自分の使命だと理解したのだった。
月が中天に昇る頃、アマノコヤネは深い満足感を込めて言った。
「本日はここまでにしましょう」
参加者たちは深い感謝の念を込めて礼をし、それぞれの心に新たな理解と決意を抱いて、この神聖な学びの場を後にした。
夫婦の道理、心の在り方、生死往還の真理、社会秩序の維持、そして人として歩むべき道について、彼らの理解は確実に深まっていた。
夜風が宮の庭を渡り、木々がささやくように葉を揺らす中、今日学んだ教えは参加者たちの心に深く刻まれ、やがて多くの人々に伝えられて、より良い社会の礎となっていくのであった。
星空が美しく輝く夜、イセの宮には静寂が戻り、深い学びの一日が静かに幕を閉じたのだった。




