↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りを繋ぐもの  作者: 和穂ゆう
PR
53/87

弟ソサノヲの罪と兄アマテルの苦悩

第一章 嵐の前兆


 夏の終わりが近づく頃、首都イサワの空は重い雲に覆われていた。

モチコとハヤコの姉妹が九州への蟄居を命じられた同じ時期、

ソサノヲにも首都での謹慎が下されていた。

アマテルキミの局との不貞行為が都に広まると、ソサノヲの人生は一変した。

ハヤスフヒメとの婚約は無情にも破棄され、

出雲での権威は音を立てて崩れ落ちた。

秋風が吹き抜ける首都の街角で、ソサノヲは虚ろな目をしていた。

心の奥底で燻る怒りと屈辱は、やがて周囲への八つ当たりという形で現れ始めた。


「もう、どうなってもいい」


その日、ソサノヲの怒りは農民たちの畑に向けられた。

丹精込めて盛られた種蒔きの土を足蹴にし、

田の畦を蹴り崩して大切な用水を流してしまう。

農民たちの悲鳴と怒号が響く中、ソサノヲは子供のような嫌がらせを繰り返した。

当然のように、あちこちから出入り禁止を言い渡された。


次に狙いをつけたのは、新嘗祭の衣装を織る機織り場だった。

神聖な収穫祭のための美しい衣装が作られているその場所に、

ソサノヲは田畑の堆肥を撒き散らした。

悪臭が立ち込める中、職人たちは顔を顰めてソサノヲを睨みつけた。

ここでも出入り禁止となった。



第二章 破滅への道


 出入禁止処分に対するソサノヲの怒りは、もはや理性の域を超えていた。

心の奥で何かが弾けるような音がした。

「俺を馬鹿にするな!」

機織り場を壊すため、ソサノヲは興奮した馬を機織り場に向けて放った。

馬の蹄音が地面を叩く音は、まるで太鼓のように響いた。

興奮した馬は扉を蹴破り、機織り場の中で暴れ回った。

織機が倒れ、糸が宙に舞った。


その混乱の最中、運命の瞬間が訪れた。

織機殿の中にいたハナコヒメ(セオリツヒメの妹)は、

暴れる馬から身を守ろうとして転倒し、

機織り機の鋭利な道具が胸に深々と刺さった。

彼女の白い着物が、瞬く間に赤く染まっていく。


「あ...」


ハナコヒメの唇から小さな息が漏れ、そして静寂が訪れた。


ソサノヲは茫然として、その場に立ち尽くした。

人がいるとは思っていなかった。まさか、このような事態になるとは。


「お、俺は...何てことを...」


血の気が引いた顔で呟く声は、風にかき消されそうなほど小さかった。


そこへ偶然通りかかったミヤ仕えの女性が、

呆然と立ち尽くすソサノヲと息絶えたハナコヒメを発見した。


「ハナコヒメさまが...お亡くなりに!」

その叫び声は、秋の空に響き渡った。


気配りの上手なハナコヒメは、ミヤ仕えの人々から深く愛されていた。

彼女の死を知った人々の泣く声は、都全体を悲しみで包み込んだ。



第三章 兄の怒りと教え


アマテルカミがその報せを聞いたのは、夕暮れ時のことだった。

朱に染まる空の下で、兄の顔は怒りに震えていた。


「ソサノヲよ」


アマテルカミの声は、普段の穏やかさとは程遠い厳しさを帯びていた。

「あなたは癇癪を起こして周りに当たり散らすような酷い方法で、

自分の思い通りにしようとしていましたね。

それは間違った方法です。それでは物事はうまく行きません」


風が吹き抜け、木々の葉がざわめいた。アマテルカミは続けた。


「"ミチ為すウタ"というものがあります。

『あめがした やわしてめくる ひつきこそ はれてあかるき たみのたらなり』


 この歌は教えています。世界が和やかに巡り、日月が明るく照らすからこそ、

人々は豊かに暮らせるのだと。


つまり、貴方が自分の思い通り我儘に振る舞えば、この和を壊し、

結局は自分の豊かさすら失うのです。

その和を壊した結果、ハナコヒメをも失ってしまった。

この歌の真意である和の心を良く理解しなさい!」



第四章 魂の叫び


ソサノヲは叫んだ。

「自分が悪いことは分かっているんだよ!

でも、どうしたらいいか分からないんだ!!」


その叫び声には、長年心に溜め込んできた苦悩が込められていた。

アマテルカミの言葉の意味は理解できる。

しかし、起こってしまった出来事―ハナコヒメの死―を自分の行いの結果として受け入れることができずにいた。


怒りの中で、ソサノヲは幼い頃の記憶を思い出していた。

母親を巻き込んで亡くしてしまった火事の光景。

炎に包まれた家屋、母の悲鳴、そして自分の無力感。


「昔から俺は、自分を抑えきれず、衝動的に何かをしては誰かを巻き込んで、

そして大切な誰かを殺してしまっている...俺は...俺は!自分自身が許せない!!」


自分への怒りに身を任せ、ソサノヲは岩に頭突きを繰り返した。

拳で殴り続け、血が流れても止めずにその行いを繰り返した。

血まみれになった手が岩を叩く音だけが、夜の静寂に響いていた。


「ソサノヲ...」


アマテルカミは、弟の長年抱えていた"心の蝕み"による苦しみに初めて気づいた。

しかし、取り返しのつかないことを起こしてしまった弟に、

どのような言葉をかければよいのか分からず、ただ押し黙るしかなかった。


やがて、呆然とするアマテルカミと血まみれのソサノヲを臣下たちが発見し、

介抱することとなった。



第五章 光を失った都


 ソサノヲはその後、自傷行為を防ぐため牢に入れられ、厳重な監視下に置かれた。

一方、アマテルカミは自分を深く責めていた。

月明かりが差し込む自室で、一人静かに涙を流していた。


「もっと早くにソサノヲの話を聞いていれば...ホノコの妹のハナコも...

いや、イサナミお母様すらも助けられたのでは...父上も...」


「何が"ミチ為すウタ"の真意を理解しろだ...!

ソサノヲと和を成せずにいるのに...理解していないのは私ではないか...!」

深い自省に陥ったアマテルカミは、自室の入口を固く閉ざしてしまった。



「アマテルカミが、お籠りになられた!」

ハナコヒメの事故死とアマテルカミのお籠りの知らせが広まると、

都の人々の気持ちは真っ暗に落ち込んだ。

いつもの明るい笑顔が消え、街角には重い沈黙が漂った。



第六章 希望の光


 この緊急事態を急使によって知ったのは、

アマテルカミの義弟オモイカネであった。

尊敬する義兄に訪れた危機、そして国家の緊迫した状況に、

オモイカネは松明を手に夜を徹して首都イサワに向かった。


首都に着いたオモイカネは、息子のタチカラヲから詳細を聞き、

すぐさま群臣を招集して緊急会議を開催した。


「どのようにお祈りすれば、お出まし願えるでしょうか?」


オモイカネの問いかけに、ツワモノヌシが答えた。


「マサカキの樹の枝を立て、上の方に朱塗りの玉を掛けましょう。

中程には真経津鏡を掛けましょう。下の方は麻幣を掛けて、お祈りをしましょう」


若い女性たちには日陰蔓をたすき掛けにし、

チマキをツルギに見立てて舞を演じさせる。

照明には薬草を入れた篝火を焚き、周囲には良い香りを放つ笹百合を活けた。

舞台装置が整う中、神聖な雰囲気が漂い始めた。


オモイカネが熟考を重ねて作った祝詞と、古くからの踊りに合わせて、

賑やかで調子の良い歌が響いた。


『かくのき かれてもにほゆ しほれてもよや あがつまあわ

あがつまあわや しほれてもよや あがつま あわ』

「枯れても萎れても、命はまだ生きている。小粒の粟でも大切に実を結ぶ。

悲しみや絶望の中でも、命や光は絶やさず、再び世を照らしてほしい」


 この歌声と舞踊は、アマテルカミが籠っている部屋の前で賑やかに演じられた。

古代の初代アマカミ、クニトコタチの御代を思わせる神聖な雰囲気が漂った。



第七章 光の復活


 部屋の中で、アマテルカミは外の賑やかな様子を聞いていた。

思わず感動の涙が頬を伝う。頬が緩み、小さな笑みが浮かんだ。

「こんな自分でも、皆は求めてくれている...」

まだ自信が持てないのか、そっと入口の戸を細く開けてみる。


ずっと待っていたタチカラヲは、アマテルカミの背中を押すように、

入口の戸をザッと開け放った。

明るい戸外の光に眩しさを感じたアマテルカミは、

甥にあたるタチカラヲに手を引かれて、お籠りの部屋から出てきた。


ツワモノヌシは膝をつき、深々と頭を下げて申し上げた。

「あなた様がお籠りになられていたこと、私ども一同、肝が冷えました。

今後、お心が苦しむことがないよう、所持万端を尽くします。

どうかお一人で苦しんで抱え込み、お籠りになることは思い止まって、

我らにご相談してください」



第八章 慈悲の裁き


 ツワモノヌシ、オモイカネ、タチカラヲなど多くの諸臣・国司が集まり、

ソサノヲの処罰について協議することとなった。

重い空気の中で議論が続けられた。

「ソサノヲ様の罪の大きさは、千クラと量刑します。

三百六十クラで死罪ですから、千クラは重刑です。

段階を経つつ、刑の執行を進めて行きましょう」


まず髪切りの刑が執行され、次に爪抜きが行われた。

髪と爪には呪術的な力があるとされていたため、

これらを取り除くことで力を削ぐ意味があった。


しかし、まだ千クラには達しないため、

次の刑の執行方式について検討が続けられていた時、

アマテルカミの正皇后セオリツヒメ(ホノコ)から

特赦のコトノリがもたらされた。


 ハナコヒメの姉であるセオリツヒメからの特赦は、

極めて有効な減刑の評価に結びついた。

彼女はアマテルカミと事前に話し合い、

ソサノヲの心の蝕みによる衝動が原因であることを理解していた。


「ハナコを殺めた罪の四百クラは執行猶予としてください。

ソサノヲ様が悪いことばかりを働いた仕業は、

生まれて間もない頃から生じていた心の蝕みによるものです。

そもそもの心の性根は、際立った悪いものはないように思えます」


このセオリツヒメのコトノリを受けて、諸臣たちは再び協議を重ねた。


「ソサノヲの罪は、アメノミチに反する大きな重いものです。

しかし、血族からの特赦の申し出があったことを考慮し、

半分は減免してもよいでしょう。

再び量刑について吟味すると、身分剥奪の上での追放が適当と判断致します。


よって、平民の身分に落としての追放処分とします」


ソサノヲは追放処分の身となってからは、スサノヲとも呼ばれるようになった。



第九章 和の心の復活


 諸臣・国司はアマテルカミの実弟の処罰について公布した。

アマテルカミや国民の人々も、死罪ではなくなったことに安心し、

表情が優しくなった。


 アマテルカミの心には、深い安堵と感謝が溢れていた。

事実としての罪に対する処罰が死罪ではなく追放で済んだこと、

愛する弟に再起の機会が与えられたこと。

セオリツヒメをはじめとする人々の慈悲に、心から感謝していた。


 そして同時に、長年心の蝕みに耐え続けてきた弟への思いも込み上げてきた。

ソサノヲがその苦しみから解放され、真の意味で立ち直ってほしい。

そんな励ましの気持ちを込めて、アマテルカミはミチスケのウタを作った。

人々と共に手拍子を打ち歌い舞いながら、弟への愛情を歌に託したのである。


『あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ さやけおけ

あわれ おもしろ さやけおけ あなたのし』


「ああ、なんと感動的で喜ばしいことよ。あなたの心は清らかになれる。

これからも清く、明るくあれ。ああ、喜ばしいことよ。

あなたの心よ、清らかになれる」


この歌には、罪を犯した弟であっても、

その心は必ず清らかになれるという信念が込められていた。

心の蝕みは生まれつきのものかもしれないが、それでも人は変われる、

清らかな心を取り戻せるという希望のメッセージだった。


集う人たちが手拍子を打ち、歌い舞う中、秋の風が優しく吹き抜けていった。


人々は口々に語り合った。

「アマテル様の慈悲深いご様子は、アマテラスオオミカミ(天から慈悲の光で照らす大いなるカミ)と呼ばれるのに相応しい」


こうして、暗闇に覆われていた都に再び光が戻り、

人々の心にも和やかさが蘇ったのであった。


しかし、この出来事が残した深い傷跡は、

関わった全ての人の心に永遠に刻まれることとなった。

和の心の大切さと、それを失った時の恐ろしさを、

人々は決して忘れることはなかったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。