八月二二日⑥
桐生は悔しそうにタバコを灰皿に押し付けた。
「それが、実はまだ支払われていないの」
東原はカウンターに置かれたキャンドルの炎を見つめながらポツリとつぶやいた。
「一体どういうこと?」
桐生は不思議そうな目で東原を見た。
「支払先口座をわざと違う番号に修正して、支払不能にしたんだ」本橋が代弁した。「かなりリスキーな行為だけどな」
「リスキーというかクレイジーだろ。監督署って思い切ったことするんだな」
桐生は思わず目を丸くした。
「流石にうちでも禁じ手だ。その代償として、随分上の方に絞られたみたいだぜ。東原は事務処理の正確さでは一目置かれているんだ。そんな彼女がそこまでした気持ちを推し量ってくれよ」
「確かに時間は稼げるがな。修正処理して再度支払手続きが取られるのはどれ位先なんだ?」
「八月二七日。来週の月曜日ね」東原が厳しい表情で桐生に視線を向けた。「私が会った人物は陣内節子もどきだったんでしょ。偽物にみすみす保険金を支払うなんて私は絶対にイヤだわ。明日にでも自称陣内節子に電話をしてどういう魂胆なのか問い詰めてやるわ」
本橋と桐生は、東原の激しい口調に一瞬たじろいだ。桐生は無言のまま、タバコに火をつけて深く煙を吸い込み、顔を上に向けると天井に向けて煙を吐いた。そして少し間をおいて、口を開いた。
「それは最後の選択肢として保留しておいてもらえないか。まだはっきり考えがまとまっているわけじゃないけど、この事件の首謀者をみすみす逃すことになりかねない」
「気づいていないフリをして、相手からの苦情に頭を下げろっていうの? ストレス溜まるわ」
東原はうんざりしたように斜め前に視線を向け、グラスを傾けた。
「桐生の考えに賛成だな。オレだって白岩に痛い思いをさせられているんだ。遠回りしなければならないかも知れないけど、絶対に思い知らせてやろうぜ」
本橋は、東原に諭すように言った。
「わかったわ」
東原は渋々応じた。本橋がグラスを掲げると、他の二人もそれに合わせ、三つのグラスがカチリと鳴った。




