八月二一日③
「それは光栄だな」桐生はヒロがカウンターに置いたグラスを右手で軽くかざした。それから、本橋に「あれから、何か進展あったか?」と尋ねた。
「特に何も。山形の同期に被害者の娘の自宅を当たってもらったんだが、本人を確認することはできなかった。さっき東原とも話していたんだが、免許証、住民票、預金口座が揃っているんだ、本人じゃないって疑う方が難しいよな」
「免許証の偽造ってのは無い話じゃないけどな」
桐生は、シャツの胸ポケットからラッキーストライクを出して、東原に吸ってもいいかジェスチャーで尋ねた。東原が頷くと、いつものように慣れた手つきでタバコに火をつけた。
「そうだ。免許証のコピーとってるんだったら、番号教えてくれないかな。それと一応保険金の振込先口座も。もちろん、ここだけの話ってことで」
「じゃあ、明日にでも連絡するわ」東原が頷いた。「でも、保険金は明日支払うことで手続き済みなの」
「そうか」桐生は残念そうに呟き、「でも、こいつが随分熱心みたいだから、オレも出来るだけ当たってみるよ」と本橋の脇腹に軽く拳を当てた。
「痛っ」
本橋が顔を歪め、桐生の拳が当たったところに手を当てて呻いた。それを見たヒロが「大丈夫か」と、慌てて近寄ってきた。
「どうしたの? 何かあったの?」
東原がヒロに尋ねた。ヒロは本橋が打ち明けていなかったことを察して一瞬躊躇したが、「実は、この間桐生さんと一緒に来た日の帰りに暴漢に襲われて、一晩入院していたんです」と告白した。
「なんで、そういうこと教えてくれないのよ」
東原は驚いた様子で、本橋に詰め寄った。
「楓さん、こいつは昔からそういうやつなんで勘弁してやってください」ヒロが諭した。
「昔からそんなに水臭い嫌なやつだったの?」
東原はヒロを見上げて咎めた。
「まあ、そう貶さないで、せめて強情とか意固地って言ってやってください。」
ヒロは苦笑いした。
「誰にやられたのか分からないのか?」
桐生も本橋の方に身を乗り出した。
「分からない。だが、白岩の息のかかった奴らじゃないかと思っている」
本橋は、大丈夫という風に手を軽く挙げた。
「何故そう思うんだ」
「推測だよ。最近、他にいきなり襲われるようなことをしてないからな。なあ、」本橋は桐生の方を見た。「手遅れかも知れないけど、免許証の番号照会だけでもやってくれないか。この間から言っているように、オレは白岩は筋金入りの悪党だと思ってる」
「わかった」
桐生の目に憤りの色が浮かんだ。




