八月一七日①
午後四時。本橋は、昨夜梶原に予告したとおり署を出た。梶原が背後からつけてきているか、あえて確認するようなことはしなかった。最寄りの駅から新宿駅まで向かい、新宿駅から千葉行きの総武線に乗り換えた。ホームから冷房が効いた車内に乗り込むと、車両の両側に沿って並べられているベンチシートにはポツポツと隙間を開けながら乗客が座っていた。本橋が乗り込んだ入り口のすぐ脇のシートでは暑さに疲れきったサラリーマンが顔を下に向けて左右に船を漕ぎ、その隣に座っていた大学生と思しき男が、迷惑そうにそのサラリーマンを肩で弾きながら、頑なにスマートフォンの画面を凝視していた。本橋は自分の汗ばんだ身体が隣の席の乗客に迷惑をかけてはいけないと思い、ドアの脇に立った。都内の駅は間隔が短いため、発車したと思うとすぐに次の駅に到着し、客を乗降させるためにドアが開いた。その都度、本橋は鈍く暑い外気を嗅いだ。錦糸町駅で多くの乗客が降り、車内は突然閑散としたので、本橋はようやく車両の隅の三人がけのシートに腰を下ろした。車窓から差し込む午後の日差しを嫌ってか、本橋の向かい側のシートには誰も座っていなかった。
本橋が目指していたのは幕張駅だった。そこから北上した京葉道路武石インターチェンジ付近に白岩がいる黒本組の寮があった。そこは杉並署の管轄外であるどころか、もはや東京労働局でなく千葉労働局管内であった。これから自分がやろうとすることを正当化できそうな言い訳をいろいろ考えたが、思いつかなかった。白岩が署や局に苦情を申し立てたら、弁解のしようもない。ただでさえ、今はNPO法人魂の共同体ネットワークの問題の渦中にいる身だ。ここでまた問題を起こせば、特に副署長が黙っているわけがなく、容赦なく本橋のことを糾弾するだろう。それにとどまらず、上司の斎城にも攻撃の手を伸ばすことは間違いない。そのことが気がかりだった。
「次は、幕張、幕張です」車内アナウンスが流れた。やがて電車は停車し、ドアがチャイムとともに開いた。ホームにはこれから帰宅しようとする高校生が、日差しを避けるように所々に固まって賑やかに喋っていた。人気がない階段を上って改札から出ると、本橋はスマートフォンの画面に地図を表示させた。画面には黒本組の寮まで徒歩二○分と表示されていた。本橋は、駅前のロータリーにいる自分の位置を確認すると、目指す方向に歩き始めた。途端に汗が噴き出た。




