小話:エリザの困惑
あら、お久しぶり。エリザよ。
こうしてまたヒロインとして会えるなんて、嬉しい。
……なんてね。言うわけないじゃない!!
どうしてまだ読む人がいるのよ。折角、ヨハンとまったりとした人生を送ったと思ったのに。
また始まっちゃったわ。ヒロインとしての人生が。
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「エリザ!」
ヨハンの声に顔を上げた。一番最後に見た白髪の皺だらけのヨハンじゃない。まだ少年ぽさを残した初々しいヨハンだ。
今夜は一緒に夜会へ参加することになっているため、早めに迎えに来てくれたようだ。ヨハンはいつもと違い、パリッとしている。ただ、残念なことに彼の髪が少しだけ乱れていた。きっと髪をかき上げる癖があるから、触ってしまったんだろう。くしゃくしゃにしなかっただけ、マシかもしれない。
「どうしたの、大声を出して」
「何故、そのドレスなんだ?」
「ダメかしら?」
ドレス、と言われて自分の着ているドレスを見下ろした。くるりと一回りして見せた。
「ダメじゃないけど、その薄いクリーム色よりもこの間着ていた若草色の方が似合っているのに」
「クリーム色は滅多に着ないから、着てみたかったの」
「それではぱっとしないよ?」
でも、ほら。赤いワインは薄い色の方が目立つじゃない。そこが重要よ。それにワインをかけられてもいいドレスじゃないと、もったいなくて。
言えない本音を笑顔で隠した。前回はドレスをかなりやらかして、おかしなことになってしまったから、今回は無難に選んだ。
ヒロインらしく儚く、ワインの赤が際立つ、男性から見ると可笑しくはないけど女性から見ると少しだけ野暮ったく見えるドレス。
すべてを満たすのがこのドレスだ。いい選択だと自画自賛する。
ヨハンは納得したようなしていないような顔でいたけど、しばらくすると手を差し出した。
「エリザがそれでいいなら、いいか。さあ、行こうか」
「ええ」
ヨハンにエスコートされて馬車に乗った。今回はエスコートを渋られることがなかった。そのことが少し思い出されて、笑みが浮かぶ。
「楽しそうだね」
「ええ、夜会が楽しみですもの」
**
夜会会場に着くと、ヨハンは知り合いに挨拶に行った。一人になったわたしは、すぐにキアン、ではなくカロリーナを探す。きっとどこかにいるはずだ。彼女の側に行かないと始まらない。
キョロキョロと辺りを見回しながら、ゆっくりと会場を回る。会場は談笑している人々、ダンスを楽しんでいる者、先に食事を楽しんでいる者など様々だ。この夜会を主催した伯爵の姿も見えた。だが、キアンもカロリーナも見つからない。
「おかしいなあ……」
若干、嫌な予感がした。
何だろう、このゾクゾク感。
前回も予想外の出来事ばかりで、ちょっと焦ってヒロインとしては失格だった。今回はそうならないようにと気を付けているのだけど。
本当に何なの、この変な感じは。
見つからない二人にも焦るが、いつもと違う感覚も無視できない。どうしようかと会場の隅で立ち止まる。今回は諦めて、帰った方がいい。そう勘が告げていた。わたしはカロリーナではなく、ヨハンを探すことにした。
ばしゃん。
……は?
愕然として自分のドレスを見下ろした。ドレスが濡れていた。白ワインで。
ええ?????白ワイン?????
嘘でしょう?ここは赤じゃないの!!!!
混乱しながらワインを零した相手に視線を向けた。目の前に立つのはカロリーナじゃない。知らない女だ。同じくらいの年齢だと思うが、少し下かもしれない。ワイングラスを翻した状態のまま、こちらを睨みつけていた。
ちょっと、ちゃんとワイングラスを上に戻しなさいよ。その高そうなドレスが雫で汚れているわよ。それともわたしと同じで安いドレスなの?
というか、わたしはどうしたらいいの???
キアンの婚約者はカロリーナじゃなくて彼女になったのかしら?
それともイメージチェンジで彼女がカロリーナなのかしら?
胸、ありえないほど大きいし。
じっと睨んでくる相手を見ていると、そのうち彼女の相手がやってきた。ダニエル・バークだ。今度こそ驚きのあまりに声が出ない。
「何をしているんだ!」
ダニエルが非難したのはこの見知らぬ令嬢。黙って立っていると、ダニエルがぐっとわたしを庇う様に肩を抱いてきた。悔しそうに令嬢は唇を噛み締め、俯いた。
そこでちゃんと文句言わないと!
ほら、名セリフあるでしょう?頑張って!
心の中で励ますが、彼女は黙り込むだけだ。ダニエルはため息をつき、わたしを少し離した。覗き込むようにわたしを見下ろす。
「婚約者がすまなかった。送っていこう」
「いえ、連れがいますので……」
戸惑いながらそう答える。しんとした会場が再びざわめきを取り戻した。騒ぎを聞きつけたのか、ヨハンが慌てて寄ってきた。この間に、ダニエルの婚約者の彼女もいなくなっていた。ダニエルに非難の目を向けられて居たたまれなくなったのだろう。
「エリザ!」
「ヨハン」
ヨハンが来たことに、ほっとした。ヨハンはわたしの汚れたドレスを見て、難しい顔をする。何があったか理解したのだ。そしてダニエルに視線を向けた。
「彼女を助けてくれてありがとうございます」
「いや、もとはと言えば俺の婚約者が原因だから」
「それでも……」
ヨハンは言葉を濁し、わたしの手を取った。
「帰ろうか」
「ごめんなさい」
「大丈夫だよ」
そんな短い会話を交わし、ダニエルに挨拶すると会場を後にした。
これは……これはどういうこと?
******
あれから、学園でも色々あった。教科書は知らない間に盗まれた。学園に置いてあった制服の予備がズタズタになっていた。その他にも小さな嫌がらせや、本気でやめて欲しい嫌がらせが続いていく。
正直、参っていた。
どんよりと落ち込みながら、中庭にあるベンチに座っているとばしゃっと水が降ってきた。思わず顔を上げる。
目の前にはダニエルの婚約者だと言う女。
濡れた髪からぽたぽたと雫が落ちる。
「ダニエルに近づかないで」
「……そんな」
近づいていないだろうが!!お前の目は節穴か!
そう怒鳴ってやりたかったがここはヒロイン。
頑張れ、ヒロイン。
うるんと瞳を潤ませた。そろそろダニエルがやってくるからだ。少し俯くと涙が眼のふちから流れてくる。
「何をしているんだ、ユーリエ!」
怒りを露わにダニエルが怒鳴った。怒鳴られたユーリエは体を揺らす。
「ダニエル」
「どうしてこんなことするんだ。本当に済まない、エリザ」
ダニエルはそっとわたしの頬に掛かった髪を払い、そのまま耳に掛ける。彼は自分の着ている上着を脱ぐと、わたしの肩にかける。
「着替えはあるだろうか?とりあえず医務室に連れて行こう」
「待って!ダニエル」
ユーリエが必死に引き留めるが、彼は冷たく彼女を見ただけだった。
ダニエルに連れられて、わたしは医務室へと向かった。
******
正直に言おう。
あまりの下手さに身が持たない。万が一、階段落ちを試されたら死にそうだ。
これは物語だ。それっぽく見せて、それっぽくなっていればいいのだ。
カロリーナなんか上手くやっていたじゃない。嫌がらせだって噂だけ。罵りパフォーマンス何て秀逸だ。ワイン掛けだって小技が効いて光っていた。
磨きに磨かれた悪役令嬢の技の数々。
カロリーナはその実力を有していた。
わたしだってちゃんとわかっている。だから、初めからカロリーナほどの技術や熟練度は求めない。求めないけど……!
新人は本当に、本当に勘弁して欲しい。
カロリーナを戻してくれるか、もしくは悪役令嬢新人研修をきっちりやってから投入して。
ユーリエは本当にひどすぎる。技術がないというよりは、素質がない。
それができないなら、どうか神さま。
どうか、どうか。
ヒロイン、引退させてください。
Fin.
新人研修を担当した時を思い出して。
新人担当:ヒロイン、新人:悪役令嬢