第二十話 『脅迫』
ワタシがツチダテをプレス機で殺害した後、何の前触れもなく視界に映らない敵が出現した。その見えない敵、つまり透明人間は飛び道具を多用してワタシのことを殺害しようとしていたけど、ワタシは様々な方法を駆使してそれを迎撃し、殺害することに成功した。
しかし、その際に戦闘によってワタシは左目を失い、それ以外にも大怪我を負った。このままでは、今すぐにでも治療しないとワタシ自身が出血多量で死亡してしまう。だから、ワタシは地下室の入り口に散らばる大量の血液と内臓を確認した後、家に戻ろうとした。
でもその直前、階段のほうからヒサバとミズシナの足音と声が聞こえ、ワタシは地下室中に散らばっている瓦礫や残骸の影に隠れ、息を潜めた。
何でこのタイミングでヒサバとミズシナが地下室に来る? ヒサバのことはさておきとしても、ミズシナは組織の仕事場で資料の整理をしていたはず。ミズシナには地下室の存在を教えてはいないし、昨日だって仕事中に抜け出そうとしたのを発見したときに念入りに警告しておいた。それに、今日ツチダテがここに来るということは知らなかったはず。
いや、今はミズシナはそれほど大きな問題ではない。むしろ、今の状況で不可解なのはヒサバの存在のほう。ミズシナは何かのきっかけでワタシやツチダテが地下室に下りたことに気がつくかもしれない。でも、それなら、なぜヒサバはここにいる?
ミズシナの話によると、昨日ヒサバはカナイズミとツチダテの二人と外出しており、今日はキマタと外出していたはず。それに加えて、おそらくヒサバはミズシナがバイトをしているということを知らない。
これらのことから考えた場合、本来ヒサバはここにいてはおかしい存在ということになる。キマタと外出しているのならここには来れないはずだし、ミズシナがバイトをしていることを知らないのならワタシが住んでいる家に用事なんてないはず。
それとも、もしかしてワタシはもっと根本的なところから間違っているのだろうか。それがいつからなのか、何なのかは分からない。でも、そうでなければここまでの話につじつまが合わなくなる。
ただ、ワタシの見えないところで、知らないところで、何か重大な動きがあった。それだけは分かる。
それに、ワタシの予想に反して、ツチダテもワタシの命を狙っていたということもある。また、正体不明の透明人間に襲撃されたということもある。とりあえず、情報が少ない今のところは透明人間は例の電話相手の女性ではないと仮定して、その上で、例の電話相手の女性にはツチダテの死を伝えないほうがいいかもしれない。
これ以上状況が複雑化してしまうとさすがのワタシでも収集がつかなくなるし、それよりも今は別にするべきことがある。まずは、なぜヒサバとミズシナがこんなところにいるのか。その謎の解明と、あの二人をこれからどうするべきか。この二つについて考える必要がある。
ワタシは物陰に身を隠しながら、ヒサバとミズシナの動向を伺う。
「こ、これはいったい……」
「……っう……くっ……!」
「沙祈!? 大丈夫かい!?」
「だ、大丈夫……逸弛……もう、戻ろう?」
「……そうだね」
不意に、ヒサバが自分の腹部を手で押さえながら、膝から床に崩れ落ちる。その様子を見たミズシナがヒサバに駆け寄り、声をかける。ヒサバは何度か咳き込みながらも、少し腹部を意識しつつ、ミズシナに返答した。その後、ミズシナがヒサバをかばうような形で、二人は地下室から姿を消した。
ヒサバの身に何が起きたのかは分からないし、結局二人は何のために地下室の来たのかは分からない。でも、これでようやく邪魔者はいなくなった。いざとなれば特殊拳銃で射撃して、この場で二人を殺害してしまうのも手かもしれないと思っていたけど、その必要もなくなった。
ワタシはヒサバとミズシナが地下室から出た後、周辺にいなくなったことを確認し、ワタシが住んでいる家へと戻った。その最中、もちろん二人に会ってしまう可能性はあったけど、幸いなことにそんな事態には陥らずに済んだ。
ワタシは家に着くなり早々に、透明人間との戦闘の際に失った左目やそれ以外の怪我を治療していった。薬品の効果で傷口はすぐに塞がり、同様に出血も止まった。しかし、失ってしまった左目だけはどうしても再生に時間がかかりそうだった。
一応、眼帯を付けることで、外から見ても怪我の具合は分からないようにすることはできる。でも、それと同時に、友だちグループのみんなにはワタシの身に起きた異変に気がつかれてしまうことだろう。普通、日常生活では眼帯をするほどの大怪我はしないし、それに、余程の大怪我でもなければ治療すればすぐに治ってしまうから。
まあ何にしても、これはもうどうすることもできない。ワタシの努力で怪我が治るのが早くなったりするわけではないし、隠せるようになるわけでもない。
ワタシ自身の体の状態を変えられず、それによって不都合が生じて計画に悪影響が及ぼされる。だったら、見る側の状態を変えてしまえば全て解決する。つまり、日常的にワタシと会う人たちを全員、殺害してしまえばいい。
そう。そもそも、ワタシの目的はただ一つ。合計百人になるように親しい人たちを殺害することだけ。そのために四苦八苦しているのなんて、正直いって馬鹿らしい。だったら、今すぐにでもこの状況を終わらせてやる。全員、殺害してやる。
今のところ、ワタシがこれまでに殺害してきたのは、義理の家族と組織の人間と友だちグループ数人。土館の死と透明人間の死は例の電話相手の女性に報告するつもりはないから、それはカウントできない。また、例の電話相手の女性との契約で、友だちグループのメンバーと太陽楼だけは他の人の十倍としてカウントされる。
この場合、ワタシが通算で殺害した人物の総合計は『義理の家族(七人)+組織の人間(一人)+友だちグループ(二人×十)=二十八人』となる。
よって、ワタシがこれから殺害しないといけないのは七十二人。その内、友だちグループのメンバーと太陽楼はあと五人残っているから、その全員を殺害した場合、ワタシがその後に殺害しないといけないのは二十二人。残るは、たった二十二人。それに、もうすでにその目星はついている。
明日、ワタシは七十二人分の人間を殺害する。そして、ワタシは願いを叶える。
ワタシは自分が住んでいる家で一人、包帯でぐるぐる巻きになった左目を押さえながら、そう決意した。その晩、ワタシは家中にあるありとあらゆる凶器や薬品をかき集め、明日に備えた。
……。
次の日。今日は週明けの月曜日だというのに、ワタシは登校しなかった。ただ、これは授業を受けるのを目的として学校に行かなかっただけであり、ワタシ自身が学校に行かなかったわけではない。
また、ワタシは念のため制服を着て学校に来た。また、その制服のいたるところにはナイフや拳銃などの凶器はもちろんのこと、爆弾や薬品なども大量に忍ばせてある。それに加えて、ワタシは普段授業用に使用している鞄にそれらと同様の危険物を大量に詰め込んだ。
ワタシの今の格好は、はたから見れば何の変哲もないただの学生が登校してきただけのように見えるだろう。左目にある眼帯に疑問を感じられても、制服や鞄が凶器を詰め込んだせいでぱんぱんになっていることを不審に思われても、何の問題もない。どうせ、全員殺害するのだから。
学校に着くと、ワタシはすぐに自分の教室ではなく職員室へと向かった。そして、周囲に誰もいないことを確認し、一時間目開始のチャイムが鳴ると同時に、職員室へと入った。職員室の中には、教職員は一人しかいなかったけど、一人いれば充分だ。むしろ、複数人いたら厄介なことになっていたから、一人だけでいてくれてありがたいくらいだ。
「……? ちょっと、そこの君。一時間目の授業はもう始まっているぞ? 用がないのなら早く教室に――」
「……黙れ」
「え?」
これから自分が、そしてこの学校がどうなるかも知らずに、その教職員は出入り口に立っているワタシに近づく。そして、ワタシのすぐ目の前に来たとき、ワタシは一言だけそう呟き、行動を開始した。
まず背後にある出入り口を閉め、あらかじめ用意してあった透明な強化ガラスの設定を変更するパスワードを入力する。それによって、この職員室だけでなく校内の全教室の壁がいわゆるマジックミラーのような状態になる。内側からは外側が見えるが、外側から内側は見えない。つまりはそういうこと。
その間、ワタシの目の前にいる教職員はワタシが何をしているのか、何を呟いたのかをまったく理解していない様子だった。しかし次の瞬間、ワタシはポケットから取り出した小型拳銃をその教職員の胸に当て、左手はいつでもナイフを取り出せるように準備しておいた。
「な、何だね、これは。まさか、今の時代、本物の拳銃がこんなところにあるはずが――」
「……確かめてみる?」
現実逃避をしたい気持ちは分かるけど、教職員のそんな台詞に苛立ちを覚えたワタシは照準を逸らして引き金を引き、教職員の背後にあったパソコンを破壊した。それを見た教職員はまさに顔面蒼白といった姿で、ワタシに恐怖しているのがよく分かった。
楽しい。他人を恐怖させ、絶望させることがこんなにも楽しいことだったなんて、知らなかった。
その後、ワタシは再び教職員の胸に拳銃を突きつけ、一瞬だけにやりと笑う。自分の背後で破壊されたパソコンと目の前にいるワタシの様子を見た教職員は、降参とばかりに両手を上げ、震えながらワタシに質問する。
「よ、用件を言え」
「……今、この学校にいる全校生徒と全教職員の位置を把握したい」
「な、何!? そんなことできるわけ――」
「……できるできないじゃない。……するんだよ」
「……っ!」
ワタシは不敵に笑いながら、教職員に拳銃の銃口を向けてそう言う。でも、どうやら教職員はワタシの要求を果たそうとしてもその方法が分からないらしく、死の恐怖に怯えて震え上がっていた。それを見たワタシは一度だけため息をついた後、その模範解答を述べた。
はぁ、何でワタシがここまでしてやらないといけないんだろう。
「……ワタシの目的は今からある教室を襲撃すること。……だから、全校生徒と全教職員の居場所を把握しておく必要がある。……つまり、この学校にいる全員が教室にいてくれれば、ワタシの要求は果たされることになる。……今オマエができることはただ一つ。……それは、放送を流して、全校生徒と全教職員に今すぐ教室に入り、指示があるまで出ないように言うこと」
その数十秒後、校内放送がかかり、ワタシの要求が果たされた。