第十八話 『圧殺』
ツチダテから届いたメールは一通で、『着いたよー。どうすればいい?』とだけ書かれたものだった。地下室のすぐ手前にいたワタシはそのメールを確認したあと、ツチダテに電話をかけた。ワタシがいまどこにいるのかを知らせないため、音声のみの通話にしておこう。
「……ツチダテ」
『あ、葵聖ちゃん。いま、葵聖ちゃんの家の玄関のすぐ手前にいるんだけど、これからどうすればいい? 何か、昨日の話し方的にできる限りほかの人には内緒にしておきたいみたいだったけど、これからどこか別の場所に移るのかな?』
「……いや、そのままワタシの家に隣接している建物に入って、その地下に来てほしい。……詳しい話はそこでする」
『地下……? ああ、うん。わかったよ。ちょっと待ってね』
「……あ。あと」
『……?』
「……昨日言ったとおり、一人で来てくれた? それと、ワタシがツチダテを呼んだということを誰かに言ったり、来る最中に誰かに見つかったりはしていない?」
『大丈夫大丈夫。滅多にない、葵聖ちゃんからの頼み事だからね。きちんと守れているはずだよ』
「……そう。……それならいい」
そう言って、一旦ツチダテとの電話を切る。ツチダテはワタシのことを微塵も疑っておらず、ワタシがただ単純にツチダテに秘密の相談をしたくて呼んだのだと思っている。
ツチダテにしてみれば良心によってその行動をしているのかもしれない。でも、ワタシの目的はツチダテに秘密の相談をしたいなどというものではなく、ツチダテを殺害することにある。だから、ワタシは純粋な気持ちで行動しているツチダテの姿が滑稽に見えて仕方がなかった。
だからといって、ツチダテを殺害しないわけにはいかない。ツチダテに注意や警戒をしていなかったのはワタシの責任だけど、ツチダテが危険因子であることには変わりない。それに、何にしても、最終的に友だちグループのメンバーは全員殺害するのだから、その順番がどう変わろうと問題はない。
いま、ツチダテはワタシが住んでいる家の前にいると言っていた。おそらく、ワタシがツチダテに秘密の相談をしようとしていると考えたツチダテは、ワタシの家族にもそれが知られないように配慮してくれたのだろう。その結果、ツチダテは呼び鈴を鳴らすことなく、ワタシにメールをしてきた。そんなところだろう。
余計なお節介だ。そして、無駄な心遣いだ。
玄関前からこの地下室までは五分もしないうちにたどり着くことができるはず。途中で地下室への行き方がわからなくなったら電話してくると思うし。万が一にも組織の仕事場にいる人たちに聞いたり、そこにいるミズシナと遭遇したりはしないはず。
そういえば、あれは昨日のことだっただろうか。ワタシの義理の父親から直接資料の整理を頼まれていたという男性を殺害したあとに読んだ、例の資料。暇な時間があればあの資料についての謎を考えてはいるけど、どうしてもその明確な解答を導き出すことができない。
そこに書いてあった内容は『オーバークロック』や『第三次世界大戦』のことなど、組織では研究も記録もしていないようなことばかりだった。それに、書いてあることはいつかワタシが見聞きしたようなことばかりであり、特別目新しいものはなかった。
でも、ワタシの義理の父親はそれを『娘には見せないほうがいい』と言っていたのだからおかしな話。ワタシがあの人の娘として扱われていなかったとした場合、残っているのは二人。でも、その二人にとってのトラウマになりうる過激な内容は資料には書かれていなかった。
そうなると、いったいどういうことなのだろうか。今日の晩や明日になれば少し落ち着くことができるはずだから、家中の本や組織の資料をかき集めて何か手がかりが得られればいいと思う。
まあ、これからのワタシの殺人計画には何も影響しない。強いて言うならば、そのことが気になって作業に集中できないかもしれないから念のため解決しておく、程度にしか思っていない。あくまで暇つぶし、あくまで保険、あくまで興味本位。
そのとき、カツンカツンという音が地下室前の廊下に響き、その音が少しずつ大きくなっていくのがわかった。どうやら、ツチダテが来たらしい。そして、ツチダテはその姿をワタシに晒すと同時に、少し心配そうな困ったような表情をしながら聞いてくる。
「あ、あの、葵聖ちゃん。葵聖ちゃんのご両親って、何か特殊なことでもしてるの? お家が旧式の建築だったのを見たときから少し疑問に思っていたけど、隣に見馴れない建物があったし、しかもこんな地下室があるだなんて……」
「……気にしないで。……一応、法律に違反するようなことはしていないけど、世間にはあまり言えないようなことをしているだけみたいだから」
「そ、そう? まあ、言えないことだってあるもんね。うん」
ツチダテは何か嫌な予感を察知したのか、少し震えているようにも思えた。しかしそれと同時に、ワタシに迷惑をかけてはいけないとも思ったのか、無理やり納得したようなそぶりも見せた。
「……それじゃあ、廊下で話すのも変だから、中に入って話そう」
「う、うん」
ワタシは半ば強引にツチダテの首を縦に振らせ、納得させた。地下室のドアを開け、その中へと入る。中に入ると、ツチダテはそこに広がっていた、外ではまず見ることができないような光景に目を丸くしていた。
「えっと……ここって、何をするところ?」
「……さぁ。……ワタシはツチダテと二人きりで話せる場所を探していて、偶然ここを見つけたから使おうと思っただけ。……それ以外に特に理由はない」
「そうなんだ、わかったよ。少し物騒な置物? みたいなのがあるけど、ここなら中で何をしても、何を話しても外には聞こえないね」
「……そう。……ここは完全に外界と隔離された空間」
ワタシは少し顔を俯けてそう言った。そして、続けてツチダテに言う。
「……いまからツチダテに、いくつか最後の質問をする」
「最後の質問って、どういう意味?」
「……そのうちわかる。……まず一つ目、最近ワタシたちの周りでいくつもの殺人事件が起きた。……それで、そのことについてツチダテはどう思う? ……そして、そのことについてどう感じた?」
「んー、結構急な質問だね。まあでも、答えるよ。私は、何だかみんなの様子がおかしいように感じた」
「……どんな風に?」
「地曳ちゃんと冥加くんと海鉾ちゃんが殺されたあとからだと思うけど、みんなの様子がおかしい。水科君と火狭さんは二人でこそこそしているし、木全君と金泉ちゃんは何を考えているのかがまったく検討もつかない」
「……確かに。……ワタシも似たようなことを思っていた」
ツチダテの言った通り、ワタシからしてみればツチダテを含めたほかの五人は明らかに様子がおかしい。でも、ワタシはツチダテとは違って情報を得ている。
ミズシナとヒサバがこそこそしていたのは、ヒサバの誕生日が近いからその相談をしていただけ。そのため、ミズシナはバイトに行きはじめた。また、ヒサバは友人関係を改善するために、二日間で三人の友だちと外出した。
カナイズミの様子がおかしいのは、おそらくワタシのことを心配しているから。ワタシが警察官を五人派遣してほしいと頼んだときから不審に思っていたと思うけど、それ以降の殺人事件から、カナイズミはワタシが犯人なのだということに薄々気がついている。そのため、それを周囲に察知させないように努力しているのだろう。
ツチダテとキマタについてはよくわからない。ツチダテはいま話しているけど、キマタの行動はまるでわからない。とはいっても、ツチダテほど注意を怠っていたわけではないから、ただ単純に動きがなさすぎてワタシが考えすぎていたのだということはすでにわかっている。
……ん? そういえば、いまツチダテはミズシナとヒサバ、そしてキマタとカナイズミについて、最近の様子がおかしいということを言っただけだったような気がする。だとすると――、
「……ワタシは?」
「……?」
「……ワタシについては、何か違和感とかは感じなかったの?」
いや、そんなはずはない。いくらワタシがツチダテに対する警戒を怠っていたからといって、ツチダテがワタシの様子の変化に気がついていないわけがない。あれだけみんなの前でおかしな笑い声を上げたり、奇妙な行動をとったのだ。あれでワタシに狂気や違和感を感じなければ、むしろツチダテの頭が狂っているとしか思えない。
しかし、その考えこそが、その思考時間こそがワタシの命取りになった。つぎの瞬間、ツチダテは一度だけニヤッと笑い、その笑みの意味を理解できずにいるワタシに低い声で静かに言った。
「お前が犯人だろ」
「……っ!?」
突如として豹変したツチダテに、ワタシは動揺を隠せなかった。確かにワタシはツチダテへの警戒を怠っていた。でも、だからといって、ツチダテがそれほど大きな行動が起こせるわけがない。とも思っていた。
それなのに、これは何? 何が起きた?
ツチダテは狂気じみた笑い声を上げながら、醜く顔を歪ませて楽しそうに私に言い放つ。
「アハハハハハハハハ!! まさか、私が何の考えもなく、無警戒でこんな場所に来ると思ったの? ざんねーん! 私は最初からこのときを待っていたんだよ! お前自身が私のことを呼ぶ、このときを!」
「……っ」
「何で私が、お前がこれまでの事件の犯人なのか知っているのかって? そんなことはいまは関係ない。どうせ、いまから死ぬんだから! お前が死ねば、みんな助かる! お前が殺した三人は蘇る! そういうことになっている! だから死ね!」
普段のツチダテの姿しか見てないのであれば、まず想像できないようなその様子に、ワタシは呆気に取られていた。ツチダテは何を言っている? ワタシを殺害すればみんなが助かる? それに、ワタシが殺害した三人とは、誰のことを指している?
ものの数秒のあいだにワタシの脳内でいくつもの疑問が浮かび、自己完結していく。しかし、わからないことのほうが圧倒的に多い。わかることはせいぜいこれまでワタシが得た情報くらいのもの。でも、それだけでは足りない。いったい、ツチダテはどこでそんな情報を仕入れ、常識ならまずありえない人体蘇生に希望を抱いているのか。
ツチダテはポケットから一本のナイフを取り出し、それをワタシのほうに向け、大声を発しながら走ってくる。一度や二度、ナイフに刺される程度なら死にはしないし、止血できる設備もすぐ近くにある。
でも、この場面で一度ナイフに刺されてしまえば身動きがとれなくなり、あとはツチダテに殺害されるのを待つ以外に道がなくなってしまう。ワタシはこんなところで死ぬわけにはいかない。ワタシは、ワタシの願いをかなえるためだけに殺人を犯す。
「死ねええええ!!」
「……っく……」
何がツチダテにそうさせるのか、ワタシにはわからない。でも、ワタシはツチダテを殺害する。何があっても、どのような理由であっても、絶対に。
そのとき、不意にツチダテの足元がおぼつかなくなり、その場に跪いた。急に動いたから体がついてこなかったのだろうか、それとも何かの作戦か。ワタシはそんなツチダテに近づこうともせずに、PICを操作する。
「……くそっ……何で……」
冷たい地下室の床に膝をついていたツチダテがゆっくりと体を起こし、立ち上がろうとする。そのとき、ワタシは丁度PICの操作が完了していた。また、見てみると、誰が開いたのか閉まっていたはずの地下室の入り口のドアが開いていた。
ツチダテの真上から、硬くて重い金属の塊が落下する。
「……え……嘘――」
直後、グチャッという嫌に生々しい音が地下室中に響き渡り、その目の前に立っていたワタシの体の前面に大量の血液が飛び散った。金属の塊はツチダテの全身を真上から押しつぶし、跡形もなく消し去った。ふと見てみると、ナイフを持った腕が近くに転がっているのがわかった。
「……イヒッ……アハッ……アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
わざわざ確認するまでもなく、ツチダテは死亡した。そう確信したワタシの笑い声が地下室中に響き渡った。しかし――、
「……っ」
不意にワタシの頬に軽い痛みが走る。それによってワタシは笑うのをやめ、手でその部分を触った。すると、手には少しだけ血液が付着しており、何か金属片のようなもので切った痕があることに気がついた。
そして、続けてワタシのPICに一通のメールが届いた。文面は――、
『何で殺した』