第十五話 『外出』
正午、時刻は十二時丁度。俺は土館と二人きりで気分転換という名のデートに行くために、第六地区のS-4エリアで土館が来るのを待っていた。このエリアは俺と土館のそれぞれの自宅の中間くらいにある、徒歩二十分くらいの比較的近いエリアだ。
現代に存在する世界中の土地や地形には、基本的に地名は付けられていない。なんでも、戦争中に発生した爆発などによって土地が大きく損壊して境界線が曖昧になった場所が多くあったり、PICの利用開始に伴う通貨・言語問題の消失や信仰宗教の大幅な減少によって、人の意思や土地の歴史に関係している地名を付けることが困難になり、もし付けてしまったら世界的に少しまずいことになるらしい。
なので、金泉が殺された研究所が立ち並んでいた第二地区のV-5エリアのように、俺と土館が待ち合わせをしたこの平凡な街路にも第六地区のS-4エリアという感じで、数字やアルファベットによって構成されている名称がエリア分けとして付けられている。
数字やアルファベットだけでは似たような名前ばかりで、少し見ただけでは区別がつきにくい。それだけでも充分にまぎらわしいが、その上、数字やアルファベットの順番通りにエリアが並んでいないため、普段行かない場所に行くときは分かりにくいこと極まりない。
しかし、こんな風に慣れるまでは時間がかかりそうなエリア分けのシステムだが、PICを操作すれば簡単に目的地を指定できて、いつでもどこでも現在位置や移動履歴を確認できるので、実はそこまで困らなかったりする。
俺が知っている限り、徒歩か自動運行バスのみを利用することを前提として考えると、この第六地区のS-4エリア以外で高校生が遊びに行ったりできる場所はほとんどない。他のエリアは住宅区域だったり商業区域だったり工業区域だったりと、そのどれもが何かに偏っており、しかも手軽に楽しめる店や建物がまったくないのだ。
でも、第六地区のS-4エリアにはその真下に地下都市があることも関係して、他のエリアと比べると多種多様な公共設備や建物が立ち並んでいる。また、最近ではほとんど存在しなくなった、学生のための遊び場も多くある。そのため、そこにいる人たちの年齢層は比較的低く、休日の日中に限っては他の区域に比べると人口が多い。
ついこの間までは友だちグループの九人でここまで遊びに来ていたこともあったのだが、それももう二度と叶わなくなってしまった。地曳、天王野、金泉という三人の友だちを失い、恋愛事情も含めて人間関係は滅茶苦茶になり、現在に至ってはバラバラになってしまった。だが、いつかまた、土館と二人きりではなくまだ生き残っている六人でここまで来たいものだ。
今朝、俺は土館に『今日気分転換のために遊びに行く件』について話したが、俺からはこの第六地区のS-4エリアに行くとは一言も言っていない。でも、俺と土館が知っていて、それぞれの自宅から近くて、それなりに遊べる場所といえばここくらいしかない。
だからこそ、土館は俺が言うよりも前に『十二時に第六地区のS-4エリアの中央噴水前で』と言ってくれたのだ。中央噴水ならば、俺が行こうと予定していた店の選択肢を広げることができるし、土館の希望を聞くこともできる。
少なくとも、今日だけは俺が土館に気を遣わないといけない日だ。それなのに、むしろ逆に土館に気を遣わせてしまっている感じが否めないが、その不足分は今日のうちに何とかして補充するとしよう。例えば、土館が買い物に行きたいと言うのなら、喜んで荷物持ちを引き受けよう。
PICを利き腕ではないほうの腕に装着することで、現金も個人情報も連絡機器もインターネットも全て持ち歩く必要がなくなる。だから、持ち物なんて何もいらないはずなのだが、それでも何だか不安になってしまう。
もどかしい気持ちを抱えた俺は、自分が着ている服のポケットを探ったり、PICを操作したりして、落ち着かない様子になっていた。どうやら、俺は待ち合わせの時間よりもかなり早く来てしまったらしい。
俺が土館に電話して待ち合わせ時刻と待ち合わせ場所が決まった後、俺はすぐにこの中央噴水へと向かった。そのため、この中央噴水に来てからもうすでに一時間以上も経っている。先ほどから通りすがりの歩行者たちに嫌な視線を向けられている感じがあるが、一時間以上も連続してこんな状態が続いていると、最初は気になって仕方がなかったものも段々気にならなくなってくる。
まあ、それにしてもこの中央噴水の近くには車道がなくてよかった。あんなものが近くにあったのなら非常に圧迫感があるし、せっかくの土館とのデートを最高に楽しむことができなくなってしまう。
現代では歩道と車道は透明な強化ガラスによって完全に区切られており、特殊な機械を使用しなければそのガラスに傷を付けることすらできない。歩行者が横断歩道を渡るときは透明な強化ガラスの形が変化し、歩行者の安全が最優先で確保される。また、そのこととあらゆる移動用大型機械類の全自動化によって事故は起きなくなった。
ごく稀に年間で数件程度だが、機械のシステムトラブルによって軽い事故が発生することもある。だが、車道は透明な強化ガラスによって完全に密閉されているため、被害の影響が歩道や周辺の建物に広がることはなく、人と車の接触はありえない。
だがその代償とでもいうべきか、いくら透明な強化ガラスは太陽光が遮断率が低い日でなければ見えないほど透き通っているとはいえ、あるとやはり圧迫感があるものだ。人口が多くて使用頻度が多い場所では汚れが浮き上がっていたりするし、太陽光の遮断率が低い日は特にその透明な強化ガラスが目立って、何だか息苦しい気持ちになるのだ。
だから、俺はあまり車道が好きではない。基本的に学校に行くときは、二週間に一度ある雨の日だけは濡れたくないのでバスを利用するが、それ以外の日は歩いて行くことにしている。俺は高校生になるまでは友だちが多くなかったことから、必然的に人混みも苦手になっていた。だから、そういう理由をつけて車道に行かないことで大勢の人がいる場所に近寄らないようにしていたのかもしれない。
時刻はすでに午後〇時三分。約束の時間を少し過ぎているが、俺は別にそんなことで怒ったりはしない。元々早く来ていたのは俺のほうだし、待ち時間が長いと徐々に感覚も狂ってくるし、普段でもたった数分遅れたくらいで怒るほど時間に厳しい性格でもない。
何よりも、これから好きな女の子とデートをしようというのに、そんな些細なことをそのたびに気にしていたら最後まで持たないだろう。約束の時間に迫るたび、約束の時間を過ぎるたび、少しずつ俺の心臓の鼓動は速くなっていく。気温が暑いわけではないが、全身から嫌な汗が吹き出ていたこともよく分かっていた。
どこかおかしいところはないだろうか。忘れものをしただとか、髪の毛がはねているだとか、服の着こなしがおかしいだとか。どれも今からでは修正の余地がないことばかりで、今さら確認しても無意味なのは分かっているが、そんな細かいことにすら時間をかけて考え込んでしまうほど、今の俺は神経質になっていた。
「あ、冥加君ー」
俺が第六地区のS-4エリアの中央噴水前に到着してから約一時間半後、この世界で一番聞きたかったその少女の声がようやく聞こえてきた。その声を聞いた瞬間、俺はパアッと顔を明るくしてその声の方向を振り向いた。そこには、可愛らしい私服姿の土館の姿があった。
「ごめんね、待った?」
「いや、全然待ってないよ。俺もさっき来たばかりだし」
「そう? それなら、よかったー」
俺は『本当は一時間半も噴水の縁に座って待っていた』なんてことは言わず、土館とそんな男女間のお約束のようなありきたりな会話を交わした。その後、土館は天使のような笑顔で俺に微笑んでくれた。うん、可愛い。やはり、天使のようなという表現は適切ではない。土館は間違いなく天使だ。
土館はいつも通り、その綺麗で長い茶髪を括って二本のおさげにしていた。また、女の子ではよく見られるが、学校にいるときとプライベートではあえて変えているのか、微妙に髪の結び方や髪留めが異なっていたように思える。でも、これはこれで似合っているし、凄く可愛い。いや、むしろこっちの土館のほうが俺的にはタイプかもしれない。
あと、季節は秋真っ盛りなのであまり体温調整が必要な時期でもないが、暑くも寒くもないように薄めで長袖のワンピースを着ており、それに繋がるように下には長めの丈のスカートを履いていた。学校指定の制服ではスカートの丈は短いほうので、男の俺としては度々太股の露出に目が行ってしまうときもあったが、どちらかというと土館には長めの丈のスカートのほうが似合っている。
俺も男なので、やはり見る分にはどうしても丈が短いスカートのほうが嬉しいわけだが、それでもお淑やかで落ち着いていて清楚なイメージな土館のことを考えると、やはり長い丈のスカートのほうが似合っているような気がしてならない。どちらも似合っていないわけではなく、どちらも似合っているからこそ。もちろん、俺は普段の土館も今の土館も、どちらの土館の姿も好きだが。
それと、土館は女の子らしい小さくて可愛らしい手提げのバッグを左手に持っており、それがさらに今俺の目の前にいる土館の可愛らしさを強調していた。また、それと同時に普段制服を着ているときにはあまり強調されていなかった、実は大きめな胸が今日はやけに強調されていた気もした。たぶん、私服を着ているせいだと思うが。
俺がしばらくの間、土館の全身をまじまじと舐め回すように眺めて観察していると、そんな俺の様子に気がついたのか土館が少し困ったように顔を赤らめて心配そうな表情で俺に聞いてきた。
「え、えっと……何か、おかしかったかな……?」
「……ん? いやいや、まさかそんな、土館がおかしいわけないだろ? むしろ、似合い過ぎて可愛過ぎるくらいだよ。今の土館のことをおかしいだなんて言うやつがいたら、この俺が絶対に許さない。うん、本当に似合ってる」
「あはは。冥加君は本当にお世辞が上手だよねー。でも、ありがとね。褒めてくれて」
「あ、ああ……」
一応、本心だったんだが。やはり、今みたいにあえて表現を強調して言ってもスルーされてしまうのか。これまでの一年以上の経験から、土館のスルースキルの高さと他人の気持ちに対する鈍感さは充分に理解していたつもりだったが、まさかここまでとは。
まだ今日の本当の目的が始まってすらいないのに落ち込んでいても仕方がない。そうして自分のことを無理矢理慰めた俺は、俺のことを見ていた土館がいる方向を振り返って話しかけた。
「それじゃあ、そろそろ行こうか?」
「うん。今日は冥加君に全部任せるから、よろしくねっ」
「ああ……って、土館!?」
「……? どうしたの?」
「どうしたのって、ええええ!?」
俺が土館に声をかけながら歩き始めたとき、不意に土館が俺の左腕に自分の両腕を絡ませるように抱き付いてきた。その拍子に、土館の柔らかくて大きな胸が俺の左腕に思いっきり当たり、優しく挟み込む。
その状態に、俺はこれまでにない喜びを感じるとともに非常に焦っていた。しかし、対する土館は俺が何に驚いているのかをまったく理解していないらしく、きょとんと首を傾げて俺の顔を見上げてきていた。
俺の顔のすぐ目の前には俺のことを見上げている土館の顔があり、俺の左腕は土館の胸に包み込まれている。こんな状況、誰が予測できただろうか。否、これまでの土館のスルースキルから考えても、まず予測できるわけがない。でも、俺にとってはこれ以降まず訪れないであろう超ラッキーイベントだった。
土館に抱き付かれてから少しの間、俺は緊張だったり嬉しさだったりによって石像のように硬直してしまっていた。そんな俺のことを心配してなのか、土館は不安そうな表情をして俺のことを見上げてきた。また、土館の台詞が発せられるたび、気持ちのいい吐息が俺の体や顔に当たる。
「もしかして、私に引っ付かれるの……嫌だった?」
「え!? そ、そんなわけないだろ! 凄く嬉しいし、むしろもっと引っ付いて欲しいくらいだ!」
「本当に?」
「もちろん!」
「だったら、もう少しくっ付いちゃおうかな~」
「え」
俺は、今自分が変態のような発言をしてしまったことに後悔していた。しかし、土館はそんな俺のことをまったく気持ち悪がらずに、そう言ってさらに俺の左腕にぎゅっと抱き付いてきた。その際、先ほどまでよりもさらに広い表面積の土館の胸が俺の体にムニュっと押し当てられる。
ヤバイ、気持ち良過ぎる。というか、女の子の胸ってこんなに柔らかかったんだな。てっきり、ブラジャーとかをしてるはずからここまで柔らかくはないと思っていたが。いや、もしかするとノーブラという可能性も……ないな。土館に限っては特に。きっと、最近の下着メーカーが頑張ってくれているのだろう
その後、俺と土館は今からどこへ行くのかについてを少しだけ相談した後、はたから見ればただの恋人のように適当に歩き始めた。そして、二人きりで近くの喫茶店に入って軽く昼食を済ませた後、気分転換という名のデートを最高な気分で満喫した。その間、土館はずっと俺に抱き付いており、それがさらに俺の興奮を高めていた。
俺は最初、本当は土館は俺なんかと二人きりで遊ぶことが嫌なのではないだろうかと少し心配していた。だが、土館も俺同様にとても楽しんでくれているみたいなのでよかった。また、時折俺に見せたその笑顔を俺は一生忘れることはないだろう。
一生というものが永遠であったとしても、そうでなかったとしても。




