エピローグ
ツグミの声に目を上げる。僕の隣にはセデュが寝ている。裸の胸を晒して、長い睫毛を伏せて、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
僕はガバリと起き上がって時計を見る。もう8時を過ぎている。いつものセデュなら、とっくにお出かけしている時間だ。昨夜はちょっと、盛り上がりすぎちゃって、寝付いたのは日が昇った後だったのだけど、そんなときでもセデュは折り目正しく7時前に起きて、朝食を摂って、でかけていくのに。
「セデュ、セデュ、起きて。お仕事いいの? もう8時だよ…」
「ん、…」
セデュの眠そうな瞳が開かれる。茫洋とした月色の瞳が僕を探して、見つけて、ふわりと花が綻ぶように微笑む。
「おはよう、ルー。私の可愛いウンディーネ…」
「うん、おはよう。ね、もう8時なんだって、…わっ」
寝ころんだままの腕が伸ばされて抱き寄せられる。裸の胸に頬っぺたがくっついて、トクトクと心音が耳元でしている。一瞬呆けてしまってから、僕は熱い頬を誤魔化すように大声を上げた。
「もー! 起きなくていいの? お仕事は?」
「今日はオフだ。明日も…」
「えっ? それって、大丈夫なの、今日は祝日とかじゃ、ないけど…」
撮影に、打ち合わせに、取材にといつも忙しいはずのセデュの言葉に僕は若干、青褪める。スキャンダルの影響が響いてきて、仕事が減っているとか? そうだったらどうしよう。僕がモリモリ仕事して、セデュを養えるかな? …
「お前といたいから、休みを捥ぎ取った。今日はデートをしよう、どこに行きたい?」
「えっ…」
「したいことはあるか?」
「……」
僕は考え込む。したいこと、セデュとしたいこと。一杯ありすぎて、どれかひとつに絞れない…。
「…きみと…連弾したいな、また…」
「いいよ。それから?」
「えっと。ランチはお外でして、手を繋いでお散歩したいな。テュイルリー公園とか…植物園とか…」
「そうだな。ほかには?」
「えっと、あとはね…」
途切れがちな僕の提案をセデュはふんふんと聞いてくれて、全部肯定してくれる。甘やかされてんなア、って思う。僕がどん底に落ち込まないように、また不安定にならないように、気を遣ってくれてるんだろう。
「変装用のコート、買いに行きたいな。ブティックで…もうちょっと、女の子っぽく見えるようなやつ、とか…」
「今日は、変装しないで外出しないか」
「え?」
セデュの思いがけない提案に、僕はきょとんと彼を見返す。セデュは真剣そのもののような表情だ。さっきまで微笑んで僕に頷いていた彼とは、また違った雰囲気だ。
「でもそれじゃ、指輪は、外さなきゃ…」
「指輪もそのままで。ありのままのお前と、デートがしたい」
幾分か強情に、セデュは彼にしては珍しい、我儘を言う。
僕はぽかんとして、それからじわじわ嬉しさが込み上げて、我慢できずに、彼に飛びついた。
「…ありがとう。そう思ってくれてるって、わかって、うれしい…」
「…ん」
「ぼくもね、ほんとは…ウイッグつけないで、伊達眼鏡もしないで、きみと歩きたい…」
「それなら、」
「でもそれは、だめ、だよ」
胸元から顔を離して僕は囁く。変装は面倒だけど、変装しなきゃ歩けない日陰の身なのは苦しいけれど、…セデュを追い詰めるくらいなら、そんなの、すっぱり、我慢できる。
「ずっと一緒にいるんでしょ? だったら、きちんと身を守らなくちゃ」
「ルー、」
「誰に見られても、おかしくないようなふたりでいなくちゃ。ぼくはもう平気だよ、きみを困らせたりしない」
「世間の声などどうでもいいと、私が言っても?」
セデュの優しい手が僕の髪を梳き、救い上げたブロンドに愛おし気に口づける。
僕は頷いて彼を見た。優しくて、甘やかな、溶けそうなその瞳を見た。
「ありがとう。きみがそう思ってくれてるってだけで、ぼくは十分、しあわせだよ」
にっこり微笑むとセデュの手が頬に触れる。親指が唇をなぞって、遊ぶように耳朶を摘まむ。手触りを楽しむように擦り合わせられる指先に、僕は肩を竦めて笑った。
「変装してたら、お外でキスもできるんだ。そのほうがぼくには、最高だ。指輪も外さない。もうずっと、嵌めたままでいる」
「…うん」
「ふたりきりになったら、変装はやめよう。内緒の関係みたいで、刺激的じゃない? 誰もぼくらを知らないんだ、だから、誰もぼくらの邪魔はできない…」
「…そうだな」
「明日もオフなら、今日はホテルに泊まっちゃおうか。それで、一日中セックスするの。ふふ、どお? このプラン」
「…ゴムが大量に必要そうだ」
「アダルトショップに寄ればいいよ。首輪とかも買っちゃう?」
「首輪をつけると、犬みたいだな」
「ぼく、きみの犬になるよ。どこでも舐めてあげる…」
「それならわたしが犬になるよ。お前の舌は、汚せない…」
「きみの舌はいいの?」
「おまえの身体は、どこも綺麗だから…」
「ええ? もう…バカだなあ、きみは…」
「男はみんなバカになるんだ、愛するひとの前では…」
ベッドの上で僕たちは囁き合って、互いの身体に触れて、くすくすと笑う。
セデュの背に回した手が、僕が昨夜に付けてしまったひっかき傷に触れて、慌てて手を離す。行き場なく彷徨う手はすぐにセデュに捕まって、指を絡ませられる。
きつくしがみつくみたいな掌に僕はまた笑って、そこにキスをした。
「離れないからね、ずーっと一緒だよ、…」
セデュの手首の傷は、もうただの赤い痕になっている。そこにもキスして、頬擦りする僕をセデュは抱きしめて、また、安心させてくれた。
包み込むような体温と、胸が苦しくなるような、その甘い香りで。




