プロローグ
僕は足取り軽くパリの街を歩く。例のスキャンダルが落ち着いて2週間、やっと気軽に外出できるようになったのだ。
とはいえ、どこぞにパパラッチの類が潜んでいるとも限らないので、今日の僕は変装している。
赤毛の肩までのウイッグに、ベレー帽、ハイネックセーターにホットパンツ、臙脂色のタイツに編み上げブーツ。白のファー付きコートと伊達眼鏡。出かける前にハウスメイドのパールにメイクもしてもらった。
ここまですれば、ぱっと見は女の子に、見え、なくもない…はずだ。たぶん。
ポンヌフ橋の欄干に頬杖ついてセーヌ河を見下ろしながら、僕はセデュを待つ。
そう、今日は、久しぶりのお外デートなのだ! 女の子の格好だから、イチャイチャベタベタしてもオールオーケーってわけ! えへへ、楽しみだなア!
セデュは今日は朝からお仕事で、午後から身体が空くそうだから、一緒にランチして、そのままお買い物に行こうって話になってる。セデュは僕の、新しいスーツを買ってくれるつもりらしい。僕がマトモなスーツ類を一切持っていないためだ。フルオーダーのお店だから採寸する時には僕が男だってバレちゃうけど、お店の人だってプロだから、守秘義務? は守ってくれるだろう。
大昔、未成年だった頃に誂えたスーツは手放してしまったから、成人してからは初めてのスーツということになる。何色にしようかなー。菫色とか、白とかはどうかなー。普段使いしにくいかなー。
「ルー、待たせてすまない、…」
ぱたぱたとセデュが橋の向こう側から駆けてくる。いつもの黒のコートに、アッシュグレーのハイネックセーター、スラックスはチャコールグレーで、お高そうな革靴を履いたシックな装いだ。セデュは落ち着いた色彩が好きみたいで、あまり鮮やかな色の物は身に纏わない。差し色にワインレッドのネクタイとかハンカチとかを身に着けることはあるけど、基本は暗い色の服ばっかりだ。顔とスタイルがいいから何でも似合うと思うんだけど…役を演じるときだけは、スカイブルーとか紺色とかの衣装を着ることもあって、どれもばっちり似合ってたっけ…。
「…きみ、今度はマタドールの役とかやってみてよ。観たいなア、きみのマタドール姿…」
「いきなりどうした」
「似合うと思うんだよねエ、あ、もちろん闘牛シーンはスタントありで頼むよ。きみが怪我でもしたら大変だし…」
「考えておくよ。…」
セデュは僕の前で立ち止まってまじまじとこちらを見る。女装にいまいち自信の持てない僕はもじもじしながら彼を見返した。
「なに? どこか変? やっぱメイクはやりすぎだったかな。きもちわるい?」
「お前はいつでも美しいよ」
「っはー! 真顔で言うなよなア! 照れるだろーが! このやろー!」
照れ隠しに僕にぽかぽか殴られてもセデュの体幹はぴくりともしない。鍛えてやがるからかな。こいつめ…。
それどころかセデュは僕の手を握りしめて指先にキスをひとつ落とす。気障なしぐさも様になるのだ。この色男は。
「口紅を塗っているな」
「…今日のコーデに合わせて、パールにお願いしたんだ。…キスしたら、きみにも付いちゃうね」
「…ん」
「キス、してもいーよ? 今は変装、してるし…パパラッチに見られても、愛人と一緒にいるって、思われるだけだろうし…」
「……」
なんだか艶っぽい雰囲気になってきて、どきどきしてきた僕は目を閉じてぐいっと上を向く。お淑やかでシャイなセデュはたぶん外でキスとかはできないだろうから、僕の鼻でもつまんで誤魔化すのが落ちだろう。そしたら僕も笑って、セデュを揶揄ってやろう。無理矢理腕を組んだりしちゃってもいいな。…
目を閉じてから数秒後、チュッと触れるだけのキスが唇に落ちて、すぐ離れていく。
僕はぱっちり目を開いて、まじまじとセデュを見上げた。
「なに? いま、キスした? ねえねえ」
「……店に行くぞ」
「したよね? 絶対しただろ? 誤魔化すなよお、ねえってば」
ぐいとセデュの腕を捕まえて両腕でがっちりホールドしながら僕は聞く。
ウザ絡みでもして紛らわせないと、熱が顔に上がってぽーっとなっちゃいそうだから。セデュは特に僕を鬱陶しがるそぶりもなくされるがままになりつつ、ほんのり頬を染めてぷいと目を逸らしてる。なんだよう、照れるくらいならやるなよなあ! こっちも恥ずかしくなってくるだろー!
「なんだよー、そんなんじゃ足りないよー。するならもっとがっつりキスしてよー」
「煽るな。次は舌を入れるぞ」
「できるもんならやってみろよー。さすがにそこまでする度胸はないだろー? いくらなんでも…」
へらへら絡みながら上目遣いにセデュを見ると、今度は真剣な目で見下ろしてくる。獲物を前にした獣みたいな目になってる。ひゅっと僕は息を吸い込んで、蛇に睨まれた蛙みたいに固まってしまう。セデュの指が僕の唇を撫でるようにしてから顎に触れ、上を向かせる。なんだかセデュを見ていられなくなってぎゅっと目を瞑ると、彼の指先は額に触れて前髪を掻き混ぜるようにして――
今度は、額にキスをした。
「……なんだい今の……脅かしやがって、このやろう…」
目を開けてセデュを睨む僕を、彼の軽やかな笑い声が迎える。
邪気のないその笑顔に力が抜けたようになって、僕はセデュの胸元にぐりぐり頭を擦りつけた。メイクが落ちてちょっとセデュの服に付いちゃったけど、彼はなんだか満足そうだった。




