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第2話 庭のある家

 石畳を叩く高らかな蹄音が、裏通りに入った途端、聞き慣れた土の音へと戻った。

 車輪が土を噛む鈍い揺れに揺られながら、馬車はやがて足を止める。

 御者が外から扉を開け、中を覗き込むようにして言った。


「着きましたよ。こちらが公爵家の別邸です」


 扉の向こうの光景に目を奪われた。思わず「はわわぁ」と言う声が漏れそうになるほど。

 

 大きくはないが、可愛らしい家だ。

 木造の白い壁に夕闇のような深い青の屋根で窓枠も同じ色で塗られている。

 そして、庭がとても広い。

 家の大きさに対して不釣り合いなほど広い庭が、家の横から裏手にかけて続いている。

 柵の内側に目をやった途端、心臓が跳ねた。

 見ただけでも、ラベンダーやミント、ローズマリー、カモミール、セージ、タイム。

 庭一面に、たくさんのハーブが植わっているのだ。

 花壇にはカレンデュラが盛りで花弁のオレンジ色がとてもまぶしい。

 入口の門には薔薇の蔦が絡んでおり、ピンクの花弁が可憐に揺れていた。

 前に住んでいた人が植えていたのか、公爵家で植えていたのかわからないが、とにかく、ちゃんと手入れをされている庭だった。

 こんな素敵な庭がある家に住まわせてもらえるなんて私はラッキーだ。

 家の中は必要最低限の物が揃えられており、清潔ですぐに暮らせるように整えられていた。

 木製のチェスト、広めのテーブルに椅子が二脚、キッチンには食器棚があり、4人分ほどの食器やカトラリーが納まっている。バスルームに洗面台、掃除用具が入っている納戸など。そして、二階に昇る階段を上がると廊下の先に扉があって小さなバルコニーになっていた。

 間取りは廊下を挟んで二部屋。一つは寝室、もう一つはゲストルームという所だろうか。必要になるとは思えないので納戸にでも使おう。

 公爵家の別邸と呼ぶには少しささやかだけれども、私一人で住まうには十分すぎるほどだ。

 食料は、少し歩くけれど町のメインストリートになっているので、そこに行けば何かしらは手に入りそうだ。

 そんなことを考えているとお腹がくぅと控えめな音を鳴らした。

「お腹空いたけど、もう夕方だし今日は出歩くのはやめよう」

 夕食は昼食用に持たせてもらったサンドイッチの残りがある。お湯を沸かして庭のハーブをお茶にすればお腹は満たせるはずだ。

 さっそく庭に出ると、レモンバームの茂みに手を伸ばした。はさみがどこにあるのか――あるいはないのか――わからなかったので、素手で収穫だ。

 茎を折ったレモンバームからは名前の通り爽やかなレモンとハーブの青い匂いがした。

 問題は水だった。この時代は水道などというものはなく、もれなく井戸水だ。

 この世界に来てからずっと聖女だったもので、井戸からの水汲みなどしたことがない。

 そう、聖女は労働などさせてもらえないのだ。


 私は井戸まで行くと、板を外して中を覗き込んでみた。

 暗い……。そして、深い。

 思わず「おーい」と言ってみると声が響いた。もちろん誰も返事などしない。されても困るけど。

 滑車にロープが通してあり桶にくくりつけてある。

「これを中に入れてロープを引くと水が汲める……でいいのかな?」

 暗くなる前に水を汲まなければ。お茶はおろか、顔も洗えない。

 恐る恐る、桶を井戸に投げ入れる。

 『ぼちゃん』と派手な音がした。

 桶が無事、着水した証拠である。

 桶を引き上げようと滑車のロープを下げようとするも、「重っっ」思った以上に重かった。持ち上がらなくて何度か桶が落ちてしまったが、5回目くらいでコツを掴んで引き上げることに成功した。

 辺りはすでに薄暗い。

「御者の人にお願いしてやってもらえばよかった」

 トホホ……と思いながらも、これからはこれを自分でやらなければならないのだ。と自覚する。生きていくとはそういうことなのだろう。

「ありがとうございます」

 私は無意識に井戸にそう呟いていた。


 次の難関は火だった。

 火打ち石で火を起こすらしいというのはなんとなく聞いていたが、やったことも見たこともない。

 しかたないので、恥を忍んでお隣の家に火種をもらいに行った。

「今日、隣に引っ越してきたアンナ・カグラと申します」

「あら、公爵様の所の方?」

 玄関先には奥方が出てきた。栗色の髪を結い上げたふくよかなご婦人で、突然やってきた見知らぬ私にもにこやかに応じてくれた。

「あの、引っ越してきたばかりで火を熾す道具がなくて、その……火種を分けていただけないでしょうか?」

「まあ、それは大変! ちょうど夕飯の支度で火を熾したところよ。ちょっと待っててね」

 奥方は手際よく、小さな素焼きの器に真っ赤に熾った炭をいくつか移してくれた。

「はい、これ。消えないうちに持っていきなさいな。火吹き棒でゆっくり息を吹きかければ、すぐ薪に火が移るから」

「ありがとうございます……!」

 差し出された器の温かさに、思わず鼻の奥がツンとした。

 かつての世界ではスイッチ一つで点いた火が、ここではこんなにも尊くて、人の温もりそのものに見えるなんて。

「アンナ。私はカトリーナよ。夫と二人でここに住んでいるの。困ったことがあったら何でも言ってちょうだいね」

「よろしくお願いいたします」

 私は丁寧にお礼を言って急いで家に戻った。

 お隣の人がいい人で良かった。

 急いで家に戻り、かまどに炭を移すと用意してあった薪を細い順から焚べて行く。

 カトリーナさんに教えてもらった通りに火吹き棒でゆっくりと空気を送ると、暗い部屋の中で炭が赤く光った。しばらく息を吹きかけたがなかなか火が熾きなくて心が折れそうになったが、ようやく薪に火が着いてくれた。

「やっと……、やっとだわ」

 蝋燭に火を灯し、お湯が沸くと既に体はへとへとだった。

 もうさっさとお腹を満たして眠りたい。

 今日はいろいろあった。

 でも、王宮にいるよりもずっと充実していると感じられた。

読んでいただきありがとうございました。

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