第1話 追放
昨晩から降り続いた雨は朝になっても止む様子を見せなかった。
王宮の廊下は静まり返っており、時折、強い風が窓ガラスに吹き付けて雨粒がぶつかる音が驚くほど大きく聞こえた。
私の前に一人、後ろに二人の衛兵が付いている。
謁見の間から私の自室までの短い距離に三人の護衛。
護衛と言えば聞こえはいいけど、逃げ出さないための見張りだろう。
かよわい女一人に、訓練されている男が三人とか不公平すぎる。
私は逃げも隠れもしないし、逃げても行くところがない。
追放されることは決まったが、沙汰がでるまで見張りが付くらしい。
私が何をしたと言うのだ。奇跡の力が使えなくなっただけだ。
ただ、それだけ……。
私の部屋は東の棟の日当たりが良い部屋だった。
先を歩いていた衛兵が私の部屋の前で止まり、回れ右でこちらを向いた。
「それでは……、王宮内で元のお名前を呼ぶのは禁じられておりますので、便宜上聖女様とお呼びいたします。お沙汰があるまで我々がこちらにおりますので、何かございましたら申し出てください」
そう言われ、私はうつむいたまま部屋に入ると背後で静かにドアが閉まり、カチャリと外から鍵をかけられる音がした。
私はその音を聞きながら、緊張が解けるのを感じた。
「はぁああああ」
思わず安堵のため息まで出てしまう。
跪いて頭を垂れた私は絶望して見えただろうか?
泣き崩れていたように見えただろうか?
三ヶ月のあいだ、私はありとあらゆる方法を試した。
祈祷を続け、断食までしたのに水を聖水にすることはおろか、何も起きなかった。
だって私は——この身体の持ち主だった「聖女マリア」ではないのだから当然である。
というか、聖水なんか本当は『ただの水』だろう。なんて半ばやけになって悪態をついていたからかもしれない。もちろん心の中で、だけど。
聖女だけが使えるという奇跡の力が使えない。
奇跡が起こせない。
マリアという、この国の聖女に与えられる唯一の名を返上。
「やっと、聖女から解放されるぅぅぅ」
そう、私はこの世界の聖女様に異世界から転生してきた神楽杏奈というただのOLだったのだから。
扉の向こうの衛兵に聞こえないように喜びのダンスを踊った。
私が聖女の任を解かれると聞かされたのは数日前のことだ。
神官長に呼ばれたので、嫌な予感はしていた。
「聖女マリア。奇跡の力が使えなくなったのはあなたのお役目が終わったからだ。何もおそれることはない」
言われたのはそれだけだ。神官長の言葉はいつも抽象的だ。
その後も他の神官たちが私に憐れみのような目を向けていたが、私の頭の中は「聖女でなくなる」喜びで舞い上がっていたと思う。
ただ、一つ引っかかっていることがあり、それは、神殿財務官のプロクシムが言った一言だった。
奇跡が起こせなくなった聖女が死罪になった記録がある――と。
だから、沙汰があるまでは大人しくしていたほうが身のためということらしいのだ。
私は自由に動ける間に、王宮の資料室で過去の聖女の記録を探した。
確かに、奇跡を起こせなくなった聖女が黒魔術の類に傾倒して死罪になったと書いてあったが、私は黒魔術などしてない。
しかし、逆らっては死罪になると考え、沙汰が出るまで殊勝に過ごすことに決めたのだ。
そうしていれば、もしかしたら仕事くらい紹介してくれるかもしれない。
寝台に転がると、宰相のギヨームの気難しい顔が頭に過った。
まぁ、あのおじさんが私なんかに仕事を紹介してくれるとも思えないけど。
部屋から出られない不自由さはあるけれど、ここにいれば、神官や侍女たちに変な気を使われることもないし、陰口が聞こえてくることもなくなるし、お祈りもしなくていい。
それだけで私はとても救われた気がした。
お祈りはしなくても良くなったけど、私はこの世界の「神様」に感謝のお祈りをした。
***
お沙汰がくだったのは5日後のことだった。
ありがたいことに次の住まいを用意してもらえたのだ。
死罪なんてことにもならず心底安心した。
新天地は国の辺境である、ベルナドット公爵領。
領主である公爵様、マクシミリアン様は私がこの世界に転生してから親切にしてくださった数少ない顔見知りだ。
仕事は紹介してもらえなかったけれど、当面の生活はベルナドット公爵家が面倒をみてくれるとのことだ。
馬車で移動するそうなので、さっそく荷物をまとめた。
といっても大した量はない。追放を言い渡された日にあらかたまとめてはおいたので作業はすぐに終わる。着替えと、前世の記憶を頼りに書きためたハーブの覚え書きと、小さなカードの束。
このカードは、オラクルカードでこの世界にはなかったので、前世にあったものを思い出しながら自分で絵を描いて作ったものだ。わかればいいと文字しか書いてないカードもあるし、下手な絵でも味があって気に入っていた。
荷物を入れる鞄は侍女だった人が持ってきてくれた。こんなものを持ってくると早く出ていけと言っていると思われるかもしれないけど、そんなつもりではない――と。そんな気遣いもありがたかった。しみじみと思い出しながら一つ一つ荷物を詰めて行く。
元の私も私物が少なかったようで、この三ヶ月で増えたものを加えても鞄一つで納まった。
***
王宮の外へ出る時も、衛兵が付いた。さすがに逃げることはないと思われたのか今回は一人だけだった。静かな廊下に足音だけが響いている。庭に出るまでに誰ともすれ違わなかったが、裏門へ続く庭園を通りがかる時だった。
「――マリア様」
しわがれた声に振り向くと園丁のおじいさんが息を切らして駆け寄って来た。
「これを……」と差し出してきたのはラベンダーのドライフラワーだ。
麻紐で束にしてあり、ふわりと良い香りが漂ってきた。
「ラベンダー、お好きでしたな。良く眺めておられた」
――あぁ、この人は見ていてくれたのか。
奇跡の力でもなく、聖女でもない、ただ庭でハーブを眺めていた私を。
「ありがとうございます」
花束を受け取った指先がじんわりと温かく、寂しくなった心を灯してくれた。
甘く、少し薬っぽくて、懐かしい匂いが香る。前世でも好きだった香りだ。世界が変わっても、ラベンダーはラベンダーの香りがした。それだけで、なんだかとても安心する。
なにがあっても大丈夫だから。もらったラベンダーの束からそう言われたような気がして目尻に涙が滲んだ。
***
王宮が用意した馬車は、飾り気のない実用的なものだった。
追放される元聖女に豪華な馬車を出す理由もないから、妥当だと思う。御者は必要最低限の挨拶だけして、あとは黙って馬を走らせた。気を遣われるよりずっと楽だ。
王都の門を抜けると、景色が一気に開けた。 麦畑が風に揺れて、遠くに丘陵の稜線が見える。街道沿いに並木が続いていて、木漏れ日が馬車の中にちらちらと落ちてくる。王宮にいた頃は窓の外を眺める余裕もなかったから、こんなにこの国の風景がのどかだとは知らなかった。
膝の上のラベンダーの束が、振動に合わせてかすかに揺れ、そのたびにふわりと香りが立って、自然と肩の力が抜けた。
ラベンダーのリラックス効果は前世でも頼りにしていたけれど、こういう時にも頼りになるとは思わなかった。
馬車で半日ほど走り続けて、午後の陽が傾き始めた頃にようやく公爵領の町に入った。
石畳の通りに小さな商店が並ぶ、穏やかな町だ。
公爵のマクシミリアン・ベルナドットは若いのに穏やかで品のいい好青年だ。前世の世界のライトノベルに出てくる辺境公爵なんて、みんな怖かったりちょっと変わっていたりするものだったが、マクシミリアン様は怖くないし、気取ってもないし、とてもいい方なのだ。
そんな方が治めている領地のせいもあるのだろうが、王都のような華やかさはないけれど、通りを歩く人の顔がのんびりしているように見えた。
当面の面倒は公爵様が見てくださるという話だったが、いつまでも甘えるわけにはいかないので、何か仕事を見つけなければとも考えている。
元聖女という肩書きは、この際なんの役にも立たないだろう。
奇跡も使えない、魔力もない。前世の神楽杏奈の経験だって、ハーブとカードの趣味くらいしか——いや、それは後で考えよう。
読んでいただきありがとうございました。




