誰がもとに
多くの者がその顔に浮かべた表情は困惑であった。つい先ほどまで幻影の恐怖に涙をこぼしていた少女が、今は決然とした顔で悪魔との戦いを呼び掛けているのである。その変わり身の早さは不自然と言って差し支えなかった。しかしカイは、数人の修道女が異なる反応を見せたことに気づいていた。怯えや狼狽といったその色は、ブリギッテの言葉によって引き出されたに違いなかった。
「私はこの修道院の皆さんが持つ力を信じています。修道士が祈りによって悪魔を退けたという話は時折聞きます。強い信仰の力を以てすれば、私たちにもできないはずはないのです……話したかったことは以上です。長くお時間をいただき、失礼いたしました」
ブリギッテは半ば強引に話を終わらせ、修道女たちを解散させた。談話室にはブリギッテとイザベラ、カイのみが残される。まだ話が続くことを察したイザベラがブリギッテの腰を抱いたまま離そうとしないので、カイはそっとその向かいに座った。
「さて、修道士様。あなたが院長の遺体の件で父修道院から派遣された方ですね? この度はご足労いただき、ありがとうございます」
朗らかな微笑みでカイに話しかける少女は、口調も柔らかいが、その何かを憂うような二色の瞳に神秘的な雰囲気が残されている。
「カイと申します。こちらこそ、先ほどは貴重なお話を聞かせていただき感謝しております」
「私でお役に立てるようなら、なんでもお話しいたします。何からお話いたしましょうか?」
その返答は正しく僥倖であった。まだ十代も半ばだろうに、6回もの幻視を経験し、閉ざされた修道院でも中心的な存在となっているだろう彼女には、カイも話を聞きたいところだった。
「ご協力ありがとうございます。そうですね……修道院長の、奇跡につながりそうな逸話がありましたら」
「やはりそうですよね。ですが、正直に言って特に思い当たるようなお話もないのです」
「お人柄などは、どうだったのですか?」
「一言で言えば、敬虔で厳格な方でした。こと受け持つ修道女たちの管理という面では、強くその厳格さを発揮していたように思います。戒律に関しては、解釈が分かれるような細かい点については、常に厳しい方を取られますし、是正されない場合に止む無しとされる処罰についても、初回で適用するような方でしたから」
カイは思わず苦笑する。遠回しに、戒律違反と言えないような罪で修道女たちを処罰すると言ったようなものだ。
「また、不確かなものには惑わされず、確固たるもののみを良しとされる方でもありました」
「不確かなもの……それはたとえば、幻視などですか?」
今度はブリギッテが苦笑を返した。代わりに頭を撫でながらイザベラが口を開く。
「ええ。この子の幻視も、煙たがられていたんです」
「イザベラ修道女、そんなにはっきりおっしゃる必要は……」
「いいえ、あるわ。カイ修道士は真実を求めて来られたのよ。知っていることは包み隠さずお伝えするべきでしょう?」
「それは、そうですが……」
「カイ修道士、幻視だけでなく、ブリギッテ自身が煙たがられていました。厳しい戒律の中にあって、この子は私たちの光。祝福されているだけではなく、聡明で何にでもよく気が付きますし、幻視以外でも私たちを導いてくれることが多いんです。でも、だからこそ私たちは2つに割れてもいました」
「なるほど……ブリギッテ修道女の発言を尊ぶ方々と、よく思わない方々ということですね」
「ええ。そして修道院長は私たちとは別の側にいらしたということです。信じない方々は、この子が余計な発言力を持つことが怖いのでしょう。でも私は信じています。この子は自分の都合のために主の御力を騙るようなことはしません」
なかなか危うい発言をするイザベラに、ブリギッテは少し不安げな目を向ける。イザベラはブリギッテをかわいがり、ブリギッテはイザベラを敬ってはいるが、天真爛漫なイザベラと大人びたブリギッテでは年齢が逆転した姉妹のようなところがあるのかもしれない。
カイは曖昧な相槌を打って、話を切り替えた。
「修道院長が亡くなられたのは、確か10日前のことでしたね」
「はい。亡くなったのは終課の後、皆が寝静まったころだと思います。曲がりなりにも修道院長ですから、1日のお務めはすべて終えてから旅立とうとされたのでしょう」
「なるほど。遺体はどなたが見つけられたのです?」
「イリーネという修道女です。その週の修道院長の助手当番だったため、夜課の前に部屋に行ったのですが……」
「……見つけたのは変わり果てた姿とあの遺書だったと」
「厳密には、遺書を見つけられたのはジークリンデ副院長でした。夜課の時間ですし、部屋を調べようとはしませんでしたから」
カイは一応の納得をしつつも、遺体と遺書の発見者が別々であることを心に留め置いた。首を傾げるカイに、ブリギッテがおずおずと切り出す。
「あの……カイ修道士がアンネリーゼ院長の遺体について調べに来られたことはわかっております。ですが私は、既に亡くなってしまった方のことよりも、彼女についていた悪魔が今、誰のもとにいるのかを突き止めるべきではないかと思うのです」
「なんですって?」
「私たちは未だ悪魔との戦いのさなかにあります。亡くなってしまった方を救うことはできません。いえ、恐ろしい悪魔と勇敢に戦われたことを思えば、アンネリーゼ院長は主がお救いになるでしょう。ですが、私は見ました。修道院長が『人影のようなもの』と形容した、あの身の毛もよだつ悪魔の姿を。そして聞きました。この修道院の守護者たる夫人の、|DIABOLUS NON ABIIT《悪魔は未だ去らず》という声を。悪魔は人に取り憑きます。きっとアンネリーゼ院長の元を去った今、この修道院の姉妹のだれかを苦しめているのだと思うのです」
カイはため息を漏らし、天を仰ぐ。ブリギッテの言いたいことはわかる。だが、修道院を挙げての悪魔祓いとなれば、それはあまりにもカイの手に余る話だった。
トンスラの短い髪の毛を掻くカイを見て、イザベラが加勢する。
「カイ修道士、昨日あなたがここに来られることを予言したのもブリギッテなんです。だから私は修道院の外まで迎えに行きました。きっとあなたはここに来られる運命だったのでしょう。アンネリーゼ院長についてを見極め、真実を持ち帰る。それが任務なのでしょう?」
「私はただ、父修道院としての立ち回りの方針を決めるための材料として、状況を確認しに来ただけですが……」
「私たちは協力します。公にすることがはばかられるようなことも、きちんとお話ししましょう。ですからどうか耳を傾けてください」




