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眠れる異界のウネクシア  作者: 早村友裕
第三章 白薔薇の災厄児
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白薔薇の災厄児(2)

 流れたのは沈黙。

 言語化された思考の代わりに、指輪の向こうのルースの感情の揺れが直接伝わってきた。あたしにも動揺しているのが分かるくらい、不安定な流れだった。


――メリィに教えてもらったの。だから、最後に教会で約束した時はもう、分かってたんだ


 機関車の先頭部分が漆黒面に吸い込まれていく。

 煙突から吐き出す虹色の光素が車体を包み込むように覆いかぶさり、教会からはすさまじい風が吹き荒れた。ゆっくりと異次元に入り込む機関車の姿はとても幻想的で、あたしは食い入るように見つめていた。

 何年も何年も、呪いのようにかけてきた『我慢』の呪いは、そんな簡単に解けてはくれないはずだった。あたしは大丈夫、って強いふりして全部飲み込んで、向こうの世界に帰るつもりだった。

 それなのに、あたしの弱い部分をさらけ出させて、甘やかしたのはルースが悪いんだよ?


――お前、分かってて差し出したのか?

――うん。だって、あたし、ルースが好きだったもん


 言葉にしたら、胸の中からぶわっと感情が溢れ出した。周囲の光素が反応してしまっているのは分かったけど、止められなかった。

 ずっと固めていた感情があっという間に溶けだしたかのようだった。

 ルースが絶句している。考えもしなかったんだろうか。あれだけ素直に甘えたのに、全く気づきもしなかったんだろうか。

 馬鹿だなあ。

 光術も得意だし、偉そうだけど何でも出来るし、王子なのに、ちょっとだけバカなんだ、この人は。

 馬鹿って言ったら怒りそうだけど。

 楽しかった。これまでの人生の中で一番、楽しかった。

 でも、さよならだね。


――本当は、貴方と一緒に生きていきたかった


 リーネット、と名を呼ばれるのを待たず、窓の外が暗転した。

 境界を越えたのだ。

 その瞬間、指輪のプロセスは沈黙して、ルースの声は二度と聞こえなかった。



 キャンさんがビン底メガネの奥の目であたしをじぃっと見つめている。

 彼は、どこまで察しただろう。

 不意にキャンさんは、ふわりと右手を振った。隔離の光術が発動して、あたしとキャンさんの二人だけを取り囲む。オンちゃんはまるでシャボン玉のような小さな球に囲まれている。

 この空間に、あたしとキャンさんだけ。

 キャンさんはいつもの調子で話し出した。

「いくつかお聞きしておきたいことがありますが、よろしいですか? ああ、もちろん学術的な興味もありますが、個人的にも興味があるのです。それから、共和国としても歌姫様の動向に気を配る事になるかもしれません。それから……」

 長くなりそうになる言い訳を、あたしは手を挙げて遮った。

「聞きたい事って何ですか、キャンさん」

 目を丸くしたキャンさんは、天然パーマの髪をカリカリとかいて、あたしを見た。

 何もかも見透かすようなその視線から思わず逃れたくなる。

「率直にお尋ねします。歌姫様、貴方は『災厄児』ルース・カタストロフの真名をご存知ですね?」

 確信した様子に、あたしは息を呑んだ。

 まずい。これじゃ、はい、って答えたようなものだ。

「ああ、警戒しないでください。今すぐに何かを共和国へ報告しようという訳ではありませんから。まずは、事実確認です。ここは、私の興味の部分が大きいのと、今後の私の動きを決めるうえで大切な事なのです。もちろん、私の興味が勝れば、貴方や災厄児を共和国に引き渡す事はしませんし、むしろ秘匿する事も考えます」

「あたしが、ルースの真名を知っている事は共和国にとって意味のある事なんですか?」

 ひらひらと手を振りながら、シャボン玉に包まれたオンちゃんをつんつんつつきながら、キャンさんはあたしに視線を向ける。

「ありますとも! 歌姫様、彼が何者かご存知ですか? 災厄とまで言わしめた光術を操る最悪の傀儡師、中央処理(プロセッサ)の性能で言えば、史上類を見ないほどです。彼ならば、〈具象級〉光術の行使など容易く、〈召喚級〉も軽く済ませるでしょう。下手をすれば神話にしか存在しない〈創生級〉すらも夢ではないかもしれません」

 〈召喚級〉プロセス。

 あたしは、その存在を知っている。いつも主記憶(メモリ)不足のリーダーが、あたしの主記憶に展開し、行使した光術だ。エーテル空間に構築した自立プロセスを現世界に召喚する行為。プロセスサイズが大きすぎるため、展開にも行使にも大変な力を要するのだ。

 例えば、人知を超える中央処理(プロセッサ)の能力を持つリーダーが、規格外の主記憶(メモリ)サイズを持つあたしの中に展開して動作させるように。

「しかし、彼自身の主記憶(メモリ)サイズは大したことはありません。とはいえ、常人のはるか上ですが……それでも、将軍級の光術師ならば対抗できない事はありませんでした。それが、歌姫様の存在で引っくり返るのですよ。もしそうなれば、共和国は彼への対応を変えざるを得ないでしょうね。今のように、信用を盾に放置という事は出来ないと思います。それほどまでに彼の力は大きすぎる」

 いつだったか、リーダーは言った。

 お前がいれば、俺は無敵だと。

 確かにそうなんだろう。あたしがリーダーに主記憶(メモリ)を差し出せば、比喩でなく彼は世界を破壊できる力を手に入れるのだ。

「それからもう一つ」

 キャンさんはどこから取り出したのか、羽ペンをくるくると回した。

 いつの間にか手元にはメモ用紙。あたしの言質を記録する気だ。

「真名は魂を縛ります。真名を知る事は相手の魂を握る行為。それは、生命線を握っていることに等しいのです。彼の父王であるヴァル・ユハンヌス=ルースは亡くなり、母君もとうになくなっています。という事は、彼の真名を知るのは、歌姫様、貴方だけ。彼を敵視し、危険なものとしている共和国がその真名を欲しがるのは自明です」

 ルース……ルース。どうしたらいいの?

 あたしはもしかして、とんでもない事をしでかしてしまったの? ここで共和国の将軍相手に下手な事を言えば、ルースを窮地に陥れてしまうような事になってしまうのだろうか。

「共和国は貴方を欲しがるでしょうね。何より、真名を交換する意味も強い」

「真名の交換に、魂を縛る以上の意味があるんですか?」

 もしかして、小指の約束と同じで、あたしの世界とは全く違う意味を持つのだろうか。

 あたしの様子に、キャンさんは首を傾げた。

「……本当にご存じないのですか? 貴方の年頃の女性でまさか、真名の交換の意味を知らないと? 眉唾ものと思っていたのですが、異海から落ちてきたというのは本当なのですか? ここと全く異なる世界が、異海の果てに存在するというのですか? だとすれば、異海の表面を渡るだけでなく、異海へ登る事も出来るのでしょうか?」

 あ、しまった、キャンさんのテンションが上がってしまった。

 鼻息荒くあたしに顔を近づけて、肩をつかんでぐらぐらゆする。

 いや、そんな事よりあたしは真名の交換の意味を知りたい。

 近づこうとするキャンさんの額を押し戻して、あたしは逆に指を突き付ける。

「真名を交換するのには、どんな意味があるの?」

 目の前に突き付けられた指をじぃっと見ながら、キャンさんは告げた。

「婚約ですよ」

「えっ?」

「自分の真名を知る者は、自分を合わせてこの世で4人と言われます。一人目は自分自身。そして名付け主である両親。そして、最後の一人、それは人生を共にする配偶者です。自らの魂を縛る真名を捧げ合う事で、愛を誓うのですよ。つまり歌姫様、貴方が彼の真名を知っているという事は、貴方自身が彼の弱点であると晒している行為に等しいのです」



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