3話
「じゃあそろそろお開きにするか!」
赤山がみんなに呼び掛けた。
「こうやって集まるのまたやりたいね」
「そーだなぁ…やっぱみんなと一緒に集まるの楽しいから定期的にやるか!あ、でも仕事がなぁ」
「現実に戻すのやめてよ!もう…」
川瀬が悲痛そうに言う。
「仕事の合間見つけてまた予定合わせるよ。
次は二次会まで計画しといてくれよ修司」
永井はいつも通りの落ち着いた口調で言う。
「任せろ。なんなら3次会まで次は俺の自腹でやってやるよ」
「いいねぇ3次会!私始発までいけるよ!」
「じゃ4次会も考えないとな。任せたぞ」
「おい始発とか俺もう寝てるぞ…?」
赤山が苦笑いを見せ、川瀬と永井が笑った。
「そんじゃ、俺行くわ。またな!」
「…じゃ、私もそろそろ…」
「え!アキちゃん私と二次会いこーよ!」
「明日は研究室行かないといけないから…あと苦しい裕奈ちゃん…」
半ば羽交い絞めの様な格好で斎条が言った。
「じゃあ俺行くわ。元気でな、みんな」
永井はそう言い僕の方に顔を向けた。
「がんばれよ、樹」
激励の言葉を一言だけ永井は伝えた。その表情は、外で話したときよりいくらか活気に満ちていた。これが別れの言葉ということを悟るべきなのだろう。
「じゃあ私も行くねー!」
「みんなありがとな!ほんと!」
各々別れの挨拶をしてその場を離れる。
先ほどまで賑やかだった場所は一転して閑散となった。
つい数分前まで自分は学生で、この一瞬で急に大人になったような感覚に陥いる。その場にいつまでいれば、昔に戻れるんじゃないかと思うほどの錯覚だった。
駐車場から出て、2年ぶりに足を運んだ西堀に別れを告げる。 じんわりと、心の奥底で大切なモノが遠ざかっていくのを感じた。それはきっと、学生として、子供として今を生きられる『権利』なのだろう。
もう大人だ。
学生でもなければ、子供でもない。
だから、これ以上自分がこの場に踏みとどまることは許されない。
街灯に照らされた道をたどり駅に向かう。道中、道を踏みしめる度に今日あったことを忘れそうな気がして、思わず泣きそうになる。
ここから電車に乗り、自宅に行きいつも通り一人で寝る。週明けには来月のプロジェクトの草案を上司に送る。何の変化もない、退屈な日常に戻る。
駅に着き、現実へ帰るための切符を買い、電車が来るのを待つ。その間、深まった夜の空をふと見る。黒く聳える山のようなシルエットの上には星明かりが煌めいていた。空に見える無数の光と対照に、黒い群像の中にはたった1つだけ、光が灯されている。
こんな夜遅くまで仕事をしているのだろうか。
1つ残った光を見続けていると、目頭が熱くなっていくのを分かる。
あの光の中に、自分や永井がいる未来が思い浮かぶ。社畜となって、歯車になって、使い回されて、時間を消費していく姿が。
行先を考える程、目頭は熱くなる。
現実を見たくない。あの光から逃げたい。
「そんな辛気臭い顔してるとさぁ、話しかけにくいじゃん」
悶々とした苦悩の森を掻き分ける様に、聞き覚えのある声が背後から飛んできた。
足音は自分の隣で止まり、待合の古びた椅子が軋む音を立てた。
「……川瀬」
「や、久しぶり。ていうかさっきぶり」
笑みを浮かべながら川瀬はひらひらと手を振る。西堀で見たときより大人びている様に見えた。
「地下鉄なら反対方向の筈じゃなかった?」
「折角ここまで来たんだからさ、最後に挨拶くらいしておこうかなぁって思って。ほら、なんか私の締めの言葉って味気なかったし?」
つらつらと言葉を並べていく川瀬は、学生時代にある無数の思い出を掘り起こしていく。昔からよく喋ってる奴だったな、川瀬は。日陰にいる自分とは反対にいつも輝いていた。
「でさ、前に職場近くで見たカフェが洒落ててさぁ来週の日曜辺り一緒に行ってみない?」
羨ましいよ、心の底から。
「……ごめん、その日研修があってさ」
「そっかー残念」
そう呟き、川瀬はわざとらしくがっくりとした様子で俯く。
「まーでも仕方ないよね、仕事大事だし」
「大事って訳じゃないよ。ただ…許されないんだ」
「許されないって、何が?」
川瀬はキョトンとした様子で僕を見る。その目の奥の瞳は淀みなく、自分の心を直に見透かしているような気がした。
「もう大人なんだよ、僕も川瀬も。昔みたいに遊んだりして現実を有耶無耶に出来ない事が増えた。」
「でも、休みは大事だよ?」
「分かってる。でもそれ以上に僕は怖いんだ。他人に迷惑をかける事が」
就職してから誰かに迷惑をかけてばかりだ。先輩に頭を下げ、部長に頭を下げ、先方に頭を下げる。そんな人間がこんな大海で息をする為には人一倍踠く以外に方法は無い。
そうする事で漸く自分は社会の歯車になり、1人の大人としてこの世に在る事ができる。
「大変だね、樹も」
そう言い川瀬は立ち上がって、自分の前に立ち塞がる。そして片手を夜空に向かって上げた。
「何──」
「えい」
バチン、と乾いた音と共にじんわりとした痛みが左の頬から伝わり始める。
「いっ…」
「あ、ごめん。力加減間違えちゃったかも」
そう謝る川瀬の顔は柔らかな雰囲気を醸し出した。
「でもあんまり思い詰めちゃダメだよ、樹」
川瀬は僕に笑顔を向けながらそう言った。温もりに満ちたその笑顔は、冷めた心の底をじんわりと溶かしていく陽光の様だった。
「仕事は大変だよ。私だって来週にあるプレゼン緊張してるもん」
「…じゃあ川瀬はどうやって乗り越えてる?」
僕の問いに川瀬は腕を組み頭を捻った。
「ごめん、分かんないや」
暫くして結論を出した。
「分からないって……」
「解決策なんていつか見つかるって。それにさ」
川瀬は僕の眼をしっかりと見つめた。
「私たちは別に1人じゃないんだから。そう深く考え混む必要なんてないんだよ」
自分の鼓動が早くなっていくのが分かる。
「だから、大丈夫だよ」
そうだ、これは何の根拠も言葉だ。
ただその場を取り繕うだけの都合の良い言葉。
何の意味も意義も無い筈の言葉。
「ありがとう」
それでも、その川瀬の鼓舞のおかげで立ち向かえるような気がした。
「じゃあ、再来週の日曜日ねー!」
4度目の約束の確認をし終えて川瀬は自分とは反対方向の列車へと乗りこんだ。窓から見える川瀬に限界まで手を振り、彼女が乗った列車を見送ってからある1つの決断を僕はする。
ポケットからスマホを取り出して電話をかける。数秒ほどの着信音の後、携帯から陽気な声が聞こえてきた。
「あ、もしもし赤山?…うん、さっきぶり。それでさ、再来週の日曜日なんだけどさ…うん…そうそう、駅の前のところ。カラオケがあったから、もしよかったら…ありがとう。…それで悪いんだけどさ、永井にも伝えておいてほしい。斎条は川瀬が伝えるって言ってたから…ありがとう、悪いホント。…うん、じゃあ再来週の日曜日に……二次会?あーじゃあボーリングとかは…」
聳え立つ黒い影の中、輝いていた1つの光はもう消えていた。




