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困りごと悩みごと解決はおまかせ!

 呂尚ろしょうの言う通り、雪の積もった茂みで見えなかった邑が、歩を進めると姿をあらわした。


「あれ? おかしいな。もっと小さな邑だった気がするが、思い違いをしていたのか……」


と呂尚は白髪混じりの髪を掻いた。後ろで両馬が心許こころもとなさげに立ち尽くしている。車輪が壊れたのは自分たちの所為ではないかと思っているようだ。


 若い邑人が、雪道の中、恐る恐る呂尚と付き人二人の様子を伺いに来た。賊ではないか、という怯えが目に張り付いている。しかし呂尚の顔を見るや、


尚父しょうほ……様? ひょっとして、尚父様ですか?」


と喜びと驚きに満ちた声で言った。


「ああ、そうだが。君は……?」


呂尚は鷹のような目でじっと相手の顔を見た。昔、小さな邑で出会った少年の面影が蘇る。


「あの時の……蚕の邑で困っていた子か?」


「そうです、そうです、思い出してくれましたか」


元少年は、呂尚が鯨面になっているにも関わらず、呂尚だと見抜いた。崇敬の念に溢れている。


「会った時は、十才くらいだったか。大きくなったなあ」


「ええ、実は十三でした。あの頃は邑が貧しく、私もひどく痩せてましたから。……貴方のお陰で邑も大きくなりまして、嫁にも子どもにも尚父しょうほ様の話を聞かせない日はありません」


若い邑人は興奮気味に話し続けた。


「邑のみんなに知らせないと!」


「あ、おい……」


呂尚は引き留めようとしたが、若い邑人は嬉しさに舞い上がるようにして去ってしまった。


「尚父様。お知り合いのかたが、こんな所に居たのですね」


健脚の付き人は、物珍しげに若い邑人の遠ざかる背を見つめながら言った。


「桑が上手く育たない年で、祈祷を頼まれて来た事がある。……それにしても元気そうで何よりだ」


と呂尚は嬉しそうに笑った。もう一人の中肉中背の付き人は、むずがる馬を二頭引き連れて来たので、お疲れ気味のようである。壊れた馬車は健脚の付き人が引きずって来ていた。


 やがて老若男女の邑人たちが大波のようにどっと押し寄せてきた。皆が口々に「尚父様!」と言い、中には感極まって泣いている者もいる。


「お陰さまで邑は飢えずに済みました。もう一度お会いしたいと、十数年来、心から願っておりましたところ、お会いできて光栄です」


邑長が涙ながらに言うと、邑人達は立ったままでは失礼だと気づき、雪の残る道中で一勢にひれ伏した。


「立ってくれ、立ってくれ。俺は橋渡しをしただけで何もしていない。邑が飢えなかったのは皆の力だろう」


呂尚は焦って、邑長を半ば強引に立たせた。付き人はあるじの様子を見て、


(皆は感謝しているが、尚父様は、あまり覚えていないのでは……?)


と思った。



 壊れた車輪は、直してみましょうと名乗り出てくれた者が現れたので、彼に任せる事にした。そうして車輪が直るまでの間、付き人二人は、あるじとは別の腰掛けに座って、呂尚の思い出話を聞くことになったのである。傍らには若い邑人が紅潮した頬をして立っている。馬はようやく落ち着きを取り戻して、灌木につながれながら枯れ草を食んでいた。


 「俺がむらに来た時は、邑で作った蚕のつむぎ糸を、十把一絡げで大邑たいゆうに住む男に交換させられていたんだ。このままでは邑が飢えて滅してしまう。そう思って取り引き先を強引に変えたことがあった」



 物々交換を始める時、これからお世話になりますと互いにめいを結ぶまじないをする。容易に交換相手を替え、約束を反故されないためである。

 それを「神託がおりたので」と言い張って、呂尚は良心ある取り引き先へと強引に変えさせた。

 鹿の肩の骨で占卜せんぼくを二回行い、


「蚕糸の取り引き先を、この家に変えて良いか?」


と祖霊神に問い、


「吉」


を二回出したのである。


 鹿の肩の骨は、先を熱した針を幾本か刺して、縦に長くヒビが入ると「吉」となる。その吉と出た二枚の鹿の肩の骨を、一枚は邑長に預け、もう一枚は新しい取り引き先のあるじに渡した。


 邑人の作った蚕の糸を、等価に近い、真っ当な物々交換に応じてくれたのは、邑の近隣にある城壁に囲まれた大邑たいゆうで、刺繍を生業にしている家だった。機織はたおりも家内で行っているため、生糸きいとは必須である。


 呂尚は、新しい取り引き先と盟を結ぶ前に、同じ大邑に住む、蚕の糸を安い肉と交換する悪徳の取り引き先に会いに行った。釣り合いの取れる交換をして欲しいと説得してみたが、相手は呂尚を見下し、早口で言い訳ばかり続けた。

 呂尚はそこで相手を見限り、


「神託がおりましたので、蚕の邑はもう貴方と取り引きしない事になりました」


と言った。


「何だって?! こっちは盟を結んでいるんだぞ!!」


「祖霊神様はお怒りです。盟を利用して私欲を貪った貴方のことを。疑うなら今から占卜せんぼくをしましょう。火を貸して下さい」


と呂尚は取り引き先相手の家の前で、祈りを捧げ、舞い踊り、占卜をした。


「神よ。蚕の邑が、この家の男と取り引きを続けるのは吉か、そうでないか?」


呂尚は、鹿の肩の骨に、火で炙った針先を何本か刺していった。するとヒビは浅くしか入らず、結果は


「凶」


であった。


 へなへなと腰がくだけた取り引き先の男は、魂が抜けたようになった。突然現れた呂尚によって、貧しい邑人の足元を見て、酷い取り引きをしていた家だと、そして神の怒りをかった者だと、大衆の面前で白日のもとに晒されたのである。


 一方、真っ当な取り引きに応じてくれた刺繍を生業としている家の前で、呂尚は、この家に、災い無く福が舞い込むよう、祖霊神と土神に祈りを捧げ、舞った。

 「あのう、これは少なくて恐縮なのですが……」


と刺繍を生業としている家のあるじは、鴨の肉と豚の肉を、ひとかたまり呂尚に渡そうとした。


「いやいや、これは私が勝手にやった事ですので……」


と呂尚は祈祷した礼を受け取ろうとしなかった。ところが先方も引き下がらず、


ばちが当たりそうで怖いので、ぜひ受け取って下さい」


と、粘られた。


「ううむ。では……、こうしましょう。この鴨肉と豚肉は、暮らしに困っている邑人に渡しても構わないですか?」


「それはもう、ご自由に……」


刺繍を生業としている家のあるじは汗が止まらない。蚕の糸が手に入ると思って受け合った事が、大ごとになってきている。家の前では人だかりが出来ていた。路上で勝手に家の祈祷を始め、舞い踊る物乞い同然の「野良」の祭祀を見たのは初めてではないが、呂尚は遠目から見ても美丈夫だったので、圧倒されてしまったのである。


「ご主人、もう一つお願いしたいことが」


と、呂尚は声を潜めて言った。刺繍を生業としている家の主はどきりとして、小声になる。


「はい、何でしょう」


むらでは桑が上手く育たない年があるのですが、今年がまさにその年で、蚕の糸を思うように手に入らぬ時が、これからも起こりえましょう」


「ははあ、それは承知しております」


と刺繍を生業としている家の主は頷いた。桑が上手く育ったとしても蚕が思うように育たぬ年もある。


「ここで相談ですが、邑人に機織りを教えてほしいのです。貴方の家に機織りを学ぶ邑人を、奴僕として受け入れてもらえませんか。そうすれば、蚕の糸ではなく絹を取り引き出来ます。貴方の家では刺繍をもっと細やかに施すことが出来るようになるでしょう。そうすれば、より高価なものと取り引き出来るようになると思うのですが、いかがでしょうか?」


「それは、その……妻と相談しないと何とも……。なにぶん私一人で決めかねる話でして……」


刺繍を生業としている家のあるじは汗を拭きながら家へ入って行った。すると妻女と揉める声がする。どうやら亭主の連れ合いは呂尚を胡散臭いと思っているようだった。

 やがて刺繍を生業としている亭主の妻が家から出てきた。気の強そうな中年女である。


「私たちの暮らしも苦しいのです。どうか無理を仰らないでください。機織りを教えるという事は、将来、機織り機を邑に渡さなければなりません」


「まあまあ、邑人を奴僕ぬぼくとして受け入れて機織りを学ばせて欲しいと云うのは私の一存で、まだ邑人たちにその話はしていないのです。今は食べるので精一杯で、機織りを学ぶなど夢の話だと思うでしょう。

 ……ところで、おかみさん」


と呂尚は、また声を潜めた。


「……何か悩みごとがあるのではないでしょうか? 良ければ話を聞かせてください」


刺繍を生業としている亭主の妻女の顔色が変わった。誰でも大なり小なり悩みごとは持っているものである。呂尚はとどめを刺すように、


「良ければ、お祓いもしますよ。もちろん、困っている邑人に手を差し伸べてくれた貴方がたから、追加でお礼を求めることはしません。先ほど頂いたお礼で充分です」


と言った。相手方の妻女は咳払いをして、


「悩みごとなどありません」


そう言い切った。が、亭主の目が泳いでいる。


「お前、こういう時にだな……」


「黙りなさい! 私に無断で取り引きを決めて、一体どういうつもり?」


「そ、それは……。生糸が足りないと言ってただろう。それよりも、いい機会だ。これ以上、お礼は要らないと言ってくださってる。話だけでも……」


亭主の言葉を聞くや妻女は、ぷいと家に帰ってしまった。


「どうしますか、ご主人」


と呂尚が聞くと、


「ああいう時は、渋々、承知をしたという事なんです。お気に障ることをしてすみません。どうぞ、我が家へお入りください。狭くて申し訳ないですが……」


と亭主は答えた。


「いえいえ、どうぞお気になさらず。初めてお目にかかる日に、図々しいことを重ね重ね申し上げて、すみません」


そう言って、呂尚は刺繍を生業としている家の内に、まんまと入った。客間には、ぶすっとした妻女が、水を入れた碗を手に立っている。


「さあさあ、どうぞお座りください」


と亭主は、呂尚に客人用の茣蓙ござをすすめた。その向かいに亭主が座り、妻女が腰をかがめて呂尚に水の入った碗を渡した。


 「実は、私たちは刺繍を生業としながらも、針子が次々と辞めてしまって困っているんです」


「仕方が無いじゃない、下手な針子なんて居ないほうがマシよ」


「うちの者が手厳しくて、針子をよく泣かしてしまうのです」


「また私のせいにして! あんたが全く教えようとしないから悪いんでしょ。家事もみんなこなして、仕事も目が回るほど忙しいのに、教えるのも同時にしなきゃならないなんて!!」


「針子は若い女だろう。俺がどうやって教えるんだ」


夫婦の揉め事が本格化する前に、呂尚は、


「そうだったんですね」


と感心するように言った。そして夫婦を褒めちぎり始めた。


「邑人たちが、酷い取り引き先と縁を切らねばならない時に、どうして私が、こちらの家を新しい取り引き先に選んだのか分かりますか?」


刺繍を生業としている女男めおとは顔を見合わせて、さあ……と答えに詰まった様子である。


「軒先で干していた刺繍の帯が素晴らしかったからです。それを大事そうに干しているご主人の姿を見て決めました」


「そんな大層な……、魔除けの刺繍を少しあしらった程度ですよ」


亭主が謙遜したので、大層なと言われた妻女は夫を鋭く睨んだ。誰が苦労していると思ってるんだと言わんばかりである。


「忙しい中、丁寧に縫われた刺繍。少しも乱れておりません。それを粗雑に扱うことなく、折り目正しく干していくご主人。家のたたずまいが美しいと思いました」


それを聞いて妻女も苦労が報われたと思ったのか、少しずつ頬が緩み始めた。


「それに『大事なことは、おかみさんに聞いてみないと』とご主人が言っていたので、これはもう『当たり』の家を見つけたと思いましたね」


呂尚は妻女を持ち上げて、気を良くさせてから本題に入った。


「お針子さんの事ですが、腕が多少悪くても、褒めるのが上手な人、教えるのが上手な人が居ます。年は取っていても、そういう人を雇ってみてください。縫う仕事を沢山与えずに、お針子さんを褒めて育てる側に回ってもらうんです。そういう人は意外と穴場で、一芸に秀でている奴僕よりも安く引き取ることが出来ます」


「それで、仕事が回るのかねえ」


と妻女は眉をひそめた。


「はじめは役に立っているように見えないかもしれませんが、家の中を明るくする人でしたら、それで良いと思います。おかみさんはお針子さんにじかに教えずに、その人を介して教えてもらいましょう。そうすればお針子さんが泣くことも無くなりますよ」


そして呂尚は付け加えた。貴女が恨まれることもね、と。それを聞いた妻女は俯いた。好きで嫌われている訳ではないのだと、ずっと思っていた事だった。


「それで上手く行かないようでしたら、泰山たいざんにお詣りする時に、社殿に立ち寄ってくれませんか? 私はそこの祭祀なので、もう一度、相談にのりますし、私の師にも話を聞いてもらう事も出来ます」


刺繍を生業としている女男めおとは再び顔を見合わせた。今度は困っている様子ではなく、そういう話なら試しに受け合っても良いのでは……と互いに思ったのである。


「重ねて言いますが、邑の人に機織りを学ばせて欲しいというのは、先の話になると思います。邑の人たちにまだその話をしていませんし、邑は貧しく、まだそんな余裕が無い状態です」


つまり、今日起こった出来事は、蚕の糸を手に入れる取り引き先が決まったこと、そのお祝いに呂尚が家の前で、祈祷して舞った事だった。


 呂尚は蚕の邑に戻ると、暮らしが落ち着いたら、生糸の取り引き先の刺繍を生業とする家に、機織りを誰か奴僕として学びに行って欲しいと邑長に伝えた。


「生糸より絹のほうが高価な取り引きが出来ます。邑の暮らしがきっと良くなりますよ。それからあわきび、大豆などの畑を広げてください。冷えた年が続いているせいか、あちこちで獲物が捕れなくなっています。こうなると狩りに頼り過ぎる暮らしは良くないですからね」


そう言い残して呂尚は蚕の邑を立ち去っていった。

 邑の少年は邑長の家の近くで、お腹を空かせて座り込んでいたので、呂尚が別れの挨拶をしていたのである。



 蚕の邑で、機織りの音が幾重にも響いている。呂尚の付き人二人は、思い出話が終わって、ほっと一息ついた。


「あれから邑は大きくなりました。狩りに頼り過ぎず、畑も広げて飢えることも無くなりましたし、何より生糸から絹を織れるようになったのが嬉しいですね」


邑長むらおさが泣きながら礼を言い続けるので、呂尚は、


(早く車輪が直ると良いんだが……)


と何処か上の空である。


 「あの、お話しているのに、すみません。車輪が直ったそうなんですが……」


と若い邑人が遠慮がちに言ってきた。


「おお、助かりました。さっそく見に行かせてください」


呂尚は、かばっと立ち上がると、颯爽と邑長の家を出て行った。急ぎの旅である。


 見に行くと、まだ馬が台車に繋がれていなかった。車輪を直した中年の邑人が浮かぬ顔で居る。


「直したのは直したのですが、何せ馬車を間近で見るのは初めてでして、これで、きちんと長い間走るのかと聞かれたら、自信がありません。営丘えいきゅうに立ち寄って、馬車に詳しい工人に見てもらうのが一番だと思います」


「そうですか、無理を言って申し訳ない。営丘はどの道、前を通る予定でしたから、立ち寄ってみます」


呂尚はそう言って、車輪を直してくれた中年の邑人に一礼した。

 そうして蚕の邑を出ることになった際、邑人たちは、また呂尚に詰め寄った。


「尚父様、またお会いできるでしょうか?」


「邑の近くを通る時は是非、立ち寄ってください!」


「もう一度、握手してほしいです。あ、どうもどうも、すみません。ありがとうございます!」


「髪を一房もらえないでしょうか。お守りにしますので……」


「お顔が黒いのはご病気ですか? お大事になさって下さいね」


活気のある邑の人々は口やかましい。呂尚は髪を一房渡して、逃げるように馬車に乗り込み、付き人二人と旅立っていった。



 「いやあ、まいった、まいった」


と呂尚は言った。肩に垂らした髪が右側だけ短くなっている。馬車の車輪は今のところ上手く回っていた。付き人二人は、


(尚父様は顔が広いんだな……)


と驚いている。両馬は、邑人達の熱気に煽られて、興奮しながら走っていた。健脚の付き人はそれでも平然と駆けている。


 「それにしても、隣邑の馬は、ちょっと痩せ気味だな」


冷たい風の中、呂尚がそう呟くと、付き人二人は、待ってましたと言わんばかりに、異口同音に言った。


「そうですよね! うちの邑の馬のほうが、肥えてて立派ですよね」


かくの兄者は、何処で良馬を手に入れたのやら……。絹を五反渡したが、足りぬと思っているかもしれないな」


次に会った時に聞いてみよう、と馬車に揺られながら呂尚は思ったのだった。大邑斉たいゆうせい営丘えいきゅうは目と鼻の先である。

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