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鯨面(げいめん)太公望〜太公望は何人もいた?! 紀元前1058年、中国の山東半島から回り始める運命  作者: ぎんふくのはは


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3/6

さっそく従者クビになりました。祭祀の屋敷の三兄妹と秋祭りの始まり

やっと底抜けに明るいキャラが登場します。

彼が成長したらどんな大人になるのか、

ちょっと想像つかないですね。

 妹とは正反対の性格で二人でセット(ニコイチ)なので、彼女がお嫁に行くのが今から寂しいです。

 こうしてキョウは、呂尚と祝の住む屋敷で奴僕ぬぼくとして住むことになった。その日、屋敷で初めに顔を合わせたのは仕えることになったしゅうである。長身で、がっちりした身体つきのうら若い青年で、太い眉が八の字になっている。気の良さそうな人柄がにじみ出ていた。目元だけは母親の祝に似ているが、性格も何もかも真逆らしい。


「この家の……一応、長子になる宗だ。よろしくね」


新しいあるじは子どものキョウに気をつかって腰をかがめて言った。その仕草が血の繋がり無い養父・呂尚と似ていてる。

 と奥の間からバタバタと音がした。見ると十五ほどの年長の少年が目を輝かせてやってくる。髪もおろしたぼさぼさの状態で、寝巻きが着崩れていた。 


「兄さんの新しい奴僕ってお前か?! うわさには聞いてるぞ。おお、本当に杖を突いてる!」


その後ろでキョウよりやや年上の少女が暗い顔をして立っていた。彼女は着替えて正装している。


兄様にいさま、せめて名乗って……」


ぼそぼそと云う声は子どもらしく無く低くこもっていた。


「すまん、名乗るのを忘れていた!」

「いちいち言わなくて良いです」


と此処でも妹は聞こえるか聞こえないかの仄かな小声を口にした。兄は大声である。


「俺の名は『』!! 空からざあざあ降る雨のことだ。くう〜〜〜〜よろしくな! そして幼名は『らい』!! 難産だったらしいぞ。俺は覚えていないが」


「どうして幼名まで……」


「粗忽者だが、よろしくな!!」


宗は賑やかな弟妹のやり取りを前にしてハハハと困ったように笑った。そして、ちらりと小さな妹に目を向けた。


「わたしは『よう』と申します。日の光という意味です。以後、お見知りおきを」


「幼名は?」


と兄は言った。妹は暗い顔をますます深くする。じとっと、兄を睨んだ。


「幼名は……、言う必要がありません」


「そんなことないだろ? 父上が目に入れても痛くないって云うのがよく分かる良い名前だ」


「母様がその名を必死になって止めたと、ばあやから聞いてます」


「言わないんなら、俺から言おうか?」


へらへらと兄は笑っている。


「やめてください。わたしの名がすたります。わたしの幼名は……」


ぎょくです、と妹は一瞬顔を赤らめ、蚊の鳴くような声で言った。身分の高い者にしか持つことが許されない貴石である。


「そういや兄さんの幼名は?」


雨は話が脱線していることに気づいていない。


「『兄上』と言って……」


と妹は兄の寝巻きの裾をぎゅうと引っ張って言った。


「『しゅう』だよ。船という意味だ。雨、陽。この子は『キョウ』といって今日から世話になる。色々と教えてやってくれ」


「キョウってどういう意味だ?」


雨からそう尋ねられてキョウはどきりとした。本名で無いことがばれるのだろうか。


「姜族のキョウです」


「父上の母君のさとの氏族名だな。変わった名前だなぁ」


「失礼ですよ、兄様……」


妹は背が低いので兄の背から悪霊が声を出しているように見える。彼女はこれ以上、兄を此処に居させてはならないと思い、また後ほど……と宗とキョウに声をかけて、兄の背を押しながら別室へと消えていった。


 「仲は悪くないと思うんだけどなあ」


と宗は首の後ろを掻きながら言った。




 次にキョウが屋敷の者に会ったのは、家宰かさいの見習いの少年だった。年は十五ほどで、雨よりよほどしっかりして見える。


「今日から僕の従者になる子だ」


と宗は年長の少年にキョウを紹介した。


「キョウと言います。よろしくお願いします」


と新入りとなるキョウは頭を下げた。年長の少年は、ちらりとキョウの顔を見て、


「俺は子どもの奴婢を束ねている小令しょうれいだ。分からないことがあったら、聞いてくれ」


と冷たく言った。


「家宰の大令たいれいは今忙しいから後で紹介しよう」


宗はそう言って、キョウの緊張を解かせた。


「屋敷の案内は小令じゃなくて僕がしても良いかな?」


「構いませんが……恐れ入ります」


と小令は慌てたように一礼した。そして後になって、案内を任せられないと思われたのかと気付き、今晩、寝る前にキョウからどこを案内されたのか聞き出してやろうと思ったのだった。


 「庭はよく歩いてたから見なくてもいいかな。内塀の向こうにうまやと牛小屋があって……見てみるかい?」


キョウは馬と聞いてどきりとした。間近で見ることがおいそれとない生き物である。家畜とはいえ奴婢の数百倍の価値があった。牛は時々見かける家畜だが、馬に及ばないとはいえ珍しい部類に入る。

 厩に行くと独特の匂いがした。藁と糞の混じった臭いだ。馬は栗毛が二頭、ずんぐりと肥えていて大人しい。が、ほんの少し動くだけで見ているほうが驚くほどの迫力がある。馬夫ばふが傍で座って見張っていた。


「やあ、てつ。山と河は元気にしてるかい?」


「ああ、これはこれは、宗の若様。この通りピンピンしてますぜ」


と馬夫は、山か河どちらかの腹を力いっぱい叩いた。キョウはその音の大きさに驚き、痛くないのかなと思ったが馬は平然としている。尻尾が心地よさげにゆらりと揺れただけだった。


「新しく入った子を紹介しようと思ってね」


「若様みずからですか? そりゃ恐れ多い」


「いや、山と河を見たくなったんだ。この子はキョウ。今日から僕の従者になる」


「前の子は……まだ屋敷に?」


「いや、母さんが首にしてしまって」


「ほほう、」


と馬子は顎を掻いた。ご愁傷さま……と言いたいところだが相手が目上なので下手なことは言えない。何か事情を知っている素振りである。


「キョウっていったな。俺は退屈してることが多いんだ。暇になったら遊びに来てくれよ」


「は、はい」


キョウが返事をすると、馬夫は宗の目を盗んで笑いながら唇に人差し指を立てた。


(秘密の話がある) 


と言いたげである。


 「隣に牛小屋があるんだけど、朝早く邑の人たちに貸して居ないんだ」


と宗は言った。夕方には戻って来るらしい。その牛小屋をぐるりと回って屋敷を挟み庭と正反対の場所へ出てきた。庭の離れの小屋よりも建て付けのよい小さな家が屋敷にくっついて並んでいる。奴僕の寝泊まりする房(部屋)だと云う。その後、くりやを土間から見物させてもらい、裏口から屋敷に出入りするのだと教わった。宗が裏口から屋敷へと入っていくのでキョウも後へ続いて行く。




 屋敷の最北に奥の間があり呂尚と祝のへやとなる。その次に彼らの子ども・宗、雨、陽の房(部屋)が廊下を挟んで向かい合わせに続く。次が、やや広い客間、そして待合室を兼ねた取り次ぎの間があり、最後に玄関が最南に来る。

 ひと通り案内が終わると、宗はくりやの隅へキョウを座らせた。


「これからむらの家のほうに用事があって、僕は出かけるんだけど、キョウはここで休んでおいてくれ」


宗からそう言われたが、従者となったのなら付いて行くべきなのではないか、とキョウは思った。


「どうも父上に相談するかどうか迷っているらしくて、話が長引きそうなんだ。一人で行くつもりは無いから安心してくれ。父上の付き人を借りていこう。じゃあ、また後で」


そう言い残して宗は去っていった。キョウは置いてけぼりを食らった気持ちになり、厨の隅で小さくなるしかない。それを見た昼餉ひるげの支度をしていた女たちは、キョウを手招きした。杖を突いてひょこひょこと傍へ行くと、魚と菜を煮た良い匂いが漂っている。ごくりと小さな喉が鳴った。


「これはお昼の楽しみに取っといて。朝採れた木の実が甘くて美味しいんだ。味見だよ」


と零れるほどの赤い木の実の房を、厨の女はキョウの手のひらに乗せて見せた。


「ここで食べづらいなら、好きな所で食べておいで」


キョウは湧き上がる嬉しさを隠さずに、女へ笑顔を向けて礼を言うと、木の実を持ってひょこひょこと裏口から回って屋敷を出て、竪穴へ帰ってきた。今朝まで一緒に暮らしていた若い女と片足の不自由な子どもは姿が無く、外で何かの手伝いに出ているようだった。そこでキョウは、目の見えない小男の住む竪穴を訪れた。


(居ないかもしれない)


目が見えないのなら、外で草木を揺らす風を浴びたいだろう、と思ったのだ。


はくさん、居ますか?」


「……おお、キョウか。随分早いな。もう首になったのか?」


竪穴の奥から嬉しそうな声が響く。


「違いますよ。宗さまの従者になりました。でも長い話し合いになりそうだって、子どもの俺を置いて行ってしまったんです。その間、休んでて良いって。そしたらくりやで木の実をもらいました。みんなで食べようと思って……」


「ハハハ、年寄りに気遣いせず、一人で食べれば良かっただろう」


「た、食べきれないですよ」


「そうなのか? わしらにも朝食に木の実が付いて来たんだがなあ。お前さん、朝、なにも食べずに屋敷へ行ったんじゃないのか? 木の実は全部一人で食べたほうがいい」


「え? 朝に食べたんですか?」


「わしには色は見えんが、赤い木の実だと聞いた。小さいが甘酸っぱくて中々美味かったぞ」


「そうでしたか」


呂尚が『竪穴に住む人と同じ食事を屋敷で出す』というのは本当だったのだ、とキョウは思った。


 「此処で食べても良いですか?」


とキョウははくに聞いた。


「遠慮せず、食べなさい」


白はうれしさを噛みしめるような声で言った。一粒、赤い実をキョウは摘む。ふと、竪穴の外の景色が目に入った。曇天である。宗が帰ってくるまで雨が降らなければ良いが……と思った。そして不意に、人狩りに遭った日もこういう空模様だった事を思い出し、木の実を持つ手が震えだした。赤い実は熟している部分は黒ずんで光っている。まるで血のようだ。キョウはそれでも空腹に耐えかねて木の実を頬張った。泣けるほど甘くて美味い。それが喉のつかえを覚えるほど悲しかった。




 キョウは片足が不自由で杖を突いていたが、宗の使いの者になった。急ぎでなければ勤まるものである。邑の人たちと顔を会わすことも多くなり、一言二言世間話をすることも増えてきた。


「尚父さまも変わってるけど、宗さまも変わってるなあ」


片足の奴僕を使っていることである。大抵は身なりの良い、見栄えのする者を傍に置きたがるものだ。

 宗は若いが落ち着いていて、父親の呂尚に相談する前に話を聞いてもらいたいと邑人たちは思っている。相談の中身が「大したことがない」「そんなことで祭祀さまの手を煩わせるのか」と思われてはかなわない。




 キョウの役目は、話を聞く日やときを宗と邑人に伝えることである。何日後の朝か昼か夕方か、幼い彼は決まった日と刻を忘れるのが怖くなり、拾った枝に石で傷を付け、目印とした。二日後なら二つ傷をつける。また話し合いが朝から始まるのなら隣に横線を引いて日の出を示し、昼なら横線二つで日が昇っている状態を示し、夕刻なら十字傷をつけて日の入りを示す……というふうに工夫をした。

 とはいえ、三日後以降にもなると先方の邑人も忘れてしまうので、「これから話を聞きに行っても良いか?」という宗からの簡単な使いを頼まれることが多かった。

 また、月の満ち欠けを目印にして、上弦の三日月の翌日に話し合いをする……刻は当日に決めることもあった。雨の日は不吉だからと取り止めになることが殆どで、キョウは濡れながらその旨を邑人に知らせに行くのである。

 キョウは小声なので邑人がよく聞き間違いをしてしまう。目印の傷をつけた枝を邑人に渡し、同じ傷をつけた枝を屋敷に持って帰れば双方の行き違いが無くなるので便利なやり方だった。




 すると徐々に宗の周りが賑わしくなってきた。話を聞いてくれる上に、どれだけ先の日になっても相談を受け合ってくれるからである。遂には邑の女たちからも「話を聞いてほしい」と言うようになり、これは女同士の方が良いと思った宗は聞き手に母・祝の女弟子を連れて行くようになった。柔和で穏やかな顔と気質の女は芯からの聞き上手で、女たちの不満や悩みに耳を傾けていく。大概は「夫が家で怠けて動いてくれない」という声だった。用事を言ったら賭け事をしに出かけてしまうらしい。夫は「外で一日狩りや漁をして疲れているのに家のことまでしてられない。息抜きくらいさせてくれ」という言い分である。

 そこで宗と祝の女弟子は、隣近所の家の者にも話を聞いて、夫がどの日も欠かさず一日疲れて帰ってくるのかどうか見定めることにした。狩りや漁は下準備をする日もあり、まったく不猟・不漁の日になると、朝から日暮れまで働き通しにはならない。

 話し合いの結果、家の用事をせずにのんびり過ごしたい夫にとっては、それが出来なくなるという不満の残るものとなってしまった。


 「だいたい、尚父さまのところからして女の尻に敷かれるじゃねえか。宗さまも女の味方だ。この邑は女が強い、男はやられっぱなしで居場所がねえ。今に見てろ、いくさが起こりゃあ俺たち男に泣きついて来るんだからな」


邑の男たちがブツブツ言っていると、土鍋が飛んできた。


「戦に行きたけりゃさっさと行って潔く死んできな! ろくでもない夫が居なくなってせいせいするよ。女は夫が死んだほうが長生きするんだ」


とまあ、けんもほろろに妻にやり込められてしまう。堪りかねて邑の男たちは呂尚に泣きついた。が返ってきたのは諭す言葉ばかりであった。


「女が元気な邑は活気があっていい。女が黙って死んだように働いている邑は廃れちまう。試しにそういう邑で暮らしてみるか?」


邑の男たちは顔を見合わせた。


「黙って働く分には結構ですが、死んだようにというのは、ちょっと……」


「まあ、今だけちょっと堪えてくれ。女たちも話を聞いてくれたとなれば、気も紛れるだろう。それでも朝から晩までガミガミ言われ通しなら別れてやればいい」


「そりゃあ尚父さまは、新しいかみさんが見つかったから良いですよ。俺たちは新しい女が見つからなきゃヤモメ暮らしだ。惨めなもんですぜ」


それを聞いて呂尚は溜め息をついた。


「昔、俺が邑に来る前はもっと祝が暴れていたと聞いたが、それは女が我慢を重ねていたからだろう。宗が邑の女たちに話を聞きに行かなくなれば、そういう時代に逆戻りだ。……お前たちはある日突然、祝が家に押しかけて無茶苦茶に暴れ回っても良いというのか?」


「そ……ッそれだけは、どうぞ勘弁してください」


と男たちは顔を青くして口々に言い合った。どうやら昔、本当にそういう事があったらしい。

 邑の男たちの訴えを、たまたま傍で聞いていたキョウはぽかんとしてしまった。その男たちの一人が帰り際に小声でキョウに言った。


「おい、新入り。よくまあ、あんな所で暮らしていけるな。命がいくつあっても足りねえよ」


どうやら祝は余程、邑の男たちに恐れられているらしい。「優しい人ですよ」とキョウは言おうとしたが、その時はもう邑の男たちは背中を向けて帰路にさしかかっていた。


 


 ある日こと、突然キョウは宗の奴僕を首になった。理由は、彼の話し合いの日取りを覚える工夫が上手く行き過ぎために、宗が多忙を極めてしまったからである。「お前は首だ」と言いに祝が豊かな体を揺らしながら、のしのしと玉の首飾りや腕輪をジャラジャラ鳴らし、キョウの目の前にやって来た。その時、彼は小さな背中を向けて、つくぼっており、後ろから誰かが来たなと思ったが、杖を取り損ねて、しゃがんだままになってしまった。


「何してんだい?」


祝の声色は咎めるようで怖かった。キョウはあわてて杖を突いて立ち上がり一礼する。久しぶりに見る祝の顔はやはり鯨面で、腕や足も入れ墨が入っており、ぎょっとさせられるものだった。耳飾りの玉が眩しく目立って見える。同じ鯨面でも呂尚だと緊張しないのだが、キョウはドギマギして答えた。


「邑の人たちと話し合いをする日を、まとめて絵にしております」


「絵だって?」


見るとキョウの足元になめした鹿の皮があり、烏賊墨いかすみを枝先に浸けて、円を並べて描いている。


「鹿の皮も烏賊墨も、あんたが使うには勿体ない代物だ。誰に断って、こんな絵を描いてるんだ?」


「それは……」


キョウは自分が責められていると気付いた。罪を主に及ばせて良いのだろうかと思いつつ、子どもの素直さもあり、小声で、


「宗……さま、です……」


と答えた。


「聞こえないよ!」


「あの、宗さまです」


「ふうん、宗がねえ。分かった、絵のことは不問にしよう。その宗のことだが、あんたは首だよ」


「えっ……」


キョウは驚きのあまり、何も言えなくなった。


「あんたが思いついた話し合いの日取りを枝に記すやり方のせいで宗が忙しくなりすぎたんだ。休む暇もありゃしない。嫁を取る前からこんなに慌ただしく動き回ってたら、『あんな忙しい家はごめんだ』と嫁が来なくなっちまう」


良かれと思ってしたことが、災いを招いてしまった。祝は淡々と冷たく言い続ける。


「今日から宗のそばを離れて、地下倉の見張り番につきな。言っとくが見習いだよ。勝手な真似をするんじゃ無いよ!」


「あの……じゃあ、これは……」


足元にある描きかけの絵をどうしたら良いのか、キョウは取り上げられるか捨てられると思い、悲しくなった。


「その絵は預かっとくよ。あとで宗にも言っておくから。分かったら、さっさと小令の所へ行って、倉を案内してもらいな」


「わ、分かりました……」


キョウは落ち込みながら一礼して杖を突きつつ祝の前から去っていった。




 「ああ、もう。前の子を首にする時はこんな気持ちにならなかったのに。勢いよく話さないと弱みを見せちまう」


と祝は片手で熱くなった顔を仰ぎながら言った。すると後ろから呂尚がやって来て、


「首だと言ったのか?」


と聞いてきた。


「言ったよ。まったく世話の焼ける」


祝の様子に夫・呂尚は苦笑いした。そして足元にある描きかけの絵を見つけて、


「その絵は何だ?」


と妻に聞いた。


「宗の話し合いの日取りをまとめた絵だって言ってたね。丸を沢山並べて、どうする気だったんだろう。あたしはもう怖いよ」


「見やすいように手のひら大の円が横に十個、それが三列……これは」


「太陽のつもりだったのかね」


この時代の人々は太陽が十個あり、それが代わる代わる明け暮れていると考えていた。


「こりゃあ月だな。一日のおきに月が満ち欠けしている絵を描いてるぞ。十五個目は望月になってる。一個目は朔(新月)だ。ここに宗が誰と話し合いがあるのか書き込むつもりだったんだな。……驚いたなあ、こりゃあ暦だ」


「暦なんて、あんたが邑の連中に知らせるもんだろ? 勝手に作っちゃあ、暦を作ってる王様に不敬だって殺されるんじゃないのかい」


「う〜ん、そうだな、不完全だが誰がどう見ても暦だ。キョウには悪いが口止めをしとくか」


「なあんでそんなに嬉しそうにしてるんだよ?!」


祝は身震いしながら、それを打ち消すために大声を張り上げた。


「いやいや、あの歯の抜けたばかりの子が思いつくことじゃねえな。誰かに教わったのか、さっそく聞きに行ってくるか」


呂尚は足取りも軽く、地下の倉の方へ向かった。


「あんたぁ、」


と離れたところから妻・祝が呂尚を呼び止める。間延びした声が可愛らしいと思い彼は振り向いた。


「宗の話し合いの数、減らしてよ! あんたが何人か聞いたら、宗は楽になるんだから」


「へいへーい」


と呂尚はふわりと手を挙げて、まなじりを下げた。




 呂尚は地下へ続く倉の入り口の前に杖を突いてぼんやり佇んでいるキョウに声をかけた。倉番は小用を足しに出かけたという。


「祝と会った時にお前の描いた絵を見たんだが、あれは暦だな。お前は暦を誰から教わったんだ?」


と呂尚は尋ねた。キョウは暦という言葉を初めて聞いたので、それを話すと、


「ただ、母さんがよく月や星をきれいだと言ってたので、俺も観るようになりました」


と付け加えた。


「そうか、お前の母は良い目を持っていたな」


そう言うと呂尚は涙ぐむキョウの肩にそっと手を置いた。そして誰にも教わらず暦を作った事に内心とんでもない子だと舌を巻いていた。




 秋風が吹きはじめた。虫が夜にかまびすしく鳴きはじめる。キョウは遥か遠くに灯る祭のかがり火を眺めていた。彼の見張る地下倉は黍や粟、米などの穀物がいっぱいになっている。向かいから鼓笛の音、賑やかな声が元気を失くした夏草を通ってやってきた。キョウは大人たちが騒ぐ祭りが苦手だったので、近くへ行きたいと思わなかったが、それでも祭りに加われない寂しさはあった。

 と、そこへ屋敷の家宰をつとめる大令がやって来た。一見、風采の上がらない初老の男だが、奴僕たちを采配する声は低くよく通った。


「お疲れさまです」


とキョウは一礼した。


「ひと休みしに来たんだ。お前さんも火にあたってくるといい。でなければ一年の厄は払えないからな」


「……あ、ありがとうございます」


はじめ何を言われているのかよく分からなかったキョウは、屋敷を取り仕切る家宰が、休憩を口実に新入りの仕事を代わりに来てくれた事に嬉しさが込み上げてきた。遠くに見える灯りに向かって杖を突きながら早足で行くと、酒に酔った男たちの声が近くなってくる。




 邑の中心にある広場に大きなかがり火が焚かれていた。その傍で呂尚が祈りを捧げ終わったのか焼かれた生贄を台座で切り分けている。その後ろで妻の祝や、長子の宗、次子の雨、末子の娘・陽が並んで見守っていた。更にその後ろでは邑人に馳走を振る舞うために屋敷の奴婢たちが大鍋で煮炊きし、魚を切り分け、果実を盛って、酒を注ぎ、めいめい配り歩いている。

 邑の女たちは祭の馳走は本来なら自分たちが用意するのだが、楽をさせてもらっているという気持ちから、酔っている男たちの前に料理を運ぶ手伝いをしていた。行き渡れば自分たちも馳走にありつける。子どもたちは既に肉にかじりついていた。

 かがり火から一番遠く離れた場所で身を寄せ合って座っているのは、いくさで身寄りを失くした者たちである。彼らの多くは身体の一部を失っていたので、せわしい祭りの始まりは手伝うことが余り無かった。キョウは彼らの一群に紛れて座った。目の見えない小男・はくの剥げた後ろ頭を見つけて、隣にそっと腰をおろしたのだ。


「おじさん」


「誰かと思ったらキョウか。祭りでお前の声が聞こえてこなかったから心配しとったぞ」


「倉の見張りを大令さんが代わってくれました」


「ほう、そうか。目端の利く男だな。そういう男の下で勤めることが出来るお前は幸せ者だ。よくよく見習えよ」


「はい。……おじさん、料理のおかわりを持ってきましょうか?」


「ハハハ、お前さんが食い終わってからでいい。屋敷の人たちは親切だ。わしらにも祭り用の馳走を振る舞ってくれる。彼らは、まだ何も食べてないように見えるが……昼にいくらか腹に入れておいたのかな」


キョウは白の言葉が当たっていたので、ほうとため息をついた。昼どきに、屋敷の奴僕たちが


「しばらく食えなくなるから、今のうちに食べておくように」


と口々に言っていたのである。

 キョウが料理を取りに行くと、大鍋で煮炊きしている女から、


「何処に行ってたんだい? 姿が見えないから、みんな心配してたんだよ」


と言われた。

「倉の番をしてました。いま大令さんが番を代わってくれてます」


「まあ、そうだったのかい。こういう時も泥棒は抜け目が無いもんだ。そういや屋敷も留守番してる人が居たね。大令さんはそっちの様子も気になるのかもしれないねえ」


女は喋りながらも、杖で片手が塞がっているキョウのために、一碗に馳走をあれこれと盛ってくれた。それにさじを差してもらい、竪穴に住む者たちの座っている元へキョウが帰ってくると、邑長が酔いながら絡んできた。


「キョウよ、それから竪穴の諸君よ。いつも邑のために手足となってくれて、わしらは大変に助かっとる。邑の連中は「負けてなるものか」と言っているくらいだ。怠けもんが減った。ただ飯喰らいをしとったら、君ら以下になってしまうんでな。わははは……」


そう言われて、竪穴に住む者たちは何も言えなかった。


「どうした? 暗いなあ。もっと酒を飲むといい。何もかも忘れられるぞ。一緒に踊りに来るか? まあ、その体じゃあ無理だろうが……」


そこへ祈りを捧げ終わった呂尚がやって来た。


「流石は邑の長たる方のお言葉。いたみ入ります。竪穴の者たちが邑人と祭りを通して親睦を深めるよう取りはからってくれるとは。皆のもの、遠慮することはないぞ。目に見えぬ者も、手足の欠けた者も踊れることは、天地の神もご存じのことだ」


呂尚がそう言い終わると、竪穴に住む者たちは喜び勇みながら、鼓笛の響き渡るかがり火の前へ駆けていった。邑長は顔をしかめ、


「よくもまあ、あんなでたらめな踊りを」


と苦虫を噛み潰したように言った。キョウは酔いどれながら踊っている邑人の踊りの何処がでたらめで無いのか分からなかった。

次の話が本当に書きたい部分で、

やっと、取っ掛かりのお祭り場面までたどり着けた〜という感じです。

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