第62話 二人の夜――蘇る記憶、死んだ赤髪
※修正報告(ストーリーに大きな変更はありません)
・薬草のシーンおよび『銀狼の刃』の会話シーンに描写を追加しました。
・その他、誤字脱字等の微調整を行いました。
ジークから渡された枯れ木の山を前に、レンドルは立ち尽くした。
「……火打ち袋がない。流されたのか。……火を起こせないな」
「え? 火の魔法を使ってたよね。お父さんと同じ銀色のやつ。あの魔法は初めて見たけど」
「あれは……何度も使えないんだ。星素っていう魔力とも違うものを使う」
「そっか、銀炎は星魔法なのね」
「星魔法?」
「お父さんの研究を手伝ってるときに、そう呼んでいたの」
「そうだったのか」
「レンドルはお父さんに教えてもらったの?」
「ちゃんとできるようになったのは、そうだね」
「火の魔法とは違うんだよね」
「魔力だけで火を起こす方法を知らない……だから、わからない。だけど、俺の魔力は火の属性だって言われたんだ」
「そうだったんだ、なら魔力で『焚き火』をイメージしてみて」
レンドルは指先に魔力を集中させた。だが、何も起こらない。指先をじっと見る。
「ねえ、火はどうしてつくと思う?」
「木が燃える……?」
「いきなり燃えないでしょ。魔力を火打ち石だと思ってぶつけてみて。そうすれば火花が散るはず」
魔力は『流れる水』のようなものだと思っていた。身体強化魔法が、そうだからだ。
だが、ジークの教えは違った。魔力を流し、それを火打ち石のように互いにぶつける。鋭い火花が散る様子を、強く思い浮かべた。
(火花だ。――散れ!)
バチッ、と指先から鮮やかな火花が飛んだ。
「できた!」
「いい感じ。そこから火を育てましょ。次は魔力を『ランプの油』のようにイメージして。火花をぶつけて燃やすイメージだね」
「火打ち石と油。魔力を使い分けるのか」
「そういうことね」
レンドルは集中し、指先に魔力を流した。火花は出る。
「そういえば、油ってなんで燃えるんだ。水は燃えないのに」
「あっ、それまずいやつ。時間かかるやつだ」
「えっ、だめなのか!?」
「レンドルは、火が燃えるところを観察なんてしたことないよね……」
「ないな。燃えていたら明るいなとか、熱いな、としか思わない」
「どうして油が燃えるかじゃなくて、『油だから燃える』って思って。それで火が付くイメージをしないと」
「……難しいな。一度そう思ったら切り替えるのが難しい。他に方法ってあるのかな」
「本当は火そのものをイメージできるのが一番なんだけど……」
「そうだ、母さんを真似てみるか」
「レンドルのお母さん、魔法使いだったんだ」
「うん、とても尊敬している。母さんの火の魔法は何度も見たから――」
母、エルザが使っていた火の魔法。穏やかに燃え、時に激しく、そして何より美しかったあの焔。温かな記憶。
(思い出せ……火は、燃えるものだ。赤く、熱く、すべてを包み込む――!)
――ゴォッ!!
レンドルの手元から、火柱が渦を巻いて一瞬突き上がった。
「きゃっ!?」
「で、できた……こうやるのか。何となく分かった」
「な、なに今の……。火の竜巻って、まさか――異能」
「異能?」
「私のお母さんと同じ能力。魔法の工程をすっ飛ばして、一瞬で現象を作る力。私は百年くらい同じものを作り続けて、ようやく今の氷の魔法ができるようになった。レンドルのとは全く違うの」
彼女は心なしか、興奮しているようだった。
「百年……。でもイメージっていってたから」
「そうなんだけど、魔法ってそこから火の大きさ、強さ、形、動き方……色々な細かい情報で作り上げるの。そうすることで、いつも同じものを作ることができる。剣の型と同じよ。そうやって、自分の魔法のイメージを作り上げるの」
剣の型といわれて、妙に納得ができた。小さいときから、ずっと繰り返してきた。最初はできなかった動きが、流れるような動きになったと実感したのは、ごく最近のことだった。
銀瞳がじっとこちらを見ていた。目が合った瞬間、気まずそうにジークは視線を落とした。
「最初は何となくで小さな火を起こせたりするけど、毎回同じじゃないし、そこから安定した魔法を構築するには時間がかかるの」
「……魔法も、鍛錬が必要ってことか」
「そうなの。剣の鍛造が魔法、剣の鋳造が異能、お父さんはそう分類してた」
「魔法っていっても、色々あるんだな……」
剣が使えなくても、母譲りのこの魔法があれば、魔物と戦えるようになるかもしれない。でもそれは今じゃない。ただ、使えるのが分かったことが、なんだか嬉しい。
「まあ、いいわ。火の魔法は使えたんだし。難しいことは、今はなし」
ジークが焚き火のように組んだ木の枝を指差した。
「じゃあ、もう一度。火をつけてみよ」
「あ、ああ……。あれ、火は出るけど、すぐに消える」
「燃えるイメージはあるけど、燃え『続ける』イメージがないのね」
「あ、そうか。炎の壁は燃え続けていたな」
レンドルは集中して指先に魔力を流し、イメージする。
小さな火の竜巻が、一秒、二秒――と、燃え続ける。
薪に火を移した。今度は消えない。赤々とした火が、二人の凍えた肌を温め始めた。
「すごい、魔力操作がすごく滑らか。――薪をもうちょっと集めてくるね」
ジークと視線が合った。そして、またすぐに目をそらしていた。
ジークは手際よく薪を足し、見つけてきたベリーを差し出した。さらに、石ですり潰した薬草をレンドルの右腕に丁寧に塗っていく。
「……ありがとう」
「このルリア草ってね、すり潰すと痛み止めにもなるし、傷口にも使えるの。昔からディネットと摘んでたんだ」
ディネット、ラドウィンの妹の名前だ。
俺がディネットのことを知っていると、言っていいのか。
「ルリア草は、見た目は殆ど一緒の毒草があるから、気を付けて採るんだ」
「この手のひらみたいな薬草、覚えやすいけど……怖いな」
(あ、乾燥した葉を使って母さんが解熱剤にして飲ませてくれたことがあった)
「そういえば、この薬草使ったことがある。乾燥してたけど、母さんが解熱剤にしてくれた」
「そうそう、保存も効くし万能薬よね。でも苦いからベリーも一緒に採るの」
そう言って彼女は一粒口にした。レンドルもいくつか受けとる。
「食べてみて。これね美味しいよ」
一口食べる。甘酸っぱい果実が、疲弊した体に染み渡る。
「今日はここで休んで、明るくなったら移動しよ。街道を目指せば、いつか合流できると思うし、ダルトハットにも行ける」
「ああ。ラドウィンの言った通りにしよう。合図灯もあるし……あ、雨?」
ポツポツと、木の葉を叩く音がし始めた。
「せっかくの火が消える。外套を木にかけて屋根にできないかな」
そう言って、レンドルが外套を太い根に渡すと、ジークが縛り付けた。火が消えないように屋根になった。その代わり、雨の音が樹洞に響くようになった。
暖かい。冷えた体を火が優しく包み込んでいく。
レンドルは腰ベルトの短剣と、銀狼の刃を確認した。
万が一襲われたときにすぐに使えるように地面に刺した。
「それは何?」
「これ? 斬った銀狼の刃をナイフ代わりにもってきたんだ」
「肩のやつ? 斬ったの?」
「ああ、俺の剣で斬った。その後、銀狼の牙を砕いて剣も壊れたから、ギリギリだった」
「それって、私の噛まれた傷が深くないの……レンドルのお陰だった」
「たぶん、そうかもしれない。いい剣だった」
「そっか……また助けてもらってたんだ」
その、「また」がコルタナ要塞のことだったのか、闇の森でのことなのか、レンドルは聞き返すことができなかった。
どこまで記憶に触れた話をしていいのか、全く分からなかった。
「あとね、無くした剣ってバルザードのよね」
「そうだよ、バルザードから預かったんだ」
「やっぱり! バルザードって剣を触らせたり絶対しないのに」
「きみを助けるために、預けてくれたんだ。ラドウィンが拾ってくれてるといいんだけど……」
「……そっか。大事な剣なのに、お礼を言わなくちゃ」
「ああ、必ずもどろう」
ジークは頷いた。その視線はまた、すぐ外に向けられた。
「……この布も乾かしておくか。怪我の手当てに使えそうだ」
そういって、根の近く、焚き火で乾かせるように広げた。
残りのベリーを口に含む。甘酸っぱい果実がさっきより舌を刺激する。レンドルの感覚は、妙に鋭敏になっていた。
二人は、大きな木の根元にできた樹洞へと身を寄せた。焚き火の淡い光が、外の森を見るジークの横顔を揺らしている。手を伸ばせば、その髪に触れられる距離。
雨音に閉ざされた狭い空間。外套を外したジークの傷、そして素肌に自然と目がいった。レンドルは急に気恥ずかしさを覚え、言葉を探した。
「……自分が火の魔法を使えるなんて、思ってもみなかったよ」
「……あのね、思い出したの。レンドルのこと」
ジークの声が、低く震えていた。
「……そうか、よかった」
ジークは横を向いたままだった。尖った耳が、少し下がったように見えた。
「わたし、普通に話をしていたけれど、覚えていたのは名前だけだった。それがだんだんと……話をしていると、思い出してきたの」
「あなたの、大きな傷をみて……」
彼女は膝を抱え、体を小さく丸めた。
「……あなたを、殺した」
レンドルの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「きみは、コルタナ要塞でのこと……加護のことを」
「うん、全部思い出した。銀狼から守ってくれたことも。加護を奪った……ことも」
「あなたから……加護を奪って……それで……」
彼女は、震える声で言葉を繋いだ。
「加護を奪えば、その人は死んでしまう。あの日、あなたの命を奪ったのは、間違いなく……わたし」
焚き火が静かに揺らぎ、影を揺らしている。焚き火の橙色の光を受けて、白銀の髪が静かに金色に透き通った。
「……きみは、ラクアに命令されていた。それに、斬られた傷は致命傷だった。……どのみち命は流れていた」
レンドルの言葉を遮るように、ジークの言葉が届いた。
「わたし……どうしてあんなことをしたのか。ただ、逆らえなかった……」
レンドルは唇を噛んだ。今、ここでプラナスの『魅了』のことを話すべきか。彼女を操っていた「簒奪者」の影を暴くべきなのか。
真実を話せば、彼女の罪悪感は消えるかもしれない。だが同時に、その言葉が彼女の不安定な記憶を再び壊してしまうのではないか。
ジークが小さく息を吐いた。
「……ごめんなさい」
横を向いたまま、そして顔を膝に埋めて、声を震わせて謝った。
レンドルは声も出ない。
どうしたらいいのか、分からなかった。
寒さで震えていたのかも、分からなかった。
火の粉が爆ぜる音が、二人の間の重苦しい沈黙を繋いでいた。
この狭い空間を、もう少し暖かくしようと思った。
レンドルは焚き火に、枯れ木を足した。
外では雨が激しさを増す。
彼女の声が、雨の音に消されていくようで、怖かった。
「……ジーク。ここには、俺たちしかいない。……思い出したのなら、俺を見てほしい」
だが、ジークは顔を埋めたまま、首を横に振った。
「それは……できない」
「……どうして。加護を奪われても、生きている。きみは殺してなんかない。だって、俺はここにいる」
「違うの。……さっき見てたけど、やっぱり今はできない」
レンドルは首を傾げた。そういえば、さっきから彼女の視線が不自然だった気がした。
「……その、俺はさっきから、きみの銀髪にばかり目を奪われていて……。だから、その、ちゃんと生きてるって思ってる」
自分も直視するのが恥ずかしかったのだと、精一杯の白状をした。すると、膝に顔を埋めていたジークの肩が、ぷるぷると震えだした。
「あははははっ! ふふっ、あはははは!!」
突然、彼女が爆笑した。
「なッ、なんで笑うんだよ」
真剣だったレンドルは、拍子抜けして肩を落とした。全身の力が抜けた。ジークはお腹を抱えて笑い、ようやく息を整えると顔を上げた。頬を真っ赤に染めてレンドルを指差した。
「ごめん、あはは……。あのね、レンドル。……お願いだから、服を着てほしいの」
「え……あッ!!」
全身が熱くなる。水を絞るために脱ぎ、今は焚き火のそばで乾かしている最中
――つまり、今は上半身を晒したままだ。
彼女は、レンドルの傷跡を見て過去を思い出していた。それと同時に「裸の異性と至近距離にいる」という事実に、目を逸らしていた。
「ご、ごめん! すぐ、すぐに着る!」
立ち上がろうとして、樹洞の天井に赤髪をぶつける。
痛すぎて、変な声が漏れる。
それを見て、こらえた彼女がまた笑った。
恥ずかしくて死にそうだ。いや、死んだ。
慌てて生乾きの服を引っ掴むレンドルの背後で、ジークはクスクスと、楽しそうに笑い声を漏らしていた。
そこには、さっきまでの重苦しい空気はなかった。この不格好なやり取りが、ジークを救ったのだと思うことにした。
「ねえ、レンドル」
声を掛けられて、ジークを見た。
彼女は両手で口をふさいでいた。
けど、きっと少し微笑んでいるんだと思った。
やっぱり、目が離せなかった。
初めて会った時と同じだった。
その大きな瞳の奥で、紅い火の色と銀が揺れていた。




