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第九話

 ――ガシャーン!


 店内に入ると同時に何かが割れる音が響く。


「………」


 いきなりですか……

 どんな状況なんだよ……これ。


 その状況を知るに時間はかからなかった。

 すぐそこの一角で何やら揉めている光景を目にしたからだ。


 四人ほどの貴族らしい男たちが、この店の給仕の女性だろうか?

 その人に難癖をつけていた。


 一人は小太りで趣味の悪い金色の指輪が醜悪さを増大させていた。

 それを十本ほど指にずらりと並べ、自己顕示欲が全開だった。


 もう一人は痩せぎすな貴族。

 赤と紫の派手な衣装に身を包ませている。

 なんとも、まるで舞踏会から飛び出してきたかのようだった。


 残りの二人は中肉中背。

 どちらも濃紺の上品な外套を羽織っていた。

 だが、顔にはどうにも意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。


「なんと無礼な小娘であろうか? これはお仕置きをしなくては。うぇへへ」


 痩せぎすな貴族がいやらしく笑いながら話している。

 そして、そのままさらに口を開く。


「こちらのペロー家のデンブリン様と知っての無礼かっ! ふへへ」

「待つのだ。ヤシャギ殿。この娘も悪気はないであろう?」


 その言葉に、少し安堵を覚える女性。

 このまま、悪気がないことを告げれば許されるかもしれない。

 そう思っていたが、続く言葉に目の前が暗くなった。


「だが、例え悪気がないとはいえ、それ相応の誠意を見せてもらわぬとな、われらの面目がたたぬ。のう、皆の衆」

「ええ、ええ、そうですとも。さすがデンブリン殿。道理をよくわきまえてらっしゃる」


 ヤシャギが先頭を切って同意し、他の貴族も頷き同意する。


「皆も、こういっておられる。のう、この店の者もそうは思わぬか?」


 と、誰も断れないと知りつつ、わざと客にも伺いを立ててきた。

 が、誰ひとりとして答えない。

 いや、答えられないのだ。

 誰もが断れば、どうなるかを知っているからだ。


「おやおや、誰も何も申さぬとな。それは我らの言い分に非はないと? そう解釈して良いのだな? ぐふふふ」


 歯向かう者がいないことを確信し、いやらしく笑みをこぼすデンブリン。

 そして、女性の腕を掴み、にやけた口を開いた。


「どれ、ならば娘。こちらにきて酌をいたせ。ぐふぐふふ」


 掴まれた女性は嫌悪感を表し、謝罪を請う。


「お、おゆるしを……」


「なんと! できぬと申すのかっ!? 悪気は無いといえ、デンブリン様にぶつかり、尚且つ、衣服にこれほどの汚れを付けて。それは、ないであろう? ですよね? デンブリン様」


 追い詰められた女性は目を泳がし、誰かに助けを求めているのが分かる。


 だが、相手は貴族が四人。

 誰もが顔を背け、目を閉じる。

 誰も面倒なことには首を突っ込みたくない。

 貴族になど逆らえない。

 そんな感じだった。


 うっわ……

 こんなベタな貴族。

 ほんとにいるんだな……

 ひくわぁ~~


 っと、そうじゃないっ!

 なんとかしないと!


「なんと、こちらにきて酌もできぬと申すか。ならば、われらの宿にきて、たっぷりと謝罪を行って貰う他あるまいな。ぐふふふ」


 デンブリンという貴族がそう言うと、残りの貴族も喜んで従っていた。


「さすが、デンブリン殿。我らが出来ぬことをやってのける。そこにしびれるあこが――」

 

 ――それ以上はいけないっ!

 と、ナナミは心の中で突っ込んでしまった。


 おいおいおいおい……

 さすがにこれはっ!


「ち、ちちう……」


 父に視線を送る。


 だが――


 ――ザッ。


 店内の騒ぎの中、静かに近づいてくる足音があった。

 その気配の存在に気づいた二人は、この状況の中でも落ち着いていた。


「大丈夫であろう」

「ええ、そうですね」


 ど、どういうことだ?

 何がなんだか分からない。


 女性の腕が掴まれ、無理やり引き寄せられようとした――その瞬間。


 ――ギリッ。


「……その手を、離していただけますかね?」


 気づいた時には、デンブリンの腕がねじ上げられていた。


「なっ……!?」


 いつの間に。

 誰もその動きを捉えられなかった。


 そこに立っていたのは、一人の男。

 どこか飄々とした笑みを浮かべている。


「……領民を守るのが貴族の勤めと認識しておりますが、勘違いでしたかな? ふふふ」


 静かだが、刺すような声で不敵な笑みを浮かべていた。


「き、貴様っ! 何者だ!」


「ふふふ。なぁ~に、ただの通りすがりの貧乏貴族ですよ……もっとも、あなた方と違い、良識は豚に食わせていませんがね。ふふ」


「ふ、ふざけたことをっ! 私を誰だと思っておる!」

「むこな女性を攫って、欲望をみたす豚……でしょうかね。ふっ」

「ふざけるなっ!」


 腕を振りほどかれたデンブリンが怒鳴る。


「衛兵! この無礼者を取り押さえろっ!」


 その一声で、店外に控えていた兵たちが一斉に踏み込んできた。


 鎧の音が床を震わせる。

 空気が一変する。


 ――やばい。


 今度こそ本当にやばいやつだ。


 だが――


「……ほぅ」


 男は、楽しげに目を細めた。


「このわたし共と、やりあうおつもりで?」


 その声音に、奇妙な圧が宿る。

 兵たちの足がわずかに止まる。

 その男の周りの二名の部下も臨戦態勢を取った。


「面白いですな……しかし」


 一歩、踏み出す。


「ご自分では手を汚さぬとは。なんとも、貴族らしい『勇敢さ』ですな」

「ははは、まったく同感ですな。このような勇敢さで良いのであれば、王国の貴族は全員英雄だらけですな。隊長」


 隊長の言葉に短剣を抜き構えている男が警戒を強めたまま低く、愉しげに笑った。


「なっ……!」


 デンブリンの顔が歪む。

 怒りか、焦りか。


「か、構うな! やれぇっ!」


 その号令に7人の若い兵士が促されて踏み出した。

 その一人は不敵な男の背後からその肩を掴もうと手を伸ばす。


 だが——


「おっと」


 男は振り返りさえしなかった。

 流れるような動作で兵士の腕を払い、その勢いを利用して足を払う。

 

 ——ドサッ!


 何が起きたのか理解できないまま、兵士は床に転がっていた。

 同時に左右に展開していた部下たち。

 彼らもまるで作業をこなすように、他の兵士たちを瞬く間に打ち倒していく。


 周囲が息を呑む。

 二人を打倒したその男は一瞬の間隙を縫い、爆発的な速さで動いた。


「なっ……!?」


 デンブリンが瞬きをする間もなかった。

 目の前にいたはずのその男!

 それが、視界からかき消えたのだ。

 次の瞬間、デンブリンの視界を塞ぐ。

 それは、下から突き上げられるように迫る男の拳だった。


「ひっ……!」


 空気を切り裂く鋭い音。


 ハスターの拳はデンブリンの顎先でピタリと静止する。

 凄まじい拳圧がデンブリンの顔を歪ませ、数本の髪の毛が風に舞った。


「ひゅぅ~」


 部下の一人が血の気の引いた兵士を組み伏せながら、感嘆した口笛を鳴らした。


「……あ、あ……」


 デンブリンの喉が、引きつった音を漏らす。

 男の瞳は笑っていた。

 しかし、その奥にある「本物の死」がデンブリンの魂を凍りつかせた。

 男が拳をゆっくりと降ろし、ふっと息を吹きかける。


「いかがですかな? このような催しも、時にはよろしいのではないですか? ふふ」


 その一言が、最後の一押しだった。

 デンブリンの膝が、生まれたての小鹿のようにガクガクと震え出す。


「ひぃ、ひぃぃぃ……!」


 支えを失ったように、デンブリンはその場に尻餅をついた。

 豪華な衣装も構わず、無様に床を這いながら後退りする。

 その顔には、先ほどまでの傲慢さは微塵も残っていない。


 向かってきた兵士全員を打倒した部下たちも「こんなものか?」と言わんばかりの顔を浮かべ、再び男の後ろに控えた。


 その見事なまでの立ち回りに、店の全員が息を飲んだ。

 当然、ナナミも目を丸くしていた。


 つ、つよい……

 圧倒的に格が違いすぎる。

 素人のわたしから見ても、それがはっきりとわかった。


 洗練された無駄のない動き。

 派手で大きな動きで人の目を喜ばせる動きではない。

 ただ、一直線に最速で最短に相手を無力化する武力。

 そういっても過言ではない動き。

 ただ、圧倒的だった。


 皆もそう感じているのか店内が静まり返った。

 そして、その男の腕についてある腕章の模様に気づいた貴族の一人が声を出した。


「……こ、蝙蝠部隊……」


「「「な、なにぃぃぃ!!?」」」


 その場にいる全員が、驚きの声を上げた。


「こ、蝙蝠部隊とは、あの蝙蝠部隊……のことか?」


 デンブリンが喉を鳴らし、顔中から脂汗を噴き出させた。

 ヤシャギが恐怖で瞳孔を散らしながら、怯えながら口を開く。

 それを合図に周囲の貴族たちの間に、波紋のように動揺が広がる。


「え……ええ。数年前、国境付近の村を襲った野盗三百人を三十人で殲滅したと噂されている、あの部隊です」

「まさか、あの『鮮血の夜』のことか……?」


 ヤシャギの言葉に、他の貴族も怯えたように口を開いた。


「そうです、その夜のです。表向きには正規軍が追い払ったことになっていますが……実際は裏で彼らが動いた、そう囁かれています……」


「わたしも聞いたことがある……たしか、第一王子の暗殺を企てた大臣の『事故死』も、彼らが絡んでいるとか……大きな事件の裏には必ず彼らの影がちらついている……そして、その部隊長の名は……ハスター……と」


 なにそれ……怖すぎる……

 三十人で、三百人を全滅……

 例え、相手が素人だったとしても十倍の戦力を覆すのは並大抵の事じゃない。

 それだけ彼らが武器に精通し、能力も高い証明だ。

 しかも、暗殺や破壊工作、裏工作までこなすプロ集団。


「………」


 プロ集団……?

 

 あれ……? 

 これって……

 この人を、もし引き込めるのなら……


 平和な世の中で、気の抜けている兵士を鍛えられるのでは?

 しかし問題もある。

 はたして、そんなプロの戦闘の訓練についていけるのかどうか。

 ここだけは、やってみないと分からない。

 けれど、少なくとも危機感を植え付け、緊張感をもって望んでくれる!

 ……はず!


 ……いけるっ!


 けど……どうやって引き込めばいいのだろうか……


 こんな人たちに「お願いします」と言って、素直に従ってくれるとは思えない。

 敵に回せば厄介だが……

 味方に引き込めれば、これほど心強いものはない。

 是非とも、引き込みたいっ!


 う~ん……困った。


 引き込み方に悩むナナミだが、引き込みさえ出来れば確実に戦力が上がると確信していた。


 ナナミがそんな思案も巡らしている間にも店内の時は動いていく。

 

「なななぜ、そんな貴様らがこの王都にいる……」


 未だ、立ち上がれないデンブリンが震える声でデンブリンが絞り出す。

 そんなデンブリンに手を貸すどころか、他の貴族は自分たちの身の安全を測り、さらに距離を取った。


 そんな貴族ばかりの中、怯えながらも話しかけるデンブリン。

 そんな気概があるだけマシなのかもしれない。

 もっとも、肥大し歪んだ自尊心に支えられている気概だが。


「なに、躾のなっていない貴族を調教するためですかね」

「ぐっ……」


 だが、そんな肥大した自尊心もすでに折れかかっている。

 そんな状態のデンブリンには、無礼な物言いのハスターに言い返す気概などもうなかった。

 

 すでに意気消沈のデンブリン。

 打倒された兵士に恐れおののく貴族。

 

 そんな店内の様子にハスターは止めの言葉を吐く。

 

「さて、他にこのハスターに挑む勇者はいらっしゃるかな?」


 不敵な笑みを携えたまま、声を張り言い放った。


「き、きさま……このわしにこのようなことをしてただで済むと思うなよ……今回のことは上に報告して、しかるべき処置を取ってもらうからなっ!」


 なんとかヤシャギに支えられ立ち上がったデンブリンが醜く叫ぶ。


「ご随意に。ただし、今回のあなたの悪行も報告することになりますが、よろしいので?」

「そそそんなもの、わたしの力でなんとでもなるわっ!  ぐはは、覚えているがよいわ!」

「も、もうよしましょう。デンブリン殿」


 捨て台詞を吐き、ヤシャギたちに抱えられるようにしてデンブリンが店を飛び出していく。


 その背中にハスターは追撃の言葉さえ投げなかった。


「……まったく、腐った貴族というものは帝国も王国も変わらんな」


 ハスターが短く促す。

 部下たちは即座に武器を収め、彼の背後に並んだ。

 まるで何事もなかったかのように静かに。


「あ、あの……ありがとうございました」


 助けられた女性が、ハスターに近寄りお礼を述べる。


「ん……ああ、気にするな……行くぞ」


 ハスターは短く答えると店を出ようと歩き出す。

 後ろの二人も、そのあとに続く。


 だが、ナナミたちのテーブルの横を通り過ぎる瞬間。

 ハスターの足が一瞬だけ止まった。


 すれ違いざまに、ちらりと父ホルスと視線が交差する。

 そして次。

 ハスターの視線は、父の傍らに座る小さな子供——ナナミへと向けられた。


 ……あ


 ナナミはその何者も寄せ付けない眼光に息を呑んだ。

 ハスターは何も言わず、そのまま風のように店を去っていった。


 開け放たれた扉から王都の喧騒が入り込み、店内の凍り付いた空気をようやく溶かした。


 その背を見ながらナナミは思う。


 あの人を引き抜ければ、必ず緩慢とした空気がいい方向に変わる。


 なんとしても引き込みたい。


 ……いや。

 ……引き込むっ!


 ナナミの瞳には、はっきりとした決意が灯るのだった。

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