36.天使の微笑み
「……」「……」「……」
「…なんで皆して沈黙してるんだよ……」
ステラとの抱擁から、約十五分後。
ようやく冷静さを取り戻したヴァンスは、部屋にアルバートがいることと、部屋の外で両親が聞き耳を立てていることを思い出して慌ててドアを開け、三人に何とも言えない目で見られている───というのが現状である。
扉にへばりついて聞いていた両親はともかく、最初から最後まで同じ部屋にいるしかなかったアルバートには、災難だったとしか言えないが。
でも、でもだ。
───ふと我に返って、アルバートが窓辺で小鳥達を遠い目で眺めている姿を見たときのヴァンスの衝撃は計り知れない。何せ、一世一代の告白を他人に聞かれていたのだ。恥ずかしすぎる。
「まあ良かったじゃないか、それでこそ男だ。…私も若いころはだなぁ……」
「ヴァンスも、意外と隅に置けないわね」
腕を組んでうんうんと深く頷く父の昔語りを、母がばっさり切った。長くなりそうな父の話を上手く遮った母さんナイスだ。
「…意外とってどういう意味だよ、意外とって……」
ひとつだけ怖いのは、今日のことを延々と言われそうなことだ。それこそ死ぬまで言われる気がする。一生の不覚。
「……アルバート、頼むからジュリアには絶っ対に言うな。話したらきっとおそらく百パーセント、俺のこれからの人生が終わる」
「───さて、どうだろうか。約束はできないな」
「お前……ブルータスぅぅぅ」
『Et tu,Brute』とは、有名な裏切りの格言である。アルバートは恨めしげなヴァンスの視線にも素知らぬ顔で目をそらした。───ヴァンスは彼の頬のあたりがぷるぷるしているのを見逃さない。あれは……そう、ニヤニヤするのを堪えているのだ。
ヴァンスはため息をつくと、隣のステラに目を向けた。
───現在、ヴァンスとステラはベッドに腰掛けていて、それを囲むように両親とアルバートが立っている。ちなみに、ジュリアのことは別室でシエルが見てくれているらしい。
ステラも、疲労で倒れたのは事実だ。本当は横になっていてほしいのだが、彼女自身が大丈夫だと頑なに言ったのだ。
『今は、ヴァンスの隣で体温を感じてたいから』
決して、その言葉に負けてしまったわけではない。……と信じたい。
視線に気付き、ステラがその青い瞳でヴァンスを見上げた。瞳にはかつての光が宿っており、ヴァンスは安堵する。
「私は、もう大丈夫。───決めたの」
ヴァンスの心を読んだかのように、ステラが言った。彼女なりに、思うところがあったのだろう。これまでの無理を押し隠した『大丈夫』とは違う、本心からの言葉。
「そうか」
何を決めたのかは聞かずに、ヴァンスはただ一言、呟いた。
それから思いついて、付け加える。
「あ、でも今日はゆっくり休めよ?疲れをとって、それから。な?」
「うん、そうする。……そうするかわりに、一緒にいてくれる?」
互いの想いを伝え合ってから、ステラがやけに甘えてくる気がする。それすら可愛いと思ってしまうのだから、だいぶ重症だ。
「もちろん、構わないよ。俺はステラの護衛だし」
護衛───義務だという返事に少ししょぼんと俯いてしまったステラの顎の下に触れ、そっと顔を上げさせる。
「───ステラが、それを望むんなら」
───この瞬間、アルバート達三人の思考は共通していた。
『甘っ‼』
声には出さなかったものの、顔に書かれている。
それはもう、ありありと。
───甘ったるい空間に耐えきれなくなった三人は、いそいそと部屋から退散したのだった。
翌日。騎士団にやってきたステラは、力の譲渡を始めた。
精神的にも、身体的にも余裕が生まれた彼女は前よりも手際よく力を注いでいく。
当然、上手くいくことばかりではないが───
「……また、来たのか」
憎しみを瞳に浮かべた少年……昨日、ステラを詰った少年だ。
ヴァンスは止めようと足を踏み出しかけ、ステラの横顔を見てやめた。アルバートに目配せし、様子を見ることにする。
───ステラは真っ直ぐ、少年の瞳を見つめ返していた。
「クレアには触るな、《穢れた者》。お前の……お前のせいなんだから」
押し殺した声を、ステラは目を閉じて受け止める。ゆっくりと瞼を持ち上げて、彼女は鈴の音のような声を響かせた。
「───確かに、この状況は私のせいかもしれない」
自分のせいだと認める発言に少年が目を見開き、固唾をのんで見守っていた他の人々も驚きの表情を浮かべる。
でもね、とステラは続けた。
「───私は、皆を助けたい」
「───」
「嫌がられたとしても、事の発端が私だったとしても…私は助けたい。だから……お願いします。───私に、皆さんを助けさせて下さい」
人々の顔を順番に見つめ、ステラは頭を下げた。
真摯に頼み込む姿勢───人々がざわめく。
ヴァンスは今度は躊躇わずにステラの横に立つと、同じように深く腰を折った。アルバートも、反対側に立つのが気配でわかる。
───ステラの後ろで護衛として立つのだからと、ヴァンスは借りた騎士服を身につけている。邪魔になるのでマントは付けていないが、剣帯に剣を差した姿は騎士にしか見えないだろう。
《穢れた者》とはいえ、先代巫のシエルから正式に受け継いだステラと、護衛の騎士二人にそろって頭を下げられて、人々は困惑していた。
「───」
微かな衣擦れの音が聞こえ、ヴァンス達は顔を上げた。
見れば、クレアという少女の体に縋りついていた少年が数歩下がっている。───少女の隣を、ステラに譲ったのだ。
気まずそうに顔をそらす少年に、ステラはにこりと微笑んだ。
「───ありがとう」
───そのときのステラは、窓から入ってくる陽光に銀髪を煌めかせていて、まるで天使のようだとヴァンスは思った。
少年を含めた人々もまた、彼女の美しさに息をのんでいて。
当たり前だ、ようやく気付いたのか。
ステラは───ステラの心は、美しい。
関わった人達が皆、彼女に惹かれてしまうほどに。
「ま、一番ステラの優しさを知ってるのは俺だけどな!」
「……何故だろう、雰囲気が思い切り壊された気がするのは」
変な虫は近付けない、と意気込みつつ言ったヴァンスにアルバートが嘆息した。気にしない。
───ステラと想いが通じ合っている。これだけで生きていけるのだ。
「俺、今なら何でもできる気がする……!」
「……」
───ヴァンスの変なテンションの高さは、しばらく続いた。…アルバート達の苦労がしのばれる。
…そんなこんなでも、アルバートやヴァンスの両親の内心を占めている思いが『幸せそうだから、まあいいか』であるところ、本当に良い関係なのであった。