10.行き当たりばったりな行動の報い
ごろごろと寝返りをうっていたヴァンスは、ため息とともに目を開け、起き上がった。壁の時計を見ると、午前四時半。
───結局、布団に入ったのは一時すぎだった。横になってからも寝付きが悪く、夢と現の合間を彷徨い続けていた気がする。
「帰るのが嬉しすぎて、予定より一時間も早く目が覚めるとか子供かよ……」
苦笑混じりに零し、顔を洗うために一階に下りる。ドアを開けた途端流れこんでくる冷え切った空気に体を縮め、早足で洗面所へ向かった。
まだ誰も起きていないだろうと思ったのだが、洗面所には先客がいた。
「お…早いな、アルバート」
「……ヴァンスか」
日も昇っていないというのに、黒髪の青年はすでに着替え終わっている。
日常の一部だということを忘れそうになるくらいの美しい立ち姿。洗面所なのに、絵として残しておきたくなる。洗面所なのに。
だが、一つ言うとすれば───
「お前、ちゃんと寝たのか?すごい顔だぞ」
「……」
整った面貌の中、目の下の隅が目立っているし、唇は固く引き結ばれ、頬は強張っている。
まるで、今まさに死地に赴く戦士のようだとヴァンスは思った。
…確かに、アルバートにとっては戦闘時以上に気が抜けないことだろう。何せ、婚約の許可をもらわなければならないのだから。
「まあ、頑張れ。───唯一の救いは初対面じゃないってことだ」
アルバートの肩に手を置き、深く頷く。
じとっとした彼の視線を綺麗にスルーして、ヴァンスは顔を洗った。
「荷物は、これで全部か?」
「うん。あとはいいはず」
荷物を荷台に乗せ、ヴァンスはステラに確認する。何故ステラかというと、旅に行くメンバーの中で一番冷静なのがステラだったのだ。…あとは察してくれ。
「おーい、ジュリア!準備できたぞ!」
跳ねるような足取りで近付いてきたジュリアと、彼女に引っ張られたアルバートを交互に見て、
「俺とステラが御者台に座るから、二人は荷台に乗っててくれ」
「───。僕も、御者台に……」
「…お前、そんな寝不足丸出しの顔で挨拶するつもりなのか?婚約の話の前に休めって言われるだけだよ。だからせめて、道中長いんだし寝てろ。以上」
一気に喋り、ヴァンスはアルバートを荷台のほうに押しやる。アルバートは何か言いたげだったが、横に立つジュリアの視線に押し負け、渋々頷いた。
「ステラ、悪いけど一緒に御者台にのってくれるか?長閑すぎて寝ると困るから、話相手になってくれると助かる」
ステラは意図を察したように首を縦に振る。ジュリア達が乗り込むのを確認してから、ヴァンスは御者台に跳び乗った。左手を差し出し、ステラを引き上げる。軽い。
余談だが、ヴァンスは常に竜の力を使用しているのだ。よって、腕は怪我を負う前と同じように動く。
「……ごめん、風が当たって寒いだろ?」
「大丈夫。…ヴァンスといると、温かいから」
思わずステラの横顔に視線を向けると、言った本人が頬を染めていた。
「…可愛い」
あまりにもその様子が可愛すぎて、つい思ったことを口にしてしまう。ステラは紅潮した頬を隠すようにぱたぱたと手で顔を扇ぎ、「それより」と声をひそめた。
「私を御者席に呼んだのは、アルバートとジュリアを、二人きりにしてあげたかったんでしょ?」
ステラの言ったとおりだ。寝ると困るからなどと言い訳したが、実際はジュリアとアルバートを二人きりにしたかったのだ。
「ちょっとでも、二人の時間を…と思ってさ。……あ…ち、違うぞ!別にステラと二人になりたかったわけじゃ全然…全然じゃなくて……す、少しは……」
勘違いを正そうとして語るに落ちるヴァンス。
ステラは少し目を見開き───
「───ふふっ」
笑い声。
間抜けな表情をしているヴァンスとは対照的に、ステラは目を細め、口の端を持ち上げて笑った。
「…もう。ヴァンスはいつも、不意打ちするんだから」
「……?…俺、ベスティアの森で戦ってたとき、不意打ちするよりもくらうことのほうが多かったぞ?」
「そういう意味じゃありません」
ならどういう意味なのか。腑に落ちないまま、ヴァンスは後ろを振り返った。
「…んじゃ、出発するぞー」
───施設の玄関前にはレティシアとシエル、そしてサラが見送りのため立っていた。
ステラとジュリアが手を振り、アルバートも手を持ち上げる。
「行って来ます───」
走り出し、もうレティシア達の姿も見えない施設を、三人は長いこと見つめていた。
数回小休止を挟み、馬車は順調に進んでいた。野生動物と遭遇することもあったが、大抵は逃げていく。威嚇行動をとる獣もいたが、ヴァンスが軽く剣気をあててやると怯えて去っていった。
ステラはあちこちが気になるらしく、何か見つけては声を上げる。荷台ではアルバートがジュリアに寄りかかって目を閉じており、口もとが緩むのを堪えられない。仲が良くて何よりだ。
戦意に敏感なはずの騎士がヴァンスの剣気で起きないのは、敵意の有無だろう。
戦う気はない、という意志を込めた剣気だから、アルバートは反応しなかった。
その違いが分かる───簡単に言えばアルバートがそれだけ実力のある騎士だということだ。
「あと、どのくらいで着きそう?」
「もうすぐ、街に入るよ。あ、ほら───」
ステラとの会話の最中に街の入り口が見えてくる。
街並みに懐かしさを覚えながら、ヴァンスはまず騎士団に馬車を返しに行った。
正確には置きにいった、だが。
明日、騎士団に巫の引き継ぎについて話し合いに行くとき、帰りに馬車を貸してもらえるよう頼むつもりだ。ちなみに、相談については昨日のうちに騎士団に手紙を出して伝えてある。
馬車を止め、馬に水と干し草を与えてから荷物を下ろす。幸い、荷物といっても着替えくらいしかないので手で持って運べた。
少し離れたヴァンスの家まで、黙々と歩く。普段は口数が多いジュリアまでも無言なのは、緊張しているのだろう。当然だ。…アルバートは緊張し過ぎだと思うが。
家の前までやってきて、ヴァンスは一度ジュリアとアルバートを見た。
「いいか、ノックするぞ?」
扉を叩く。が返事はない。
しょうがないので、随分昔に両親から渡されていた合い鍵を使って玄関扉を開けた。
───自宅は、静まりかえっていた。
下駄箱を開く。靴は、ない。
深呼吸し、ヴァンスは天井を仰いだ。
「留守かよ──────!」
連絡をせずに来た報いであった。
後ろで、ため息が聞こえる。
行き当たりばったりな行動ではなく、もっと考えろと釘をさされた気分だ。
…少しばかり遅かった気もするが。