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1-02 依頼

 男のジュース代と迷惑料を含めた支払いを済ませ、店を後にした。

 頬に触れた夜風の冷たさに、一瞬で『現実』に戻されたように感じられ胸の内が一気に冷えた。


「俺の分! えーと、払う」

「俺に構うな」


 俺を追って店を飛び出してきた男に吐き捨て、寝床へと足を向ける。

 どこかで飲み直す気にもなれなかった。このまま眠ってしまうことぐらいしかこの現実から逃げる方法がない。


「だから、ちょっと待てって!」


 まだ宵の口だ。いつもの明け方近い帰り道とは違い、数は少ないものの人通りがある。

 不躾にこちらに向ける視線を無視し、人と人の間を縫うように歩く。 


「話聞けよ!」


 あと少しで寝床にしている物置小屋に辿り着く、というところで男に肩を掴まれた。

 まだ諦めていないのか。呆れて思わずため息が漏れた。

 振り返りもせずに上半身を軽く捻って男の手を振り解き、そのまま小屋への出入口へと手をかけたところで。

 

「あんた、二度と剣を握らないって思っているかもしんないけど、また必要になる時がくる。これは絶対だ」

「……」


 絶対に、などという断定的な物言いをする理由がわからず、思わず振り返ってしまった。

 同時に、「しめた」と言わんばかりに男の表情が明るくなった。


「なぜ、そう言い切る?」

「そーいう時代がくるかも、ってこと」

「時代? 戦争でも始まるのか?」


 本来、剣を持つ者が活躍するのは戦場である。

 必要になるのはそれ以外に考えられない。だが男は即座に首を横に振った。

 

「いや。もっと恐ろしいもの」


 恐ろしい物?

 男の言葉の真意がわからずただ胸中でその言葉を繰り返す。

 

「……そういうものが、くるんだと思う。多分」


 急にトーンダウンして、男は手に持っていたグラスを握りしめていたことに気づいたようで焦った様子で持ち直した。

 グラスを持ったまま飛び出して来たのか。


「ああ、これ? 土産なんだ」


 俺の視線に気づいたのか、男は手の中のグラスにを指さした。

 土産? とそれはどうでもいい。それよりも気になるのは――


「恐ろしいものというのは?」

「……」


 問いかけると、少しだけ躊躇ってから口を開き、男は俺から目をそらした。

 言いにくいことを言おうとしているのか、適当な嘘が思いつかないのか、どちらなのかは判断がつかない。

 もういい、と打ち切ろうとしたところでようやく男はもう一度俺を見て口を開いた。


「――自分を守るために、あんたはまた剣を抜くんだよ」


 唸るように男が口にしたその言葉は、答えになっていなかった。

 自分を守るため? 俺が?

 馬鹿馬鹿しいと感じたのは一瞬だ。

 寒気のような吐き気のような気持ちの悪さが、心の底から浮かびあがってきて、一瞬息を飲んだ。


 自分自身を守るため? そんな感情なんてもうどこにもない。

 俺なんて、どうなってもいいと、そう思っている。

 消えてしまえたらいいと。

 それなのに、自分を守るために、なんて……。


「あー……、俺、まずいこと言った? そんなつもりはないんだけど……」


 俺の様子に不味いと思ったのか、男は気まずそうな様子で間合いを詰めてくる。


「……あの、さ」

「ふざけるな」


 低い声で短く告げ、男を突き飛ばし踵を返す。

 これ以上話を聞く価値すらない。

 

「ふざけてない! 本当の話なんだって!」

 

 男は縋るように俺の後ろから騒いでいるが、無視だ。


「頼むって、あんたにしか頼めないんだよ!」


 知るか。

 物置小屋の中に入り込み、今にも壊れそうな木製の戸を閉じる。

 すぐに、ドンドン扉を叩く音が響き渡った。男が叩いているようだが、壊すつもりなのか。


 聞こえないふりを決め込んで、牧草の上に裾がほつれかかったぼろぼろの布を敷いただけの簡易ベッドに寝転がる。

 が、止まない激しいノック音に眠りに落ちることもできず、諦めて起き上がった。

 戸を破壊されたら、しぶしぶここを貸してくれている小屋の主にここを追い出されるのは必至だ。

 いい加減にしろ、という思いで扉に歩み寄り、勢いよく戸を開け放った。


「お」

「……ここで、大人しく去るか、殴られるか、斬り捨てられるか。好きな選択肢を選ばせてやる」


 最大限譲歩し、低くはっきりとして口調で男に告げる。

 男は少しだけ考えているような表情を見せたかと思うとすぐに口元をにやりとさせ、朗々と言い放った。


「あんたに、頼みを聞いてもらう」

「……」


 男の返答に覚えたのは、怒りよりも疲労感だった。

 知らず知らず深いため息が漏れた。湧き上がった苛立ちを紛らわすため、乱暴に前髪をかき乱す。

 

「頼みというのは何だ?」


 認めるのは癪だが、根負けだ。

 

「護衛みたいなの」

「護衛?」


 そんな依頼をするために、こんなにしつこく付きまとってきたのか。

 頬が引きつっているのを自覚しつつ、聞き返す。


「平たく言うとボディガード。つか、そんな気張る必要も無い感じ。どう? 小遣い稼ぎ感覚でちょいちょいと」

「……詳細は?」


 妙なセールストーク風な語りをする男に構わず質問すると、男は意外そうに目を大きく見開いた。

 ここまで強引に押しかけてきたのにも関わらず、どうして意外そうな顔をするのか。


「依頼、受けてくれんの?」

「内容による」


 手に余るようならば引き受けるつもりはない。

 俺の言葉に男は「プロだな」と再び口元を緩めた。


「この街から街道沿いに半日ぐらい行ったとこに、古代遺跡の発掘現場があんだけど、そこに行きたい。俺一人だったら、何かあっても逃げ出しゃ何とかできそうなんだけど、連れがいるんだよ。なるべく安全に行きたくて」


 話を聞いて、あまりにも普通の内容で拍子抜けした、というのが本音だ。

 もっと面倒なことを頼まれるかと思っていた。し、話を聞いて断ろうとさえ思っていた。


「他にも引き受けてくれる人間ぐらいいくらでもいるだろ?」

「先立つもんがなくて。かといって安い依頼料でひきうけてくれる奴って危険だろ?」

「俺が危険じゃないという保証はどこにある?」

「そういうこと言う奴って大抵誠実寄り。で、やってくれんの?」


 冗談なのか本気で言っているのか、男の口調はあまりにも軽くて判別がつかない。

 やるかやらないか、か。


「……」

「酒代ぐらいは出しますぜ?」


 おどけてそんなことを言ってくる男をじっと見やる。

 正直なところ、依頼料はどうでもよかった。金に困っているわけでもない。

 

「わかった。そろそろ移動しようと思ってた。移動の途中だ。行ってやる」

「やった! マジ助かる!」


 飛び上がって喜ぶ男に、既に後悔しはじめていたが、今更か。

 なんにしろ、こんなに感謝されるなんて奇妙な感じだった。


「ええと、そんじゃ、俺は、大きい食堂の近くの宿に泊まってんだけど。わかる?」


 頷いて肯定すると、男も一度頷いて続けた。


「明日、正午にその食堂で待ってる。連れもその時紹介するわ。てか、明日出発で構わないよな?」

「ああ」

「あとは……、そうだ! 俺はケイン。あんたは?」

「……ヒュー」


 人懐っこい笑顔になって手を差し伸べてきた男――ケインに手を伸ばしかけて、手を止めた。

 流されるように承諾してしまったが、慣れあう必要はないはずだ。

 ただ見守るように俺を見るケインの表情に――考えるのは、やめだ。

 手を伸ばしケインの手を握り返した。

 


 「そんじゃヒュー、また明日!」


 満面の笑みでジュースの入ったグラスを手に持ったまま、ケインは俺に手を振って戸を閉めた。

 再度大きなため息が漏れる。

 戸が閉まってからも、しばらく俺はその場に立ち尽くしていた。

 簡易ベッドがようやく作れるだけの窓もない粗末な作りの物置小屋は、いつもどこか白々しい。


 半分腐っている木で組まれた床。朽ちかけた梁。

 家主によれば、近々取り壊すつもりらしい。


 むかむかする。

 何もかも、酔いが醒めてしまったからだ。

 先ほど、考えるのをやめたこと――人懐っこそうな笑顔のあの男、ケインが、俺のよく知っている人間に良く似ていることを思い出してしまったのも。

 だから、依頼を受けてしまったのだということも。


 頭をかきむしって、牧草ベッドに倒れ込む。――眠れるわけがないとは思っていた。

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