1-02 合流
それでもいつの間にか眠っていたらしい。
目が覚めて最初に寝床にしていた牧草を小屋の裏にある畑へと返しに行った。
そして、敷布代わりにしていたぼろ布を丁寧に畳み、隅へと寄せて小屋の中を簡単に片付ける。
荷物といえば、布袋に入った剣が一振りだけ。
剣は袋から出さず手に持つ。
それだけで支度が終わった。
小屋の持ち主に小屋を出て行くことを告げると、あからさまにほっとした顔を見せた。
家賃に加えお礼の気持ちを上乗せしてある程度のお金を渡すと、人の好い老農夫は受け取るのをためらった。
だが、修繕なり、解体なりに使って欲しいと頼み込めば、渋々受け取ってくれた。
明るいうちに外を歩くのは随分久しぶりだ。
昨日はほとんど飲んでいなかったとはいえ、脳のどこかが麻痺しているようなこの感覚はまだ自分が酔っているのだと告げている。
そして俺はその感覚にどこか安心している。
麻痺しているからこそこんな明るいところを歩くことだってできる。
日の光は記憶の中の物よりもずっと明るい。
建物の壁や街路も植林されている街路樹も、全て新鮮で鮮明だ。
久々に見た色。
美しいと感じる心がまだ俺の中にあるのにも驚いた。
だが、この美しい世界に俺はそぐわないからこそ、居心地は悪い。
ケインが指定してきた食堂はこの街にいるものなら誰でも知っているような大きな店だ。
すぐにたどり着いてしまった。
昼前には少しばかり早かったが、外で待つのも遠慮したくてそのまま中に入った。
建物の中ならば日の光を直接浴びることがなく少しはマシなはずだ。
「よー! ヒュー! 早いな、おはようさん」
店に入った途端、大きな声で出迎えられた。
遅れて「いらっしゃいませ」という店員の声がこだまのように虚しく響き渡る。
朝食には遅く、昼食には少しだけ早い。
中途半端な時間帯だ。
ピーク時には客でごった返すこともある店内は閑散としていて、探さずとも声の主を見つけることはたやすかった。
「早すぎたかと思った」
店内の中央にあるテーブルへと歩み寄り、腰を下ろしているケインへと声をかける。
正午とは大雑把な時間指定だとは思ったが、こんな早い時間からこいつはずっとここで待っているつもりだったのか。
呆れると同時にケインの横の椅子に座っている人物が居ることに気づいた。
少女だ。
肩につかないぐらいの長さである髪の色はケインと同じ明るい茶色で鮮やかに映えている。
整った顔立ち。
華奢な体を纏う服装は動きやすそうな地味な装いだが、どこか目を惹かれてしまう。
成熟した女性の艶やかさはない。
まだ幼さの残る娘だ。
成長したらさぞかし綺麗な娘になりそうだなと思った。
少女を見て、後悔めいたものを覚える。
今更身だしなみとかじゃないが、酒臭いだろうな、俺。
敬遠されても軽蔑されても構わないとは思うものの、前途ある若い娘にこういう駄目人間の姿を晒すのは気が引けた。
本当に今更すぎる。
「おはようございます」
少女はようやく俺に気づいたのか、俺を見上げ抑揚のない声で挨拶を口にした。
「あ…ああ」
何となく、気まずい。
自覚しているより酒が抜けているのかもしれない。
慌てて彼女に頭を下げ、すぐに上げると一瞬少女と目が合った。
何だ?
不快、ではないが、彼女の目に生気や感情といった色がないのがやけに気になった。
まるで人形のような目。
綺麗な娘だというのに勿体無いというか。
「彼女が昨日言ってた、連れのセフィ。で、ヒュー」
少女をじっと見据えていたら、ケインに肩口を引っ張られテーブルへと顔を押し付けられる。
受身もとれず顎を思い切り打ち付けてしまった。
「ってぇ!」
「あんま可愛いからってセフィに手ぇ出すなよ!」
俺の首根っこに回されたケインの腕には力が入っていて苦しい。
とはいえ、その気になれば簡単に振りほどけるだろうが打ち付けた顎の痛覚からくる思考の痺れに辟易した。
と、いうか、この子が可愛いって?――それはない。
確かに、綺麗になりそうな娘だとは思うが、感情のない目をした彼女は決して可愛い類いの娘ではないと感じていた。
それに、まだ子どもだろうし。
だいたいケインの彼女かなんかだろう。
横恋慕なんて冗談じゃない。
「誰が……出すか」
低い声で吐き捨てると気が済んだのか、ケインはようやく開放してくれた。
「とりあえず出発すっか。よろしく頼みますよ、センセイ」
はいはい。
冗談めかして言ってくるケインに何を言っても勝てないだろう。
昨日根負けしてしまったことから簡単に予想がつく。正直悔しいが。
立ち上がるケインに続くように、少女――セフィも椅子から立ち上がり、再び俺にその虚ろな目を向けてきた。
「顎」
ぽつり、と呟く。俺をじっと見ているということは俺に話しかけているのだろうか。
「え」
「顎、大丈夫ですか」
「あ、ああ、折れるようなことはないだろうし」
慌てて頭を左右に振ってみせる。
顎の調子が本調子であるのを示すリアクションは他に思い浮かばなかった。
しかし、突然現れた酒臭い不審者に、物怖じする素振りも見せずに話しかけてきた彼女には正直驚いた。
「おーい、早く行こう!」
急かすケインの声に、見れば彼は既に店の入り口で待っていた。
全く、と疲労感を覚えたが、それは表に出さず、セフィに「行こう」と声をかける。
「ケインがご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」
目や表情と同じ、全く抑揚のない声音で言ってセフィは頭を下げるが、何と言っていいかわからず、俺は一度頷くだけで応じた。
接し方に困る少女だ。
胸中で再度ため息を吐いて、ケインの後を追った。
* * *
道中はベラベラ喋り倒すケインの相手が面倒なだけで本当に順調だった。
夕方には目的の発掘現場に辿り着いていた。
「せんせ――い!」
あちこちロープが張られていて、いたるところに掘り返した跡がある。
街道から少し離れた場所とはいえ、まともに歩けそうにない程、大小、深さそれぞれ違った穴だらけ。
確か、国からきちんと許可を得た上でやっているはずだが。
「せんせー! どーこですかー?」
先ほどからケインがその無数の穴地帯に呼びかけているが、人影は見えない。
「せんせー!」
誰もいないんじゃないか、と思ったがそれを言ってやる義理はない。
そろそろ日も落ちて暗くなるな、と赤く染まった空を見て溜息を漏らす。
空模様からいって明日も晴れそうだなんて考え、そんなことを考えている自分が奇妙だと思う。
本来ならば今ぐらいの時間から起き出してひたすら酔いに身を任す時間だというのに。
今はこんな風に明日の天気に思いを馳せたりしている。
何だ、思ったよりもあっけなく、変哲もない、そんな風に思う。
思考がどことなくぐにゃぐにゃしているのはまだ酔いが残っているからだ。
今はそれぐらいで良い。
これ以上醒めるのはまだ少し先でいい。
その前にまた酒を飲むのかもしれない。飲まないのかもしれない。
「セフィ、ヒュー、悪い、その辺でちょっと休んでてくれよ。俺、先生を探してくる」
言うやいなやケインは穴ぼこの中へロープを乗り越えて入っていってしまう。
呼びかけていても無駄だとわかったのだろう。
セフィはそんなケインを無言で見送ると、素直にその場に座りこむとただ空を仰いでいる。
その様子を横目で確認して、先生とやらを探しているケインの姿を追う。
穴の一つ一つを覗き込みながらケインはどんどん遠ざかっていく。
一つの穴を見て、「あ!」と声を上げたのがわかった。
手を差し伸べて穴の中から一つの影を引きずりだす。
遠くてそれがどんな人物なのかは俺にはわからない。
再びセフィの様子を窺うと、彼女は舟をこいでいた。
疲れたのだろう。放っておくことにする。
遠くの二つの影はお互いに何かを交換しあうと、片方の影だけが俺たちの方へと向かってくる。ケインだ。
「おっ待ち~! ってセフィ寝ちまったかー」
軽い調子でぴょんとロープを再び乗り越えて帰ってくると、そう言って、「仕方ないな」とこぼしつつも手慣れた様子でケインはセフィをひょいと背負った。
「もうちょっと街道を北進すると街に着くんだってさ。だからそこまで護衛頼むな」
「それは構わない。……俺が背負うか?」
セフィに目をやると、ケインは首を横に大きく振った。
「いやいや、いざって時に立ち回ってもらわなきゃだからさ、両手あけといてもらいたいんだよな」
セフィ一人ぐらい重くないし、とケインは付け加えておどけるように笑った。
「だいたい、酒くせー大男が娘背負って歩いてたら『すわ誘拐かっ!?』とかってなりそーだし」
笑えない冗談に閉口すると、ケインはそれはそうと、とまたどうでもいい話を始めたのでそれは聞き流すことに徹する。
気になって様子を窺うと、セフィはケインの背中で規則正しい寝息をたてていた。
ケインの言った通りで、街道に戻り少し歩けば街についた。
小さな宿場町と言った感じで、宿が数軒しかない小さな町である。
この国フィルツの産業の要である鉱石を運ぶ輸送路上に発展した宿場だ。
客は絶えず訪れるのだろう。食堂や居酒屋の両方を備えた大きな宿もあって、そこそこ賑わっている。
とはいえ、今朝まで滞在していた商業都市に比べれば足下にも及ばない程度だが。
あまり長居はできないだろう。
このまま街道を進めばフィルツ首都である。
首都を避けて進むルートは獣道。とはいえ、商業都市には戻るつもりはない。
これからどうすればいいのやら。
思考に沈みかけて、すぐに我に返る。
ゆっくり考えてもいい。どうせ急ぎでやることもないのだ。
「ヒューお疲れさん、ホント助かった。まーここでお別れでもいいけどさ、もう夜だし、一泊分の宿代ぐらい出させてくれよ。報酬とは別でさ」
思索に耽っていたら、寝ているセフィを背負ったまま、ケインがそう提案してくる。
「嫌だってなら無理強いはしないけど、ぬくとい布団で寝るのもいいんじゃないかって思うんだよ。あ、飯代も出すよ。つーか、昨日ジュースおごってもらったお礼もまだだし、な?」
迷う隙も与えないほどまくし立ててくるケインに、これが無理強いでなければ何なのだろうと思った。
何を言っても昨夜のように押し切られてしまうのは何となく読めていて、俺は仕方なく首を縦に振った。
まとわりつく疲労感に、少し休みたいと思っているのもまた本心であった。




