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1-01 堕落

 いつものように下宿代わりに借りている物置小屋を夕方過ぎに出て、少し寂れた場末の酒場へと向かう。

 店主が俺の顔を見てあからさまに眉を顰めたのがわかったが意に介さずいつもの席へと向かう。


 一瞬、わずらわしい、と感じてしまった。

 が、表には出さず、いつもと同じ酒を注文した。

 味にこだわりなく、ただただ一番強い酒だ。


 侮蔑の視線をよこしてくる給仕の女には極力目を合わせないよう、テーブルに突っ伏し酒を待つ。

 ――この時間がとにかく不快でしかたない。

 一日の中で一番醒めている時間だからなのだろう。酔いからではないムカつきに吐き気を覚える。

 叫び出しそうな衝動を必死で潰しながらただ酒を待った。


 いつからこうなったのか、『その時』の境界はわからない。

 少しずつ俺はこうなった。


 いつから、は曖昧なのに、「どうしてこうなったのか」の原因は明白である。

 脳裏にちらついたその顔を即座に塗りつぶすよう、頭を抱え込む。何も考えたくない。

 考えたくないのに――。

 

「――レット」


 意識することなくその名が口からこぼれ落ちる。

 やめたい。表情が見えないのに、黒塗りになったその顔で、それでも彼女だとわかる。手を伸ばしたくなる。

 何もできなかったのに。


 どん、と突っ伏している俺の横に何かをたたきつけられたような衝撃にはっと我に返った。

 ゆっくりと顔を上げれば、注文した酒のグラスが目の前に置かれている。

 横目でうかがえば、給仕の女が足早にテーブルから離れていく背中が見えた。


 テーブルの上に置かれたグラスをひったくるように掴んで一気にあおる。

 これで、全部忘れられる。何もかも。


「なあ、兄さん」


 喉に落ちる焼けつくような熱に静かに息を吐いていると、突然背後から声をかけられた。

 店の隅のテーブルで入り口に背を向けて座っていたのは、誰かに絡まれるのが煩わしかったからだ。

 そんな俺に声をかけてくるとは、同情心からか酔狂なのか。

 会話などするつもりもない。無視だ。


 反応せず、更にグラスを傾けていると、声の主は無断で俺の横の空いた椅子へと腰を下ろした。

 反射的に睨み付けてしまい、反応してしまったことにすぐに後悔する。


 目が合った。

 明るい茶色の目、同じ色の短い髪。

 身長は高すぎず、低すぎずといったところか。やや痩せ型。

 髪の色と同じ、明るい陽気な雰囲気の男だ。

 歳は俺と同じぐらいだと推察する。二十歳そこそこといったところか。

 ――と、癖で分析してしまい、気づいてすぐに思考を止めた。

 睨み付けても男は浮かべた笑みを消すことなく口を開いた。


「なあ、それ、立派な剣だな」


 持ち歩いていた剣を、男が指差していた。

 今となっては、無用の長物だというのに、何となく手放すことができない。

 さすがに酔っ払った勢いで抜き放つことがないように、鞘と柄とを丈夫な紐で堅く結び布の袋に入れてある。

 一見剣には見えないであろう代物だというのに、見抜かれるとは思わなかった。

 

「……違う」


 否定を口にして、無視すればよかったのだと気づく。

 ことごとく対応を間違えているのは酔っているせいなのか、この男の雰囲気に調子を狂わされているからなのか。


「へえ? あ、俺、ジュースね!」


 男は俺の否定が聞こえていないかのように、給仕を読んで注文を伝える。

 本当に調子が狂う。再度睨みつけたが、飄々と受け流されてしまった。


「頼みたいことがあるんだけど」

「断る」


 追い払いたい気持ちが前面に出て、声を荒げてしまった。

 大きく響いた声に、一瞬店の雰囲気が凍りつく。

 だが、男はそんな店内の雰囲気に気づかないかのような様子で男は剣を指さした。


「そんなに邪険にすんなって」


 ヘラヘラと笑う男に、腹立たしさを覚えた。

 こうやっている間にもどんどん酒が抜けていくような錯覚に陥り焦燥に駆られる。

 もっと飲んで、酒に吞まれたい。自分が自分でなくなってしまいたい。――のに。


「あ、と、報酬とか気になっちゃう感じ? ちゃんと払うぜ?」


 これ以上付き合う義理などない、男を無視しグラスを傾けると、それを男の手が遮った。


「待った、飲む前に聞いてくれよ」


 グラスを持っていない方の手で男の手を振り払う。

 振り払われた男は、すぐに俺の手からグラスを抜きとった。

 こいつ……!


「ちょっと、待ってくれって」


 いい加減腹が立って手を出しかけたその時に、給仕が男の注文したものを運んできた。

 男に黄色の混ざったクリーム色の液体で満たされたグラスを渡しながら、給仕の女はちらっと俺を見やった。

 冷ややかこちらを蔑むような目だ。一貫して正義側に立つ女に感情は動かない。

 慣れなのか、酔いのせいなのか。


「この人には関わらない方がいいよ。単なる飲んだくれなんだからさ」

「ありがと、おねーさん」


 男は例を口にして、心配ないからと給仕に仕事に戻るように促す。

 強く止めるつもりもないのだろう、言われたままに給仕は厨房の方へと戻って行った。

 

「……さて、と。あんた、剣士だろ。そこそこ腕が立つ感じの」

「違う」


 改めて俺へと向き変える男の手からグラスを取り戻し、酒を一口喉へと流し込んだ。

 体質的に酔いにくい。こんな少量では飲んでいないも同等だ。

 前後不覚に陥るまで飲んでしまいたいが、男はとことん邪魔をつもりのようだ。

 だが、酒を摂取した、という事実があれば少し落ち着きが戻って来た。

 思わず出かけた手を引っ込め、男を追い払うように手を振った。


「俺、そういうの見えるから、隠しても無駄だぜ?」

 

 しつこい。

 懐疑的な目で男を射抜くが、男はその視線を真っ直ぐに受け止めた。

 その表情は真剣そのもの。根負けして男から目を背けた。疲れる。


「つーかさっき触った時、驚いた。それ、剣を持つ者の手だろ」


 反射的にグラスを掴んでいない方の手を見下ろした。

 グラスを奪い取った時の一瞬で、見たのか。

 自分にとっては当たり前で気づかないが、言われてみれば一般的な手よりは硬い。

 幼い頃からの積み重ねでできた手。


「……は」


 自然に自虐的な笑いを漏れた。

 観察眼だ。嫌いじゃない。かつての俺ならば素直に感心していただろう。


 今は、忌々しいと思いつつも、――やはり嫌いにはなれない。


「……こんなに酔っ払ってて剣なんか振れるか。手が堅いから? それがどうした」


 自覚すれば、愉快だった。

 このまま狂ったように笑ってしまって、そのまま狂ってしまえばどんなに楽か。

 わかっているのに、『俺』という意識はしっかり残っていて無くなってくれない。

 男になのか、俺自身になのか、ただ問いかける。

 それが、どうしようもなく忌々しい。


「今更。何ができる?」


 店内が再び静まり返っていることに気づいた。こそこそとこちらを窺う視線には怯えが混じっている。

 気づくと同時に、席を立った。

 このままここにいられるほど酔ってはいない。


「会計」

「あ、ちょっと待ってくれって。俺もジュース代、会計!」

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