1-13 相互理解不能
こちらを見るアルヴァーの表情に変化はなかったがその目に恐怖の色が宿っているのがわかる。
力を込めればアルヴァーの命は尽きる。
しばらく睨みあって、俺は剣をつきつけたままアルヴァーを蹴りつけた。
抵抗なく後方へと転倒するアルヴァーを醒めた気持ちで眺め、今度は大きく息をついた。
肺の中が空になった感覚に、今度はゆっくりと息を吸う。
何度か深呼吸を繰り返し、なおも起き上がろうとしないアルヴァーへ一歩踏み出し、その顔を見下ろした。
「……アルヴァー」
「……んだ、よ」
両手で顔を覆っているせいでアルヴァーの表情は窺えない。
声が震えているから泣いているのかもしれない。
「………で、だよ、なんで、勝てない……なんで……」
「まぐれだ」
突き放すように冷たく吐き捨てる。少なくともセフィが時間を稼ぎ、ケインが剣を渡してくれなければ俺はアルヴァーに敗れていた。
これ以上かける言葉もなく。ケインとセフィへと振り返る。
ケインがへたりこんだままのセフィの肩を抱きかかえるような形で立ちあがらせている。
「行くぞ」
「行くって!」
呼びかけると、ケインが顔を顰めた。
「いいのかよ?」
「勝負はついた」
短く答えて背中越しにアルヴァーの様子を見やる。
完全に戦意を喪失しているわけではないだろうがまだ起き上がる気配すらない。
少しだけそのことに安心している自分もいる。
悔しいが、俺にはアルヴァーを斬ることはできない。
その覚悟ができないからだ。
いずれはまた戦う羽目になるだろうし、いずれは覚悟を決めねばならないのかもしれない。
先延ばしだとはわかっているがそういう選択肢しか選べない。
「移動するぞ」
「わかった。セフィ寝るなよ」
セフィは何とか自立し、ケインの言葉に頷くと街の中心地――広場の方へと足を向けた。
ケインもそれに続き、俺もその後へと続いた。
「待て」
アルヴァーの声が背後からかかった。足を止め彼へと振り返る。
「行かせると、思ってんのかよ?」
ゆらりと揺れながら立ち上がりアルヴァーはそう口にしていた。
このまま続けるというのならば、気力が尽きるまで相手をするか、もしくは、それよりも前に俺が力尽きるかどちらかかの二択しかない。
昨日まで、死んだように生きていたから、そろそろ本当に死んでしまっても何も変わらないのかもしれないな、と少しだけ自虐的に思って鼻で笑う。
死んだように生きていた。もしくはまだ死んでいなかっただけ。
アルヴァーによって死がもたらされる。――それは俺の望むところなのだろうか。
いや、今は、俺はケインに雇われている用心棒だ。
ケインとセフィを何とか無事にこの状況から逃がすまではそれを甘んじて受け入れるわけにはいかないとそう思った。
ケインもセフィも足を止めて俺を見ている。
やはり、まだ死ねない。
「……邪魔をするな」
「ふざけるなよ!」
アルヴァーの叫びは慟哭のようも聞こえた。
これは、……錯覚か?
叫び声をあげたアルヴァーの周囲に、突然陽炎のようにゆらゆらと立ち昇る何かが見えた。
ついにアルコールが幻覚を見せたのか。
目を細めて見てもそれは消えず、大きく広がっていく。
ぞくっと背筋に寒気が走るのを覚えた。
幻覚を恐れたのではない。何だ、この感覚。
――恐ろしいものだ。
唐突に、昨日ケインが口にしていた言葉が頭をよぎった。
恐ろしいもの。
現実にはありえない。
幻覚? 錯覚? 多分、そういう類いではない。
もっと……恐ろしいものだ!
自問を繰り返している間にも、アルヴァーは俺に向かって一歩足を踏み出した。
反射的に一歩後退する。
知らず知らずのうちに手が震えていた。剣を持つ手に力が入らない。
陽炎のようにも見える彼が纏っているそれはどんどん大きさを増していく。
抱いているのは正体のわからない未知なるものに対する恐れとはまた違う。
なぜ、俺は、怯えている?
「うるせえ!」
錯乱したかのようにアルヴァーが一喝したことで、はっと我に返ることができた。
アルヴァーの頭上にある陽炎のようなきらめきは消えていない。
両手を振り回しそのモヤを振り払いながらアルヴァーは叫び続ける。
「俺は! 俺だ!」
暴れているアルヴァーを、俺は見ていることしかできなかった。
正直何が起こっているのか把握しきれない。理解もできない。
ただ、あの陽炎みたいな何かは、恐ろしいものだ。
触れたくない。
「俺は、俺のままで、俺で生きる! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!!」
乱暴に振り回している腕に、アルヴァー自身に纏わりついていた陽炎が消失していく。
全てを振り払った後、正気を失ったようなアルヴァーの目が俺を射抜いた。
目が合った、と思った瞬間にアルヴァーは大きく跳躍した。
繊細さに欠ける動きを避けるのは容易い。
振りかぶった剣は大きく空振り、床を強くたたきつける。
「アルヴァー」
呼びかけるが、反応らしきものを見せずアルヴァーは再び剣を振り上げる。
力が込められてはいるものの一挙動一挙動が大きい。
軽く左右に跳びながら躱し、アルヴァーを見やる。こちらを見据える彼の鋭い目にあるのは狂気だ。
舌打ちし、手にしていた剣をその場に落としベルトに括りつけたおいた鞘を素早く抜き取る。
引き抜いた勢いのまま、大きく剣を振りかぶったアルヴァーの鳩尾めがけて素早く突いた。
大きく咳き込みながらもアルヴァーは後方に転がる。
鞘と先ほど下に置いた剣を交換しアルヴァーの動きを待つ。
しかしアルヴァーは起き上がらなかった。
「……アルヴァー?」
「……俺は、俺だ……、俺、だ……なのに、どうして」
セフィを彷彿させる虚ろな目でアルヴァーはぼそぼそと呟いていた。
「なんで、……俺は、俺は……」
呟いてから、はっとしたように言葉を止め、再びアルヴァーは俺を見た。
どこか虚ろだった目は元通りに戻っている。
「……そうだ、俺は……ヒュー、お前になりたかったのか……」
その言葉には力がなく、そう言ってアルヴァーは目を閉じた。
俺に、なりたかった? アルヴァーが?
言っている意味が理解できず、返す言葉も浮かばない。
「お前になりたくてなりたくて仕方なかった。今だって、俺とお前の位置が逆転してほしいと願っている」
「……」
「家柄もよくて、剣の才が突出していて、英雄の子で……俺がどんなに欲しがっても絶対手に入らないものを持っているお前になりたかった…」
「……」
「そう願えば願うほど自分が惨めで惨めでたまらなかった……!」
語りながらも、アルヴァーの声は涙まじりになっていく。
「それでも求め続けずにはいられない」
わからない。
俺の持っているものはそんなに強い憧れを抱く対象になりえるのだろうか。
家柄も、没落していた家は重しにしかならなかったように思う。
剣の才というが、どれだけ腕を磨いても『父の子だから当たり前』だった。
むしろ父を越えられない俺に向けられる目は冷ややかなものが多かった。
そんなものを、そこまで欲するのか?
アルヴァーの気持ちは理解できない。
だが、アルヴァーも俺の内情など知りえないのだからわかるはずもない。
だからこそ、すれ違う。
「ここでお前を斬ったら、この気持ちから逃れられるかもしれないと思った」
かすかに、だが自虐的にアルヴァーは目を閉じたまま笑った。
「小さい頃、んなこと考えたことなかったのに、な。どこでこうなっちまったんだろう。こんなに辛い思いを抱えるように何でなっちまったんだろう」
幼いあの頃のように、俺とアルヴァーの道が交わることは……もう二度とないのか……?




