護るもの
ゆらゆらと揺らめき立つ闇の炎の中から、一人の妖艶な女が歩みを進める。
その姿を捉えたミナトとシエラの心は、相反する感情を生み出した。
「嘘……なんで……」
ジャスパーが魔王に放った魔弾が、攻撃魔術でも最高位の物であることは、シエラにも見て取れた。
多少なりとも粒子化した聖剣をくらい、魔王が弱体化したのは間違いない。
そうでなければ、あれほど上手く拘束魔術が効果を発揮するはずがなかった。
そこにジャスパーの攻撃魔術をまともにくらった魔王が、存命しているはずが……
「随分と驚いた顔をしているのね」
微笑を浮かべ、陽炎の中から進み出る魔王に、ふたりは言葉を失いその場に呆然と佇んだ。
「あの拘束魔術をかけられたのは初めてじゃないわ。ジャスパーの力量も分かっていたし。だから昨夜、ゆっくりと時間をかけて彼を頂いておいたのよ」
未だ燃え盛る闇の業火の中で、足掻きながら転がり続けるジャスパーに視線を流すと、思わず笑みが綻んだ。
モナザの奇襲が成功したその夜。
ミナト達の足止めを引き受けたジャスパーは、バンガイム帝国の国王を殺せたのは、自分の手柄だと言い出した。
自分がモナザに魔導士達が身を隠していることを教え、バーランド国から飛んできた勇者とシエラを上手く足止めしたから出来たことなのだと。
例えそれが事実であろうと、わたしの記憶の中には、もうひとりのジャスパーがいる。
バーランド国に罠をしかけ、自分ごとわたしを聖剣で貫いたジャスパーの姿が。
ジャスパーの言葉に乗せられて見事罠にかかった自分に呆れ、愚かだったと悔やんでも、ジャスパーがしたことを忘れることなど出来なかった。
ジャスパーは自分を裏切り、アリアを犠牲にしたミナトへの復讐のため、わたしを殺した。
バーランド国の罠を回避したからと言って、あのようなことが二度と起きないとなぜ言えるのか。
そんなこと、断言出来るはずがなかった。
勇者がいて、聖剣がある限り、それはいつでも起こり得る。
だから、憎しみを向けながらもジャスパーの申し出を受けることにした。
彼の魔力を吸収し、己の力へと還元するために。
誘いの罠にかけられたジャスパーにとっては、自分の魔力が吸収され、魔王の力に還元されることは悦びでしかなく、甘い快楽の世界に堕ちながら、このまま塵になってもいいとすら思っていたのだ。
だから一晩中魔力を吸収されたジャスパーが、本気のシエラに押し負けるのは当然の結果とも言える。
一晩中ジャスパーの魔力を還元して強くなったわたしは、魔弾が直撃する直前に拘束魔術を打ち消し、寸前で魔力を身に纏う事に成功していた。
わたしを勢いよく呑み込んだ魔術は、魔力を纏えさえすれば微風のようなものでしかなく、隙を狙って反撃を仕掛けようとしたその時、ミナトが激昂してジャスパーに立ち向かって行くのが目に入った。
このままミナトが殺してくれればラクだと思って様子を窺ってみたものの、ジャスパーはシエラの魔術から間一髪逃げおおせるところだった。
だから逃げ道を塞ぎ攻撃を仕掛けた。
ここで再び正気に戻ったジャスパーを完全に葬り去るために。
「貴様らああああッ! 」
突如、ミナト達の背後から怒りに満ちたガイアの咆哮が聞こえた。
ジャスパーの集中力が途切れ、拘束魔術が解けたのだ。
その叫び声に、はっとして我に返ったシエラが振り返る。
「いけないっ! 拘束魔術! 」
焦りながらも発した拘束魔術で再び腹心の動きを抑えることに成功する。
だが、一時的に聖剣の力で弱体化に成功したとは言え、シエラにとっては徐々に回復しつつある腹心三人の拘束を維持するのは厳しいものがあった。
「ミナト! あまり持たないわ! 」
悲鳴のような声をあげ、シエラは完全に腹心達へと向き直り、両手を差し伸ばしながら拘束魔術に意識を専念する。
「玲奈、俺と一緒に行こう」
そんな中、シエラの叫び声など気にも留めない様子で、水を打ったかのような静かな声が、真っすぐにわたしの元へと届いた。
艶やかな漆黒の髪の下で澄んだ黒曜石のような瞳が、わたしの紅い瞳を迷うことなく捉える。
「ここから出て、もう人を襲うことをやめるんだ。そして、俺と一緒に暮らそう」
「……あなたと一緒に、暮らす? 」
突如として降って来た、思いもよらないミナトの言葉に、呆然として言葉が漏れた。
「君のことは、俺が護るから」
真剣な眼差しでわたしを見つめるミナトの表情には、確固たる決意があるように感じられた。
そのことが更にわたしを混乱させる。
わたしの命を奪っておきながら、護ると言う矛盾。
__この男は一体何を言っているの?
その矛盾に苛立ちを覚え、怒りが込み上げた。
「戯言を言うのも大概にすることね。あなたではわたしを護ることなど出来ない。わたしを傷付けることしか、出来ないのよ」
「君が傷付くのは、君自身の業があるからだ。俺はその業から、君を護りたいと言っているんだよ」
眉がぴくり、と痙攣したのが分かった。
「わたしの業ですって? 」
「君の背負った業は、この世界でも反映されている。でも、元の世界とここは違う。きっとやり直せるよ。だから、俺の手を取って。玲奈」
意味の分からないことを言って手を差し伸べるミナトを、眉をひそめて睨みつけた。
そんなミナトの背後で三人の腹心を抑えるシエラはジリジリと自分がかけている拘束魔術が押され始め、今にも弾かれようとしていることに焦りながら、ミナトの会話を耳に入れていた。
魔王と一緒に暮らす? 魔王を護りたい?
それは、全てシエラがミナトに言って欲しかった言葉。
ミナトに好きな人がいると知って、平穏な片想いは欲深い嫉妬へと変わってしまった。
腹心の三人と魔力が拮抗する中、シエラの心は耳から入る言葉に切り刻まれ、あまりの痛みと苦しみに涙が浮び上がる。
歯を噛み締めて涙を堪えながらも、手から放出されている魔力が、すぐそこまで押し戻されているのが分かる。
シエラを睨みつけるサシャールの背中から畳まれた翼が顔を出し、ガイアのツノがゆっくり捻じれながら大きくなり始め、ロンザの顎が前へと突き出てじわりと銀色の毛が顔を覆い始める。
__もう持たない!
焦ったシエラがミナトを振り向き、声をかけようとした時だった。
向かい合うミナトと魔王の背後で、くすぶる闇色の炎の中から黒ずんだ指先が見えてピクリと痙攣すると、その手が震えながら開き、魔王に向けられるのが目に入る。
__ジャスパー……
危ないという言葉を思わず飲み込んだ。
ミナトの想いを知りながら、なんとか形を維持していたシエラの気持ちは、再びバラバラにされて悲鳴を上げ、その痛みが嫉妬の刃となって魔王に向かう。
闇の業火から覗く黒焦げの手のひらに、蒼い魔力の塊が収束していくのを黙って見つめながら、再び腹心達へと向き直り拘束魔術に力を込める。
あと少し……
そんなシエラの思惑など、対峙するふたりが知る由などなかった。
「あなたが言っている意味が全く分からないわ。あなたはわたしを殺した。わたしは、あなたに復讐するためにここに居るのよ。戯言はそこまでにして、大人しく殺されることね 」
意味の分からない戯言に惑わされている場合ではない。
元の世界で突如わたしの命を奪ったあなたが、何を偉そうに言うの?
ここであなたと会えたのは運命よ。
わたしがあなたに復讐する機会を、誰かが与えてくれた。
だから__
ゆっくりと手のひらを広げ、右腕をミナトに向けて差し伸ばす。
身体に満ちる魔力に意識を干渉すれば、足元から頭上にかけてゆらゆらと黒煙のようなオーラが身体を這い上がり、肩から手のひらに向かって流れ始め、急速に手のひらに黒煙が収束し、魔力の塊が渦を巻いて轟々と唸り声を上げて、ついに最高位の闇属性の攻撃魔術が完成する。
「これでさよならよ、神崎ミナト」
迷いなどあるはずもない。
何度も何度も味わった屈辱、憎しみ、痛みと命の消失。
この男を殺せば、あの悪夢から解放される。
「玲奈……」
ミナトは臆すことなく、真っ直ぐにわたしを見つめたまま、その場に佇んだ。
そのミナトの瞳が不意に、わたしから逸れて小さく横に動いた。
直後、漆黒の瞳が大きく見開かれて覚悟を決めたような表情が崩れ、強ばりを見せる。
その様子に眉を顰めたわたしに向かって、ミナトが駆け出しながら大声で叫んだ。
「玲奈っ! 後ろっ! 」
「何……」
ミナトの視線と叫び声に合わせて思わず振り返ると、紅い髪がスカートが広がるように膨らんで弧を描いた。
紅い髪の毛が視線を横切り、流れた隙間から蒼い魔力の渦を捉える。
それは既にすぐ目の前まで迫っていた。
驚きのあまり言葉を失い、目を見開いて身体を強張らせ、身動きひとつ出来なかったわたしの腕が、急に勢い良く引っ張られる。
わたしの視界の端から蒼い魔弾が姿を消して、その代わりに力強くわたしを抱き締める腕の中に身体が収まる。
息苦しさを感じるほど強く抱き締められ、顔を見上げれば、そこには黒曜石のような澄んだ瞳があった。
「ミ……」
直後。
ミナトの背後で青白い光が爆発した。
背中をのけ反り、天に向かって、ミナトが耳をつんざく絶叫を上げる。
「うああぁぁぁぁっ!! 」
それでもわたしを抱き締める腕の力は、更に力を増すばかりだった。




