第10話 ―帝都の日常・その10―
夕刻、合同浴場の男風呂。
ちょっとした銭湯ほどのスペースに湯船は一つだけという簡素な作りである。
おおむねの予定を終えた異界兵の男衆が、一日の汗を流していた。
そこで壬生冬馬は、弾んだ声で語る友人――悠の話を聞いていた。
昨日、彼がルルと一緒に街に出て、ガウラスという狼人の男性に出会った時の話である。
「それでね、すごいんだよ! 身長なんて2m以上あってさ! プロレスラーみたいなむっきむきの筋肉で――」
「……そ、そうか」
湯船の中、満面の笑顔で語る悠。もちろん素っ裸である。
冬馬は、微妙に目のやり場に困りながら相槌を打っていた。
男同士なのに妙な表現ではあるが、無理もないことであると冬馬は思う。自分だけじゃなく、まともな感性を持った男なら、きっと誰だって。
乙女のような柔らかな顔立ち、湯船の下の身体のラインはほっそりと、腰はくびれ、臀部は桃のように愛らしいまるっとした輪郭を形作っている。
15歳にもなれば男女の体格差も明確になってくる頃であるが、悠の身体つきは完全に女子のそれだ。
当然ながら胸は平坦であるが、股間が隠れている状態では彼を男性として認識できる要素は限りなくゼロに近い。
湯が滴るのは陶磁のごとき白い柔肌。ほんのりと薄桃色に上気しており、色気すら漂っていた。
(意識するな意識するな意識するな……これは男これは男これは男……!)
悠のこんな姿はすでに幾度も見ているのだが、いまだに慣れない冬馬であった。
加えて言うなら、彼の位置がすごく近い。腕が触れ合いそうである。
「でね、でねっ」
「おい悠、顔近え!」
身を乗り出していた悠は、きょとんと眼を瞬かせた。
不思議そうに小首を傾げ、
「別に男同士なんだし、普通じゃないの?」
「いや、むしろ男同士だから普通じゃないんだが……ああもう、別にいいや」
悠は女子には気を遣えるのに、男子にはやたらと近づきたがる。むしろくっ付きたがる。
男同士の友情やらスキンシップに飢えているようなのだが、その距離感はもはや恋人同士のそれだ。変な誤解をされそうで不安でもあった。
というか、一部の女子を中心として、それに近い願望めいた誤解が生じていることを冬馬は知っている。知ってしまった。
そんな冬馬の内心もつゆ知らず、悠は心地良さそうに伸びをして、ふやけた声を漏らす。
「うーん……やっぱいいよね、男だけの空間ってさ。安心するよぉ……」
「お、おう……」
……別に悠が、そっちの趣味がある訳ではない。ないはずだ。
彼の周りの女性関係が相当に混沌としたものと化しているのは、周知の事実である。
だが万が一、そういう趣味の者が、悠にこういった態度を取られればどうなるか――冬馬の脳裏に、ぞくりと不快な光景がよぎった。
さて、自分は自他ともに男子勢の中では悠ともっとも親しい友人だからして、いい加減に忠告はしておかねばなるまい。
「あのな、悠」
「んー?」
冬馬はこほんと咳払いをして、悠を見下ろした。
自分の肩までしかない彼の顔は、こちらを無垢な表情で見上げている。
「お前が人懐っこいのは知ってるけどよ……誰にでもそういう態度取るのやめておけよ? 危ない奴だっているんだから」
「危ない人……? 知らない人にお菓子もらっても付いて行ったりとかはしないよ? こっちに来る前に、朱音にこってり怒られたからねっ」
「小学生か……? いや、そうじゃなくて、そういう意味じゃなくてな」
そこで、周りのクラスメート達が茶化してきた。
「壬生が嫉妬するからなー」
「狙ってる尻奪われるからもしれないからなー」
「やっぱそっち趣味あるのか、どおりでモテる癖に誰とも付き合わねえ訳だよ」
「お前らマジふざけんなよ! 自分とダチの名前が掛け算されてるノートを見た俺の気持ちが分かるのかよ!」
「掛け算? 名前を? どういうこと?」
「いい、お前は知らなくていい……!」
意味を知らないままなら、幸せでいられるはずだ。
ちなみに自分は、玲子と他の小グループのまとめ役達と食事がてら話し合いをしていた時に何気なく質問してしまい、嬉々として聞かされてしまった。どっちが先にあるかで意味が変わるという無駄な奥深さが忌々しい。
ともかく、この話題を続けるのは危険なようだ。
悠が最初に語っていた話へと、それとなく話題を戻した。
「――で、ルルさんもこんなおっきいお肉ペロリと食べて、二人とも食べたりないからおかわりまでするんだよ? ルルさんなんてお腹ぽっこりしちゃうんじゃないかなって思ったら、ぜんぜん体型変わらなくてさ。どうなってるのって聞いても教えてくれないんだよ」
「あの人、ああ見えて筋力凄いからなあ、腹筋で我慢してたんじゃね?」
「だよな、あの人軽くヒくぐらい力持ちだからな。藤堂といい勝負だわ」
「いつかの腕相撲じゃ、藤堂が勝ってたっけか?」
「でも藤堂は顔真っ赤にして、なんか筋肉のリミッターを外してどうのとかまたドン引きすること言ってたからな。ルルさんは割と涼しい顔してたぞ」
「……やっぱ人種が違うからかね。ほら、白人と黒人みたいな」
他のクラスメートも一緒に入浴して談笑している。
だが表情は、やはり微妙に気まずげであった。
悠の顔立ちは、やたらと容姿のレベルの高い女子と比べても間違いなくベスト10に入る可愛らしさである。胸の大きさに特別な思い入れななければ、何気にスタイルも良い。
結果として、どうしても『むさ苦しい男子の中に一人だけ白髪の美少女が混じって風呂に入っている』という背徳的な構図から免れない状態であった。
悠が、そんな自分の容姿にコンプレックスを抱いていることは聞いているので、そう何度も指摘することも躊躇われるのだが。
そうして悠の話が終わり、そろそろ風呂から上がろうかと思った時、クラスメイトの一人が思い出したように言う。
「そういや冬馬、世良とはちょっとは進展したのか?」
「ま、またその話題かよ……!」
苦手な話を振られたことに、冬馬は狼狽した。
彼女持ちの友人は、にやにやしながら話を続けた。
「だってよー、この中で誰とも付き合ってないの、お前ぐらいだぜ?」
特殊な環境による吊り橋効果もあってか、最近はやたらとカップルが出来上がってる。
クラスメイトの男子もその例外ではなかった。
少なくともこの風呂場にいる面子のほとんどは、特定の女子と懇意になっている。
「ぼ、僕も誰とも付き合ってないんだけど!」
悠の言葉の直後、
『黙れハーレム野郎……!』
ほとんどの男子の、唸るような声が風呂場中から上がった。
その響きには、怨嗟と嫉妬がとぐろを巻いている。
「あぅぅ……」
悠は、しゅんとして黙り込んだ。
彼が少なくとも、ルルとティオと関係を持ったことは周知の事実だ。
噂では、藤堂朱音や鉄美虎、島津伊織といった面子とも関係を持ったのではと言われている。
その真偽はさておき、少なくとも友人や仲間として以上の好意を彼女たちから向けられていることは、傍目からでも明らかであった。
いずれも、非常に評判の高い美女・美少女だ。彼女たちに懸想していた男子も少なくない。
「ほ、本当に付き合ってないのにぃ……」
拗ねたようにぶくぶくと顔半分を湯に沈める悠に、冬馬は苦笑して言った。
「ま、普通の男からしてみれば羨ましいシチュエーションだよ。お前なりに気苦労もあるとは思うけどな」
「……冬馬も羨ましいの?」
こてん、と小首を傾げて問うてくる。
こういう可愛らしい仕草を自然とする上にやたらと似合っているのも、彼が女の子っぽく見られる一因だろう。
「俺は……」
さて、どうだろうか。
自分が悠のように複数の女子から好意を持たれ、あるいは関係持つ状況を想像する。
心の浮かんだのは一つの感情であった。
「……困るな、かなり」
本心から、そう思う。
何故なら、壬生冬馬の1番はもう決まっているから。
胸中にあるのは、眼鏡をかけた幼馴染の姿だった。
「やっぱり、綾花さん?」
「うっ……そこに戻るか」
見渡せば、周囲の皆がにやにやと生温かい眼差しを向けて来ていた。
冬馬は観念のため息をつき、どうにでもなれと口を開く。
「ああそうだよ、綾花だよ……」
「で、進展は? つーかもしかしてヤッたか?」
「ヤッてねえよ! てか何も進展してねえよ!」
物心つく頃から一緒なのだ。
そもそも距離が近過ぎて、進展したかどうかも分からなかった。
友人以上に親しいつもりだが付き合ってはいない、手を繋いだことはあるがキスはしていない。
「お前なあ、世良って地味めだけどけっこう評判いいんだぞ。うかうかしてたら寝取られるかもしれねーからな」
「寝取られてお前……」
「でもいいなー、甘酸っぱいなあー……」
「寝取られが?」
「違うよ!? 恋がだよ! なに甘酸っぱい寝取られって! 死ぬほど酸っぱいだけだよ!」
「寝取られの意味は分かるんだな」
「うぐっ、それは玲子先輩が……」
「あの人か……」
「なら仕方ねえな。あの人マジエリートだからな」
「まあ、エリートだな。色んな意味で」
「ニュースじゃ、清楚な才媛って感じだったんだけどなあ……」
悠があの汚れた掛け算の意味を知るのもそう遠くないかもな、と諦めの境地に入る冬馬。
「ああもう、そんな話がしたい訳じゃないんだよう……ああ、そうだ!」
悠は、何かを思い出したように両手をぱちんと合わせて語りかけてくる。
また顔が近い。
「ね、冬馬。もうすぐお祭りあるって言ったでしょ」
「ああ、なんか宗教の偉い人が来るんだっけか。楽しみだな」
「仲を深めるチャンスじゃないかな、僕も応援するよ!」
悠は胸元で両こぶしをぎゅっと握り、鼻息はむふぅと荒ぶっていた。
「応援って……どうするんだよ?」
「えーと、綾花さんの前で、冬馬のことすっごいすっごい褒めまくって好感度上げたり?」
「わざとらしいわ! また誤解されるだろうが! 却下だ却下!」
「えー……でも何かさせてよう。友達じゃない」
上目遣い気味の、おねだりをする子供のような目つき。
あざとい。意識してやっていることではないだろうが。
無碍にはできず、冬馬はため息まじりに言う。
「ま……何かあったら、頼むわ」
「ん、待ってるからね! 遠慮なんてしないでね! 友達なんだから!」
悠の弾んだ声が、浴場に響く。
一方その頃、女風呂。
藤堂朱音もクラスメートやルル、ティオとともに一日の疲れを流していた。
頬をつたう雫が胸元へと落ち、その豊かな張りを保った丸いラインをつぅっと撫でていく。たわわな双丘が、湯船にたぷんと浮かんでいた。
女らしい柔らかな肉付きをしながらもきゅっと締まった肢体、長い手足はモデルのような見目麗しい体型を実現している。
かつては幾人かが羨ましそうにちらちらと見てくるのに戸惑っていたものだが、さすがに慣れた。
「もうすぐお祭りだってねー」
「何やるんだろ、トマト投げたりとか?」
「それだったらやだなあ……」
日頃からつるんでいる10人以上の女子が集まれば、姦しくもなろうというものである。
浴場には、やいのやいのと黄色い声が絶えなかった。
「チャンスじゃん綾花、壬生にアタックしちゃいなよ! ていうかあっちも狙ってるかも!」
奇しくも、世良綾花と壬生冬馬の恋の話題で盛り上がっている最中であった。
物心付く前から続く、幼馴染同士の初恋。
盛り上げ甲斐があるというものなのだろう。
朱音としてもそういう話題に興味が無いわけではないのだが、始まってしまった話題に外から自然に乗るのがどうにも苦手であった。
特にクラスメートに対しては刺々しく接していた期間が長く、いまだ照れがあるということもあって、一歩引いた態度でそれを見つめている。
綾花が、親友である柚木澪に詰め寄られ、困り笑顔を見せている。
「と、冬馬のことは好きだけど、あっちも私のこと好きなのかどうか分からないし……」
「いや、どう考えても相思相愛っしょ。ねえ、朱音もさー、そう思わない?」
「え、えっ……そ、そうね」
いきなり話を振られてちょっと狼狽えた。だが会話に入っていくチャンスである。
朱音は、クラスメートである綾花と冬馬の姿を思い出す。
抱いた通りの印象を口にした。
「お互いに好きなのは、バレバレだと思うけど。壬生の方も、あれで好きじゃないってのは無理があるんじゃないかしら」
「そうですね、あれだけ見え見えの振る舞いで好意がないというのは通りませんね」
「ですよネ!」
「だよねー」
「うん、そうだね……」
ルルやティオ、そしてクラスメートらの視線が朱音に集まっていた。
立ち上る湯気よりも生温かい眼差しが、朱音の身と心をくすぐっていく。
たまらず頬を赤らめて、震えた声を張り上げた。
「な、何よ! 何なのよ! だいたい、今は世良の話でしょ!」
「うん、まあそうなんだけど……朱音もいざとなったら協力してよね」
「きょ、協力って、ちょっと澪ぉ……」
「どうするつもりなのよ」
「まーあー、それはこれから考えるけどさ。いいでしょ、友達の恋路を手伝ってよ。初恋だよー、実らせてあげたいじゃん」
友達、という単語に朱音の心の敏感な場所が疼いた。
長らくぼっち生活を続けてきた朱音である。携帯に登録された個人名が家族しかない時期がどれほど続いたことだろうか。
少し頬を赤らめながら、照れ照れとした声で、
「別に、いいけど……」
「よーし、ルルさんやティオもね!」
「アカネが協力するなら、もちろんわたしもお力添えするデス!」
「ユウ様へのご奉仕に支障が出ない範囲でなら、喜んで」
(……ま、いいか)
自分の恋路に参考になるかもしれないし、と朱音は胸中でひとりごちる。
まあ、素直で温厚、物腰穏やかな、自分とは正反対を行く性格の世良綾花の行動がどれほど自分に当てはまるかと言えば、怪しいところでもあるけど。
(祭り、か……)
悠と一緒に行きたい。できれば、二人っきりで。
でもきっと、悠はもっと大勢で行きたがるんだろうなと思う。
日本の祭りとは違う形だろうが、悠にとっては生まれて初めてのお祭りである。ものすごく楽しみにしているようだった。
血生臭い戦いのことは忘れて、いっぱい楽しんで欲しい。
それに朱音自身、最後に祭りに行ったのは、中学生時代に不良かヤクザに絡まれてる女の子なんかがいて、それを助けて友達ができないかな、などという藁にも縋るような妄想を抱きながら、むっつり顔で黙々と屋台を巡っていた思い出だけである。もちろんずっと一人で。むしろ絡まれたのは自分の方であった。特にしつこく強引に絡んできた男たちには、仕方ないのでこのカラダで忘れられない夏の思い出をくれてやった。古武術的な意味で。
……目頭が熱くなってきたので、それ以上の追想を打ち切る。
とにかく、みんなでお祭りに行くというのは個人的にもとても楽しみではある。
思う存分、楽しもう。楽しませてあげよう。
子供みたいにはしゃぐ悠の姿を想像して、朱音は小さく笑みを漏らすのだった。
そして2日後――“聖天”ファースティ・アーゼスフィールの一行が、帝都に到着する。
祭りの日が、近付いていた。
更新が大変遅れてしまい、誠に申し訳ありません。
書籍の方の作業をここまで進めたらウェブ執筆、という風に決めてやっていたのですが、ちょっと書籍の方で新規シーンのセリフ回しとかで詰まった部分があったりちょっと体調崩したりで滞ってしまいました。
次の更新の方は、目途が立ってから活動報告で告知する形にしたいかなと思います。
次話からは、本章の後半部分である「聖天来訪」に入ります。




