概要──そもそもの原因。
3629文字です(*^^*)
でも、面倒臭い回です。。。
時は遡ること約八十年ほど前。
御所には御年十二歳になる年若い四条天皇がおられた。
「あぁ、もう! だから、これで何回目だ? この石ではダメだと言っているであろう!?」
御所の廊下でこの四条天皇は地団駄を踏んで、お付きの者を叱咤した。
「も、申し訳ございませぬ。人がつまづくのには、大きいものが良いのでは……と思ったものですから……」
侍従はワタワタと説明する。
すると帝は呆れかえり、
「お前はバカか? このように大きな石ならば、みな避けて通るであろ? 人を転すには、このような細かい石を選ぶのだ。しかも地面と同じ色の物が好ましい。こう辺りにバラバラと撒くとだな……」
言って透渡殿(東西にある別棟と寝殿を繋ぐ通路)へパラパラと細かい石を撒いた。
半ば嫌がる侍従と悪巧みをしながら、四条天皇はことの他、嬉しそうだ。
天皇としての本来の仕事は、ちっとも面白くない。
幼いが故に、事実上世の中を動かしているのは別の人間である。必然、四条天皇の仕事は、御所で働く侍従や女房をからかって遊ぶことが、毎日の日課となった。
今日の議題は、『どうやったら人は転ぶか』である。
帝は近くにいた侍従を捕まえて、石拾いをさせた。
捕まる侍従は決まってはおらず、その日の気分で違い、捕らわれればそれでおしまい。侍従は抗う術もなく、諦めるしかない。
帝は早速、さきほど取りに行かせた石をばら蒔いた。
透渡殿は緩く曲線を描き、周りの風景に意識を取られれば、石の存在に気づくことはない。しかも建物の特性上、人は必ずここを通る! と、四条天皇はほくそ笑む。
「ほら、このようにするのだ。大きな石ならば、すぐに見つけられて捨てられてしまうが、これならば分かり辛かろ? それにこの路は少し坂になっておるから、コケれば面白いことになるぞ……」
ヒヒヒと忍び笑いを漏らし、四条天皇は侍従を手招きする。
「ほれほれ! 何をしておる? 罠を仕掛けたら隠れるのじゃ! 狩りの極意であろ? 姿を見せていたら罠だとバレてしまう!」
そう言って帝は、これまた従者に用意させた几帳の内へと隠れた。
クスクスと笑いながら、帝はとても嬉しそうだ。
しかし侍従は思う。
(……まぁ、相手が子どもであれば……の話だが)
巻き込まれるのは正直迷惑だが、相手は帝と言えども子ども。どうとでもなる。
かたや罠に掛かるのは大の大人。
そう簡単にやられはしない。
実際、そこを通る侍従や女房たちは、まず几帳の後ろで隠れる帝の存在に気づく。
そこで誰もがハッと気づく。《ははぁ、また帝がまた、悪さをしているな……?》
大人たちは目を細め、そこで何かを思い立ったように元来た場所へと戻ったり、辺りを用心深げに見渡し罠を避けたり、気持ち最後の方で罠に掛かった振りをして見せたりと、なかなかの演技を見せてくれる。
帝の傍近くで隠れて見ていた侍従へは、憐れむような視線を送り、その立場が自分でなかったことにホッと安堵し、帝に捕まったその侍従へ、そっと手を合わせる。
侍従は侍従で、通り過ぎる仲間と苦笑いを交わしながら、状況を判断する。
この分なら、早く石を片付けられそうだ。
(ほどよく皆、引っ掛かってくれた。そろそろ帝も飽きてこられるだろう……)
しかし帝は納得しなかった。
「何故じゃ!」
おもむろに帝は怒鳴りながら、立ち上がった。
「何故みな、罠に気づくのだ? 明らかにアレは演技であろ!?」
掴みかからんばかりに、お付きの侍従を睨んだ。
侍従は苦笑いをする。
「さ、さぁ……」
ここは逆らわない方がいい。
侍従は《分かりかねます》……と笑って見せれば、帝はパッと走り出した。
「アッ、何をなさいます……! 誰か、誰かある!!」
侍従は叫ぶ。
けれど間に合わない!
四条天皇は透渡殿の中央まで駆け上がり、侍従を振り返る。
「ほら見ろ。ここをこう下りるだろ?」
言いながら帝は、足場の悪い石の上をフラフラ歩く。
侍従は生きた心地がしない。
帝の身に何かあれば、首が飛ぶどころの騒ぎではない。
「み、帝? おやめ下さい。何も帝自ら試さずに、私めが致しますから……」
侍従は震える手を、帝にさし伸ばす。
そしてそうこうする間に、騒ぎを聞きつけた他の侍従がワラワラと 集まって来る。帝と共に罠をしかけた侍従は、少なからずその事実にホッとした。
それが第二の落とし穴だ。
「いいや、待てよ? やはり自分で試してみなかったのがいけないのだ。……いやそれよりも、ここを滑り降りれば何とする?」
帝の顔が満面の笑顔になる。
まだ幼い帝は不意に思い立ったその面白い考えに、夢中になった。
それが第三の落とし穴。
集まった侍従たちは真っ青になる。
「ご、ご冗談を……」
何か良からぬ考えをしているゾ……と誰もが肝を冷やす。
しかし相手は帝。滅多な手出しが出来ない。
それをいい事に、帝は侍従たちが止めるのも聞かず、その場を走り抜けた。
「「「アッ!!」」」
誰もが叫んだ。
勢いよく駆けた帝は、自分の撒いた多くの細かい石の為に、ズルズルと滑った。
「あはは! 思った通りだ……!」
最初帝は喜んだ。
滑っただけならどうと言うことはない。ドスン! と尻もちをつく。帝は面白がって後ろにひっくり返ってみせた。
けれどそこに、第一の落とし穴が現れる。
……そう、先程の侍従が持ってきたあの大きな石が、不運にも倒れ込んだ帝の後頭部を直撃した。
──『ゴン!!』
……帝は呆気なく、この世を去った。
「……」
大変な事が起こった。
相手はただの子どもではなく、帝である。
この事件は天地をひっくり返したような大騒ぎになった。
困ったのはこの場に集まった侍従たちではない。時の朝廷と幕府だ。
この四条天皇には、后はいたがまだ十二歳。当然、子どもなどいるわけがない。
しかも運の悪いことに、この帝には男兄弟がなかった。要は、皇太子がいなかったのである。
仕方がないので、天皇家の血筋を遡り、天皇候補が挙げられた。その候補が後鳥羽上皇の血筋だった。
公家たちは順徳上皇の皇子忠成王を推した。しかしこの順徳天皇は先の承久の乱(朝廷と幕府の争い)の関係者でもあり、幕府がいい顔をしなかった。
これに対し、幕府は土御門上皇の皇子邦仁王を推した。
審議は揉めにもめ、十一日間の天皇空位期間を経て、朝廷幕府の話し合いにより、幕府が推していた土御門上皇の皇子である邦仁王(後の後嵯峨天皇)が次の帝に選ばれたのだった。
事態はこれで、収まったかに見えた。
けれど問題がすぐさま浮上する。
この時選ばれた後嵯峨天皇が、後継を選ばないまま、亡くなってしまったのである。
いや、正確に言えば、それとなく指示はしていた。
けれどそれは第一皇子である久仁親王ではなく第二皇子の恒仁親王。
しかもそれは、それとなく匂わせていただけで、ハッキリと『後継は恒仁である』とは言っていなかった。
再び朝廷と幕府は思い悩み、二人の皇子の実母である大宮院へ、後嵯峨天皇のご意志を尋ねた。
すると大宮院は、《望んでいたのは弟である恒仁親王である》と答えた。
怒ったのは兄の久仁親王だ。
両親に疎まれていたのは知っていたが、これ程までか! と怒り散らした。
これが普通の家庭なら、兄弟喧嘩ですむところが、日本の頂点である天皇家で行われたものだから、ただで済むわけがない。当然大事になってしまった。
焦った幕府は天皇家の仲立ちを請け負い、十年ごとに皇位を継承する《両統迭立》を提唱する。
そしてここに南北朝時代が幕開ける。
この亀山天皇の血筋である天皇家を《南朝》大覚寺統。
後深草天皇の血筋である天皇家が《北朝》持明院統となり、五十余年余り続く事になる内乱の兆しが生み出された。
まず初めに兄の久仁親王(後の後深草天皇─持明院統)が即位し、この後弟である恒仁親王(後の亀山天皇─大覚寺統)が即位した。
一旦納まったかに見えた混乱は、再び芽吹き出す。
この後深草天皇の後に即位したのが、亀山上皇の子である後宇多天皇(大覚寺統)。
その後が後深草天皇の子である伏見天皇(持明院統)と続き、本来なら後宇多天皇の子へ……となるはずが、伏見天皇は、我が子である当時十一歳の後伏見天皇に皇位を譲ってしまったのだ。
当然、大覚寺統と幕府からの圧力が持明院統にかかり、後伏見天皇の在位わずか三年で大覚寺統の後二条天皇に譲位する事になった。
この後二条天皇が後醍醐天皇の兄である。
そしてこの兄が即位七年目に病没。
皇位は再び持明院統の花園天皇へ移行し、その後中継ぎとして大覚寺統の後醍醐天皇の即位が決まった。
後醍醐天皇は、兄の子どもである幼い邦良親王が育つまでの中継ぎであり、仮初の天皇にしか過ぎなかった。どんなに頑張ったとしても、次代を我が子に譲ることは出来ない。
けれど優れた統治能力で、様々な政策を展開し、傾きかけた世を立て直したのも、またこの後醍醐天皇で、人々がその治世を惜しんだのもまた事実である。
揺れに揺れた継承の中で、一際どっしりと政治を行い、しかも優れた多くの皇子を持つ後醍醐天皇が、ただ黙って中継ぎの天皇を演じきれるはずはなかったのである。
× × × つづく× × ×
はい。もう……もう、めんどくさい。
この回は、めちゃくちゃ面倒臭かったのです。
間違えがあってはと思いながら、調べて書き
調べて書き……。
書き記すのも面倒臭いほどに、皇位継承が行われました。
この回は全部事実です。
(間違えてたら教えて(´>_<`))
四条天皇の死因も、ほぼこれで確実です。
後二条天皇が即位三年半の間
史上最多となる5代の上皇
(後深草院・亀山院・後宇多院・伏見院・後伏見院)が
同時に存在してます。
この時点で既に混乱……。
どういう状況で、後醍醐天皇が即位したのかが
分かってくれれば良いな。と思う回でした。




