エルヴィスお兄様
コーグリッシュ家に来てからもう何年もたっているというのに、数回しか訪れたことのない本邸。
なので、当たり前に道など覚えているはずもなく、わたしはメイド長の黒い頭を見ながらぼんやりとついていっているだけだ。
「旦那様、失礼します。ローゼマリー様をお連れ致しました。」
そう言って、とある木製の扉をノックして声をかけるメイド長。
へぇ、ここがお父様の執務室なのかしら?
もちろん、自分が訪れる予定などなかったのだから興味を持ったこともない。
メイド長が声をかけてからすぐに、「はいれ」というお父様の声が中から聞こえる。
メイド長がゆっくりと扉を開けてくれたが、そのあと彼女は廊下にたったまま中に入る様子はない。
大きくため息をつきたいところだけれど、あきらめて「失礼しますお父様」と声をかけてから中にゆっくりと足を踏み入れた。
貴族の屋敷にしては派手な装飾品のいっさいないシンプルな木製の机と黒い皮のソファーが置かれた部屋。
その奥に、お父様は本棚と向き合って、一冊の本を手に取りその視線を手の中にある本に落としていた。
わたしやお兄様たちとそっくりな赤毛のお父様。
コーグリッシュ家当主。浮気などしなさそうなジェントルマンな雰囲気ただよう男性なのに、娼婦に入れ込んでいただなんて全然見えない。
おまけに、メリッサ様に3人も子供を孕ませているあたり、なかなかにおさかんだったんじゃないだろうか?むしろルシアンとわたし同い年なんですけど、もうそう考えるだけで結構お父様って……いけない、これ以上考えていけないわ。
邪な考えが頭をよぎったところで、それを振り払うようにふるる、と軽く頭をふる。
そんなわたしをよそに、後ろから扉の閉まる音が聞こえてきて、視線を少しだけずらしてみてみるとメイド長が扉の奥に一瞬だけちらりと見えた。
メイド長はこの部屋には入ってきていないので、ここにはお父様とわたしのみだ。
あれ、もしかしてわたし、ここにきてからお父様と二人きりって初めてかもしれない。
いつもは母様もいたし。
そう考えると緊張してくるのだから不思議だ。
てゆーか、お父様はわたしのことを呼び出しておいて自分は本を読んでいるってのはいかがなものか。
「お父様、お呼びとお聞きしましたが?」
わたし、何も悪いことなんてしてないのよ?
そう言わんばかりにお父様が何もいわないのをいいことにさくっと首をかしげて惚けてみた。
そうすると、ようやくお父様が本から視線をあげてわたしをみてくれた。
その顔はいつも通り穏やかな表情で、もしかしたら城下町にお忍びでいこうとしていたことはおとがめなしなんじゃないかとわずかに期待する。
…だけど、現実はそんなに甘くないよね。
「簡素なワンピースを着てわたしの可愛い天使はどこへいこうとしていたのかな?」
さらっと甘ったるい言葉を添えて微笑んできたお父様に目尻がピクリとひきつった。
わたしの可愛い天使だなんて甘ったるい言葉に一番重要な内容を思いっきりスルーしそうになる。
「…ちょっときてみたかっただけです」
やや視線を外して言ったわたしに、お父様は困ったように苦笑した。
「ローゼマリー?確かに君がお金の価値を学びたいと言ったことにわたしは反対しなかったよ?城下町に行くことも反対はしないさ。ただ、だまって抜け出そうとするのはいけない。君はお金の価値よりも自分の価値を学ばなければいけないようだね?」
顔は笑顔のままなのに、お父様の言葉はやっぱりいつもよりも厳しい。
「君はそこらのどこにでもいるような少女ではないんだよ?なんのために私がお金をだしてメヒュー夫人に君の淑女教育をしてもらい、貴族院に今君が通っているのかをもっと重く考えてほしい。」
「私の天使。本当は私だって君の好きなことを好きなように思う存分させてあげたいんだ。だけど世間がそれを許さない。ローゼマリー、君は侯爵家の娘。貴族なのだから。」
お父様はわたしに確かに甘い。ドレスや宝石だってほしいと言えばきっとどれだけでも買ってくれるだろう。それを女性が一番喜ぶとでも思っているんだろうけど、生憎動きにくいドレスも重い宝石もわたしはそんなに魅力を感じない。
だけど、貴族の女性は同じものを着ようとはしないし、見栄の張り合いのためなのか、会話のひとつなのかドレスや宝石の話をする。どこの仕立て屋なのか、とか。
侯爵という地位は貴族の中でも低くはないから、わたしもやっぱり同じドレスを何度もきるわけにはいかない。
ドレスを買うお金もないのかと思われないために。
お父様はわたしには甘い。だけどその甘さはわたしにはあまり嬉しいと思えないようなところで甘い。
そんなものはどうでもいいの。城下町に頻繁に一人で遊ばせてもらえたほうがうんと嬉しい。
令嬢のお茶会を免除してくれた方が嬉しい。
そういうところを甘くしてほしいのに…。
貴族の娘なんてやめるのでお構い無く!!
そう叫べたらどんなにいいだろう。
お父様から今後城下町に行くときには誰かひとり共を必ずつけるように。と言い渡されたわたしは、大人しく頷きお父様の執務室から退室した。
城下町に行くなとはいわなかったところがお父様は充分にわたしを甘やかしているのだろうけど、それでも屋敷のものがひとりいるのといないのとでは全然違う。
それだけわたしの行動が制限されるのだから。
はあ、と大きく息を吐きたかったのを、扉の外で姿勢よくたつメイド長がいたのでごくんっと飲み込んだ。
淑女らしく淑女らしく。
うぅ、空気を飲み込んだからげっぷがでそう…。
「あれ?マリーじゃないか!こちらできみをみるだなんてめずらしいね、どうしたの?」
わたしがメイド長の前で気合いでげっぷを食い止めていると、すぐちかくから聞き覚えのある声が聞こえてきて、パッとそちらに視線を向ける。
「エルヴィスお兄様!」
何やら紙の束をもって廊下を歩いてくるエルヴィスお兄様は、わたしが自分を見て笑顔になったのを見ると嬉しそうに茶色い目を細めた。
ルシアンとは学院で会うし、アドニスお兄様は離れにわざわざわたしに会いに来てくれるけど、お父様のお仕事を手伝うために、本邸にこもりきりだったり、領地にいたりするエルヴィスお兄様とはなかなか会う機会がない。
今エルヴィスお兄様の持っている紙の束も仕事の書類なのだろう。お父様の執務室にようがあり訪ねようとしたところわたしがいたと。
「ひさしぶり、マリー。元気だったかい?君は見るたびに美しくなっていくから兄として鼻が高いよ。」
「やだわ、お兄様ったら」
目の前まできたエルヴィスお兄様は、あいさつのついでに貴族らしい甘い挨拶をする。
お父様と一番雰囲気がそっくりなのは間違いなくエルヴィスお兄様だとわたしは思う。
自由奔放な兄とわがままな弟にはさまれて、父親は愛人と愛人の娘をつれてきて、母親はそのことに機嫌が悪い。
間違いなくコーグリッシュ家での一番の苦労人はエルヴィスお兄様だろう。
そんなしっかりもののエルヴィスお兄様は、長男のアドニスお兄様を差し置いて、コーグリッシュ家の次期当主である。
確かに、あの猪突猛進で脳筋なアドニスお兄様が当主とは、領地の経営もコーグリッシュ家の先行きも不安だ。
エルヴィスお兄様を次期当主に選んだお父様の判断は間違いない。
アドニスお兄様本人もそんなかたっくるしい仕事よりは、身体を動かしたいらしいので兄弟間での跡継ぎ問題とかは今のところはない。
アドニスお兄様やルシアンが我こそはと名乗り出ないかぎりは大丈夫だろう。
それ以前にこの三兄弟はとても仲がいいので、跡継ぎをめぐって兄弟同士で争ったりとかをするくらいならお互い譲り合いそうな気がするけど。
「父上に用事かい?」
「ええ、ちょっとお父様からお呼び出しがありまして…。」
「…呼び出し?いつのまにか僕の妹は不良少女にでもなったのかな?」
「もう!お兄様!」
猫被ってるからもとからそんないいこじゃないけどね!だなんて言わないよ。もちろん。
頬をわざとらしく膨らませてポカッとお兄様を軽く殴ると、エルヴィスお兄様は楽しそうに笑ってから「冗談だよ」といってから「じゃああれかな?いい加減マリーにも婚約者が決まったかな?」と紙の束の一番上に置いてあった便箋を1つ右手に持ってピラピラと動かす。
「それは?」
便箋をわざわざわたしに見せびらかすように動かすものだから、まんまと興味をひかれてしまう。
無意識に目でおっているとエルヴィスお兄様は呆れたようにため息をついた。
「バッカスから君への求婚の手紙だよ。…そうだな、20通はとうに越えているかな…。」
「に、にじゅう!?」
バッカス様!?いくらなんでも送りすぎです!そしてしつこい!!!
エルヴィスお兄様もわたしと同じ事を思っているのか苦笑をうかべた。
「だけど僕としては昔から知っているバッカスとマリーが婚約するのは大賛成なんだけどね。あのバッカスならきっとマリーをとても大切にしてくれるだろうし、マリーだって知らない奴よりは幾分気が楽だろう?」
「…それは、そうですけど、できれば私…バッカス様とはお友達でいたいのです。」
「ははっ、友達?マリーは悪女だね?20通以上もの求婚を送ってくる奴と友達でいたいだなんて。」
楽しそうに声をあげて笑ったお兄様はそういうと、
「よかったよ。マリーがバッカスに気がないようで。父上はアシュフォードとの婚約には反対らしいからね。ふたりに駆け落ちでもされたら名前が売れているぶん、コーグリッシュ家にもアシュフォード家にも大打撃だ。」
心配が少しなくなったよ、と何故かお礼を言われてしまった。
「その様子だと、父上との話しは婚約者のことではなかったんだね?いったい何をしたんだい?マリー?」
ちっ、ながしてくれなかったか。
わたしはばつが悪そうに視線を少しだけずらすと、
「…ちょっといたずらしていたのが見つかっただけです。」
といじけたように言った。
それになおも楽しそうなお兄様は
「僕はマリーがそんなに大人しい子じゃないってことは、昔ルシアンと取っ組み合いをしていたから知っているよ?」
だなんて言うもんだから唇をさらに尖らせる。
「…昔の話です」
「そうかな?こないだマリーに蹴飛ばされたってルシアンがいっていたけど?」
「…ルシアンが?」
ルシアンめ!余計なことを!エルヴィスお兄様に告げ口するだなんて!前から思っていたけどなんて小さい男なの!
わたしがルシアンへの怒りを募らせているのが見てわかったのだろう。エルヴィスお兄様は「やっぱり相変わらずお転婆なんだね、マリー?」と確信したように笑った。
「いたずらか。何をしたかはしらないけれど父上に何か言われても気にすることはないよ。」
「え?」
てっきりお父様と同じように、侯爵家らしくとか淑女としてとか言われると思っていたわたしは、エルヴィスお兄様の言葉に思わずお兄様の顔を凝視する。
それに、わたしが何をしたかも聞いていないのに気にすることはないって、それはそれでダメな気がする。
もしわたしがすごい悪いことをしていたらどうするんだ。
驚いているわたしに笑みを深くしたエルヴィスお兄様はお父様とそっくりなお顔でお父様と正反対のことを言う。
「マリーは今は好きなことをすればいいよ。女性は嫁いでいってしまえばきっと自由なんてほとんどなくなってしまうのだから。実家にいるときぐらい、甘えて好きにしてもいいと僕は思うよ。」
ただでさえ、君はここにきてからとても我慢しているだろう?
そう言って片手で書類を持ち直しわたしの頭にポン、とやさしく手をのせたエルヴィスお兄様。
その言葉にわたしの目は一瞬にして潤む。
いけない!こんなことで泣くわけには…!
「もちろん、限度があるけどね。…それに、父上も、家庭があるのに他の女のところに入りびたって子供をつくったりアドニスにい様も長男なのに跡継ぎを放棄して騎士になったり、もうみんな好き勝手しているんだから、マリーが何かやらかしたところで今さらだよ。あ、だけど駆け落ちだけは勘弁してくれよ?アドニスにい様が暴れだすからね?」
パチン、とウィンクをしてからぽんぽんわたしの頭を叩いたエルヴィスお兄様は「マリー、君は充分がんばっているよ。素敵なレディだ。自慢の妹だよ」そう言ってくれた。
…もうだめだ。
潤んでいた瞳から決壊したように涙が次から次へとこぼれだす。
まさか、エルヴィスお兄様がこんなことを言ってくれるだなんて思ってもみなかった。
だって、誰も誉めてくれない。
わたしがどんなにがんばって言葉遣いや行動を治したとしてもそれが当然だって顔をする。貴族なのだからできて当たり前。
そして認められるたびにもっともっとと求められる。
どんどん本当のわたしから遠ざけられる。
息苦しい。
花街に戻りたい。だけどわたしは今更花街に戻ってももうきっと花街のみんなには受け入れられない。
それくらい変わってしまった。自分は変わらないつもりでも花街のみんなからは変わって見えるだろう。元通りにはきっとなれない。
城下町でさえも庶民には思われないのだから。
顔を両手で被ってうつむいてしまったわたしの頭を、エルヴィスお兄様は黙ってやさしく撫でてくれる。
お兄様は仕事があってお父様の部屋を訪れたのに。
ああ、こんなところで足止めをしてはいけない。
そう思い震える声で自分のことは気にしないでと伝えるけれど、エルヴィスお兄様が「泣かせたのは僕だから。」とわたしが泣き止むまでわたしの頭を撫でていてくれていた。




