淑女たるもの
次の日からわたしの貴族としての生活が始まった。
貴族は何もしなくても美味しいお茶を飲んでオホホホと笑ってお茶会していればいいと思っていたけれど、そんな甘くはなかった。
コーグリッシュ家にきて次の日、朝から突入してきたメイドさんたちにあれよあれよというまに食事、着替えなどをさせられたわたしは気づけば眼鏡をかけた怖そうな女性の前で座っていた。
彼女の名前はバーナデット・メヒュー夫人。これから貴族令嬢としてのあれこれを教えてくれる、所謂家庭教師である。
自己紹介を済ませれば、
「まあ!本当に礼儀も何も知らないのですね。」
と不快そうに顔を歪められた。
「今までいったいどんな生活を送ってこられたかは知りませんけれど、これから侯爵家のご令嬢として生活していかれるのであれば、このバーナデット、誠心誠意立派なご令嬢にローゼマリー様を育てあげて見せますわ。」
「…は、はぁ」
何やら興奮気味に暑く語り出したメヒュー夫人のテンションについていけず、そう返事をしたわたしにメヒュー夫人の目がカッ!と見開かれた。
「なんですかその返事は!淑女たるものそのような言葉は語録にはございませんよ!」
その後、この国の歴史やら貴族の名前やら派閥やら言葉使いやらお行儀、礼儀、姿勢、音楽、ダンス、お茶、刺繍などを1日みっちりやらされた。
彼女の口癖は「淑女たるもの…」らしくそのあとに続く言葉は基本お説教だ。普段ふれることのない未知の世界のお勉強に、わたしの頭はパンク寸前。
メヒュー夫人が時計を見て「あらもうこんな時間」と呟いた瞬間、ぶわああああと解放感がわきでてきた。
「それではローゼマリー様、そろそろ私は失礼いたしますわ。」
「はい!お気をつけてお帰りください!」
「お気遣い感謝いたします。…それではローゼマリー様、また明日。」
また明日?
その言葉が山びこのように頭のなかで反響される。
はて、その前に山びことはなんだったか。いや、そんなことより明日!?明日も来るの!?
「あ、あのメヒュー夫人はこれから毎日くるの?」
メヒュー夫人が去ったあと、勉強道具などを片付けに来たメイドさんにおそるおそるわたしは聞いてみた。
そんな恐ろしいこと、どうかありませんように、と願いながら。
だけど心の奥底では分かっていた。そんな願いなどきっと叶わないと。
「はい。ローゼマリー様の基礎がしっかりするまではこれから毎日日にちをあけずにこられる予定です。」
「!?」
このときのわたしはきっと絶望的な顔をしていただろう。こんな地獄が毎日続くって言うのか!
「かあさ…、お母様は?何をしているの?」
「レイヤ様も最低限の礼儀作法などを習うために学んでおられますが、ローゼマリー様はこれから社交界など貴族の方々との交流も控えておりますので、レイヤ様より学んでいただくことは多いのです。」
つまりは母様はわたしほど勉強はしなくていいと。
その日の夜、母様と夕食を共にしたあと、わたしは母様の部屋へと乗り込んだ。
食事の時はまわりを使用人に囲まれていたので言い出せなかったのだ。
「母様!こんなところは嫌!花街に帰ろう!」
突然入ってくるなり涙目で抱きついたわたしを母様は驚きながらもしっかりと抱き締め返してくれる。
「あらあらどうしたの?」
「この苦しいドレスも嫌だし、ひとつひとつの動きにまで気を使わなくちゃいけないのもいや!自由に動けないのもいや!淑女のお勉強もいや!みんなにも会いたい!」
2日目にしてホームシックに陥ってしまっているわたしに母様は白く細い手でわたしの背中を何度かなでてくれる。
そして「ロゼ」と名前を呼ばれた。
期待を込めて母様のお腹から顔を上げれば、そこには変わらず美しい笑みを称えた母様。
「ロゼ、環境が変わって辛いのはよくわかるわ。でも花街にはもうもどれないのよ?それは賢いロゼもわかっているでしょ?」
「……でも」
「辛いのは慣れるまでの最初だけ。なれてしまえば花街よりきっとずっと居心地はいいわ。」
母様の言葉に思わず黙りこんでしまう。
その慣れるまでの今がつらいから言ってるんじゃない。そうふて腐れていると母様はまたわたしの意識を戻すように名前を呼んだ。
「それにお勉強は大切よ?男を手玉にとるためにはバカな女ではいけないわ。」
「え?」
「ロゼ、バカな子は利用されるだけよ?賢く美しくあれば利用する側になれるの。この世に怖いものなんてなくなるわ。」
「………」
「ロナウドの子どもが3人とも男でよかったわね、ロゼ。女なんかよりずっと扱いやすいじゃない。愛想よくしておきなさいね?」
まさかの兄弟までもが男としてカウントされるのか。
このときあらためて母様が花街でのしあがることができた理由の一端を知れた気がする。
容姿だけではないんだな…。て思った。その後、母様に男の転がしかたのなんたるかを語られた。
男はにこにこしておだてればちょろい。
権力者には2割り増しの愛想を。
会話の最中のボディータッチは欠かすな。
涙は流すな瞳に限界までためろ。
結局、わたしの花街に帰りたいという申し出は、母様の男のなんたるかという講義でサラッと流されてしまった。
普段色気を振り撒くおっとりとした美人が、まさか計算により作られていたとは。さすが母様。見習うところが多いよ!
大人しくいまだ慣れない大きな自分の部屋へと戻ることにしたわたしは、すぐさま部屋のベッドに寝転がった。
みっちりとメヒュー夫人に鍛えられたので体も頭もへとへとだ。
そのためすぐに夢の世界へといくことができた。
その日、母様の顔をもつ蛇が夢にでてきた。
何て夢だ。しばらく蛇はみたくない。
「ローゼマリー様、メヒュー夫人はご都合によりこられないそうですので、本日のお勉強会はお休みにございます。」
コーグリッシュ家にきてはや3ヶ月。この勉強漬けの毎日はいったいいつまで続くんだろう。もう死にたい。と思っていた今日この頃。
だって毎日毎日お勉強と食事をするだけの生活。
なにひとつ娯楽がない。話し相手も母様ひとり。外にもずっとでていない。そりゃ精神的に追い込まれもする。
そんな時にこの朗報。喜ばないわけがない。
「え!?本当に!?」
「はい。ですので、本日はご自由に過ごされて結構です。残念ながら屋敷の外へは行けませんが。」
朝食を食べていたわたしに、そう淡々と表情も変えずに伝えたメイドさん。今すぐにでも飛びはねてまわりたいものだが、使用人の目がある。
このメイドさんたち、お人形のように表情がなく、わたしに関心がないのかな~何て思っていたら大間違いだ。
わたしが淑女らしからぬ行動をした日には、その内容はメヒュー夫人に筒抜けなのである。そのため、たとえ、置物のように立っているだけのメイドにも気は許せない。彼女たちはああ見えてわたしのことを監視しているのだ。
なんて窮屈なところなんだろ。
はあ、と大きく息を吐き出したところでひとりのメイドが声をあげた。
「ローゼマリー様、よろしければ本日はお庭で読書などされてはいかがですか?」
「庭…」
相変わらずあまり表情の変わらないメイドさんからの淡々とした口調での提案だったが、花街でも本を読むという習慣がなかったわたしにとっては勉強と何らかわりない。
「天気も良いですし、お茶を飲みながらゆっくりされるのも心が晴れて良いのではないでしょうか。」
「…そう、だね。」
あまり乗り気にはなれなかったが、有無を言わさぬ圧力を感じる。もしかしたら本人はそんなつもりはないのかもしれないけれど、表情の起伏がないとこうも圧力を感じるものなのか。
しぶしぶ了承の返事をしたわたしに「では、準備をいたします」と言い、メイドさんは礼をして出ていった。ため息をついてふとテーブルの上に視線を移せば、これ見よがしに3冊の本が重なっておいてあった。
いやいやいつの間に。
わたしに拒否権なかったよねこれ。もう読ませる気まんまんで置いてあるよねこの本。
さりげなくも堂々と置いてある本に恐怖を感じながらも、恐る恐る手を伸ばす。
「金髪の王子。薔薇姫の王子。魔法使いと王子………王子多くね?」
明らかに恋愛もののお話しなのだろうけど、この王子推しはなんなのか。この国の王子様なんて、メヒュー夫人に最近叩き込まれるまで知りもしなかったし興味もなかった。
まず、花街では貴族はただの羽振りのいい金づるだったし、恋だの愛だのと憧れるような場所じゃなかったし。
「どうしよう。全く興味がわかない。」
ふたたびため息を大きくつく。わたしにはこの本を読まないという選択肢は怖くて選べない。だから、ズシッと重いその本を持って、わたしはしぶしぶ庭へと足を向けた。
この庭へは、初日に本邸からの移動で歩いたきり来たことがなかった。
もちろん、今住んでいる離れの窓からは見えるのだけど、わざわざ足を運ぶこともない。
ここへきてからはお勉強でずっと屋敷に籠りきりだったし、何より日差しを浴びるのが苦手だ。花街は日中に人通りは少ない。
日が高い時間はみんな寝ているし、見習いになってからはねえ様たちの仕事の時間に合わせていたからわたしも明るい時間は進んで外にはでていなかった。まあ、ダンに呼び出されることはよくあったけど。
庭にでてまず思ったこと。
「この日差しは毒だわ。」
無意識に眉間にシワがよる。普段日差しを浴びてなさすぎて肌がびっくりしているのかピリピリ痛い気がする。目も痛い。わあ、すがすがしい!なんて気持ちには一切なれない。
日焼けは老化のもとなんだから。紫外線が……。
「あれ?紫外線ってなんだっけ。」
ふと思い付いた言葉に首を傾げる。最近誰に聞いたのか、不思議な言葉が頭に浮かんでくることがある。特に差し支えもないしあまり気にはならないから深くは考えてなかったけど、いったいわたし、誰にどこでこんな話聞いたんだっけ?ねえ様の誰かかな?
女性の多い花街。おしゃべり好きな女の子たちとの会話には、いろんな情報があふれている。その数多い会話のなかで覚えてないことのひとつやふたつ、あってあたりまえ。
そう、だから今回もそんなに気にすることもない。そんなことより、この日差しから少しでも避難することの方が先決だ。
少しでも日の当たらないところを探したが、ただっ広い庭に逃げ場など少ない。ここに座れと言わんばかりに大きな木の影になるところにベンチとテーブルが置かれていた。
ここからは少し距離がある。どちらかというと本邸に近い。あそこへはいっていいのだろうか。でも、庭は庭だし…。
見たところ他に避難場所もみつからず、あそこまでの距離を日にあたりながら歩くのかと思うとうんざりするが、仕方ない。
重い本を抱え直してわたしは意を決して歩きだした。
淑女たるもの走ったり急いだりしてはいけないらしい。どんな拷問だ、これは。




